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言語学コミュの橋本文法の形式主義的性格について

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コミュ内全体

 学校文法としての橋本文法の形式主義的性格、非科学性については60年代からいわゆる教科研文法による批判がありますが、これらもまた形式主義、機能主義による後退でしかなく、学校文法に変わる科学的な文法論を提示できていません。この点を的確に指摘した稿がありますので、以下に引用しご参考に供したいと思います。
三浦つとむ「形式主義的文法論の吟味」(『文学・哲学・言語』(国文社:1973)所収)の「はじめに」をそのまま引用します。

           …………………………………………

 戦時中に文部省が国定教科書としてつくった『高等文法』は、よく知られているように橋本進吉の学校文法に依拠したものであった。そして現在もなお、この文法論が一般の教科書・参考書に定説ないし通説として受けつがれている。橋本の文法観の特徴は、『国語法研究』のつぎのことばに見ることができる。

 文法は意味を有する言語単位の構成に関するものであって、しかもその意味の方面に属するものではあるけれども、その意味が何らかの方法で形にあらわれたものでなければならない。その意味が、何等形にあらわれず、唯前後の意味の関係とか、又はその文が用ゐられた時の話手と聞き手との立場といふような、純粋の言語以外の、思想とか事情とかによってのみ明かになるやうなものは、勿論文法の範囲にははひらない。

 言語は表現であって、いつでも話し手の「立場」や[思想」がついてまわっている。文法は表現の構成を抽象的に規定するとは言っても、「立場」や[思想」と絶縁しているわけではないから、「形にあらわれ」ない部分を文法でとりあげなければならぬ場合もでてくるし、のちに説明する時制や命令形がそのよい例である。それにもかかわらず「形にあらはれ」ない部分を排除して、表現以前に心の中に存在する言語表象を問題にし、これが言語の本体だ、「純粋の言語」だ「形にあらわれ」てくるのだと主張するのは、表現以前に<言語(ラング)>を想定したソシュールと同じである。語の「形」を優位におき、その示す辞書的な意味以外を文法から追放するのは【形式主義】である。春日和男は橋本文法を「音声(形態)至上主義」とよんでいる。形式主義では文法の本質を把握できないし、現実の言語表現が提起している諸問題に答えることもできないので、文法論には有用性も魅力もない。学生はいやいやながら「純粋の言語」を暗記するだけで、試験が終われば綺麗サッパリと忘れてしまう。

 橋本文法の欠陥を是正し克服する動きは、国定教科書のできる前にすでにはじまっている。時枝誠記の批判がそれで、しかも橋本文法の核心に肉薄していた。まだ不十分な部分が残っているが、それは時枝の限界である。佐久間鼎は橋本の<文節>論に反対しながら品詞の分類を支持しさらに改悪しているし、教科研文法も橋本文法を「非科学的」と攻撃しながらさらに改悪している。三上卓は橋本文法の権威失墜を「慶賀である」といいながら、その個々の見解では橋本よりも退歩している。【それらは形式主義的な改悪ないし退歩である。】なぜか? 形式主義の是正・克服には、正しい認識論を武器にして形式の背後をさくっていかなければならぬのに、言語学者はこの武器を持ち合せていないから、どうしても西欧の権威ある文法論に依存しがちである。ところが、西欧でも同じ理由で、形式主義がいわば【持病】になっている。それで西欧の文法論に抱きつくと、自分の批判しているのとは別の形式主義的解釈に【感染する】が、悲しいかな自覚する能力がない。それで橋本の批判者が改悪・退歩することにもなったのである。科学的な文法論の確立には形式主義との闘争が不可避なので、以下諸学者の見解を吟味してみよう。

          …………………………………………

これは、1973年9月に発表されたもので、すでに45年を経過しているが、事態は全く変わらず、むしろ後退しているのが現状である。この「はじめに」の後、具体的な批判が展開されているが、それらは現在も全く変化していないのに驚く他はない。現状については、若干これまでに触れてきたが、さらに具体的な批判を展開していきたい。■

コメント(2)

こうした、学校文法(橋本文法)の形式主義・機能主義的の具体的な問題点として、品詞定義の問題が挙げられます。

「補助形容詞とは何ですか。」
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=84434175

で指摘したように、「形容詞とは何なのか、これはどのように理解すれば良いのか」に迷う内容になっています。このため、

<国語の文法

下記の(ない)の、見分け方が分かりません。
問題は、形容詞か助動詞かその他の選択問題です(四谷大塚5年下巻)

(1)後悔はまったく(ない)

(2)ぼくの部屋にはエアコンが(ない)

どなたかご教示願い
ます。小学生にも分かりやすくお願いします。>
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11196420886

