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新・住宅プロジェクトコミュのこんな家考えてますパート2

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住宅営業(平均3000万円〜4000万円)を4年ぐらいしていたけど(いまもちょっとしてますが・・・)その時感じたのは
「お客様は高い買い物をしすぎである」
ということ。
年収300万円台とか400万円ぐらいの人(頭金少)でも3000万円ぐらいの物件を買ってしまう。買えてしまう。

【何かを買うということは何かを失うということ】

家を買うことによって3万円支払いがアップすればもしかしたら家族の団欒を失ったり、お父さんの楽しみの趣味の回数が減ったり、
お母さんのランチ回数が減ったり、そんなことがおこる可能性も秘めていることをわかった上で買ってほしい。営業マンはそんなことは絶対に言わない。言ったとしてもうまくYESに誘導してるだけ。

買い物はバランスで、例えばソファを買えば、その場所自体も、それに座る導線も、空間も占領する。見えているものと見えていないもののバランスが大切である。大体買い物するときは見えている部分だけ考えてしまうけど。

家にかけるバランス、家族団らんにかけるバランス、いろいろ自分の持っているものがあって(それは例えばお金とか)それの比重をもっと考えたうえで家が購入出来ればいえ買って家族崩壊なんてないのになーと思う。年収ではないけど、ちょっと無謀だなーと思う買い物をしてしまう人がこの4年で結構ありました。

昔、私の実家でもバランスがとれない買い物をして、子供ながらにすごく嫌な日々をおくった事があり、今に至ってます。

コメント(11)

