ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

学は光コミュの世界との語らい 【第3回】 中国の文豪 巴金氏   2006-5-14

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
   青年よ〔闘争の魂〕を受け継げ
   ─ 私は「悪と戦うために」書く

 とある東京のレストラン。
 巴金(ぱきん)先生は、ふと視線を感じた。一人の女性が満面の笑みを投げかけている。
 「あなたは、巴金さんですね」
 1984年5月12日。
 この日から巴金先生は、急に人から声をかけられるようになった。宿泊先で、街角で「こんにちは、巴金さん」。なぜだか親しげなあいさつを受ける。
 国際ペン大会の招待作家として来日していた。
 この朝までは、誰も自分を知らない様子だったのに、なぜ?思い当たる節があった。この日の聖教新聞に、巴金先生と私の会見が、写真入りで紹介されていた。
 「いや、聖教新聞の影響は大きいです」
 のちに巴金先生の上海の自宅で再会したさい、照れくさそうに紹介してくださった。
 「おかげさまで、いっぺんに日本中に友人ができました」
 活字の伝達力、影響力は、まことに大きい。
 ご自分が“書かれる側”に回った巴金先生。言論が持つ力の大きさを、あらためて実感しておられた。

◆大義に依って立て

 私は、書いて、書いて、書きまくってきた。
 目的があったからだ。
 友に希望を届けるために!
 勇気を贈るために!
 勝利を開くために!
 私は、ペンを走らせてきた。
 若き日から文筆の職業につきたかった。
 戸田城聖先生に初めてお会いした折も、一編の詩をもって門下の礼をとった私である。
 しかし戸田門下となったのちに、私は決めた。
 書くことは大好きだ。生きがいと言ってもよい。だが、これからは自分一人の満足のためには書くまい!
 師のため、同志のため、学会のため ── 「小義(しょうぎ)」ではなく「大義(たいぎ)」のためにペンを握ろう。
 出版業を営んでおられた恩師に、少年誌の編集長として使っていただいた。あらゆる書き物のお手伝いもした。聖教新聞、大白蓮華等々、学会の機関紙誌の創刊時から書きぬいた。
 文を磨きながら、自分を磨き、師に仕えた。
 俗に「身の丈(たけ)」という。ひとかどの文筆家を志すなら、自分の身の丈に届くまで書け。私も、それくらい仕事をした。
 師の後を継いだのち、私の机は戦場となった。日本中、世界中の友が待っているのだ。文字通り、寸暇が惜しかった。
 40度近い高熱を出した日。長男さえもが不思議がった ── なぜ、そこまでして書くのですか。
 その日に書いた原稿を示して答えた。一枚でも二枚でも書き進めば、それだけ前に進める。戦いを止めてしば、それまでだよ。
 巴金先生は言われている。
 「私はペンに火をつけて、わが身を燃やします」
 自分が感動せずして、人の心を揺り動かせるわけがない。我が身を炎と燃やさずして、文章で人を照らせるがない。
 私は生涯、書き続ける。友のために。広宣流布という、全人類救済の大義のために。たとえ生命を削ろうと

◆大人(たいじん)に己なし

 人間は最も追いつめられたとき、その真価が分かる。
 巴金先生には、文化大革命の際に、言語を絶する迫害があった。一言の発言も許されない。最愛の妻も失った。
 しかし、悲嘆に沈むどころか「戦って、戦って、戦い抜いて生きていく」ことを考えておられた。
 大志があったからである。
 「私が作品を書くのは生活のためでも、名声のためでもありません。私が文章を書くのは敵と戦うためです」
 古来、中国の文人は、高々と宣言している。
 「文章は経国(けいこく)の大業」
 「文章は国を興(おこ)す」
 「文は、すべからく天下に益あるべし」
 どうせ書くなら大文章を書け。文で天下を揺り動かせ。そのために、もっと大きく目を開け。己一個のため、己を飾るための文章など恥ではないか。とうてい文人を名乗る資格はない。
 これが大中国の伝統である。
 よく、文章が書けない、どうすれば力がつくのかと悩む人がいる。
 小手先のテクニックや人の評価など、かなぐり捨てることである。
 友を救う激情である。
 敵を倒す気概である。
 勝利への執念である。
 大きな目的に立ってこそ、大きな力が出る。知恵が出る。文筆に限らず、あらゆる分野に通じる鉄則である。
 巴金先生とは四度、お会いした。そのたびに確信を深めた。
 「大人に己なし」。貫いてきた信念に誤りはないと。

◆正論を取り戻せ

 巴金先生は、魯迅先生の門下である。
 激動の近代中国。魯迅先生の檄文(げきぶん)が発表されると、全中国の人民が沸き立った。
 「その通りだ!」
 「これが真実だ!」
 一字一句に力があった。魂があった。だから読者も、打てば響いた。
 魯迅先生の時代から、およそ百年。当時と比較できないほど情報は、あふれかえっている。
 しかし、情報の量と、人間の魂を鍛え、益(えき)する文章の質、水準は、必ずしも比例しない。
 中国だけの問題ではない。スキャンダル。冷笑。売文主義。部数のためなら、ウソも平気で捏造(ねつぞう)する。
 人を踏みつけ、笑い、見下し、不健康な興味ばかりを煽(あお)る社会の、その先に、いったい何が待っているのか。
 魯迅先生なら激怒されるだろう。もちろん巴金先生も。
 「悪書など読むな! どこに救世(きゅうせい)の信念がある?ただの商売ではないか。読めば読むほど自分を腐らせるだけだ」
 「言論の革命が必要だ。言論人は民衆の信頼を取り戻せ」

◆青年を信じ待つ

 巴金先生は、1904年に生誕され、2005年に永眠された。
 激動の中国を駆け抜けた、最後の世代の文豪である。
 「私は青年を信じている。それぞれの時代には、必ず、すぐれた青年が出てくるし、すぐれた思想が出るものだ」
 一世紀を越えて生きた。それほどまでに、新しい世代が躍り出るのを待っていた。ご自身が魯迅先生の精神を継いで走ったように。そう思えてならない。
 私も青年を信じる。待つ。信じ、待ち、託すよりほかない。
 思想の炎。信念の炎。我が生涯をかけた魂の炎。それを青年の胸中に点じるために、きょうも私はペンを執(と)る。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

学は光 更新情報

学は光のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング