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ギフテッド(gifted)教育コミュのギフテッドと『発達障害』について

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コミュ内全体

ギフテッドとは何か、という定義自体に曖昧な部分があり、議論しにくい面もありますが、私は現在、いわゆる『発達障害』児と『ギフテッド』児が混同され、ギフテッド児が発達障害児として扱われることによる弊害(また、発達障害児がギフテッド児として扱われることによる弊害)が存在するのではないか、という問題意識を持っています。

そこで、ギフテッドと発達障害の違いについて論じてみたく、トピックを立ててみました。

私自身の見解におけるギフテッドの定義、また発達障害との違いについて提示しますので、議論の叩き台として始められればいいかな、と思います。

-----------------------------------
? ギフテッドとは何か。

私自身は、ギフテッドというものをそんなに特別な天才だとは考えていません。。
ギフテッドの定義に曖昧さがあるのは、おそらく、そもそも何のために「ギフテッド」というカテゴライズを必要とするのか、ということが関係してくると思うのですが…

スペシャルエリートになりうるような、特別に輝かしい存在を示すために「ギフテッド」というカテゴライズを必要とする人(多くは、自分やわが子などが本来それに当てはまると考えることで精神的なメリットを得る目的ではないかと推察)も多いだろうと思うのですが、私の場合は、どちらかというと「発達障害児」といカテゴライズが、ある種の助けが必要な子供たちを見分ける必要のために出てきたのと同じように、「ギフテッド」というのは、ある種の手助けが必要な子供たちをカテゴライズするために必要とされ始めた概念なのだ、と考えています。

極端に言えば、「いわゆる発達障害」ゆえんではない行動障害や社会不適応の原因を説明するために、ギフテッドという概念がある、というような……


私自身の考えているギフテッドの定義は、以下のようなものになります。

(1)既存の価値観や概念、常識など、権威があるとされるような立場の人のいうことでも決して鵜呑みにせず、独自に真実を追求し、学ぼうという姿勢(探究心)がある。
(2)OEがある。
 OEとは「過度激動」のことであり、「神経の感受性が増すことによって通常の人間よりも刺激を生理的に強く経験する性質」「誕生時より常に外界・内界両方からの刺激を増長した精神で感じ、激しく深い幅をもって経験し、内省を繰り返している」状態(wikiより)である。
(3)平均的に能力が高い。決して限られた分野のみではなく、少なくとも2つ以上の分野において才能を示す。わかりやすい表れとして、知能指数が高く出ることが多い。


私は、幼い子供にこの三点の特徴があれば、社会不適応や発達障害類似の行動障害を起こすリスクの高い、要支援の子供なのだという風に考えております。


? なぜギフテッド児が「要支援」なのか

ギフテッド自体に反社会的な要素があるのかというとそういうわけでもなく、ギフテッドが周囲と摩擦を起こす原因は、おそらく「既存の価値観を鵜呑みにしない」というあたり、そして周囲に理解されにくいOEというあたりに原因があると思われます。

ギフテッド児は、(1)の特徴から、教師や大人などが子供を従わせようとするルール、常識といったものに対して、いちいちその成り立ち・どうしてそれに従う必要があるのかを追求したがり、またそこで教師や大人の側がきちんとその必要を説明してギフテッド児を納得させることができなかった場合、「従う必要は本当はないんだ」と解釈して、逸脱した行動を採りがちになる。
こういった特徴や行動が「社会性に欠ける」「協調性に欠ける」と認定されがちであることが大きな原因となっているでしょう(こういった特徴は、大人になっても持っているギフテッドもいると思われます)。

しかし通常は、ギフテッド児は、成長するにつれて、その高い能力によって周囲と折り合うすべを自分なりに編み出し、社会に溶け込んでいくことが多いと思われます。
そもそも、ギフテッド児が「常識」「ルール」などの存在理由を理解し受け入れた場合は、ギフテッド児はそういったものをきちんと守り、自分に逸脱を許さない、ある種の正義感を持っていることが多いのです。

概して、ギフテッドは、自分がたどりついた真実に対して忠実な姿勢を採ります。
ですから、道徳やルールなど、自分が納得して受け入れているものは、たとえそれを破ってもペナルティを課されない状況であっても、ギフテッドはそれを破らないのが通常です。天知る・地知る・我知る、というのがギフテッドの発想です(そうであることが多いと思います)。

必要性を理解し納得できさえすれば、ギフテッドは、いくらでもルールを守ります。また、ルールの存在理由は何なのかを追求し、理解するにあたって、ギフテッド児は高い能力を持っています。
もし大人が説明してくれなかったとしたら、いずれ自力で「答え」に辿りつけるギフテッド児が多いと言えましょう。

ですから、社会不適応になるリスクが高いとしても、そのリスクを多くは自己解決しうる能力を、ギフテッド児は持っているのです。

しかし、自己解決できる可能性は100%ではないでしょう。
何らかの原因によって多大なるストレスを与えられる状況に陥った場合などに、感じやすいギフテッド児は、そのの平均より高い能力を持ってしてもそのストレスに対抗しきれず、二次障害を起こしたり、反社会的な方向へと育ってしまったりすることも少なからずある、と思われます(ギフテッド全体に占めるパーセンテージは小さいとしても)。

このように、ギフテッド児の「社会不適応」「行動障害を起こすリスク」を更に高めるものとしては、

・家庭環境(親の不理解)によるストレス
・幼児期〜児童期に属した集団社会が同質化化圧力の強いものだった場合に、そういった集団生活におけるストレス
・不慮の事故や災難などによるストレス
・病気などの身体的な原因からくるストレス

などの他、もう一つ、

・「いわゆる発達障害児」として扱われることによるストレス

があるのではないかと思います。

近年「発達障害」というカテゴライズが有名になり、教育現場などで大きく扱われるようになるにつれ、ギフテッド児に「発達障害」というレッテルが貼られて扱われることも増えてきたように思います。

ちょっと教室になじまない行動があると、教師も周囲の大人も、すぐに「発達障害ではないか」と言い出すのが今の世の中です。
発達障害児と同一視されることによって、ギフテッド児の内面や行動が「誤解」されることがより増えてしまい、そのことが、ギフテッド児に今まで以上のストレスを環境から与えられる結果となっています。

ギフテッド児の突出した能力が周囲から叩かれるもとになることはよくあることですが、その際に、周囲が安易に「発達障害」というレッテルを貼ることによって、より強い圧力をギフテッド児に掛けることが出来るようになっているのです。このことは、今現在もう大人になっているギフテッドは、あまり経験していないことなのではないかと思われます。この危険は、最近になって新しく出てきたリスクであるということができるのではないでしょうか?

主に、このリスクがあるがために、より、ギフテッド児を支援すべき必要性というのは高まっているのではないでしょうか。
私が「ギフテッドと発達障害との違い」について問題提起しようと考えたのも、そこらへんの認識が原因となっています。



? なぜギフテッド児と発達障害児が混同されるのか。なぜギフテッド児が発達障害類似の行動障害を起こすのか。

いくつか、ギフテッド児と発達障害児が混同される原因と思われる点を列挙します。

●?で述べたような、ギフテッド児の(1)の特徴から来る、「ルールや常識を鵜呑みにせず、納得できない場合はやすやすと無視することもある」という一見社会不適応な行動が、発達障害児の社会性のなさと同様に見なされることが多いでしょう。

●(2)のOEから来る情緒の変動の激しさ、また過集中といったものが、発達障害児の症状とそっくりに見えることが多いでしょう。

●また、OEからくる好奇心の強さ、刺激に対する反応の敏感さから、ADHD類似の落ち着きのなさを示すギフテッド児は大変多いのではないかと思われます。

●ギフテッド児は、他人と意思の疎通がうまくできない時に、言語というある程度明快なものに立ち戻り、言語の厳密な定義の確認に立ち戻って他人と話をしようとすることがあります。
大人が議論する時に、言葉の定義の共有から始めて、コツコツと議論を積み上げていく時のように。
そういったギフテッド児の姿勢が、大人には「言葉を額面通りにしか受け取れないのだ」と、発達障害児の特徴と誤解されることも多くあります。
普通、幼い子供がそのような厳密な議論の姿勢を採ろうとする能力があるとは思われないために、誤解されるわけです。

●その他、?で述べたような、ギフテッド児がもともと持っている性質からくるリスクが、ストレスなどによって自己解決能力を超えてしまった場合、ギフテッド児は、発達障害類似の行動障害を、二次障害として起こすことが多くあります。

二次障害の具体的なパターンとして、「他人の気持ちを無視する」「考慮しない」「自分が置かれている状況や、いわゆる『空気』を無視する」または、「むやみに他人を見下し、蔑む」という行動に現れることが多々あります。

これは、おそらく「負荷過大による無視」が主な原因なのではないかと考えています。

大雑把に説明すると…
OEがあるギフテッド児は、感受性が鋭敏すぎて、外部から受け取る情報量が通常よりかなり大きい。
その大量の情報を処理する能力を備えてはいるけれども、それでも状況によって処理力を上回ることもあります。環境にもよりますし、色んな出来事が起こったり、或いは、排除されることによって精神的負荷が大きくなってしまった場合などなど…