買い物のバランスってありますね。人それぞれの考え方があるとは思いますが、他人が冷静に見ると明らかにバランスを欠いているように見えること。
私が設計していても、年収や家族構成から考えるとちょっとアンバランスじゃないかと思える要望を持ってくる方もいます。
打ち合わせの過程で考えがかわっていくケースも多いですが思い入れもあることなのでなかなか難しい問題です。
逆に、なにか別のことをちょっと我慢すれば何倍もいい家になるのにと残念に思うケースもあります。
いずれにしても長くつかうものだから、家を建てるときにはじっくりと時間をかけて考える必要があると思います。その間にもっと現実的になれるかもしれないし、もっといいお金の使い方に気づくチャンスが増えるからです。
この部分をないがしろにする人がまだ多いと思います。
本当に、見合った買い物をすることが大切だと思います。
顧客の年収や資産を知ったら、『無理しないで』と言える不動産屋になりたいです。
相手を嫌な気持ちにさせずに、いいお金の使い方が出来るようアドバイス出来たらと思います。
はじめまして。いきなり長文で申し訳ありません。なんだか自分が溜め込んでいた気持が堰を切ってしまいました。
私は地方で空洞化が進む伝統保全地区をもつ地域開発に携わり改善する機会をもってきた、しかしまともっぽい?ことはいうけど、まだまだ自分とこの経営が立ち行かぬ、救いきれないものがたくさんありすぎる、今んとこダメダメなフリーランスデザイナーです。
私の数年来暫くの目標は地方の復権=全体ボトムアップです。なぜならば私の地元や関わってきた地域は瀕死の状態で、矛盾をより実感してるからです。
近郊町は経済回復の諦めによって財政再建をいう原発の予定もあり環境改善の努力をしてきても、全て無駄になる危惧もある。これは都市部へ電力供給する風土を売る人柱といえなくもない。瀬戸内海は国立公園なのにです。強い憤りと無力感を感じます。
改善のために
都市景観形成、都市の利便性アップより重要なのが、都市部、過疎部両面での農林水産業の地位復権(循環可能な産業構造つくりが前提)と自尊心回復と考えています。
なぜならば、特に生活の為の素材の提供が日本では全くなされておらず(諸外国に比べ自給自足率が極めて低い)、資源・原料の殆どが衣食住とも輸入に頼る現状があるゆえに、生活全ての局面で苦しい思いをしながら地球全体にも実は多大な迷惑をかけてる(国内の資源を腐らせ、海外の水や食料や資源を搾取して生きている、一方で指導や経済協力という形で海外支援しつつです。)
結果、環境アレルギーの派生や風土は疲弊し、まだまだ危険なものが溢れ安心できる風土ではない。
ゆえに、生活に夢がないから、人はお金とチャンスがあつまる都市に集中するようになり、都市部の地価は高騰しブランド化が進み、住む為に多大な出費を強要するようになって、
たくさん稼ぐ人だけしかまともな家に住めない街が次々できてビルの間には苦しくて心病む人がたくさんいる。
反対に地方中心市街地は高齢化と空洞化がとまらない。日本全体で浮浪や福祉社会負担が増えてる。
少子高齢化に拍車がかかってる。
都市部富裕層と地方低所得層のギャップが激しくなり、景気回復とはいうけれど、豊かなのは都市部の一部だけ。多くの人材が無駄になってる。過密でブランド化がすすむ都市に対し、
日本全土には打ち捨てられた家・土地・生産継続できない農薬汚染の田園、工業汚染された埋立地、間伐手入れの全くなされないあるいはゴミが捨てられる山が地方には商品未満の逸材で負債になってるものがたくさんありすぎるが、目に付かないように蓋がされている。
乱開発と放置によって地盤本来の地耐力を失った山が護岸が温暖化の異常気象集中豪雨と連動して土砂崩れを起こす。長く愛した土地を退避するしかなくなる。
このような事が日本の社会・風土の実態でないかと感じます。
見かけだけの生産力のない緑化・木魚のPRのみの為の環境化は全く意味がないと感じます。健全に流通すべきは農林水産業と思います。
実際使え共有できる、食べられる、生活材となる、水が浄化される、自然環境と多様な生物と人が活きる、生きた風土つくりがなされねばならない。
我々デザイナーが関わる商品開発も風土と健康と悦楽の両立の為、そのようなライフサイクルの延長上にあるべきと考え、事あるごとに提案しています。
また、建築営業側では開発行為によって、高度成長期から連綿と山を削り、河川敷きや海岸を埋め、文化財ともいえるようなまたとない街並を無味乾燥な規格化住宅に無意識・有意識両面で、変貌させてながら、自分たちの食い扶持をつくってきてる。税金対策や売上の為にやっと歴史を刻み始めた貴重な宅地の木が切られる。自然がほしくて嘆く人がたくさんいるが無視される。
とはいえ、一方で、奇麗事でなく生活の為にそうせざるを得ない構造もあるともおもいます、こうなると深く踏み込むのは政治の世界になってくるとも感じています。赤字の地方予算をさらに削る三位一体改革は微妙なポジションです。
建築の工夫だけではどうにもなりえません。景観は、環境つくりは、全体調和があって成り立つゆえです。
だから
管轄市長や役所の課長などと機会あるたびに話もしますけども、司る人たちは烏合の市民や税をより多く納める企業の意見を反映する立場だから板ばさみとなってる事情がある、ある意味仕方ない部分もあるかもしれないとも感じました。まだまだ無力感をかんじました。
解決の為には
それぞれの事情を語り合う、事実を明るみにする、水面下と実際の、両面でのボーダレスなネットワークとよりより社会を真摯につくってく粘り強さが必要だと感じます。
管理者さんのおっしゃってる理念は共感します、消費構造はバランス悪いとおもいます。
例えば、デザインでは本来ローコストにして広くよいものを消費者に与える使命がありますが、
市場に出回るのは企業が高く売るの為に差違を煽るブランド=デザイン化という風にとられがちであり、実際豊かにする事より、コマーシャリズムの為にどうでもいいような面白半分のものが高値で出回っては消えてくのも事実です。多くのデザイナーは食うために目立つ事を優先します。ライフサイクルが短いのも儲け主義のデザイナーは悪びれない。壊れない長持ちするものを作ると次の仕事の見込みが減るからです。業界は新陳代謝を望んでいます。
そういう市場に互いに助け合う事の少ない思いやりのない個人主義文化に、ふざけた社会になるように、デザインで飾られたゆえに、浮かれた消費者は見事に騙され、陶酔してしまったともいえるでしょう。そのようなバブリーなデザインの功罪は大きく、今だにひきづっていて、デザインに対する誤解を助長してるので取り戻しがたいですが、今後はしんどくてもスローなサステナブルな部分も加味してよりよき消費の啓蒙のしなければならない時代に入ったと考えています。
素朴な疑問ですが、
管理者さんの業種では、業界における矛盾や憤りを自覚なさってらしゃるかとおもいますが、改善できる形で経営的にうまく成り立ってますか?
もし、そのような不動産経営モデルが順調にイケてるならば、既に構築しておられるならば、バランスに及ばない業界に対してはるかに画期的であり、それは多くの人々の協力を得ながら、日本の環境改善に貢献していけるとおもいます。私はそういうシステムを構築された方、社会貢献の気概のある方々及び、かかるコミュニティ人たちと協力研鑚が出来ればありがたいと思ってます。
>ichide さん

