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映画・ドラマの演出コミュの隠し砦の三悪人

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黒澤明監督による大冒険活劇映画。

この作品のストーリー(脚本)は黒澤監督を含む四人での執筆だが、
この場合、黒澤監督が毎回出す数々の関門をみんなで考えて
突破して書き進めていったという。

そうやって出来た本作は通常の日本映画にはない大きなスケール感で
大変面白く爽快な作品に仕上がり、そのためもあって大ヒットし、
海外にも大きな影響を与えた。

その影響を受けた作品の筆頭が、大ヒットした
『スターウォーズ』
だというのは有名な話
(監督のジョージ・ルーカスは
「二体のロボットのヒントをいただいた」
というようなことを言ってるようだが、実はそれだけではなく、
ストーリーを含めあらゆる部分を参考にしているのは明らか)。

1958年公開

コメント(14)

途中の、主人公と田所兵衛との一騎討ちのシーン。

ここはまず馬に乗った主人公が敵の兵隊がワンサカといる
番所になだれ込んでくるわけですが、
最初、兵隊達は「何事か!?」って感じで彼を取り囲みます。
でもそのあと、「よお!真壁六郎太!」と兵衛が大声を出した瞬間、
兵隊達はハッ…!と兵衛の方を見て、
それから主人公の方を向き直って、ザザッ…!ってあとずさる。

ここは上手いですよね。
最初は怪しいやつが現れたから兵隊達はみんなで囲む。
でも、「真壁六郎太」という名前を聞いた彼らは
一瞬固まり、そして、その名前が意味するもの
「みんなが震え上がるほど強い秋月の侍大将の真壁六郎太」
ってことを悟る。
だからビビって慌ててあとずさる。

仮に、この場面で兵隊達が何も反応しなかったら、
もしくは兵隊がいなかったら、
観客は果たして「真壁六郎太は敵が恐れるくらい強い」
ってことが分かったでしょうか。
おそらく分かんないですよね。

それが分かるからこそ、その強い侍大将と
ほとんど五分の力を持つ田所兵衛もメチャクチャ強い
って分かるんですよね。
だからこそ、最後の兵衛の活躍が
さらにカッコ良く感じられるわけですよね。

こういう演出って、誰でもやってるような気がしますけど、
でも実はそういうところってないがしろにされてしまうんですね。
なんでかっていうと、
一般の監督はそういう部分に気付いてないからだと思います。


でそのあと、兵衛がやってきて、六郎太と対峙する。
そして決闘することになり、
「ろくな槍はないが、貴公選べ」と言われ、
周りを取り囲んでる兵隊達に近づく六郎太。

このとき、六郎太の近づかれたあたりの兵隊は
みな一斉に緊張してあとずさる。
彼らはそのあと、槍の具合を確かめるために
六郎太が槍をちょっと地面に立てたりするだけでザザッ…!と退く。
そして思い切り槍を振り回すところではザーッ!と下がる。

そしていよいよ対決の時。
槍を構える六郎太と兵衛。

このときも、二人の片方がちょっとでも槍を動かすと
後ろに映っている兵隊達はビクッ…!となって退く。

ってことで、この場面には「映像的迫力」はありませんね。
でも、画面全体に張りつめる緊張感はスゴい。

それは、対決する二人が真剣にやってるってのも大きいわけですが、
でも、なんといっても二人の周りを囲む兵隊達の反応が、
画面全体の緊張感を最高に高めてるんですよね。

もしこの場面で兵隊達が何も反応しなかったら、
おそらく二人の対決も長ったらしくて
退屈なものに感じたのではないでしょうか。

この場面については好対照な例として
ジャッキー・チェンの
『蛇拳』
が挙げられますね。
この作品では途中で主人公が道場破りと戦うわけですが、
アクションはスゴいんだけど、
でも周りの門下生の大半はボ〜って突っ立ってるだけだし、
中には雑談してる者もいたりする。
だからいくら主人公と敵が真剣に戦ってても、
画面上では真剣さとか緊張感が伝わりづらいんですよね。