そういった場合に、無意識の自衛手段として、特にコミュニケーション上の情報を、一見「遮断」するようになることがあるのです。

他人の気持ちだの、場の空気だのなんて、分かる方が自分にとっては都合悪いことも多い。
分からないフリして、目に入れないで無視して、自分のことだけ考えて振る舞う方が生きやすい。

分かりやすく言えば、そういった発想になってしまうわけです。

特に、「他人に気持ちを傷つけられた」「他人に自分の気持ちを(悪気ない場合であれ)無視された・分かってもらえなかった」「その場の空気に従わなければいけない、ということ自体が納得いかない」場合に、そういう反応を起こしやすいです。

実際には、完全に遮断しているのではなく、自分の中に「未処理」として貯めこんでストックいるのですけども……。

また、そのような状況で周囲との軋轢が存在する場合、自分を否定されている、と敏感に感じたギフテッド児は、自分には納得できないことにむやみに従っている他人が愚かしく見えたり、また単純に自分が周囲の人間より能力が高いことへの自意識が前提になって、「馬鹿なのは周りの人間たちだ」「正しいのは自分だ」という方向に、他人を見下げて、傷つけられた自己肯定感を癒そうとすることが多々あります。

この傾向は、親や周囲の大人に「協調性」などの面で低い評価をされつつ、かつ「学業成績が良い」ことを非常に高く評価されている場合に、強まりがちです。



? ギフテッド児を発達障害と混同した場合に生じる弊害について

?で述べたような「負荷過大による無視」をするようになったギフテッド児に対して、大人が発達障害児と混同した扱いをした場合。

たとえばアスペルガーなど、発達障害児の場合、その社会性の低さは、そもそも「他人の気持ちなどを把握し、理解する能力に欠けている」ことに根ざしています。
ですから、そういう子に対応する際、周りの大人は「能力がないのだから」と許しつつ、分からないのだから教えてやろうという風に振舞います。

しかし、ギフテッド児は、本来は他人の気持ちを見抜くことが出来るけど無視しているだけなので、周りの大人にそういう風に振舞われると、周りの大人が自分のことを何も分かっていないのだと感じ、その子はますます周りの大人を信じなくなり、また、馬鹿にするようにもなってしまいます。

周囲への不信感と共に、どこか自分を理解してもらえないという怒りからくる反発や、また理解してもらえないことから来る自信のなさも募り、そういう子は、自分の頭脳や理解力に頼るようになり、こだわるようにもなります。そして同時に、理解力に劣る人を馬鹿にするようにもなります。
自己肯定感の危うさから来る反発でそうなるのだと思います。


また、ギフテッド児が従おうとしないルールがあった場合に、ギフテッド児を発達障害児と混同して考える大人は、「応用的に考えることができず、空気を読めないために、ルールの存在が分からないのだろう」と解釈し、ルールの内容について丁寧に教えようとします。しかし大抵は、そのルールがなぜ存在するのかをきちんと納得させることはできないのです。
ギフテッド児がルールを受け入れようとしないと、大人は、自分の説明の仕方を工夫しようとするよりは、「この子はものごとを字面通りにしか理解できないから分からないのだろう」と解釈したりします。
?で述べたように、ギフテッド児が言語の定義に立ち戻って話をしようとした時に、「言葉を額面通りに受け取る子なのだ」と解釈されることもあります。

こういった場合、ギフテッド児は、話が通じない苛立ちが嵩じて、大人が自分を納得させることができないのに、それでも自分が従わされてしまう立場にあることから来る激しい怒りを感じることが多いのです。

?で述べたように、ギフテッドには、自力で到達した真実に対して忠実であり、心底受け入れ、納得したルールは守るタイプが多いと思われます。

しかし、納得いかないことに従わされる怒りというのは、ギフテッドではない人に比べて、ギフテッドの場合は非常に強いのです。
これはOEの一種と言えるかも知れません。

「しょうがない、世の中そういうものなんだから」とギフテッドが言えるようになるのは、ある程度人生経験を積んで、世の中というものを実感として色々経験し、理解してからであり、人生経験の足りない子供の頃に、納得の行かない権威に従わされることは、ギフテッド児に多大なストレスを与えます。

また、「誤解されること」に対しても、ギフテッド児は、おそらくそうでない子に比べてずっと激しく、深く傷つき、大きな影響を受けてしまうのです。
それが、自分が属する社会の秩序を作る大人(親や学校の担任など)であった場合は、尚更影響が大きいでしょう。


結局のところ、簡単に言えば「発達障害児とはこういうものだ」という知識、カテゴライズが、偏見となってギフテッド児に押し付けられるのが大きな弊害の元なわけです。
そういったストレスは、ともすればギフテッド児を、反動的に、反社会的な方向に走らせてしまうことすらありうるのです。



もっとも…
ここで一つ、断っておきたいことがあります。

発達障害児に対する対応の中でも、「発達障害児とはこういうものだ」という世に多く知られた知識、カテゴライズが、偏見となって発達障害児に押し付けられ、そのことによって発達障害児の二次障害が酷くなってしまう、というのは、よくある問題なのです。

「いわゆる発達障害」とされる子供たちの中でも、たとえばアスペルガーやADHD児でも、その症状は多様なので、アスペルガー児だからこうなどというのではなく、個々の子供に対して、いちいち丁寧に問題点や課題・適した対策を探っていくべきであり、大雑把なカテゴライズや決め付けで定型的な対応をするのは良くない、という意識が、そういった子を相手にする現場の中でも、児童心理学などの学者の中でも、問題意識としてあるようです。

私が息子のことである大学の児童心理相談に行った時、担当してくれた臨床心理士の先生は、「そもそも発達障害という分け方(だったか、考え方だったか?記憶が不確かなのですが)に問題がある。変に有名になってしまって良くない」といったことをおっしゃっていました。
また、似たようなことは、地方自治体で特別支援関係を担当している元教師の方からも聞いたことがあります。


公立学校の普通学級ではそこまで個々の対応というのも難しいでますが、特別支援という枠の中で、「発達障害」という枠を捨てて、支援が必要な子供に必要な支援を与えられるようにしていくべき、という考え方は最先端の現場には存在します。
そういった考え方においては、「ギフテッド」児であっても、特別支援の対象になりうるのです。

とはいえ、そこまでの先端の考え方は、なかなか日本全体の現場に浸透しているとは言えない状況です。
実は、自治体によって特別支援の現状はかなり異なっているのが今の日本の現状ですから……


ここまで長々と発達障害とギフテッド児を混同したらいけないのでは、という問題提起をしてきましたが、実は、そもそも問題は「ギフテッドとは何か」ということの方ではなく、「発達障害」という枠組みの方にあるのかも知れません。


? 発達障害と間違われやすいギフテッド児の見分け方指標

これは経験則ですが…

●発達障害児の特徴と言われるような協調性のなさ、空気の読めなさ、他人の気持ちが分からない、落ち着きがない、過集中、当然のことが疎かになる、といった特徴を持っているが、そういった症状が出たり出なかったりすることがある。
 
たとえば、ADHDのような落ち着きのなさがあるが、時と場合によっては非常に落ち着いた振舞いをする(非常に厳粛な場では、たいていいつもきちんと大人しくできる、など)。
他人の気持ちが分からないことも多いが、時と場合によっては、普通より高い共感力を示す。作品鑑賞において高い共感を示したり、身近な人に対しては共感を示したり、あるいは他のことに夢中になっておらず、相手が目に入っているときはそれなりに気遣えたりする。
また、本人にストレスが多い時に、上記のような特徴が現れやすく、そうでもない状況の時には上記のような特徴が全然出ない、など。

特にギフテッド児の場合は、「適切に振舞っている時には、他の普通の子よりも大人びた、きちんとした態度を取ることができる」ことが多いです。オンとオフの時の差が非常に大きいのがある意味特徴なのではないかと。(そのこと自体が、『やる気がないからやらないんだろう』とギフテッド児が大人に責められる原因となることも多いですが)

●乳幼児期・未就園児時代(要するに、集団生活を送るようになる前)の家庭においては、親子のコミュニケーション上も、友達との関係も、特に問題がなかった場合が多い。

特に1〜2歳台ぐらいには、何の問題もなく、むしろ普通より良い子だったのに、集団生活を始めた途端に問題を起こすギフテッド児は多いです。
発達障害児の場合は、そもそも集団生活を送るようになる前の家庭においても、問題の端緒が見え始めていることが多いようです。

●問題を起こし始めてからも、家庭では学校で起こしているような問題を起こさない、あるいはその逆(家庭では問題を起こすのに外では起こさない)だったり、或いは、特定の人に対しては非常に従順だったり、特定の人の前では常に落ち着いた態度だったりなど、時と場合によって波があったり、態度が違うというパターンが多い。

●行きずりの相手には、学校や幼稚園などの集団生活の場(家庭で問題を起こしている場合は家庭)では全く発揮しないような高度な社会性を発揮し、上手にコミュニケーションできることが多い。


以上のように、ギフテッドの場合は、いわゆる発達障害児があまり見せないような波・オンオフの落差が激しいことが多いように思われます。

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以上、叩き台提示にしては長すぎるかとも思いますが…
それぞれの項目につき、不明点などの質問や、そこはおかしいのでは、などのツッコミいただいてもいいですし、色々ご意見などいただきながら議論していければいいな、と思います。

