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青森県立八戸東高校コミュの平成26年度松友会東京支部総会に出席しました。

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 平成26年5月25日、両国第一ホテルで開かれた平成26年度東京支部総会に出ました。ざっと70人のうち、来賓を除けば卒業生の野郎は小生1人(もう1人出席するはずのM氏はついに現れず)でした。なにしろ女子高等学校に男女共学の草分けとして入学していらい、こういう比率には慣れてますから、ちっとも驚きません。
 吹越先生は今春定年で退職、後任の鎌田晃説校長は、新年度の男女比は1対2.3といわれました。それから野球部は30人になり、初めて県大会に出た。1回戦は三本木?と対戦して敗れたとのことですが、初代マネとしては上乗の戦績と評価しますよ。今秋の同期会で初代チームの選手某氏がきたら教えましょう。またボールを沢山寄附するかもね。
 お隣に小中野のT医院の元令嬢がおられて、小生のためにビールを各テーブルから拉致してくださったので、飲み物はたっぷり。いまの校歌「光あり」を作曲した信時潔の息子氏と我々のときの南部泰校長がどこだかで同期生というつながりがあり、PTA会長だったT院長ともども作曲のお願いにいったという話を初めて聞きました。
 さらに魂消たのは、英語の時間に前の席に座っていた、これまたB医院の元令嬢が出席されていて、卒業以来初めておめもじ。彼女の長いお下げのしっぽを隣席の悪友Tにそそのかされて、ちょいちょい引っ張った前科について、その節はご迷惑をおかけ致しましたと、60年以上前のことなので誠に手遅れなのですが、お詫び申し上げました。このTは南部校長の命を受けて信時氏に作曲謝礼の一部と思うのですが、三戸から林檎ン箱を送る手配をした男です。
 それから2年のとき転校していったKの消息を何人かに聞かれました。慶応を出て眼科医になり5年ぐらい前に亡くなったとお知らせしましたが、男ぶりがよくて秀才で、彼は同期はもちろん前後の皆さんの気になる存在だったんですなあ。
 ともあれ、きょうぐらいビールを頂けるなら来年も出席すると思わずいってしまいましたので、来年お会いしましょう。下記は出席者に配布された「松友会報」の無断転載です。


松友会報 18号

 発行所 青森県立八戸東高等学校同窓会松友会
 (財)松友会
〒031-0001 八戸市類家1−4−47
八戸東高等学校同窓会松友会事務局
 電話0178(43)0262


平成25年度同窓会総会
 アコースティックユニット
 びいだまミニコンサート
  古屋敷裕大さん&上山友己さん(高校55回生)

 平成二十五年度八東高同窓会松友会総会が、六月十六日に八戸プラザホテルアーバンホールに於いて、来賓・学校関係者及び同窓生合わせて約百四十名の出席を得て開催されました。冒頭に茂木典子会長は、「時問が限られておりますが、できるだけ多くの同窓生と親睦を深め、これからも母校発展のために共に活動していきましょう」と力強い挨拶を述べられました。来賓紹介に続き、吹越義博校長より、八東高の現況報告とお祝いの言葉を頂戴致しました。生徒達の様々な活躍は大変頼もしく、より一層の成長を願わずにはいられません。
 議事に入り、議長は会則にのっとり茂木会長が務めました。平成二十四年度会務報告・決算報告・監査報告に続き、平成二十五年度事業計画案・予算案が審議され、満場一致で承認されました。また今年度は役員改選もありましたが、事務局案が通り、全ての案件がスムーズに進行し無事終了しました。
 今年度の講演は高校五十五回生の古屋敷裕大さんと上山友己さんによるアコースティックユニット「びぃだま」コンサートです。お二人は八東高で出会い、二〇〇一年にユニットを結成し、現在全国各地で精力的に活動しております。学生時代からのなつかしいトークも交え「僕らの街」他数曲を熱唱し、八東高■周年記念歌「風に」では会場が一つに盛り上がり、アンコールにも応えて頂き、楽しいコンサートは終丁となりました。
 懇親会では茂本会長の挨拶のあと石橋司後援会会長の乾杯、そして高校二十三回生の重茂操(花柳貴久永)さんのご好意により、祝舞が披露され、八東高らしい華やかな懇親会の幕開けとなりました。さっそく同期ごとのテーブルを囲みながら、食事とお喋りに花が咲き、なごやかで充実したひとときを過ごすことができました。最後は、びぃだまさんにも参加して頂き、新旧校歌を全員が元気良く歌い、来年の再会を誓いながらお開きとなりました。
 ここのところ出席者が減少し、少し残念ではありますが、若い世代の方々や男性(男子)の出席が増えたことは大変喜ばしいことでした。
 年に一度の同窓の集いが一人でも多くの方々に浸透し、さらにその輪が大きく広がることを願いつつ報告と致します。    (源新育子記)