アクションでは余裕でジャッキーの方がスゴいんだけど、
でも映画的に見たら黒澤作品の方が遥かに上手く出来てると思います
(まぁ私は『蛇拳』は好きなんですが(笑))。
クライマックスの脱出シーン。

ここはまず最初に早川との国境にある山名の関所の全景のカット。

そのあと、六郎太達が処刑場に曳かれていくわけですが、
ここでまず上手いのは、
それぞれの配置を明確に見せてるってことですね。

先頭には姫、次に六郎太、さらに秋月の娘、最後に軍用金を積んだ馬。
そして、その後ろの向こう側に兵衛がまんじりと座っている。

んで、処刑場に曳かれていこうとするとき、
サッ!と後ろ振り返る雪姫。続いて六郎太も。

その二人の行動を見、自分も振り返って見る兵衛。
すると、関所の門の外には山々の向こうに開けた景色が見える。
そして劇的な音楽(これは『雪姫のテーマ』ですね)。

ってことで、観客はセリフがなくても、
門の向こうに広がってるのは
雪姫達の目的の地である早川領だ、ってことが分かる。

ということはどういうことかというと、
「逆の方向に行けば脱出出来る」
ということが確認出来る、ということですよね。
つまり観客はこの脱出劇の最初から
逃げ道をちゃんと把握した上で見てるってことですね。

そうやって考えると、
この場面は画的に見ると実に単純だということが分かる。
けど単純だからといってそれがダメだというわけではないですね。

特にこの場合はラストの脱出劇なわけだから
途中に(たとえば逃げ道とかの)余計な説明があると
映画全体のリズムを崩してしまう。
ここは全体の中で最もスピード&リズム感が必要とされる場面です。
だからなるべくスムーズに事を運びたい。

そういう単純明快なシチュエーションの作品では
『スターウォーズ ジェダイの帰還』
がありますよね。
あの作品も、最後は新デススターの中心部から
(ホントは違うけど)真っすぐ外に向かって飛び出しますよね。
だからポン!と出た瞬間に「脱出成功!」ってことが分かる。

そういう意味では『スター〜』の第一作目も同様ですよね。
長〜〜〜い溝の一番奥の小さな穴に
ミサイルを命中させればいいわけですからね。実に単純明快。
その単純なことが前提になってるから、周りでいろいろやってても
観客は混乱することなく楽しめるわけですよね。

途中だったらいろいろゴチャゴチャした方が面白いんだ
(『スター〜 ep4』だとデススターの中の話とか)けど、
でも最後は単純にした方が明快でスッキリして
より痛快に感じるんですよね。

ということで、この場面では「どっちに向かって逃げればいいか」
ってことが最初から分かってるから、
そのあとにいろんなことがあっても観客は混乱せずに見れるんですね。
でもう一つこの脱出シーンで重要なのは、
「視点が常に一定」だということですね。

特にアクション映画の場合、派手なシーンになればなるほど
いろんな角度から撮られた映像をパッパッ!と編集して見せますが、
でもそれだと「誰がどこにいて、どこに向かっているのか」
ってことが非常に分かり辛いんですよね。
これは最近のハリウッド映画の
アクションシーンのほとんどがそんな感じだと思います。

ところが、『隠し砦〜』のこの場面では撮る方向が常に一定で、画面的に

処刑場←登場人物達→門→早川領

ってのは変わらないんですよね。
だから非常に見やすい。
これは途中の馬上の戦いのシーン(荷車を引く場面から)も同様。

こういう見せ方も、ラストの盛り上がりに必要な
「単純明快」さを感じさせる大きな要因だと思います。

で、上記の場面(それぞれの配置を順々に見せる)の演出ですけど、
ここって、ただ単にカメラが勝手に動いてるんじゃないんですよね。
敵の司令官みたいな武将が馬に乗って
それぞれを点検する動きに合わせてカメラも動いてる。
(だから観客はカメラの存在に気付かず、物語に集中していく)。

彼は最初は先頭にいたわけだから、
当然の如く映る順番は 姫→六郎太→娘→馬→兵衛 となる。

で、馬のとこまで行ってジックリとチェックしたら、
また先頭に戻る。
けど、カメラはそのままで、
向こうに座ってる兵衛が目立って見えるようになる。そして彼のアップ。