コメント(74)

神の話になりましたので、どうしてもお話したいことがあり出てまいりました。

OEというもの(私は最近になって漸く知ったところですが)の後ろにそういう、神のようなものを感じる瞬間が、私には少なからずあるんです。
ちなみに私は特別、何か特定の神や宗教を信仰しているわけではありませんが。


例えば『生き急いでいる』と人に言われます。
これは別に私がやりたくて、もしくは不手際であたふたしてるわけでも何でもなくて、後ろから突き動かされている。
突き動かしている何かがいる(ある)と感じるのです。

例えば他には、ある物事を初めて知った時。
初めて知った、まさに今が出会いであるにもかかわらず、あたかも自分の脳内にそれまでにも存在していたかのような、一瞬でスキャンされセットアップされる感覚を得ることがあります。
これも、神がくだされた、と感じることがあります。

凄まじい感情に襲われることがあります。
それは感動だったり怒りだったり様々ですが、神の御力の波動であったり、あるいは神からの試練(ある意味御力の波動)と感じることがあります。

私は音楽を生業としていますので演奏をしたり、趣味で作曲をしたり絵を描いたりすることがありますが、表現する時、作りだす時、『何かが降りてきた』とリアルに感じることがあります。
これは比較的多くの方が感じる感覚じゃないでしょうか?
私はその『何か』の先に神を感じるのです。

何かに燃えることがあります。
完璧主義なのでその燃え方は端から見ると異常以外の何物でもないらしいんですが、そうした没頭の最中、『使命』と感じることがあります。
使命なんていうと大袈裟で、笑われるかもしれませんが、でもその時その瞬間の私にとっては紛れもない『使命』なんです。


この話を中学生の姪に軽く話したことがあるんですが、『…厨二病…?』と言われてお互い爆笑したことがあります。
まぁそう言われちゃうとおしまいなんですが(苦笑)、なんだか猛烈に書かなきゃならない気がして書き込みました。
本題とはかなりずれていますので、適当にスルーされてくださいませ。
>>16の続き

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Gifted Multidisciplinary Evaluation (GMDE)
ギフテッドを判定する上での多面的評価

Referral for the GMDE should be made when
「ギフテッドであるか否か判別する評価」の照会を行う場合(GMDE)は以下の場合とする
:1.Teacher or parent believes the student to be gifted
教師か親がその生徒がギフテッドであると見なす場合
;2.Student is not receiving appropriate education under Chapter 4 (relating to academic standards and assessment)
生徒がペンシルバニアコード TITLE 22EDUCATION Chapter4に記載されている適切な教育を受けていない場合
(http://www.pacode.com/secure/data/022/chapter4/chap4toc.html)
; and3.One of the following apply:
もしくは以下の内の一つが当てはまる場合
•The student’s parents request an evaluation. (22 Pa.Code §16.22(c))
生徒の親が評価を要求する場合
•"The school district’s screening of the student indicates high potential consistent with the definition of mentally gifted or a performance level which exceeds that of other students in the regular classroom."(22 Pa. Code §16.22 (b)(2)).
その学生の所属する学区の選抜課程に於いてその学生の能力がギフテッドの定義に一致すると見なされ、通常の学級に於いて他の学生の実績、能力を凌駕するレベルに達している、ことを指し示す場合
•A hearing officer or judicial decision orders an evaluation.
当局から任命されて調査を行い、当局が法的権限を執行可能にする審査官もしくは司法的決定により判定評価が要求された場合


For students who are thought to be gifted, the district should perform the following steps
ギフテッドと見なされる生徒にとって学区は以下の手順を踏まねばならない
:(1)The Gifted Multidisciplinary Team (GMDT) conducts the Gifted MultidisciplinaryEvaluation
1教育の専門家により組織されたチーム(GMDT)が多面的な判定評価(GMDE)を行う
;(2)The GMDT compiles a written report based on the outcome of the GiftedMultidisciplinary Evaluation, using the form entitled Gifted Written Report (GWR)
2専門家チームはGWRと表題のつけられた書式様式を用い、判定評価の結果に基づいた報告書を纏める
;(3)If the GMDT identifies the student as a gifted student, the Gifted Individualized Education Plan (GIEP) Team uses the GWR to develop a GIEP.
3判定評価チームがある生徒をギフテッドであると見なした場合、「そのギフテッド個人に対してその能力を伸ばす教育を計画する(GIEP)チーム」が計画を発展させる目的で先に作られた報告書であるGWRを用いる。
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GMDT Members

The Gifted Multidisciplinary Team (GMDT) must include the following individuals:
「多面的評価判定チーム(GMDT)」は以下のメンバーを含まねばならない。
•The student's parents
評価判定される生徒の両親
•A certified school psychologist
学校に籍を置く学校心理士
•Persons familiar with the student’s educational experience and performance
その生徒の教育上の経験、実績に詳しい人達
•One or more of the student’s current teachers
1人以上の現在の生徒を担当する教師
•Persons trained in the appropriate evaluation techniques
適切な評価を行うにあたり訓練された複数の人員
•Person familiar with the student's cultural background when possible
可能な場合、評価する対象の生徒の文化的背景、経歴に詳しい複数の人員
A single member of the GMDT may meet two or more of the qualifications specified above.
GMDTのメンバーは上記の役柄を1人で複数満たすこともできるものとする。
(22 Pa. Code §16.22(d))
----------------------------------------------------------------------------------------

上記の引用した一部分から分かるように、「親が主張した=ギフテッド」と簡単に見なされるものではない。
官民一体、教師、心理学の専門家を含んだチームによる選抜査定が制度的に待っている以上、テストで何点スコアを出したからギフテッド、等と認められるものではないだろう

先日病院で、ASだろうと言われました。(以下はうちの子がASじゃないと言っているのではないです)医師の説明がやっぱり、ファーブル、ダ・ヴィンチ、スティーブジョブスとか諸々の名前をだし、同じタイプです。と説明していました。やっぱり医療現場でもアスペルガー=ギフテッドというカテゴライズなんですね。(ギフテッドの観念があるのか不明ですが…かなりおじいちゃん先生だし冷や汗

ここで問題になっている、ギフテッドをAS ととして対応した場合とその逆の場合についても、どういい弊害があるのかいまいちわかりません。皆さんのようにギフテッドではなくて普通の母だからわからないのかもあせあせ(飛び散る汗)面倒臭いかもですが、教えて下さい。
さくらんぼニッチさん

当てずっぽうで書いたことが、さほど外れていなかったようでホッとしました。


>>しかし、もしそうであるとしても、善をなそうとあがくのも人の性であり、そういった姿もみな、それぞれの真実(神の真実?)にたどりつくための道なのではないでしょうか。
>
>という思想が、ニューエイジ思想と言われているものだと私は、理解しています。


そこはどうなんでしょうね、ニューエイジ思想なのか…

よく、科学者は最後には神にたどり着くのだ、と言われています。
科学者こそは、最後には神なるものの存在を信じざるを得ないのだ、と…
(その「神」が、キリスト教の「神」であるかはともかくとして)

だったら最初から神にゆだねるというか、信じていればいいのかも知れませんが
やはりたどる道に意味があると思いたいのが人なのかも知れませんね。



さくらんぼさく穂さなんかじゃないさん

上でいった科学者云々の話も近接した話ですし、「神」を感じるというのは分かる気がします。

私がいうところの神は、やはり特定の宗教における神というわけでもないのですが、「ギフテッド」の能力が神なるものから与えられた贈り物であり、その贈り物を人の浅知恵で弄んだり、歪ませてはいけない、という感覚がどこかにあるんですよ。

たとえば、ギフテッドの能力を世の中の役に立てねばならないとか、世の中の役に立てた方がいいとかいうのはよく言われますけれども、私は、「今現在の世の中の役に立てる」という、限られた時代でのニーズに振り回されていると、もっと普遍的なものの声を聞くことの邪魔になるのではないか、と思うようなところがあります。
連投すみません。先ほどの私の疑問は違うトピでさるるンさんが書かれてますね。つまり、ギフテッドにAS の対応をすると元来の発症の違いからギフテッドに二次障害を強く助長してしまうということでしょうか?
そうならば、私は違うと思います。やっぱり高IQのASとギフテッドとの違いが分からないところもあり、得意な事や知的好奇心を周りの不理解からの言動から守ってあげなければいけないのは共通していると思いますし、それが特別支援の理想形だと思うのです。そこからギフテッドに強い二次障害が出るとは思わないので、特にはっきりと分ける必要はないのでは…と考えます。ただ世間的にAS=お気の毒・ギフテッド=天才 という観念があるので、ASとおなじように思われるからギフテッドにまで火の粉が降りかかるという事はあり得ますが、それはまた別問題だと思うのですよ。
さくらんぼさくまっくさん、ぽんちゃびいさん

生の声をありがとうございます。

現場の混乱、そこから生じている弊害…
そうですよね、かなり混乱しているように思います。

「発達障害」というカテゴライズが今のようにメジャーになってしまったために、それまではなかったような弊害を「ギフテッド」児が受けるようになっているんじゃないかな〜とか……
そういうのって、実際に問題に直面するような子を持つ親じゃないと実感しにくいところなんじゃないかとも。