というような質問が出されることになります。これに対する回答、応答を参照していただきたいと思いますが、これは「ない」が形容詞であるのか、否定の助動詞であるのかが学校文法の品詞定義では判然としないところに根本的な問題があります。

形容動詞という誤った品詞区分については、これまで何度も触れて来ましたが別途取り上げたいと思います。

ご参考までに、学校文法の動詞、形容詞、形容動詞の定義を下記に記しておきます。

どうし【動詞】

品詞の一。用言に属し、活用があり、一般に終止形語尾がウ段の音で終わる(ラ行変格だけは終止形語尾がイ段の音で終わる)。「走る」「起きる(文語、起く)」「見える(文語、見ゆ)」など。活用は、口語では、五段・上一段・下一段・カ行変格・サ行変格の五種類、文語では、四段・上一段・上二段・下一段・下二段・カ行変格・サ行変格・ナ行変格・ラ行変格の九種類がある。

けいようし【形容詞】

品詞の一。用言に属し、活用があり、終止形語尾が、口語では「い」、文語では「し」であるもの。事物の性質・状態または心情・感情などを表す。「早い」「楽しい」「あまねし」「うるわし」の類。活用は、口語では一種類であるが、文語にはク活用・シク活用の二種類がある。

じょどうし【助動詞】

国語の品詞の一。付属語で活用のあるもの。用言や他の助動詞に付いて、これにいろいろな意味を加えて叙述を助けたり、名詞その他の語について、これに叙述のはたらきを与えたりする。その表す意味によって、受け身・自発・可能・尊敬・使役・打ち消し・過去・完了・推量・意志・希望・伝聞・様態・断定・比況・丁寧などに分類する。動辞。はたらくてにをは。
ヨーロッパ諸語で、もと独立の動詞であった語が、他の動詞を補助してムードやテンスなどを表すはたらきをなすようになった語。たとえば、英語の shall, will などの類。【大辞林】■
このような、学校文法の問題は当然、現在の教育学部教員にも認識されており、次のような論考があります。

「日本語文法研究と国語における文法教育」(森山卓郎・三宅知宏 編『語彙論的統語論の新展開』くろしお出版:2017.11.30)

この本は、語彙論的統語論を提起した仁田義雄の教え子が、師の古希を記念し編まれた論文集です。したがって、語彙論的統語論の発想に基づく論が展開されています。この、論考は「はじめに」で、次のように述べています。

「学校文法と現代日本語文法研究の接点に立たされる教育学部教員としては、隔靴掻痒の思いを抱いてやまない。それは、両者の解離が看過できないほどに大きくなったことのみならず、日本語文法教育の成果が、いっこうに、国語の文法教育に役立つものになっていかないためである。現在主流となっている現代語日本語文法教育の潮流においても、この国語教育への還流意識が、以前として十分高く共有されているとは言いがたい。」とし、「広く学ぶ者と教える者に利益があってこそ有益な改革であることが、忘れられていはしないだろうか。」と問題提起されています。

そして、「本考察では、国語の文法教育が現在直面している課題をいくつか取り上げ、これまでの日本語文法研究がどのように国語教育に寄与してきたかを検証し、また今後、解決策を提示しうるかを検討いていく。」として論が展開されています。また、「おわりに」では、「これまで学校文法は、まるで金科玉条のごとく変えられない存在であった。多くの矛盾に気がつきながらも、臭いものに蓋をするかのように看過するばかりであった。」と述べ、しかし、「三上章『文法教育の革新』がすべて取り入れられれば、現場を混乱させることは必定である。」ともし、「しかし、現在の学校文法の矛盾と不作為は、さらに文法を非有用的なものに置き去って行く。新学習指導要領でも、文法は単なる知識と位置付けられた。今志向すべきは未来に資する学問ではないか。そのためには、まず、学校文法の全体的な枠組みは保持したまま個別的な誤謬を訂正し補足していくことから始めるのがよい。」と漸進的な改革が提案されています。

この状況は、最初に述べた通り、正に半世紀以上を過ぎ全く変わっていないことを明らかにしています。では、この論考で論じられる内容に従って漸進的な改革を進めることが出来るのかが問題とされなければなりませんが、答えは否というしかありません。

この論集の基礎となっている、「語彙論的統語論」なるものが、最初の三浦の指摘にある<西欧の文法論に抱きつくと、自分の批判しているのとは別の形式主義的解釈に【感染する】が、悲しいかな自覚する能力がない。それで橋本の批判者が改悪・退歩することにもなったのである。>という同一のパターンでしかないからです。

この辺を次に、簡単に見ることにしましょう。■

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