ってことで、
このシーンは冒頭から流れるようなカメラワークと編集で、
客観的映像(全景とそれぞれの配置)→主観的映像(兵衛のアップ)へ
実に自然に見せてるんですよねぇ。

で、撮る方向が常に一定っていう意味では
途中の有名な馬上の戦いのシーンも
薪を積んだ荷車を押すところからそうだし、
別の作品では、同じ黒澤映画の
『乱』
の最後の次郎軍対三郎軍の合戦シーンもそうですよね。

逆に、こういう配慮に欠けてるがために観客が混乱してしまうのが
アメフトを描いた実話を元にした作品の
『タイタンズを忘れない』
だと思います。
この作品はみんなが同じカッコをしてる場面があって、
会話のシーンとか撮る角度を大きく変えちゃうと
どっちがどっちだかよく分からない。

撮ってる方は分かってるからいいかもしれないけど、
でも観客は初めて見るんだから混乱してしまうんですよね。

あと同じような例を挙げると、
黒澤組の助監督だった森谷司郎サンが監督した
『八甲田山』
ですね。
これも、北と南から来る兵隊達がみな同じ格好をしてるんだけど、
でも撮る方向が一定してないので、
雪山を登る姿がどっちの舞台なんだか非常に分かりづらい。
このことは黒澤サンも言及してますね。
[こっからはかなりのネタバレなので、
未見の方は出来ればご遠慮ください。
これ読んじゃうと映画を見たときの面白さがそうとう減ると思います]


次に並ぶ順番について。

処刑場に向かう順番は前述したように 姫、六郎太、娘、馬
という順番で並んでますね。
私的にはこれがまたポイントだと思います。

で、この映画では主人公がここから脱出するために行動するわけですが、
実際の映画ではどういう順番で逃げたでしょうか。

ここではまず最初に兵衛が「馬の向きを変えいっ!」
って兵隊に命じますね。つーことでそのまま逆向きになる。
で、兵衛はこの馬達を槍でひっぱたいて走らせる。
すると馬はビックリしてそのまま走り出し、門を通過する。

この最初に走り出す馬っていうのは
他の馬と違って黄金をたくさん載せてるから非常に重い。
さらにこの場合は馬の乗り手(引き手)がいないから
仮に雪姫や六郎太達が脱出したあとに走り出しても不安がある。
姫達が脱出したあと、「馬達は無事逃げれたかな〜?」
って心配するっていうのは映画的に全然面白くない。
冒険活劇映画の最後はやっぱりスカっと終わって欲しい。

だからそういう不安要素は最初に取り除く必要がある。

でも、普通の映画だったら逆向きに走ったからといって
そのまま馬達が早川領の方に行くかどうかは分からない。
けど、この作品ではシーンの最初に
「逆向きに行けば脱出出来る」ってことが分かってるから
逆向きに走っていく馬を見ればそのまま早川の方に行く
ってことが(考えなくても)分かるわけですよね。

この並びの順って一見なんでもないようですけど、
でもこれから起きる脱出劇を分かりやすくて効果的に見せるには、
まずはこのそれぞれの配置を
ちゃんと観客に分からせる必要があるわけですね。
そういう意味では実に的確&適切に見せてるってことが分かります。
[超強力なネタバレです!未見の方はどうぞご遠慮くださいっ!!]

次に音楽の付け方についてですが、
ここは話の展開と、それに付けられた音楽をまず記します。


姫達が乗せられた馬は処刑場に向かって曳かれていく。
そのとき、
「人の命は〜」
と声が聞こえる。見ると、兵衛だ。

「エイッ!」
と気合を入れる兵衛。さらに
「火と燃やせ ヤアッ!」
と気合を入れる。

「よし、燃やすぞ!」
と自分に言い聞かせるように言った彼は
晴れやかな表情になって階段を降り、馬の近くに歩み寄る。そして
「馬の向きを変えい!」
と馬を曳いてる兵隊に命じる。