そういう状況だからこそ、2〜3歳から遅くとも就学前の段階で「ギフテッド児」を判別する必要性がでてきてしまってるんじゃないかなーっていうことを、私はひとつには言いたいんですけどね。
さくらんぼけいこりんさん


>ギフテッドをAS ととして対応した場合とその逆の場合についても、どういい弊害があるのかいまいちわかりません


一般論としては、このトピックの最初に書いたとおりで「ギフテッド児の内面や行動が「誤解」されることがより増えてしまう」ことから来る弊害の数々ですが…

ギフテッドをASとして対応した場合の弊害は、たとえばですが、

・周りの大人などが馬鹿に思えるようになり、自分にできることができない他人をすぐ馬鹿にして見下すようになる。

・いたずらに自分の能力や優越性を誇示しようとするようになって周囲に嫌われる。

・周りの大人を馬鹿にしている場合、大人の言うことを聞かなくなり、常に自分がいいと思うようにしか行動しなくなる。

・他人の気持ちが理解出来ないAS児だと思われているのを良いことに、人が嫌がることだと分かっていてもあえてやって自分の利を図るようになる。また場合によっては、あえて嫌がらせを楽しんだりするようになる。

・情緒不安定の傾向が強くなり、激情・衝動的行動を抑えられなくなる。


などなど…

簡単に言えば、ASだとしてAS児向けの療育をしたり、対処をしていれば、その子がAS児ならば問題行動などが減っていく方向になることが多いと思いますが、実はギフテッド児だった場合、問題行動が減らなかったり、かえって悪化するという感じでしょうか。


ギフテッド児をAS児だとして扱うことによって生じる誤解というのは、たとえば、このトピの最初の?に書いたように、

●ギフテッド児は、他人と意思の疎通がうまくできない時に、言語というある程度明快なものに立ち戻り、言語の厳密な定義の確認に立ち戻って他人と話をしようとすることがあります。
大人が議論する時に、言葉の定義の共有から始めて、コツコツと議論を積み上げていく時のように。
そういったギフテッド児の姿勢が、大人には「言葉を額面通りにしか受け取れないのだ」と、発達障害児の特徴と誤解されることも多くあります。
普通、幼い子供がそのような厳密な議論の姿勢を採ろうとする能力があるとは思われないために、誤解されるわけです。

こういったこととか、また、上のレスでぽんちゃびいさんが「1+1=2」の話で書いてらっしゃるようなこともありますね。



また、ギフテッド児は、たとえばアスペルガー類似の行動や多動的な行動であっても、実はオンオフがあり、本当に必要だと認めていればきちんと自分を律することができる能力があると思います。
というか、逆に言えば、そういう能力がある子・オンオフがある子を、高知能AS児から区別するべきなのかも知れません。


しかし、ギフテッド児が「オンオフ」をして自分を律するときの行動基準には、ごく普通の子のように「周りを見て合わせる」という価値観が入らないことが多いようです。
「周りには合わせないけど、自分が必要だと思ったらやる」という感じで。

こういったギフテッド児が社会に適応していくためには、ギフテッド児が鵜呑みにしようとしない「社会常識」などのルールを、いちいち本人が納得して受け入れていく必要があります。
ギフテッド児の周囲の大人は、ギフテッド児が最低限受け入れるべきと考えるようなルールや常識について、その本当の意味を理解させようとする努力が必要なのです。

たとえば、「人を殺してはいけない」という規範であれば、そこで、「あなたは殺されたらイヤでしょ?だからいけないんですよ」だけではギフテッド児は納得しません。当然、「じゃあなんで戦争では殺してもいいの?」「なんで死刑があるの?」というツッコミに続くでしょうから。

そういったツッコミにきちんと対応できないと、ギフテッド児の心のどこかに「人を殺してはいけないという規範は建前に過ぎない」という認識が根付くわけです。


その点、もしギフテッド児がAS児やAD/HD児だと解釈されると、「ルールや常識の本当の意味を理解させる」という努力がなおざりにされることが多いと思います(これは実感として、なんですが…)


次のレスへ続きます。
アスペルガー症候群の人について、


>アスペルガーの人は他の様々な感覚、発達、あるいは生理的異常を示すこともある。その子供時代に細かな運動能力に遅れをみせることが多い。特徴的なゆらゆら歩きや小刻みな歩き方をし、腕を不自然に振りながら歩くかもしれない。手をぶらぶら振るなど(常同行動)、衝動的な指、手、腕の動きもしばしば認められる。

wikiにこのような記述がありますが、大なり小なり、先天的な感覚の異常などがあり、脳機能の微妙な障害から、認知発達に「偏り」があるのがアスペルガーの特徴なのではないかと思います。

アスペルガーの行動上の問題の原因は、そのような「認知発達の偏り」であるとされていることから、AS児の問題行動への対処の際は、そのような偏りを理解し、前提とした対処をすべきとされています。

なので、まずは問題行動を「仕方がない」と「理解」して、問題行動に走る生理的?要因をなるべく減らした対応をしていくべき、とされています(たとえば周囲の騒音を減らすとか、否定的な態度を避けるとか、予測しやすい環境を作るとか、ルールを明確にするなど)。

特にルール関連については、教師などは、ASの子だと解釈すると、優しい態度で簡潔化したルールを明確に伝えるといった態度を採ります。
しかし、ルールが明確にされるだけで、そのルールを守るべき意義を納得できなければ、ギフテッドはそのルールを本当の意味で受け入れようとはしません。
また、ギフテッド児は、ルールを逸脱しても厳しい態度をされないと、「別に違反しても許されるのであれば、好きにやってもいいだろう」と考えてしまうことも多いと思います。
ギフテッド児にルールの逸脱を許すこと、「大目に見る」ことは、非常に危険なことです。彼らはその経験を決して忘れず、逸脱が許されたことが多ければ多いほど、彼らにとっては、そのルールを守るべき重要性は減っていくのです。


経験に基づく個人的な問題意識ですけども、私は、ASではないギフテッド児には、それなりの「厳しさ」「譲れないことについては、厳しい否定的態度を頑として採ることがとても大事」だと考えています(まあこれはギフテッド児に限ったことではないですが)。

ギフテッドであっても幼い子供であれば、世の中の仕組みをすべて理解しうるわけではありません。
いくら説明しろと求められても、すべてを説明できるわけではないことも多々あります。

そういう場合に、「今はこれ以上説明できない。しかしあなたはこのルールに従わなければならないのだ」と、権威ある大人(主に親、また教師などですね)が厳しく伝えることは、ギフテッド児の教育上必要なことだと思います。
ここで「今はこれ以上説明できない」と大人がきちんと言明することが非常に大事なポイントなわけですが…。「今はこれ以上説明できない」というエクスキューズでも、「そこは今後の課題なんだよ」という意味で、一つの説明にはなっているため、少なくとも当面はギフテッド児も納得しうるからです(他に、そのルールに対して疑いを投げかけるような理由がその子になければ)。
もう少し自分が大きくなればもっと説明してもらえるかも知れない、理解できるようになるかも知れない、と認識すれば、それを待って確かめてみよう、それまではとりあえず従ってみよう、という風になりうるわけです。

ルールの意味を説明して納得させることもなく、またルールを守らせるための厳しさもないという状況では、ギフテッド児にとって、そのルールは「無意味なもの」になってしまいます。


まとめます。

・「認知の偏り」ではない原因で起こっているギフテッド児の「問題行動」を「認知の偏り」のせいだとして解釈することで、ギフテッド児が誤解されることが多くなる。

このことにより、主に以下のような弊害が考えられます。

→ルールを逸脱しても「認知の偏りのため」として寛容な対応を大人が採ることによって、ルールを軽んじるようになる。
→ギフテッド児が周囲の大人の理解能力を見下し、ひいては、他人をすぐ見下すような傾向が強くなる。
→不服従の姿勢が強まったり、周囲の誤解を自分に都合よく利用したり、嵩じれば誤解を利用して嫌がらせなどの気晴らしをしたりするようにもなることもある(ひとことで言えば、反社会的な方向性が強まる)。
→また、理解してもらえないという孤独さから、情緒不安定の傾向が強くなり、激情・衝動的行動を抑えられなくなる。
更に、けいこりんさんへのレスの続きです。


一方で、AS児をギフテッドとして扱うことの問題点としては、やはり、AS児として能力的に劣っている部分へのケアが足りなくなることの問題だと思います。

成績が良いから、と言って、コミュニケーション上の問題を放置するケースは結構多いです。

周りと馴染めない、衝動的な行動があるなどなど、社会性に問題があっても、それは周りの子と知能の程度が違いすぎるためにストレスがたまるからだ(子供の能力に問題があるわけではない)と信じこみ、周りも知能の高い良い私立中学などに入れれば問題は解決すると信じこんで、勉強させる以外の対策を特に取らないことだとか……

上で、ギフテッド児には厳しい態度がときに必要だと私は述べましたが、ギフテッド児として扱ってAS児の認知の偏りへのフォローを怠りながら、更に厳しい態度を採る、ということをしない…といったように「悪いとこ採り」の育て方をすると、かなり収拾のつかないことになるんじゃないかな、などと思います。
>>41
法律制度とかに自分はそもそも詳しくはありません。
というか、日本ではご存じの通り、法律が一つあれば全部オーケーな訳ないですね。

