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こぶしの会コミュの岡本かの子の歌

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大分、放っておいたので、新しいトピックを立ててみます。
最近、岡本かの子が凄いことに気付きました。
小説家、歌人、また岡本太郎の母として知られるかの子ですが、
晩年には仏教研究家になっています。
また、夫と愛人との共同生活をし、二人に見守られ息を引き取ったという、奔放な人生を送った女性でもあります。

「年々に わが悲しみは 深くして いよよ華やぐ いのちなりけり」
という代表作「老妓抄」におさめられた歌がありますが、多分に仏教的な歌です。
悲しみや煩悩が深まれば深まるほど、いよいよ、まっすぐに自己の命を見つめ、偽りの無い自己と出会うことであるよ、(そしてなお、仏教的に解釈すれば、いよいよ救われてゆく我が身であるよ)ということなのではないかと、私は思っています。
この時、かの子49歳、この歌を歌ってから、わずか3ヶ月あまりで急逝しています。
かの子は激情的な性格で、人生におけるさまざまな屈曲(経済的困窮、恋愛、芸術表現への希求など)の中で精神に異常を来し、入院生活を送ったこともあります。そういったことを機に、仏教に傾倒してゆくようです。
かの子が自らを見据えて生ききろうとした結果の「華やぐいのち」であり、偽る事無くひたぶるに生きてゆくことへの飽くなき欲望が、ここに込められているように思えます。

ちょっと飛躍しているかもしれませんが、
こぶしも、希求してゆけば、こんな所にも帰り着く気がします。

コメント(12)

はかない・・・・・・・・・・・・・・・・・
抜苦与楽。
如来の大悲に抱かれて・・・
という節を聞いたことがありますが、
そういうことなんですね。

かの子は、キリスト教によっては救われず、
後に歎異抄によって生きる道を暗示されたとあります。


http://ja.wikipedia.org/wiki/岡本かの子

かの子の小説の、他者に対する深い洞察は、
自らを内省し続け、苦しみ、救いを求め続けた
彼女ならではのものと思います。

瀬戸内晴美の「かの子撩乱」は未読ですが、
近日中に読んでみようと思います。
「本来、物事は、相対的で流動的そして偶発的で多様的である」
とする意識によって生じるニヒリズムを体感し、内観し、
そしてその反射によって起こる自然物理現象のような表現こそ、
人間ができる唯一で最大の「表現」だと確信しています。

僕がこの発想に行き着いたのも、やはり仏教です。
そして、歎異抄によって、キーワードでもある「反射」という考えに
行き着きました。


ということを某バンドの下半身に、つい最近メールで送ったところ
誰も反応しなかったのは、、、、
>岡本家のカルマですね。
何せ、かの子は赤ん坊の太郎が泣くと、
太郎を抱っこしながら自分も泣いていた、
という話ですね、、、、

キリスト教について殆ど知識は持たないのですが、
少し前に、Amazing Graceを聴いて、
嘆きと慈悲が表現されているのに気付きました。
アレサ・フランクリンと言う黒人女性が歌っているので、
てっきり黒人音楽かと思っていたら、
白人が作詞した曲だそうで、
黒人奴隷貿易に関わったことへの深い悔恨と、
それにも関わらず赦した神の愛への感謝を歌ったものなんですね。

突き詰めたところでは、キリスト教も仏教も、
殆ど変わりのないことを言っている気がします。
>突き詰めたところでは、キリスト教も仏教も、
>殆ど変わりのないことを言っている気がします。

たぶん、同じだと思います。
「宗教的救い」はある意味、個人的な内省の体感であり、
言葉を超えた次元だと思っています。

「主よ哀れみたまえ」や「阿弥陀さまにお任せします(念仏)」、
また、ヒンズーのマントラなども、究極の自己の先にある次元に
ダイブするためのキーワードだと思います。

このキーワードの先には、言葉も音もなく、主観も客観も自己も他者も
ない、宗教的に言えば最大の慈悲があり、それはあくまで個人の体感で
しかなく、またそれを感じつつも多くの煩悩や悲しみの世界で生きていく
という矛盾に自らをおく宿命の体感。

このキーワードは、実は宗教的な言葉だけではなく、自然、音楽、絵、
学術、、科学、、など様々なものに宿っていると思います。

「こぶし」は単に音を揺らすだけの音楽的技法ではなく、
「存在」する全てがもつ矛盾的宿命の嘆きであり、キーワードであると
考えます。
根っこの部分で同じことを言っていても、
長い年月を経て、関係のない色々な手垢がついてしまって、
一番シンプルで重要なことが見えにくくなってるのでしょうか、、。

たまプラ〜ザの話すごいですね、衝撃的です(笑)
柄谷氏のテキスト、早速探して読んでみようと思います。


話にあまり関係ないのですが、今日、韓国の従軍慰安婦のドキュメンタリー映画「ナヌムの家」を大学の授業で観ていて、日本の演歌のような韓国の歌謡曲が流れるシーンがありました。
これはもしかして日本の統治下で伝わったものなのかも?
と気になって調べみた所、日本の統治下において広まったとも、また日本が韓国の「トゥロート」という歌謡から拝借したともあり、はっきりとはわかっていないようです。
どちらが先かはどうでも良い話ですが、「トゥロート」に関わる話はなかなか興味深いです。
「トゥロート」のルーツは「パンソリ」と呼ばれる、歌い手と太鼓の叩き手ひとりずつがペアになって共演する語り節の伝統音楽にあるそうです。
パンソリでは、韓国人の独特の精神の世界である「恨」(ハン)がもっとも大切な感情とされていて、パンソリにおける恨とは、第三者に対する「うらみ」だけではなく、自分自身が果たせなかった無念感や自責の念としての恨もあるという話です。
韓国の「恨」の文化とは良く聞きますが、実際にどんななのかよくわかりません。ですが、お隣韓国の演歌とそのルーツをたどれば、異文化におけるこぶしのまた違った一側面が観られるのではないかと、興味津々でいます。

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