突然のことなので不承不承な兵隊達。だが、
「えぇい…! 変えぬかぁっ!!」
と大喝されて慌てて馬の向きを変える。

すると馬の先頭の方へ行き、いきなり槍で馬を次々とひっぱたく兵衛。
驚いてそのまま走り出す馬。
驚く一同。騒然とする場内。

動揺して慌てて命令する司令官。
「狼藉ぃーっ! 狂気ぞ!捕らえい!捕らえいっ!」


馬はスピードを上げて門の下を通過する。

そのあと、槍で兵隊達を牽制し、
さらに馬上の武将達を次々と打ち倒していく兵衛。

(もちろんこれは馬の乗り手を先に倒しておかないと
姫達が脱出してもすぐに追いつかれる可能性があるからですね)

次に彼は雪姫と六郎太の縄を切り、
「六郎太! 急ぎ姫をっ!」
と叫ぶ。

縄を解き、それを片手に持って
「えぇい、放せ!放せっ!」
と馬の曳き手をぶつ六郎太。

さらに秋月の娘の縄も切り解く兵衛。

そして雪姫と六郎太に向かって
命は大事にしろと言い、兵隊達の真っただ中に突っ込む。

ここでテーマ曲のイントロ部分。
しかし、ここは笛の音だけの悲愴な感じ。

しかし次の瞬間
「兵衛! 志を待つ!仕えいっ!!」
と姫が命令するところで
太鼓がダッタカダカダカ!と鳴り出して軽快なリズムを刻み始める。

そう言われた兵衛はちょっとあっけにとられたような感じで姫を見、
そして
「はっ!」
と頭を下げ、さらに周りの敵を威嚇するように槍を振り回す。

すると今度は最初よりもずっと迫力のあるテーマ曲が流れ、リズムを刻む。

馬を自在に操りながら兵衛に向かって叫ぶ六郎太。
「兵衛! 続け続けっ!!」

その声に振り返る兵衛。
力強くうなずきながら
「よっしゃっ!」
と返事し、さらに大きく槍を振り回し、自分も馬の方へ向かう。

姫の乗った馬はそこへ押しかけてきた大勢の敵兵の間を突破し、
そのまま門へ疾走し、無事に通過。
驚く敵兵達。

そしてテーマ曲の主旋律がダンドン!ダンドン!という
激しいティンパニの音と同時に鳴り響きだすところに合わせて
六郎太が娘を片手でヒラリと馬に乗せる。

六郎太も脱出。

一人残った兵衛は大勢の敵兵達を威嚇し、
立てかけてある槍を倒して相手をあとずさりさせる。

そして敵兵の前に走り出、槍を地面に立て
「裏切り御免っ!」
と言い放ち、スタッ!と馬に乗り間髪開けずそのまま駆け出す。

そのあと敵兵達がすぐに追いかけるが、
しかし彼らは徒歩だからとても追いつけない。

派手な銃声だけがグワァン!グワァン!と何発も響く。

兵衛の馬が駆ける。
打楽器のリズムが凄まじい。

そして姫と六郎太と兵衛の三人が映ったカットになった瞬間、
初めて主旋律が最初の部分から高らかに鳴り響く。

山並に連なる遠くの一本の長い道を駆けに駆け通す三騎。
後ろから追ってくる者は誰一人として、いない。

そして、まず最初に雪姫が崖の上で馬を止める。
続いて六郎太。
ここで何かに気付く二人。
それを見て大笑いする六郎太。

そこへ兵衛が追いつく。

その兵衛に指差して早川領に付いたことを示す姫。
そのあと指を下に向ける。
「おぉ!」
何かに気付く兵衛。
大声で笑い出す。他の二人も晴れ晴れと笑い合う。

カメラが下の方へ行くと、そこには、
道なりに沿って走っていく軍用金を積んだ馬が。

馬達はジャラジャラ!と高い金属音を立てながら走っていく・・・。


ってな感じですね。


で、上記のことでお分かりだと思いますが、
このクライマックスシーンって
音楽の使い方、付け方が実に絶妙なんですよね。

最初、兵衛が唄い出して槍で馬を叩くあたりは
物語が急に展開するところだから、普通は音楽を付ける。
けど、この映画でのこの場面には音楽が一切ない。


映画における音楽というのは、例えば主題歌等の、
映画が終わったあとに流されるものが一般的に有名だけど、
でも、本当に重要な映画音楽というのは
映画の途中に付けられる、
「脚本の良さを活かすための音楽」なんですよね。

劇中の音楽っていうのは「今、この場面はこういうことなんですよ」
ってことを分からせるように場面の説明をするものですよね。

例えば街中の雑踏の中、主人公が一人歩いてるカットがあった場合、
悲しい音楽が流れると「ここは悲しい場面なんだな」と思い、
主人公に悲劇が起こることを想像し
楽しい音楽が流れると「ここは楽しい場面なんだな」と思い、
主人公に楽しいことが起こることを想像する
というように、
音楽というのは場面全体の雰囲気を司ってるわけですよね。

ってことで、兵衛が唄って馬を叩くシーンの場合、
通常だったら何らかの音楽を付けてもいいはず。
でも、付けてない。
これはなぜか。


話が転換する場面には音楽が付けられるはずだけど
付けられてないというのは、これは、
場面の雰囲気を司るものがないってことだから、
観客は何が起きてるのかよく分からないってことなんですよね。
兵衛が唄ったり馬を叩くっていうのは何を意味してるのか?
それが分からない。

これは、観客が感情移入してる雪姫や六郎太に登場人物達も一緒。
彼らも何が起きてるのか分からない。

ということはどういうことかというと、
この場面での雪姫や六郎太の反応は観客と一緒ってことですね。

当然ですが、登場人物に感情移入した方が映画に集中出来るから
より面白く見える。
そのためにはこの場面ではまだ音楽をつけるべきではない。
ここで早々に音楽を付けてしまうと
兵衛が何をしようとしてるのかが最初から分かってしまって、
「?」って思ってる姫や六郎太達と同化できない。

そして、姫達の縄を切って山名の兵達と戦い始めるところで
ようやく確実に「兵衛は味方を裏切り、主人公達は助けるんだ」
ってこと分かる。
その瞬間に音楽がかかる(こういう音楽の付け方については
『宇宙戦争』のところでも述べました)。

でも、この音楽は笛が一つだけで弱々しいし、
マイナー調の曲だからスゴく悲しい感じがする。
ので、おそらく観客の多くは
「あぁ、ここで兵衛は敵に突っ込んで主人公達を助けて
自分は死ぬんだな」
って思うと思います。

実際にそういう作品は山ほどあるからそういう展開は容易に想像出来る。
だからきっと
「ワシの分まで長生きしてくだされ!」とかなんとか言うんだろう
と思ってしまう。

ところが次の瞬間、
「兵衛!犬死は無用!」
と叱咤する雪姫の声。同時に軽快なリズムの太鼓の音。

ここで観客は「あれ?」と思うでしょう。
「死ぬんじゃないの?」と思ってたけどなんか状況が変わってきた。

そしてそのあと馬に乗った六郎太が
「兵衛! 続け続けっ!」と叫ぶ。
「よっしゃっ!」と兵衛もうなずく。
音楽はドンドン派手になっていく。

ってことで、ここまで見ることで
兵衛は死なないな、って思えますね。
そんで六郎太が秋月の娘を片手で馬に乗っけるところ
(この場面メチャクチャかっこいい〜〜〜〜っ!!!!)で
主題曲が流れていよいよ盛り上がってきますよね。

そしてそのあと全員が脱出したあと、
遠くの一本道を馬で激走するときは
最も音楽が盛り上がりますよね。

だからこの場面(まぁ他の場面もそうなんですが)の
音楽の付け方っていうのは
場面の展開にピッタリと合ってるんですよね。

世界の映画を観ても、ここまで映画の展開と音楽が合ってる作品は
(黒澤映画以外には)あんましないと思います。
[ここもネタバレで〜す]


