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CILに興味があるコミュの自立って何よ:第2段?

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自立って何よ。
前にも、そんなトピックが出されましたね。
あれから少し立ち、また少し違う考え方が浮かんできたので、
皆さんのご意見も聞いてみたいと思います。

CILでは、昔?から
「自立とは、自己選択、自己決定、自己責任のことである」と、
堂々と言ってきた訳ですよ。
「自分の人生は自分で作れ」
「自分の生き方を人任せにするな」
そんな勢いだと思います。

確かに、「身体的自立」「経済的自立」ができない身体障害者にとって、
この、「医療モデル」からの脱却となる発想の転換は、
目から鱗的な画期的な定義付けだと思います。

でも、「自己選択、自己決定、自己責任」ができない重度の知的障害者、精神障害者、もしくは、身体障害者であったとしても、社会経験値が極めて低い人にとって、この定義を提示されることさえ、精神的な圧力を感じるものにはならないだろうか。

「自己選択、自己決定、自己責任」

もちろん、それは、とても大事。

でも、例えばね、「自己決定してるんだから」と言って、
好きな時間に起きて、好きなもの喰って、昼間から飲んだくれて日がな1日家の中にこもってテレビ三昧で、その後ろで介助者に掃除させたりご飯作らせたりして、ちょっと気に入らなければ事業所にクレーム入れて介助者の交代を求め…みたいな生活を、自立だと言えるんだろうか?

私は、最近思うんですけど。
「自立」って、社会の中で、役割を担うことを言うんじゃないかなぁ。

「役割」と言っても、「就労して仕事をして」ということだけじゃないんです。
「地域に在る」ということなんだよなぁ。
「社会とのつながりを持つ」ということとかねぇ。
社会から隔離されているような状況は、たとえ1人暮らしをしていても、
施設の中にいるのと一緒じゃないかなぁ。

「自立支援」って、どんな障害があっても、
社会とつながれるように、サポートしていくことなんじゃないかなぁ。

コメント(44)

>kunioさん

とくに制度とか使わずにいられればそれは全然かまわないと思うんです。
まさに制度とは“ 健全者社会”が作ったものなので片方でその制度を使いつつ社会のルールは守る必要はないというのは都合よくないのかな、おかしくないのかなというのがevさんの書き込みであり僕のレスだと思うのですがどうでしょうか。
障害者運動をするなら問題ないけど好きな時間に起きて、好きなもの喰って、昼間から飲んだくれて日がな1日家の中にこもってテレビ三昧で、その後ろで介助者に掃除させたりご飯作らせたりして、ちょっと気に入らなければ事業所にクレーム入れて介助者の交代を求め…みたいな生活をしているのが問題という話ですよね。
好きな時間に起きて、好きなもの喰って、昼間から飲んだくれて日がな1日家の中にこもってテレビ三昧で、その後ろで介助者に掃除させたりご飯作らせたりして、ちょっと気に入らなければ事業所にクレーム入れて介助者の交代を求め…みたいな生活は障害者だからとかそういうこととは関係なくはなかなか受け入れられないのでは?
ボランティアを自分で探して、ということならどんな生活・生き方をしても何の問題もないと思います。
それこそが自立と言えるかましれません。
ということはそういうことができなければ自立ではない?
>制度を使ってどんな生活をするのは障害者の自由です。

これは完全な合意形成はできていないのではないでしょうか。
特に介助者制度については。
年金の利用目的は自由ということになっていますね。
しかしこれについても揺らいでる感じですね。

>介護制度を作らせてたのは障害者運動だよね。

これも少しあやふや、というか片側の史観とも言えます。
障害者団体はそれを大きなよりどころとしていますが本当に運動だけが政治を動かしたかと言えばそれは違うし(もちろん大きな一翼は担いました)戦前からの流れとか外圧とか健常者の権利との整合性とかいろんなものが絡んでますよね。
障害者団体の史観にしばしばそれらが抜けているのが気になるのですが。

で、“どんな生活をするか・どんな考え方をするか・それぞれの障害者がその人らしく自由に生きる”のであれば“障害者運動はしない”“健常者の作ったルールで生きていきたい”という生き方もアリなはずなのにそれは認めない雰囲気がある感じがするのが怖い気がします。
繰り返しになりますがボランティアや自薦で自費のヘルパーなら何の問題もないですよね。
公的制度のヘルパーの場合税金が財源だから問題になってきがちになるわけです。
税金のほとんどは健常者が払っているわけで、そこにヘルパー=健常者としては障害者の行動に疑問が生まれてくるのでわ。
「健常者ができることは障害者にもする権利がある」というのは僕もその通りだと思うんですが、それでは健常者でもだれもができるわけじゃないことはどうなるのか。
そもそも障害者運動って一種のカウンターカルチャーぽいですね。
「健常者ができることは障害者にもする権利がある」というであればはじめに健常者ありきというか、健常者の価値基準が変わると障害者の運動基準も変わるということかしら?
なんか、ちょっと思ったより大きな話になってきちゃいましたねw
障害者がどんな生活をした方がいい、というよりね、
「社会の構成員だ」という自覚を持つことが、
「人」として、大事なのではないか、と思うんですよ。
これからは、障害者だから、とか、健常者だから、ということではなくて、
もっと、「障害があってもなくても、人としてどう生きるか」ということに、
重点を置くべきなんじゃないかと思う訳です。