「樹下路」の謎
 同窓会長 茂木典子
  (高校18回生)

 「花には花の美しさ、水には水の美しさ」・「今日の自分は昨日の自分であってはいけない」・「前途洋洋」・「ああ、もっと勉強しておけばよかった。もっと本を読んでおけばよかった」・「大人になりたくないなあ」・「夢と希望を持って前進」・「愛と知の出発」・「いろんな道が私を待っている」・「上を向いて歩こう」・「悔いのない青春」 生徒会誌『樹下路』創刊号(昭和三十七年一月発行)、「プロフィル三年H・R」に書かれた三年生全員の言葉の中から、いくつか抜粋してご紹介しました。
 このコーナーは、三年の学級担任五人の先生方、工藤、中村、高橋、田村、内野の各先生の「卒業生に送る」と題した一文と三年生全員による短いメッセージでクラスごとに構成されていて、音楽の田村夕力先生は、文章にかえて、先生が作詞・作曲した歌をプレゼントしています。
 話題を生徒会誌、三年生全員のメッセージに戻したいと思います。実は開校二年後の明治三十六年十二月、『樹下路』創刊の五十九年前に『松友會誌』が発刊されています。内容は内田幾次郎初代校長の「論説」、名誉会員である職員からの寄稿、在校生の随想と短歌や詩等による「文苑」、「雑録」、「會報」と続く構成になっています。会則には「生徒と卒業生で組織」、「会員相互の交際を親密にし」、会費は月五銭とあります。会員構成に少し違いがあるものの、この『貪誌』が生徒会誌の前身と考えられると思います。
 明治四十五年発行の七号には第一回から六回迄の卒業生の消息と近況が掲載され、第八号では職場の様子等も含んだ詳しい消息になり、卒業生への希望を込めたメッセージも見られるようになります。それが、大正六年の十二号では、次のように変化します。
 「学校時代なかなかの勉強家だった○○さんは実習で磨いた事を実行して良い成績を上げておられることでしょう」
 「スクール時代はテニスチャンピオン。白線無しの袴で、今も、コートをかけまわっていることでしょう」
 「昔から天真爛漫だった○○さん。相も変わりません。でも、今は裁ち縫いの業は見上げた物だともっぱらの評判」
 「温良で、よく気が利く○○さんは養蚕助手として働いておられる。
 生徒の模範となるよう希む」
教室やグラウンドの空気、息遣いまで伝わってくる紹介文は、どれも楽しい内容です。
 それから四十八年。突然、『樹下路』第五号に、この楽しい三年生紹介文が復活するのです。
 八東で編集委員会を担当した十数年間、そして今も解けずにいる大きな謎です。


八東高の三年間
        八戸東高校 校長 吹石義博

 陽の光に春の兆しが少し感じられるようになりましたが、同窓会松友会の皆様にはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
 三年前、創立一一〇周年の記念すべき節目の年に着任しましたが、早いものでこのたび定年を迎えることになりました。今日までいろいろな形でご支援を賜りましたことに心より感謝申し上げます。
 輝かしい伝統を誇る八戸東高校を名実ともにさらに発展させていきたいという強い意欲で学校運営に携わってまいりましたが、道半ばという感は否めません。しかし、精一杯やったという思いはあり、お陰様でたいへん充実した三年間であったと振り返っています。
 また、財団法人松友会の一般財団法人への移行が認可されたことは喜ばしいことでした。
 この三年間、皆様の後輩たちは本当によく頑張ってくれました。部活動や学校行事等においては八東生の持つ多芸多才な能力が存分に発揮されて多くの成果がありました。進路実績においても安定してきており、もう一つ壁を乗り越えると、さらなる飛躍も期待できるところに来ています。
 さて、同窓会総会には三度、東京支部総会には二度お招きをいただき、出席させていただきましたが、皆様方とお会いし、楽しいひとときを過ごしたことが佳き思い出となりました。
 松友会の歌、新旧校歌の素晴らしい歌声には感嘆したものです。松友会の歌、旧校歌の作詞・作曲とも当時の生徒というのも驚きですが、旧校歌の「つとめはげみて やまざれば などかならざる事あらん」の詞はいつの時代にも通用する至言だと思います。
 また、「講演会」における同窓生による演奏はたいへん感動いたしました。オペラ歌手の近藤悦子さん、ジャズピアニストの馬場葉子さん、「びぃだま」さんの演奏はいずれも素晴らしく至福の時を過ごすことができました。さらに東京支部総会での吉岡リサさんの明るく伸びやかな歌声が今でも耳に心地よく残っています。また、上田誠司さんのバリトンリサイタルも素晴らしい公演でした。このようにレベルの高い演奏に接すると八東高が文化芸術面で地域の高校をリードしてきたことが十分頷けます。皆様方にはますますのご活躍を期待しています。
 結びに同窓会の皆様方には今後とも後輩たちのために一層のご支援をお願い申し上げますとともに、貴会のますますのご発展と会員の皆様方のご健勝、ご活躍を心よりお祈り申し上げます。
<以上1面、写真9枚省略>


【支部だより】
東京支部
 
 副支部長 奥山祥子
     (高校17回生)

 平成二十五年度同窓会松友会東京支部総会並びに懇親会が、五月十九日(日)一ホテル両国において、参加者六十五名で盛大に開催された。
 来賓として八戸東高等学校の吹越義博校長先生、小又伸一教頭先生、山内行男渉外部主任、茂木典子同窓会会長、東京青森県人会副会長西川栄子氏、在京八戸高等学校同窓会会長小渡康朗氏、八戸市東京事務所所長鈴本伸尚氏、デーリー東北東京支社支社長遠山良雄氏にご出席いただいた。
 吹越校長先生から今年度は男子学生の入学が増え、男女比率が一対二になったことや、表現科が出来て十年を迎えたこと、進路状況や部活動など、母校の後輩たちの学校生活の様子をお話しいただいた。
 懇親会では三戸土曜塾大庭紀元会長をお迎えし、「斗南藩と青森県誕生の歴史」についての講演が行われた。
 NHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台である会津藩との関わりなど、郷里の歴史をお話しくださった。
 戊辰戦争での敗戦後、家名断絶となった会津藩は一年後、三八上北、下北地方に斗南藩の設立が許された。斗南藩の名前の由来や移住後の困難な生活の中で、産業や農業振興への貢献、町村長、役場吏員、小学校校長、教員などを多く輩出しかことが、地方自治の確立や教育に大きな影響を与え、今日につながっていることなどを教えていただいた。
 また同窓生で歌手の吉岡リサさんが歌を披露した。今年度総会出席者中での最高学年生、高女二十九回生(高校一回生)の石川充子さん、立場節子さん、富田美津子さんが三人揃って出席できたことを喜び、笑顔で近況をお話しになると、会場いっぱいに温かい大きな拍手が鳴り響いた。
 平成二十六年度松友会東京支部総会並びに懇親会は、五月二十五日(日)、第一ホテル両国にて十二時より開催の予定です。
 両国は相撲の街として知られ、五月場所開催中のこの時期、街中や駅では浴衣姿の力士を多くかけます。また江戸・東京の歴史や文化について学べる「江戸東京博物館」では江
戸ゾーン、東京ゾーンに分かれた常設展示室のほか、一階で特別展が行われてお
ります。会場の第一ホテル両国は、一昨年開業した新たな東京のシンボル「東京スカイツ
リー」に近く、ホテル内のあちらこちらでその絶景を眺め楽しむことが出来ます。史跡、名所、老舗店の多い歴史と風情ある街両国に、同期の仲間、先輩、後輩の方々など、お誘い合わせの上お出かけください。同窓生で懐かしく校歌を歌い語り合う、楽しいひと時をご一緒しましょう。初めて出席された五十回生の方から「OGの皆さまと一緒に校歌を卒業後初めて歌い感動しました。在校時にはよく分からなかったつながりを、大先輩方から継承されるものがあるのだと実感しました」とうれしいおはがきをいただきました。
 たくさんの皆さまの参加を心よりお待ちしております。
 また「八戸車高校同窓会東京支部事務局便り」のブログ
http://syoyutokyo.exblog.jp
 を開設し、活動報告をお知らせしております。どうぞご覧ください。


十和田支部

 副支部長 岩間祐子
      (高校17回生)

 十和田支部第二十二回懇親会は平成二十六年一月二十二日、十和田富士屋ホテルにて開催されました。
 松友会本部から副会長高橋真理子様をお迎えし、会員十二名と本当に少ない人数でしたが、いつものように呈茶席から始まり、華やかで和やかな雰囲気のもと行われました。
 十和田支部で心がけている事は、
一、参加者の皆さんの作品(絵・書・刺しゅうなど)をお互いに見て頂く。
二、開会前に生菓子とお抹茶でおもてなしをする。
三、歌やゲームで楽しく遊ぶ。
四、写真はお帰りの際、お渡しする。
以上のような事です。
 今回は遊びとして「教養が試されるゲーム・知らない漢字」(没分暁漢・盥・踝・吝
か…)をやりました。高女卒の先輩方はすべて正解でした。「女学校時代勤労奉仕ばかりで勉強は殆どしなかった」とおっしやるのですが、やはり八高女はすばらしい教育の場であった事を改めて認識させられたひと時でした。
 参加者が少ない事もあってお互いの来し方か皆さまにお話しになり、同郷の方を見つけるなど、本当に楽しい時間となられた事と思います。
 最後は手作りの歌集をご持参の方がいらして十曲も歌を歌い、来年の再会をお約束し”おひらき”と致しました。