主人公達が脱出したあと、
今度は二人の百姓が出てくるのんびりとした場面になりますね。
で、ガッカリしてる二人の元に軍用金を積んだ馬が…。

ってことで二人はみにくいっていうかくだらないケンカをしますね。

んで、ここの演出で素晴らしいと思うのは、
この場面の主役であるケンカしてる二人って
全然アップで映ってないんですよね。
画面の向こうでショボい殴り合いをしてる。

さらに、彼らの動きに沿ってカメラが横に移動すると、
そこにはのんびりと草を食べてる大アップの馬の顔。
だから馬の顔がアップで映り過ぎて
後ろでケンカしてる二人がほとんど映らない(笑)。

おそらくこの場面は途中の六郎太と兵衛の戦いの場面との
対比になってるんじゃないでしょうか。

途中の決闘シーンでは
二人がアップで映って命を獲り合う真剣勝負をしている
(人の顔のアップはその人物の気持ちが強く感じられますね)。
さらにここでは緊迫感のある音楽と
二人の動きに敏感に反応する周りの兵隊達の存在によって
より一層緊張感が感じられる。

けど、最後の又七と太平のケンカは
アップじゃないしショボい戦い方だし
コミカルで間抜けな音楽と
のんびり草を食べる馬の顔の大アップで
それがより一層強調されてる。

だから最後の間抜けなケンカは、
その前の決闘や脱出シーンが先にあるから
余計にバカバカしく感じるし笑えるんですよね。

こういうのんびりとしてバカバカしい争いがあるからこそ、
その直前まで展開された大脱出劇とのギャップが感じられ、
脱出シーンの迫力やカッコ良さが
より一層クッキリと印象付けられるのだと思います。
すっげ〜〜〜。。。シネフェックス級。。。
今回リメイクされたみたいなんで、
久々に本作の演出について多少述べたいと思います。

[最後の脱出シーンにおける
脚本上の展開とテンポ&リズムについて]

この最後の脱出シーンって最初に
自力で逃げるのが難しいと思える馬を先に走らせるけど
この場合、何が起きてるのか分かってないから
敵はそのまま馬を見逃す。

次は姫が脱出するわけですけど、
彼女の場合は場内がワーっ!と大騒ぎになって
混乱し始めた直後だから
どさくさに紛れて逃げやすい感じがする。
んで次の六郎太の場合は強いから おそらく自力で逃げられるだろう
って思える。
田所兵衛も自力で逃げるか、または
主人公達の盾になって死ぬだろうって思える。

ってことで、一番心配なのが
そのあと逃げるであろう秋月の娘ですよね。

続く
続き

私の場合、最初に姫の乗った馬が脱出し六郎太の馬が走り出し、
その前を必死で走ってる娘の姿を見たとき
「あら〜、この娘はどうやって逃げるんだ〜!?」
って思いました。
この状況で彼女を助けるには当然ながら一旦馬を降りて
群がる敵を追い払わなきゃいけない。
けど、この場面での六郎太は剣等の武器を持ってない。
ので、より一層「こりゃどうすんだ!?」って思っ
た直後、そのままバーっ!と娘を馬に引き上げるんですよね。

だからドドドド!「どうすんだ!?」バーっ!「おぉ〜っ…!!」
ってなる。 んでダ〜っ!と泣く(笑)。

でそういう感じで見ると、
この最後の場面は極力ムダな部分を排除して
とにかくリズム&スピードを重視してると思います。

仮に秋月の娘を助けるために六郎太が馬を降りた場合、
スピードは落ちリズムも狂ったと思いますが、実際の映画では
殆どスピードを落とすことなく彼女を助けてますよね。

あと「スピード感の強調」って意味では、
最初はそこに残ろうとしてた田所兵衛が
雪姫と六郎太に逃げるように言うセリフや、
そのあと彼に対しての姫の叱咤(?)のセリフなんて
メチャクチャ速くて何を言ってんのかよく分からない(笑)。

でもあの場面は改心(?)した田所兵衛が二人に逃げるように言い
姫がなんか言って彼が「はっ!」って言って
一緒に脱出する、って事実だけで十分だと個人的には思います
(そういう意味では主人公である六郎太がこの場面では
「兵衛! 続け続けっ!」っていう
実に短いセリフのみを言うってのも効果的ですよね)。