法律の下位には政令、省令、告示、通達と様々な行政立法が存在し、法律というのはそもそも大枠しか定めない。
一々、法律で細かいところまで定めていたら議会を通して法律を改正したりするのに時間がかかりすぎて能率的、現実的対応が出来ない。細かい部分は専門家の意見を聞いて行政府の手に委ねられる部分があるわけです。まあとにかく憲法も法律も公共体の構成人員の権利、義務関係に関してはしっかり明記しないとダメでしょうけどね。

臨機応変に改廃する事項とか専門的な技術知識が求められる事項、政治的中立が求められる事項については特に行政立法に委ねられる。

で、当然アメリカの州法にもそういうものはあるでしょう。というか法治国家を実現していく上で、こういうものがないと特に現代のような福祉国家、複雑化した社会は上手くまわらない。それで実務、現場レベルで使用される細かい規則というのが色々と改善される上で変遷していくことがあることでしょう。

詳しいことは全く知りませんが、だから数年前の行政の規則と現在の行政の規則が同じ、と言うわけはないでしょう。

それに気になったのは>>39で引用した以下の部分、
;(3)If the GMDT identifies the student as a gifted student, the Gifted Individualized Education Plan (GIEP) Team uses the GWR to develop a GIEP

この部分は非常に読んで奇異な感じを受けました。私の勝手な想像かも知れませんし、the Gifted Individualized Educationというのが、どういった教育が実行されているかは分かりません。ただ洋服も既製品よりオーダーメイド品が当然高いように、「個別化されたオーダーメイド教育」と言うのは、これはそれなりのコストがかかるわけではないでしょうか?

何か1人の教師が少人数の生徒、極端な場合1人の生徒を個別指導で教室で相手をするようなイメージを持ってしまうが、人件費やら教材費やら公教育で行う場合、どれだけのコストがかかるか?教育に割くことが出来る予算というのは如何なる公共体も財源が無尽蔵にあるわけではない以上、限定されてくる。貧乏な自治体はどうなるか?まあ、それは海の向こうのペンシルバニア州の教育関係の職員方々もバカじゃないので考えてやってるんでしょうが、物理的な基盤である予算の具合により選抜人員数が決まるのか、という疑問も湧いてきました。

当然、結果がでなければ、話にならない。そんなにめざましい成果を上げてる実績があるんでしょうかね?
およそ数年じゃ無理だな。

まあ、結局、そんな制度とか選抜方法というのはどうでも良い。だから上で長々書いてきたことは本当はどうでも良いんです。(続く)
(続き)

そもそも制度選抜の前にギフテッドという響きは大変良いですね。天与の才という言葉をすぐに連想する。

で、結局、本人でも息子や娘でもいい、公的な機関からギフテッドとして認められてお墨付きを得たとしよう。それで自分や近親者にどういう風になることを期待するのか?

「才能がある」と言われると、何か有名になるような印象が漠然とある。

画家とか彫刻家とか小説家みたいなクリエイター、プロスポーツ選手、それとも大学で研究を行う研究者あたりか。

特にこの世の中、物質的に豊かになるという目標が達成された先進国でかつ自由が実現された世の中だと「自分の人生はもっとすばらしい可能性があるのではないか?」とか「自分の生き方」に悩んで、色々問題が起きるケースが多々ある。

やれ「自己実現」だとか、やれ「個性」だとか「オンリーワン」だとか「アーティスト」だとかマスコミもそういう傾向に拍車かけてるように見えるときもありますね。

「高い業績」と前に書いた人がいましたが、「高い業績」とは具体的にどれだけの業績なんですか?

この間も社会学の研究で有名な人がツイッターでこんな事呟いてました。
http://twitter.com/#!/poe1985/status/114716630176628737

別トピで棋士の話を出しましたが、現役棋士はこの1億2600万人以上いる日本でも150人しかいない。40代50代でも4段とか5段の人もいるようですね。それでも将棋指して飯が食えるだけまだマシか。兎に角、全く頭数を必要としない。

26才、29才まで将棋指し目指して夢が叶わず、奨励会から放り出された人なんてそれよりはるかに沢山居るでしょう。なにしろ80パーセントはなれないんだから。
そういうのは後が怖いですね。無職になってまで将棋に人生かけて、それが報われなかった時の挫折感なんてハンパじゃないでしょう。

まあ、別に将棋の話に限らないでも良い。プロスポーツでもゴルフ、野球、サッカーやって普通のサラリーマン以上の金なんかもらえるプレイヤーがどれだけいるのか。

研究者だって少子化による大学の経営規模の縮小化で研究職ポストを凍結してる大学なんて現今、全く珍しくもない。私立は勿論、国立も法人化もされて助教どころか場合によっては准教授までも任期付きに置き換わってますが、大学を経営していく上での安全弁にしてるのかも知れませんね。

そもそも余程、例外的に優秀でないかぎり、いきなり任期無しのポストになんかつけない、と言われている。大半はポスドク。それでも研究続けたから全員が大学教授になれる、と言うほど甘くないでしょう

以前、このコミュで問題にしていた芸術の話なんか言うに及ばず。

制作だけで食べていける人、いけない人
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090410/1239371681

>もちろん大学でも「才能ないんだからやめちまえ」などということは言わない。
>学生はお客さんである。

この一言は重いですね。

上のリンクの「才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか」も面白い文章ですが。


最終的に経済的自立をするというのは重要な問題だし、どういう分野を選択するにしろ、それで食っていけるかどうか経済的な問題に突き当たるのは絶対に目に見えてる。どの程度までに選抜されて生き残れるかを事前に予測する、というのは何でも重要だと思います。

「他の人と比べて違うものを持っている」=「才能がある」=「ギフテッドだ」なんて言うのは言う本人にも相当の覚悟が必要で責任重大なんじゃないでしょうか。「才能がある」なんて言い方は極めて曖昧で無責任。

椅子の数が極めて限られた世界に挑戦しようとするならば、これは決して無責任に言えない一言。

まあ、別にサラリーマンできちんと堅実に食べていく、なら良いでしょうが、サラリーマンになるのに「ギフテッド教育」(発達障害の人などを含まない)が必要なのかそれは甚だ疑問です。
> さるるンさん
非常に丁寧でわかりやすい説明、ありがとうございます顔(願)よ〜くわかりました。あ、でもまだまだ熟読しなければいけませんが。
息子に当てはめた場合…宿題などの提出物を出さない→休み時間にやりなさいと担任に指導される→嫌です。家で今週中にやってきます→担任容認…ということが多々あります。ここで親と担任では話あいを自前にしていて、出来ない指摘をクラスメイトの前でしてまたバカ扱いされてはかわいそうとか、ガヤガヤうるさい中では出来ないのかもしれないなどと、発達障害の対応をしていたのですが、家でなんで学校でやらんかったん?と聞くと面倒臭いからなどとふざけた返答だったり、そもそも宿題を出される意味がわからんし!などの本人なりの理由があって、私もなんだか混乱して、みんなやってることやからやらなあかんもんはやらなあかんやろ〜とかの返答をしていて、それの繰り返しだったりします。つまり、それこそがギフテッドへの対応ではなくて発達障害児への対応をしていたってことですね…。そう言えば息子は大人に対して、チョロまかすとこがあります。結局、自分の都合のいいようにことをすすませるためです。そういう子だと知らない人だとすぐにまんまと罠にかかります。まさか子供がそんな巧妙に仕掛けてるなんて思わないですもんね。でも、通用しない大人にはとても素直です。また友達には誠意をもって接しています。それは自分が友達から浮いていないか、そぐわない言動をしていないかを常に気にしているからだと思います。
さるるンさんの説明ではっとさせられることがいろいろありました。まだ考えを整理出来ていませんので、暫く熟考させて頂きます。さるるンさんこのような機会を頂き、ありがとうございます!
さくらんぼけいこりんさん

宿題はやらなければならないものだ、と言われつつ、自分だけ期限を延ばして家でやるなど許されると、かえって「宿題はやっていかなければならない」という規範への疑いが強まってしまいますしね…
結局は、発達障害であれ何であれ、子供の些細な問題行動のひとつひとつを、その理由をきちんと把握して対応しなければいけない、ASだからこうと決めつけてはいけない…という、当たり前の話ではあるのですが、学校の先生などは、どうしても一人ひとりをきちんと見る余裕がなくて、ASだからこうなんだろうという枠組に頼って対応する人も多いと思います。

おまけにギフテッド児の要素がある子は、えてして学校教師に憎まれがちですし……

悪循環にはまっちゃいますよね。



さくらんぼニッチさん

OEのことを「精神的多動」って表現しているのを見たことがあるような気もします。
ギフテッド児は、多分にADHD的要素があるような気もしますね。

ADHDっていうのは、AS以上に境界が曖昧なようですから、ギフテッドなのかADHDなのかの区別は、論じる意味はあまりないのかも知れませんが。

ただやはり、オンオフの落差の激しさがギフテッド要素のある子の特徴なように思います。


お子さんの状況は、やはり情緒不安定な状況がADHD的な落ち着かなさにつながっている気がしますが、投薬で治すという方法はともかくとして、情緒不安定なこと自体への対処は必要なのではないかな、なんて思ったりします…

プレイセラピー自体は悪いものではないと思いますし、かつての病院の方針が合わなかったのであれば、別のところを探してみられてはいかがでしょう?
プレイセラピー自体は、色んな所でやっているのではないかと思います。


日記のエピソードは、うちの息子とそっくりで笑っちゃいました。

うちの息子の場合は、書くとなると書くことが思い浮かび過ぎ、そのうちのどれを選べばいいのかが分からない、なので作文系は苦手、日記となるとずらずら事細かく書いていく…という感じです。

作文系の課題では手を焼いていて(主に担任の先生が)、いつも、書くことがありすぎて絞れないと息子がこぼしてるそうです。
面談でもその話が出たんですが、私は「4〜5年生ぐらいになって、もっと自分を客観的に見られる年齢になるまでは、ああいう子は作文とかは書けないと思うんですよね」と話して、ついでに「他の子たちは、なんで作文を書けるんでしょう。どういう観点で書くこと決めてるんでしょうね」って聞いたんですよ。

それで「なんででしょうね」と話し合いながら、なんとなく出た結論?としては、「やっぱり、自分が何を書きたいとかよりも、とりあえず何を書いておけばいいのかな、みたいな感じで合わせてる子が多いんじゃないか」って感じでした。先生から「何を書きなさい」という指示も細かく出ているそうなので、それに従って書いているようで。

結局息子は、書くとなったら書きたいことが思い浮かびすぎるし、また読解力の方が作文能力より上回っている状況なので、完成度としても高いものを目指してしまうようなんですね。ある意味完璧主義過ぎて、自分が書きたいレベルにまで到達できないのを感じると、「めんどくさく」なってやりたがらなくなってしまうという…


私自身は、宿題だとかについては、殆ど「やりなさい」って言ったことがなかったりします(なんでかっていうと…私も昔、宿題やらない子だったからです…)。
でもって、担任の先生が、あまりにやってない宿題がたまると、1週間に一度ぐらい、放課後残してやらせてくれてます。

作文は、先生がどうしても困ってらっしゃったら親がやらせますので持って帰らせてください、とは伝えてますが、基本的には、すぐにどうこうしようというつもりはなくて、長文読解の記述みたいな所から練習を始めつつ、気長に成長を待とうという姿勢だったり。

学校という枠組みの維持には気を使いつつ(この必要性については、息子には日頃からかなり言ってます。民主主義社会における学校教育の重要性から説き起こしてw、学校の先生が教室の秩序を維持することの大変さと大切さを説いたりして)、枠組みの中で、息子にあった個別対応をなるべく引き出していけるように…と思っています。
>58 あささん

>純粋なギフテッドがいます
では逆に,純粋ではないギフテッドとは具体的にどういったものでしょうか。

私個人は,ギフテッドに純粋かどうかという区別,ギフテッドの程度の違いは存在しないと考えています。ギフテッドであるかないかが重要であると考えています。

一応IQ130以上というボーダーラインがありますが,例えばIQ130のギフテッド,IQ150のギフテッドを区別することはあまり意味がないことだと思います。

「ギフテッド−天才の育て方(杉山登志郎著)」によりますと,大事なことはギフテッドは発達凸凹であって,発達障害ではないと述べています。能力の谷と峰を持つという表現や発達に片寄りがあるという表現をされています。
ギフテッドは発達凹凸がある、という件ですが、それって本質的なところなのかなあ…というのは疑問も持っています。
逆に言えば、抜きん出て優れたところを持っている子は、抜きん出て苦手なことがあるはず、という風になりかねない感覚って、ある意味人間の能力を平等と考えたがる日本的な悪平等っぽい考え方にもなりがちな気がして。能力の全体値は同じ、みたいな。

人間、得意不得意があるのは当たり前…というレベルでは、誰にだって発達凹凸はありますけども、ギフテッドに関していうならば、せいぜいそのレベルじゃないんでしょうか。


一方で、「発達障害」に関しては、発達障害の程度が大きい人は、明らかにある種の機能がうまくいってないんだな、というのはあると思うんですね。特に自閉傾向やADHDが強い方とかは……
明らかに発達障害がある子の発達凹凸、あるいは発達の凹は、「得意不得意」というレベルは踏み越えているものだと思いますし、むしろそういうレベルの子じゃなければ「発達障害」というレッテルを貼る意味などないかも。


ギフテッドかも知れない子の社会性に関する問題点って、どうしても「発達の凹凸」と結びつけて原因を考えがちなのかなあ…とか思うんです(経験的にっていうか)。
でも私は、発達の凹凸とは関係ないだろう、と思ってたりして。

うまく言えないんですが、ギフテッド児にとっては当たり前で健全な発達なのに、勝手にまわりが凹だの凸だのと決めつけてるような気がしちゃうんですよね。



さくまっくさんの>61のエピソードを拝見すると、確かにお子さんは発達障害っぽく思えてしまう面もあるんですよね。
ですが、私は、特にWISCで能力値に凹凸があまりない子は、いわゆる「発達障害」ではなく、また、発達の凹凸が原因で、「周囲とのズレ」が生じているわけでもないのだろう、と思っています。

知能指数の総合値はともかくとして、WISCの数値で各数値にばらつきがあるかないか、という点は、それなりに信用のおけるデータだと思いますので…。
やはり、脳機能に障害があるという意味での発達障害児であれば、WISCにある程度出ると思うんですよね。


ギフテッド児の「周囲とのズレ」の原因って、発達のばらつきではなくて、彼らの世界観の違いというか、生き方の違いみたいなところから来ているのではないかと思っています。



例として、息子が幼い頃に、普通の子と違うのかも、と思った点について書きます。

息子が幼稚園児の頃、周囲のお友達にいじめられていました。
遊びのふりをして寄ってたかって暴力を振るわれたり、仲間はずれだとか色々と。

そういうことがあった時、他の子の場合、すぐ泣いたり怒ったりして、親に言いつけたりするんですね。ある意味、親などに投げて解決してもらう、というか。

しかし息子の場合、そうでもないんです。
不愉快なことが起こったら、ことばで言ってもダメな相手にはなるべく我慢してスルーする。
不愉快なことをさせないように大人の力が借りられると考えれば、大人に訴えてやめさせてもらう、ということもやります。
でも、それって「感情の爆発」とはちょっと違いました。

そういう風な、ある種冷静な対応なので、他のママさんとかには、息子の対応って「息子くん、やられたこと気にしてないみたいだからいいじゃない。男の子だからお互い乱暴になったり何だりってあるんだし、本人が嫌がってなかったらいいでしょう」って言われました。

でも息子は、人にやられたことすべてをインプットしていて、友達に乱暴をされたら、その分、自分も乱暴をするようになったり(但し、彼自身にもやってはいけないレベルのことという基準がはっきりあって、それを逸脱するほどのことは決してしない)。
ふと気づくと人間不信気味な言動が増えていたり。

年長ぐらいになると、先生と息子の間のコミュニケーションギャップも大きくなっていました。
息子が話すことって大きな背景があってのことで、同じ年の子たちの多くのように単純な意味ではなかった上、まだ自分でもうまく複雑なことを表現できないために、色々先生からも誤解を受けることが多かったんです。
そういうことがあるたびに、特に息子がぶつくさ言ったり憤慨したりといったことをしないかわり、ある種、息子が徐々に心を閉ざしていくのが見えるような感じで……

幼稚園の年長になった頃、私は、このまま「どうせ分かってもらえない」という感覚が強く根付いてしまっては、この子は周囲の人間とうまくやりたいという気持ちを失くしてしまう、と焦り、周りが「この子に何の問題があるんだ」と言う中(幼稚園の先生には、問題ない子に問題でっちあげる変な親みたいに見られそうになったりしました)、色々専門機関に相談したり、プレイセラピーを受けさせたりとか始めました。
ギフテッドということについて興味を持って調べ始めたのも、その前後のことだったかと思います。



今では色々対応した甲斐があって、息子は、周囲に心を閉ざすとか、周囲を見下して壁を作るとかいうことはなくなっています。


結局のところ、私から見て、息子について存在した問題は、「凹凸」だとか「ばらつき」だとかが原因じゃありませんでした。

それよりも、色んな世の中の矛盾とかごまかしとか人間の本性の良からぬところとか欺瞞とか、そういうものも全部それなりに本質を見通して、見通してしまったことによって、現にかたちづくりつつある人格、ものの考え方の上で影響を受けてしまう。
そういう敏感さ、というか……
敏感に受け止め、すべて自分で考えてやっていこうというその姿勢というか、世界観というか。


よその子を見ていると、なんというかもっと「ものの考え方」「ふるまい方」について、親を見たり周囲を見たりして、価値観とかも鵜呑みにして、真似しているんですよね。
その「鵜呑み」と「真似」がある意味ガードになって、もっと年がいくまで、子供が気づいてしまうと問題があるような裏面には気が付かない。