YELL!!
 夢輝く同窓生たち
  国内外で活躍する同窓生を紹介します


   振付家・ダンサー
    磯島未来
    (高校54回生)

 踊り始めて四半世紀が経ち、今七なお踊り続けていることに自分が驚いています。
 明けても暮れても稽古に勤しんでいたときも、踊りと距離を取るときもありました。東高校で過ごした時間は大げさとは言えないくらいバラ色で、今となっては宝である友人たちとの出会い、生き生きと学校へ通った日々を今でも思い出します。ダンスをしないでこんなに毎日楽しいのかと踊ることから少し離れた高校生活、進学の最終志望はダンスの学科がある場所を選んでいました。数ヶ月、私は何を学びたいのかと自問自答した結果、ここに行き着いていました。
 踊り続けたい一心で上京し通いだした横浜にある稽古場では、日本語なのに外国語で会話しているのか?と感じるくらい踊りについて何を言っているのか理解できないことばかりで、自分がやってきたことは全く通用せず何かダメで怒られているのかも分からず、とにかく見た事も無い世界に入っていったのでした。
 当時のことを誰かに話すと「どうして稽古場を辞めなかったのですか」と言われ、確かに自分でも何故だろうと思います。意地と、それ以上にこの稽古場以外で当時の私には踊る場が無かったからだろうと思います。踊る場を失うことは辞めることより辛いです。東京では自分で作っていかなければ踊る場などなく、必死に稽古場へ通いました。
 自分の中で踊りの手応えを感じた瞬間が大学四年の秋に訪れました。
 それまでに本番はいくつもあり、コンクールで賞をいくつか頂きましたが、これが踊りだと体感したのは卒業を目前にしてのことでした。何かそれまでと違うのか、自分の身体が自分の範疇を超えてしまった、とでもいいましょうか。このことも一つのきっかけとし、ダンスは趣味で普通に仕事をしようという卒業後のプランは、卒業を迎えるときにはダンスを中心に置いて生きていく決意に至っていました。
 昼は少し仕事をしてそれ以外の時間はダンスを、踊れば踊る分次の踊る場が生まれていき、活動の場は東京から日本各地、アジアヘと着実に拡がっていき、とうとう二十五歳の秋には文化庁の研修員として二年のドイツ・ベルリンヘの留学にこぎつけました。上京したてのときは自分が見るには、おこがましいはずだった海外留学の夢が自分の手に。それまで一緒に踊っていたメンバーと離れてでも自分のダンスや生き方を強くしたい、もっと新しいものと出会いたいという思い。最初は慣れぬ海外生活に戸惑いましたが、季節が変わるごとに日常の生活では不自由が減り、笑いが増えていきました。出会ったことのない人々、考え、文化、景色、言葉、芸術環境。何か正しくて何を大事にしてきたのか、これから自分はどうしたいのかを問うた二年。
 そんな向こうでの生活の中で様々な国の人たちと自分の国について話し、自分が故郷を知らないことに恥じることがしばしありましたが、そんな私の帰国後最初の仕事は八戸でした。十八歳まで住んでいた頃とは違うそれまでに出会った事の無かった人たちと出会い、知らなかった八戸の魅力を知る機会を得て八戸が好きになっています。
 帰国してから運が良い事に多くの人と出会いダンス作品を創っていますが、二年前に仙台で滞在しダンス作品を創った縁で今は仙台に住んでいます。東京で十年近く活勤し育んできたスタッフや仲間との共同作業とも離れ、仙台でまた新しい人間関係づくりを始め、東北だからこそ、その土地でしか生むことのできないものを考えていきながら活動の方向性を模索し踊っています。住む場所を転々としながら、これからも踊って生きていこうと最近やっと覚悟を決めたところです。


平成二十四年度卒業生
同窓会松友会入会式

 平成二十五年二月二十八日(木)、平成二十四年度卒業生(高校六十五回生)同窓会松友会入会式が行われました。
 高校六十五回生幹事の紹介後、卒業生に記念品の印鑑が贈呈され、卒業生代表より入会の言葉が述べられました。
 百八十五名のフレッシュな仲間を迎え、松友会のさらなる発展が期待されます。

会務報告<略>
<以上2面、写真7枚省略>

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