続く
続き

で、この映画では途中で主人公の真壁六郎太が
馬に全速力で乗りながらそのまま敵をブった斬る
っていう空前絶後の素晴らしいアクションシーンがありますね。
んで、そのあとは
ジックリと時間をかけて六郎太と田所兵衛の一騎打ちを描く。

けど、この一騎打ちのシーンは
直前の馬上のシーンがあまりにスゴかっただけに
(緊張感はあるけど)どうしても冗長に感じられてしまうかも。

でも、その一騎打ちのシーンがあるからこそ
その前の馬上のシーンがより際立つと思えるし、
それはラストの脱出劇の場面との対比にもなってて
その結果、最後がよりスピーディに感じるようになってるかも、
って思えます。

続く
続き

最近の映画はよくカットを短くして
テンポを良くしようって思ってるみたいだけど、
『隠し砦〜』での脱出シーンは
ちょっと引いた画面で動きをちゃんと見せてますよね。
だからこの場面は「映画的な見せ方」って感じじゃなく
「肉体的な見せ方」になってるんで、
そのスゴさ、カッコ良さがより際立ってますね。

んで、それぞれが脱出する場面って
「画面左=危険」「画面右=安全」っていう
基本的な見せ方プラス、「必ず背中を向けて脱出する」
っていう見せ方にもなってますよね。

だから前を向いてる場合は「敵中」に向かってて、
背中を向けてる場合は「助かる方」に向かってる
ってことが分かって、「脱出してる」ってことが
より強調されて分かりやすくなってると思います。

それが特に分かるのは
敵の雑兵がワーっ!とこちら側に向かって来るとこで、
そこに画面手前から彼らの方(脱出する方)に向かって
馬がダーーっ!走る場面だと思いますが、
お互いの向きが
「危険」と「安全(脱出)」を象徴してる感じがします。

ってことでこの場面は、普通だったらカッコ良く見える
いろんな角度から見せるとこだと思いますが、
この場合は「カッコ良さ」よりも
「脱出してる」っていう事実の強調の方を優先してると思います
(もちろんカッコ良くもあるわけですが)。

続く
続き

そんでそれぞれが脱出する場面は
必ず同じアングルから撮られてますよね。
そうすることによって「脱出するパターン」を感じさせ、
「そのパターン通りの行動をしてる者は脱出してる」
と観客に認識させる効果があると思います。

さらにこの場面は黒澤映画では珍しい
魚眼レンズを使って撮られてますよね。
黒澤映画でよく見られる望遠は 使いようによっては
ものスゴく効果的だと思いますけど、
でも望遠の場合は画面手前と奥の大きさがあまり変化しない。
ので、この、「危険な場所から脱出する」って場面には
今ひとつ合わない感じがする。

けど、魚眼レンズを使うと
画面手前に大きく映った馬がすぐに
画面奥に小さくなっていきますよね。
だから「怒涛の勢いで脱出してる」ってことが
映像的にスゴく強調されてるがします
(『バックトゥザフューチャー』の一作目の
ラストのデロリアンの激走シーンも同様の描き方ですよね)。

そんな感じであの脱出する場面は、物語の展開的にも映像的にも
ひじょ〜に効果的に描かれてるなぁって思います。
黒澤版『隠し砦の三悪人』の冒頭部分の演出

ここでは最初 太平が又七に対して
「死人臭いから近寄るな!」と怒鳴る。
と、又七が「それもみんなテメェのせいじゃねぇか!」
と言い返す。

すると太平は一瞬黙り、
又七の方に向かってツバを吐き
そんでプイっと前に歩み出る。

この冒頭の場面は後ろから撮られてる画ですね。
なので前に進むってことは
画面の奥に行くってことになるわけだから
その分 姿が小さくなる。

だから太平の 図星さされてバツが悪いって気持ちが
それだけで感じられるんですよね。

これが前とか横から撮られた画面だったら
その効果はあまりなかったかもしれません。
が、ここは後ろから撮ってるっていう利点を
非常に上手く活かしてると思います。

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