息子を見ていて時々ひきあいに出していたたとえなんですが…
普通の子が、まっさらのPCに既製のOSをインストールして、最初は、親や先生がお勧めする既成のアプリを、言われるままに使いながら育っていくのに比べて、息子は、幼いつたなさながらも、なぜだか自分で一生懸命いちからプログラミングしながら育っていってるようだ、と…
そして、当然幼い頃は、経験も少ないものだから、しばしばエラーも起こしたりして、バグ取りが大変そうで。

既成のものも勿論積極的に取り入れるし、よりよき既製品を探すのに余念もないけれど、それでいて、すべて自分で吟味しないではいられない。
鵜呑みにしてまずは取り入れといたほうが早いことでも、いちいち吟味する。

鵜呑みにして、合わせておけばもっと早くできるようになることでも、鵜呑みにしないからまだできない。

周りよりもできるようになるのが遅いという意味で「発達凹凸」に見られがちだけれども、そもそも凹凸なわけではない、というのはここらへんかも。


要するに、ギフテッドというのは、育ち方が違う子なんだ、と思うんですよね…



うまく言えませんが、そういった風に考えていたため、杉山先生の本は、発達凹凸という面からギフテッドについて話している本なのかなあ、と思い、今まで読んだことなかったのですが…
勉強という意味で、この際読んでみようかな。
私なりに考えてみましたが、ギフテッドと発達障害とはスペクトラムであって連続した中に存在していると思います。まあ、元を正せば「発達障害」という名前がそもそもよくないのであって。
WISCはもともとアメリカで兵隊としての適性をみるために作られたものです。ですから片寄った能力しか結果は出ないんですね。情緒面は兵役に関係ないということなのか…またIQ 自体は数年で変化するし、そもそも数値がばらつく人が全体の10%もいるそうです。また認知特性はテストを受けさせる側によっても違う受け取り方があるでしょう。なのでWISCそのものを決定的に受け取る必要はないですね。たまたまその時の検査結果であって今回数値の差が低かったから、発達障害ではないと言われても、対応次第では数値の差が広がって、発達障害の域になるかもしれませんね。その反対に、今回の結果では発達障害だと言われても、対応がよければ数値の差が縮まって、発達障害ではなくなることもありますし、そうなった子供さんも聞いたことがあります。また、今IQが高くても10年後は平均値になることもあるそうです。
さるるンさんの言われるギフテッドとはそうすると単独で存在する人間だということになりますが、その考え方は非科学的だと思います。
ギフテッドだから興味のあることへの衝動が抑えられないのではなくて、衝動が抑えられないことが未発達なんですね。それを型にはめて頭ごなしに否定するとその子の可能性を潰すことになるかもしれませんからそこを上手に引き出してあげれるような支援が必要ですね。また、ギフテッドだと思って対応していくと、助長させて自己愛性人格障害になるかもしれませんから、全否定はよくないけど、ある程度社会の規範、年長者への態度など、ダメなものはダメだっていう理由のないルールを受諾させて行かなければいけないと思います。納得しなくても、そういう事が世間にはあるんだとある程度強い姿勢で諭さなければいけないと思います。
また、さるるンさんの息子さんがそうだとはわかりませんが、感情的に爆発させるパニックもありますけど、黙ってしまうパニックもあります。あまり、決めつけず、あ〜かも知れないし、こ〜かも知れないしという幅をもって対応していく事が大事だとおもいますねぇ。親としては計りしれない可能性をのばしてやりたいと思います。でもギフテッドであるなら心配しなくても自分で何かを見つけて事を成していくのかもしれないです
>けいこりんさん


発達障害という名前がよくない、そういうくくり方がよくないというのは同感です。

発達障害がスペクトラム的であるということ、あとギフテッドもスペクトラム的なところがあるというのも同感なのですが、ギフテッドに関しては、ある程度の年齢ではっきりそうである子とそうでない子が分かれる気がします。

WISCの数値についても、全くあてにならないものでもないとは思いますよ。
知能検査がもともと兵隊としての適性をみるために作られた面があるのは確かですが、WISC自体は児童向けの知能検査ですから、「アメリカで兵隊としての適性をみるために作られた」というのはちょっと違う気がします。

IQは、測り方によってごく幼い子は高くですぎることがある、などとはwikiにも記述がありますが、成長によって大きく変わるものではない、とも言われております。
「幼いころのIQはある程度成長しても持続し、30以上変動する例は1割に満たない。」とwikiには書いてありますね。

まあwiki自体がどれだけ根拠として意味があるのか、というのも問題なんですが、たとえばそういう見解も世の中にはあると指摘するに留めておきます。
WISCが発達障害の診断にどれだけあてになるのか、ということを議論するためには、やはり専門的な知識や議論を前提にきちんとしなければいけないところになるような気がするんですよね。
現に世の中で、発達障害の診断のためにWISCが利用されているという現実がある以上、経験や仮説だけで議論できる部分ではないのではないでしょうか。


>さるるンさんの言われるギフテッドとはそうすると単独で存在する人間だということになりますが、その考え方
は非科学的だと思います。

「単独で存在する人間」というのは、つまり、いわゆる「発達障害」を伴わずに単独で存在する、という意味でしょうか?


>ギフテッドだから興味のあることへの衝動が抑えられないのではなくて、衝動が抑えられないことが未発達なんですね。

うちの息子などを見ていますと、衝動は抑えられるんですよ。むしろ、衝動を抑える自己制御能力は、周囲の子より高いことも多いのではないかと思います
「発達障害に間違えられるギフテッド児は、発達障害と同じような行動をしているように見えて、実はオンオフがある」とここまで主張してきているのは、そういうことです。

ただ、衝動を抑えるべきと考える基準が、「世の中の常識」だの周囲の大人などの考え方と異なっていることが多いため、「衝動を抑えられていないんだ」と誤解されがちなだけだと思います。
>また、ギフテッドだと思って対応していくと、助長させて自己愛性人格障害になるかもしれませんから、全否定はよくないけど、ある程度社会の規範、年長者への態度など、ダメなものはダメだっていう理由のないルールを受諾させて行かなければいけないと思います。納得しなくても、そういう事が世間にはあるんだとある程度強い姿勢で諭さなければいけないと思います。


この部分は、私が>48で、ギフテッド児には厳しさが必要だ、と主張した部分と似たような問題意識なのではないかと思います。

>経験に基づく個人的な問題意識ですけども、私は、ASではないギフテッド児には、それなりの「厳しさ」「譲れないことについては、厳しい否定的態度を頑として採ることがとても大事」だと考えています(まあこれはギフテッド児に限ったことではないですが)。

ここらへんですね。
ギフテッド児の場合は、「なぜ世間にはそういう事があるのか」を、いずれは自分で追求するようになりますし、理解するようにもなるでしょうから、それまでは親などが厳しい態度を取ってルールを受け入れさせるのは大事なことだと思っております。

むしろその部分に、発達障害とギフテッドを混同する危険性があるのではないか、とも思っています。


>また、さるるンさんの息子さんがそうだとはわかりませんが、感情的に爆発させるパニックもありますけど、黙ってしまうパニックもあります。

確かに、緘黙ではないか、などと一時期心配しましたねえ…
ただ息子の場合は、言って分かると思う相手には言うだとか、言って分からない場合は、園長に直訴しに行ったりだとかいう調子で。

言いたかったのは、子供は場当たり的に感情に動かされて行動することが多いのに、息子はそうではなかった、変に理性的に行動していた、ということなんです。
そういう場合、大人は、突き動かされるほど感情が動いていないのだろうと受け取ってしまいがちなようなんですね。
でもそうではなくて、嫌な思いなどの感情は大きく動いている、それでも理性的に対処しているんです。そこがある意味子供らしくないので、周囲に理解されにくく、誤解されやすかったんです。

しかしあまりに感情を無視され続けると、周りの人間の感情をも無視するようになる。
周りの人とうまくやっていこうという気すらなくなる。

そういったことが私は心配でした。
> さるるンさん
私は定型〜発達障害〜ギフテッドまで、スペクトラムだと思います(知的遅延も含め)ですのでさるるンさんが別個に考えられているところが、非科学的じゃないか…と書いたんです。
またWISCがあてにならないと言いたかったのではなくて、結果は変動するから今の時点で発達障害だと診断されても3年後は診断されない可能性があるので、それも含めて、決めつけずに長いスパンで見る方がいいと言いたかったんです。
今の学校では障害の有る無しに関わらず、個を尊重することが特別支援教育の基本になっています。ただ現状は児童数が多かったり、多動の子に手をとられて勉強や授業に支障のない子はほったらかしにされがちなので、担任にはありのままを話してどういう支援、指導をしてほしいかを伝えてしっかり連携してもらうことが親が出来ることですよね…学校では…担任の当たり外れがあり苦労しますよね。今年私は教頭にも挨拶してます。来年の担任のために(苦笑)
勉強が面白くないと思われることは担任の責任らしく、そこは工夫してほしいと言えるみたいですよ。満足いくまでは無理かもしれませんが…
後対人面ですが、人を蔑んだり心を閉ざしたりしたら親は励ましたり、人としてその態度はよくないと伝え続ければそのうち理解するでしょうし、ギフテッドといっても一人では困るでしょうから人に受け入れられる人になろうと変わって行くと思います。でもまあ、今は言って聞かすことしかできなくて心配になる気持ちはとてもわかりますよ。こういう事は社会性がつくのを見守るしかないのかなあ。
担任には親が我が子をギフテッドと考えてると言い切ってもいいんじゃないでしょうか?さるるンさんの子供さんなら。
>けいこりんさん