私は、大学時代
「犬と鬼」アレックス・カー著
という本に出会い、そのような事の実態を一部ではありますが、知りました。
興味ある方がいらっしゃれば是非、一読して下さい。

歯がゆさを感じずにはいられません。


http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062081016/250-4718872-9307440
http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/alexkerr.htm
http://www008.upp.so-net.ne.jp/isei/htmls/t7.html
>ミヤサカさん
犬と鬼、読みました。なるほど、ミヤサカさんがおっしゃる意味がわかった。ほんとによく観察しているなと、思いました。
ここまで深い描写はなかなか日本人では建前上、発言しづらいだろうし、ゆえに事実をえぐってて、鋭い本とかんじました。
こういう事は多分、日本でなんかやろうとおもう人はみんな同じ壁にぶつかってきたのだろうとおもいます。自分が特別の感覚を持ってるとは思いません。
だが、みな、心の奥の憤りを隠してると思う。
そして、この本を読むと、やっぱりそうだよな。だよな。と思うことでしょう。
しかしながら、これ実に愛情を感じます。
作者は多分日本を少なからず好意に思ってくれていて、ゆえに見れば見るほど憤りを感じてしまうのでしょう。私はそこに共感しました。
自分が感じてきたことをなぞられたようで、現場の事をあまりにもよく知ってて驚いたというより、
ゆえに、どうすべきか?何をしたら効果的なのか?自問自答をしながら読みました。
ただ、作者のアレックスカー氏と自分は少し違うことがあります。
私はあくまでも日本人であるという事です。
親を選ぶことができないように、生まれた国は選べません。恨んでもしょうがないし。
歳をとってきた親の事を考えるような事を日本に対して、自分が生まれた地元に対して抱いています。
なかなか勘違いの多い地方だと思いますが、ゆえにこそ、
東京にいても「戻りたくなる故郷にしたい」、そういう思いは次第に大きいものになり、
今、本当の意味でやるべき事を時間が掛かってもやらないとしょうがないと覚悟してもいます。
それは環境技術の後ろ盾と行政へ発言できるチャンネルがついて、もしかしてコンクリート護岸を緑地で埋めることができるかもしれない?という、淡い可能性をすこし見つけて以降です。
柳井で少し変化が出始めています。
バラバラであった地域が、自立志向をする素晴らしい友人たちによって、少しづつ結束をはじめ、時間が掛かりつつも人間的で環境調和もされた、コミュニティが出来るんでないか?という
淡い期待をもてる段階にはなりました。皮肉にもそれは原発の危惧という事もあってです。めらめらと放火された家に住んでるが如しです。
こういう気風を受けて、できる支援を随時するつもりです。
私はごく普通の庶民の日本人の田舎もんとしての誇りを取り戻したいと思う。そういう地域をつくって自分らが安心して遊びに帰れるようにしてみたいという気持です。
ここで不動産に可能性をみたいとおもいます。
地方はどこも少子高齢化で駅前空洞化だらけなんで、土木が、不動産が、建築が、商店が、まともな空間を見栄っ張りでなく真摯に風土景観を考え直すことおもいます。なんとなく、
自分らの世代は踏み台にすぎないかもしれないとおもいます。だけど自分らの子孫の為にこれ以上悪化するような事はさせたくないとおもいます。だから頭をつかうしかないと。
「犬と鬼」
私も読みました。