朝から酒飲んだくれて、テレビでもみながらぐだぐだ暮らすのもいいじゃないか、
といっても、もし、全国民がそういう暮らしをしてしまったら、
社会は機能しなくなりますよね。
税金も入ってこなくなって、もちろん社会福祉制度は崩壊です。
なのに、障害者は朝から飲んだくれててもよくて、
健常者がばりばり働けばいい、というのはおかしい、と言いたい訳。
もちろん、週に1〜2日、ぐだぐだ過ごす日があったっていいと思いますけどね。

かと言って、健常者がばりばり働いているんだから、障害者もばりばり働け、
と言ってる訳じゃないんです。
「働く」ということができなくてもいいんです。
実際できない障害者がほとんどなんだから。
ただ、「働いてお金を稼ぐ、税金を払う」という形じゃなくても、
なにか、「社会参加」していけるものが、
障害者の、社会的な役割として、
そして、良太君の言うように、「生き甲斐」として、
必要だと思うんですよね。

そこを、支援していくのが、CILの役割なんじゃないかと。
そう思う訳です。
evさんの意見に同感です。
毎日毎日飲んだくれているだけの人は健常者だろうが障害者だろうがよろしくないですからねあせあせ
というか病気かもしれないし社会的問題かもしれないので違うアプローチが必要かもしれませんが。
そうですね。
飲んだくれる生活を送らざるを得ない環境を社会が作っているのであれば、
その社会を変えていくのが、CILの役割ともなっていくのでしょう。
だから、利用者さんへのアプローチと、社会へのアプローチ、両方必要ですけどね。
そもそもCILが障害者にだけ特化してかかわることに固執することすらないのかもしれませんが。
女性問題、外国人問題、各種依存症問題などいろいろな問題に関わっていってもいいわけで。
僕はアートですね。
これまでの定義による“障害者運動”というのはする気は全然ないですが僕が障害者であることは間違いないわけで、僕が何か行動するとそのまま運動的なことになることはしばしばあります。

>いろんな事をしているとみんな中途半端になるからね。

そうとも限らないと思います。
その道一筋のスペシャリストは絶対必要ですがそればかりでは内向きで行き詰まることもありますから。
役所の縦割りとかはそういうことですからね。
例えば女性の障害者には女性特有の問題や悩みがあると思いますが、それを理解・共感できるのは男性障害者よりも女性健常者なのではないかと思うわけです。
それは障害者問題と言うよりは女性問題といえるわけですが、しかし障害者であることと全く無関係なはずもないのでそう言う意味でCILが障害者問題に特化しすぎるのはどうなのかなと思うのです。
いろんな分野の活動への見聞を広げることは、とても大事です。
ただ、CILの「事業」として活動するである以上、どの運動にも、
「障害者」というキーワードは必要だと思いますけどね。
個人的な活動なら、障害者である自分が動けば、必ず「障害者」が絡む訳だから、
何をしても、いい活動になると思いますよ。
> むねりんさん

ではお聞きしたいのですが、障害者が、どのような生活をすることが望ましいと、お考えなのでしょうか?

逃げないでお答えくださると有り難いのですが…
> むねりんさん

ヘルパーも利用者さんに迷惑かけてますよ。

あたなは、誰にも迷惑をかけてないんですか?

誰しも生きてる中で、周りの人にに迷惑かけっばなしでしょう?

迷惑をかけない人間なんているのでしょうか?

よく考えてみてください。
いちいちコメント返したり求めたらダメですよ。疲れるだけだからあせあせ(飛び散る汗)
ただの意見だから温かく見守りましょう手(チョキ)
> むねりんさん、転職をお薦めします眠い(睡眠)
まーあれですね。
障害者に裏切られた健常者もいれば、
健常者に裏切られた障害者もいる、と。
っていうか、「裏切られた」感を持つ、ということは、
自分が、相手に何かを期待していた、ということなんですよね。
その期待に、相手が応えてくれなかったから、がっかりする。
自分が神様にでもなったようなものの言い方をする障害者も健常者もいるんです。
だって、人間だからね。
だから、せめて、「障害者ってヤツは…」とか「健常者ってのは…」なんて、
ひとくくりにはしないでほしいんですな。
一生懸命生きている人は、健常者の中にも、障害者の中にもいるんです。

ちょっと、途中からトピックとずれてきているので、
皆さん注意してくださいね。
ここは、障害者にとって、本当の自立とは何か、
を話し合う場です。
ヘルパーして3年目に入りました。何かと悩んでます。「自立」が何かわからない。
おはよーです。
今、チョット読ませて頂きました。
普段は、書かナイですが、少し書かせて頂きます。
今、書かれけるダケ、障害者が社会に居ナイのが現実、であり又色々考えてたり、失敗しするのを、イカに楽しくやる!考えて失敗して次に活かせばイイのです。(笑)そうゆう意味でも、趣味は必要だと思います。
特に、映画、スポーツなど、自分にあった物、映画なら、、泣き物、笑い物、ファンタジー、アクション、サスペンス、等々etc、、、スポーツなら、2通り、観る派か、する派、どちらも、スポーツの競技のルールを理解して何を感じるか!?私は!スポーツと映画等々、両方をお薦めします。追伸!考えるてする、すごっくイイ事です。何事もナイーブならず、又成っても後でポジティブに(笑)ネ(^ー^)

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