>私は定型〜発達障害〜ギフテッドまで、スペクトラムだと思います(知的遅延も含め)ですのでさるるンさんが別個に考えられているところが、非科学的じゃないか…と書いたんです。

何ていうんですかね、「ギフテッド」に関しては、もともとの素質自体はスペクトラム的なところがあると思うんですが、成長過程で社会性をどんな風に身につけていくか次第で、ある年齢で(多分4歳ぐらい、遅くとも小学校入学ぐらいだと思うんですが)、ギフテッド的な生き方をする子供とそうじゃない子供にすっぱり分かれちゃう気がするんですよねえ……

初めて集団生活を始める頃になっても、ギフテッド的な特徴を手放さずに生きている個性のある子が、結局は「ギフテッド」であって、そうじゃない子は、もともとギフテッド的なところもあったけれども、そういう個性が薄れてしまう、みたいな。

私は、大衆化社会になる以前は完全なスペクトラムとして埋没していた「ギフテッド」が、近代の民主主義社会、大衆化社会になって以降、社会的な要請から、スペクトラムだったものが一定のラインで切り離され、浮き上がってしまっている…という風に捉えています。
ある意味、子供たちを学校に集めて教育するという公教育が「ギフテッド」を生み出したんじゃないか、と。(まあ私が考える『ギフテッド』のカテゴライズを前提として、ですけど)

そもそも「定形児」という概念自体が、公教育前提じゃないと有り得ない概念なんじゃないかな、とかね。

発達障害も結局は似たような経緯で生まれたものでしょうけど、ただ、発達障害の方が現在でもスペクトラム構造を維持しているように思えます。

ギフテッドと発達障害というのはもともと違う切り口から見たカテゴライズだと思うんですね(違う切り口からのカテゴライズと言えば、「HSP」というカテゴライズもあるようですね。"Highly Sensitive Person "の略で、「高い感受性を持つ人」という意味だそうです)。

だから、「定型〜発達障害〜ギフテッド」というスペクトラムになっているとは、私は思えないです。
ギフテッドの特徴を持っていて、かつ発達障害も持っている人もいると思います(感覚の鋭敏さ、多元的・立体的な物の見方、探究心などを持ちつつ、かつ、脳機能の障害も持っているというパターン)。

ギフテッドの定義にもよる、ということになっちゃいますが…

私自身は、ギフテッドの脳機能はむしろ良すぎるのであって、発達障害の原因とされる脳機能の障害とは別個のものだ、と捉えています(一部の脳機能の障害が原因で、他の脳機能の能力がことさら優れたものになる、というのはよくある話ではあるけれども、脳機能の一部の能力が優れているからといって、他の脳機能に必ず障害・能力的に劣っている部分が存在する、というものではない、という意味で。人間の脳の能力のキャパシティが一定のものであり、それを配分したものだというのが科学上の定説ではないんじゃないかと…)。

なので、「脳機能の良さ」に起因したある種の個性をカテゴライズした「ギフテッド」という概念と、「脳機能の障害(一部の能力の欠落や機能不全など)」に起因する個性をカテゴライズした発達障害は、別個のものとして考えるべきだと思うのです。


そういう考え方をけいこりんさんが「非科学的」と考えるのでしたら、ぜひ、なぜ非科学的なのかについて詳しく伺いたいところです。



>またWISCがあてにならないと言いたかったのではなくて、…

WISCに関して言えば、私が言いたかったことは、「WISCで下位の数値などにばらつきが少なかった子は、そもそも発達障害傾向がない可能性が高い」ということなんですね。
そういう子が発達障害的行動を見せていても、あるいは後に発達障害的行動を見せるようになっても、発達の凹凸が原因ではない可能性が高い、と。

そして、たとえある時点でばらつきが少なかった子が、のちにWISCでばらつきを示すようになっても、当初はなかったという事実がそれなりに重要であって、先天性の脳機能障害、いわゆる「発達障害」が原因ではない可能性が高いんじゃないでしょうか。

私としては、子供のある種の問題行動が発達障害に起因していると決めつけられることの弊害を主張したいわけなので、そのリスクを示唆する手がかりとして、WISCの数値がどうだったかは、重要なところだと思うのです。



>今の学校では障害の有る無しに関わらず、個を尊重することが特別支援教育の基本になっています。

私が住んでいる地域では、その基本理念がよく活かされてるんですよね。
お陰様で、色んな支援を受けることも出来ており、親としては比較的楽をできているかな、とも思います。
とはいえ、今まで運良く担任があたりだったことの方が多いから、というだけかも知れませんw
息子が1年生の時の担任は比較的ハズレな方で(大ハズレってほどじゃなかったですが)、少し苦労しました。

全国的には、あまり理念が浸透していない現状もあるようだ…と思います。話を聞く限りでは。
そこが問題なのかな、とも。



勉強が面白くない云々は、私は先生にはハナから期待してなかったりします。
学校での勉強がつまらないのは当たり前です。これは、公立小学校だけでなく、レベルの高い私立でも同じだと思います。

知能が高い子が、まわりに合わせて程度の低いことをやらされるのが可哀想、というのは、私はあまり同感ではないんですよね〜。そこまで同情するのって甘やかしになるんじゃない?と思う面があります。

集団教育が個々にとって面白くないのなんて当たり前。たまたま面白い授業があったら幸運だ、という程度で。
学力を向上させたかったら、つまらなくても勉強するべきなんです。
そして、あくまで勉強を面白くやりたいのなら、勉強に面白さを見出すべく、個々で努力すべきだと思っています。
常に楽しく愉快に生きたいと思うのならば、どんなつまらない授業でも面白みを見出す能力があるぐらいじゃないと。じゃなけりゃ、つまらないことやらされてる間に上手に退屈しのぎのすべを見出すことも、生きる力ってものですし……


なので、勉強を面白くするとかまでは学校には期待しないので、ただ、学校の担任に子供の健全な成長を邪魔されないこと、そして子供が知りたいことを知る機会、教わるべきことを教えてもらえる機会を、親の責任としてきちんと担保しておくことが、親としての課題かな、なんて思っております。


>後対人面ですが、人を蔑んだり心を閉ざしたりしたら親は励ましたり、人としてその態度はよくないと伝え続ければそのうち理解するでしょうし、ギフテッドといっても一人では困るでしょうから人に受け入れられる人になろうと変わって行くと思います。でもまあ、今は言って聞かすことしかできなくて心配になる気持ちはとてもわかりますよ。こういう事は社会性がつくのを見守るしかないのかなあ。


ここにはちょっと、ギフテッド児を育てる難しさがあると思うんですよねえ…
一度人を蔑んだり心を閉ざすようになったら、根気よく言い聞かせるだけじゃダメだと思います、正直。

極端な例ですが、愛情を全く受けずに育った子が、自分から人を愛せるようにはならない、って言いません?
愛された経験が少しでもないとダメだ、と。

それと似たような感じなんですが、親以外の人から信頼され、受け入れられた経験がないと、他人を信頼し、受け入れられるようには育たないと思うのです。
そこは、いくら言い聞かせてもダメな部分であり、本人が、人生においてそういう経験を積み重ね、心を開いていくしかない部分だ、と。

社会性がつくためには、社会性を身につけたい、と理屈ではない部分で感じるようにならなきゃダメだと思います。そうじゃない「社会性」など、ただの建前であり、ハリボテに過ぎません。

ギフテッドというのは、ただの建前をふっ飛ばして行動してしまう種類の人間だと思うので、本当に心から「周りの人とうまくやっていくのが自分の幸せだ」と、理屈ではなく「感じる」ようにならなければ、ギフテッド児は「社会性」を身につけられないと思うのです。

だから、ギフテッドには、親以外の理解者や友達が絶対に必要なんだと思います。

(『親以外で、信頼できる人間関係が必要』ということは、息子の幼稚園時代に、大学の児童心理相談の先生からアドバイスを受けたことでもあります)



>担任には親が我が子をギフテッドと考えてると言い切ってもいいんじゃないでしょうか?さるるンさんの子供さんなら。

今の学校教育の枠組みでは、なんだか「ギフテッド」って禁句な気がするんですよねえ…。
なので、いつも先生とも、一生懸命「ギフテッド」という言葉を避けながら会話している感じです。
多分、wiscの能力の中で 言語的機能と空間的機能の2つが飛びぬけて高くなっている子は勉強にも逆境にも強いんだと思います。

そして求める環境は 自由と平和 あたたかい食事(うまいメシ) みたいな。
家庭環境…よくわかります…両親の不理解&無視&コントロールに耐えかねて…私自身は過食になり矢印(右)胆石になり矢印(右)心肺停止にまでなりました…それに気がついたのは産婦人科医でした。私はそれまでは精神が歪んでいました…元に戻すために…成長させるために…ひとりの女性産婦人科医(野村由紀子)は私を相手に…外来のあの部屋で、相当…試行錯誤&四苦八苦しましたよ…ここで言える事は…やっぱりね…家庭環境って何よりも大事なことなんですよ…泣き顔バッド(下向き矢印)

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