なんかもー、読むと腹が立って一章ずつしか読めないくらいストレスがたまりました。
でも読み進めると共に、自分には今すぐに何か出来るのだろうか?という無力感を大変感じました。そして世の中を批判的に見る癖がついてしまい、何に対しても疑問点を持つようになってしまいました。例えば少しづつ無電柱化やLRTの導入を国交省がすすめてることに、本当にその方向性の意味を理解しているのか、また新たな利権の道具として使われるんじゃないだろうかということです。
環境問題に関わる分野だとその疑問がぬぐえません。CO2を増加させる渋滞をなくすために高速道路の早急な建設が必要と言ってたり。

厳しい規制が逆に無秩序を生み出しているということを行政は肝に銘じてほしいです。

などと言っても、方向性を変えるなどという事が自分には出来ないし、まず自分の行動から変えるしかないと思うばかりです。

>ミヤサカさん
面白い本を紹介してもらってありがとうございます。大変勉強になりました。
私が言うのもおかしいですが、
「犬と鬼」をお読み頂き、有難う御座います。

私は、大学2、3年にこの本と出合い、えい!さんと同じく無力感でいっぱいになりました。
しかし、あの時、いろんな事を疑うようになり、物事を知ることで新たな目的を見つけるというスタートラインに立った気がします。
少し乱暴な表現ですが、無知であることや知ろうとしないことは、罪であるとも思います。
知らないでやってる方が、幸福かもしれませんが、それでは進歩はありません。


話がそれますが、最近↓の記事が出ていました。
(リンクはそのうち切れますので)
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060111k0000m070144000c.html

首都高を撤去するという話です。
いろんな方の意見が、様々な立場で語られています。
韓国のソウルでは、高速道路を撤去し、綺麗な川を取り戻しました。(実際に一昨年、工事中の現場を見学しました。)
韓国のケースと首都高では、歴史的・地理的・政治的・風水的・経済的…にも違いますが、すばらしい計画だと思いました。

しかし、東京の首都高が出来てから、たかが40年です。
これを、スクラップアンドビルドと見るか、環境的にも景観的にもすばらしい計画と見るか、首相の政治的決断でしかないと見るかは、各々によって意見が分かれるところでしょう。

さらに、巨額の予算を使い、電柱の地中化(景観だけでなく防災の意も含め)や開かずの踏切りの改善は後回しにするということでもあります。(いわゆる形を変えたモニュメントです。)
それと、いざ「実行します」となった時の議論や計画の良し悪しをすっ飛ばして「壊して造る」ことが目的化することが怖い気がする。
ハコモノ、第二東名、大根空港、干拓事業しかり…。

戻ることと、考えることを避けるが如く、突っ走るあたりが…。

話が長くなりましたが、最近忙しいのでこの辺で。
私の「おすすめレビュー」には、犬と鬼以外にもおすすめしたい本がありますので、興味があれば是非。
家は単なる道具です。
道具で人の人の心は出来ません。
どうすれば人が人として生きていけるかを考えないと最悪の状態になるだけです。
>えい!さん

渋滞の解決は道路だけではどうにもならないけど、環境的には結構なテーマと思います。CO2もあるけど、うちの近所の環7あたりは渋滞引き金で、環7雲なる、特殊気象がおきており、杉並区環7近辺で局所集中豪雨がおきている。無関係でないでしょう。
車のありかたや都市計画道路の取り回しや公共交通の如何でだいぶ変わるでしょう。10%〜20%の車減らす→と言う事は、タイムラグだけでOKともいえ。

>ミヤサカさん
首都高の地下化はちょっとやりすぎのような気が個人的にはしてます。防災やコストの事を考慮してるのか疑問。興業というのもわからんでもないですけど、住み良い町の為にはもっと先にやらねばならない事がたくさんあるともう。人目がいくとこだけしかやらないので格差がかくだいするのでしょう。マスコミとよくにてる。

>うるふ瀬川さん
そのとおりとおもいます。単なる道具でしょう。
それが群集となり町並となり、街区とするとき、最低限独善的な乱開発はやめないと、住んでる人は結構ですが、全体で負債になる。道具が暴走してる感があるとおもいます。
>ミヤサカサン
無知は罪。重い言葉です。
自分だけでは知っても何も出来ないかもしれないけど、知るだけでも少しは意味があると思います。

首都高撤去はほんと微妙ですね。ちょっとでも景観が考慮されるという文面が入っただけでも、良しというところでしょうか。
と言っても、景観が考慮されるのは官主導のものだけで住民運動では景観保護を主張しても、無視されますが。


電柱の地中化について、ちょっと変な話を。

国交省が重要伝統建造物保存地区や都心部を中心に無電柱化を進めているみたいです。ただし、道路族の名残か道路景観の改善ということのために、うちの近くでは幹線道路沿いだけ電柱がないという変な景観になってます。で、結局道路の両側をつなぐ為に電線が道路を横切っているという本末転倒な結果に。
これは縦割り行政の弊害でしょうか。

壊して作るのが彼らの使命となっているのでしょうね。
まだ壊すのが自然でないだけマシです。

他の本もちょっと探して読んでみます。

>ichideさん

東京都心には行ったことなんですが、もう別世界ですね。
排ガスがダメな私としては良く住めるなとつくづく思います。
車道を整備すれば、また車が増えて渋滞するっていうジレンマを知らないわけでもないでしょうし、Co2を減らすことも全て高速道路を作るための口実となっているような気がしてしゃあないです。
自動車業界の陰謀かしらん。
東京都内はビルばっかと思っておられるでしょうが、それは事実ではないです。それはメデイアが報じる表面イメージで、
実際はふんだんに緑地があります。
行って見られたらなるほどね。とおもわれるでしょう。
私は述べてる不満は公害うんぬんというような低次元でなく、もっと上を目差すならば、そうあらねばならない、という類の都市の目標です。環7雲の話しを書いたのは、局所が酷いという話で、全部が悪いって意味でないです。

私が住んでるところは新宿から電車で一駅ですが、杉並区、環7、甲州街道に挟まれたエリアで、神田川の近く、住宅地の中ほどで、排ガスは全くないし、隣の日常会話の話し声も聞こえるほど静寂そのもの。また、
世田谷区でも緑地はたくさんで、農地は混在してるし。昭和初期の家も結構あってそれらが皆庭付きです。武蔵野丘陵に値する西のエリアは緑地はふんだんにあります。解りやすくは代々木公園、新宿御苑、皇居、小金井緑地、砧公園、目黒自然観察園、吉祥寺公園善福寺公園、など。帝都建設時以前からの広い鎮守の森が普通にあります。
たぶん、大阪よりぜんぜん緑が多い。
東京はメガシティですから、カウンターカルチャーとして都会である事を嫌う人が多く、農業を結構志向しています、実は農業文化の歴史のある都市です。
また、ビルと低層住宅地が混在するのも東京らしい風景。
住宅地の細切れで点在する庭の緑地は騒音対策、空気正常化に大きく役立ってます。
都内で畑を持つ人、自宅で庭を大事する人たくさんいます。東京都でも緑化を推奨しています。
緑化や環境循環への目標というのは、例えば、大田区や江東区など、人口護岸のところです。過去にごみを埋めて陸を作ってるところは汚染土壌の深刻な問題があります。これは東京の悪い部分。
一般にはそこまで悪くなく、全体では極めて住みやすい土地です。
ゆえに土地の値段が異常に高いです。それが問題で、異常に狭いミニ開発が横行してます。一方で土地分割は手軽に土地を入手できる仕組みともいえ、微妙な方法だとおもってます。

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