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韓国ドラマ「王と妃」コミュの54話(ネタバレあり)

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54話の新登場人物は特にありませんでした。


譲寧大君は首陽大君の辞職を受けるか惠嬪楊氏を追い出すかどちらかはっきりしろと迫りますが、端宗はどうしても決め切れません。そこで、譲寧大君が好きにしろと言うと、端宗はあわてて譲寧大君に従うと言ってしまいます。
結局、端宗は首陽大君に辞職上書を返し、惠嬪楊氏を浄業院に送るとの教旨を作成しました。
錦城大君はそれを止めようと大殿にやってきますが、譲寧大君に妨げられて端宗に会えずに追い払われてしまいます。それを知った中殿は自分のせいだと後悔しますがあとの祭りでした。
こうして、一連の暗闘は首陽大君の勝利に終わり、端宗は首陽大君を大殿に迎え入れます。
端宗はそこで譲位の気持ちを伝えます。首陽大君は強く拒否しますが、その手が震えているのを見て中殿は首陽大君の本心を見た気になります。
惠嬪楊氏は激しい抵抗の末に浄業院に送られました。(ここで惠嬪楊氏付きの尚宮だったチェ尚宮の寝返りの見事なこと^^;)
文宗の大喪が執り行われ、文宗の側室はみな剃髪して宮殿を去りますが、なぜか淑嬪洪氏だけは居残りました。
1454年8月、韓明澮は同副承旨に昇進しました。


さすが譲寧大君!一人で形勢を逆転してしまいました。譲寧大君でなければ、こんな荒業はできなかったでしょうね。それにしても、首陽大君や韓明澮はこの譲寧大君の登場を読んでいたのでしょうか?あるいは、綏嬪韓氏が考えたように兵権は首陽大君にある、端宗が辞職上書を受け取ってくれたら、すっきりと反乱を起こせると思っていたのでしょうか?


大喪
「大喪」と字幕で出ていて、わたしもそうだと思っていましたが、実録を見ると「大祥」になっていました。読みは「喪」も「祥」も同じ「サン」です。また、「大祥」は辞書を見ると「三回忌」のことでした。
とにかく、「大祥」は文宗の三回忌に当たる1454年5月14日に執り行われました。
文宗の後宮がみんな剃髪したという記事も同じ日に載っています。


韓明澮の昇進
韓明澮が同副承旨(正三品)になったのは1454年8月5日でした。
この日はほかにもいろいろ人事があって、このドラマの登場人物では以下の通りです。
権擥・・左副承旨(正三品)
成三問・・礼曹参議(正三品)
朴彭年・・刑曹参判(従二品)
姜孟卿・・右参賛(正二品)

コメント(2)

BS日テレ放送記念アゲ↑
3月17日(木)放映予定
実録の記事です。

端宗実録2年(1454年)5月14日
「大祥祭を行う」

端宗実録2年(1454年)8月5日
「チョ・ヘ、カン・メンギョン、イ・インソンなどに官職を与える」
ここでハン・ミョンフェが同副承旨になりました。

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