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言語学コミュの【「は」と「が」】外伝 初心者にもわかる助詞の「ハ」の使い方

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コミュ内全体

【「は」と「が」】外伝

 一応下記の続きのつもりです。
【「は」と「が」】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41999401&comment_count=75&comm_id=2748
続【「は」と「が」】──雨が降るそうです/雨は降らないそうですhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=42113447

 何をとちくるったか、
文法が苦手にもわかる〈助詞の「ハ」の使い方〉
 ということを書きはじめました。
 まだ前半分ですが、ご意見などなどいただけたら幸いです。
 なお、趣旨を考え、難解なコメントはお控えください。

【これならわかる!? 助詞の「ハ」の使い方 】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961089689&owner_id=5019671
 以下は一部の抜粋(重言)。
 まっとうな解説としては、No.3のかたがひいた『「は」と「が」』あたりが正解なんだろう。
 せっかくだから、そのまま引用させてもらう。
===========引用開始
 『「は」と「が」』野田尚史著 (くろしお出版 1996)より


 『「は」の基本的な性質のまとめ』

1) 格を表す「が」や「を」などとは違い、文の主題を表す助詞である。

2)「は」が使われる文……「〜が」や「〜を」のような格成分の名詞が主題になった文のほか,連体修飾の「〜の」の中の名詞が主題になった文,被修飾名詞が主題になった文など,いろいろなものがある。

3)文章・談話の中の「は」……「は」が使われる文は,前の文脈にでてきたものや,それに関係のあるものを主題にする。そして,文章・談話の中では,話題を継続するのに使われる。

4)従属節の中の「は」……主題の「〜は」は,「〜たら」,「〜とき」,「ため」のような従属節の中にはでてこない。

5)「は」の対比的な意味……主題を表す働きが弱く,対比的な意味を表す働きが強いものがある。
    第一は仕事で、第二は家庭だ。

  『「が」の基本的な性質のまとめ』

1)「が」の文法的な性質……「を」や「に」などと同じく,述語と名詞との格関係を表す助詞である。

2)「が」が使われる文…… ア)とイ)の2種類がある。
 ア)主題をもたない文
     八木がホームランを打った。
 イ)述語が主題になっている文
     八木がキャプテンだ。→キャプテンは八木だ。

3)文章・談話の中の「が」
 ア)主題をもたない文……前の文脈とつながりをもたず,話題を導入したり,転換したりするのに使われる。
 イ)述語が主題になっている文……前の文脈にでてきたものや,それに関係のあるものを主題にして,話題を継続するのに使われる。

4)従属節の中の「が」……「〜たら」,「〜とき」,「〜ため」のような従属節の中では,文の主題は問題にされないので,主題を表す「〜は」は使われず,格を表すだけの「〜が」が使われる。

5)「が」の排他的な意味……主格を表す働きが弱く,排他的な意味を表す働きが強いものがある。
    おれがやる。(君らではなくて) 
===========引用終了

 定評のある書籍だから、この解説にイチャモンをつける勇気はない。
 ただ、これで一般の日本人が納得できるかというと……無理だろうね。当方はこのテーマに関してそこそこ勉強しているつもりだが、この解説にはついていけない観が強い。
 かと言ってあんまり省略すると、それはそれでわからなくなる。
 助詞の「ハ」について、こんな説明なら一般人でも納得できるのでは……って説明を試みてみたい。無謀だとは思うけど、ちょっとほかとの兼ね合いもあってね。
 ハの働きの分類に関しては、かの『日本語練習帳』にご登場いただこうか。
 詳しくは下記をご参照ください。
【チャレンジ日記──「は」と「が」 毒抜き編 〈1〉〜〈7〉】
(略)

1)問題(topic)の下に答えを持ってくるよう予約する
2)対比
3)限度
4)再問題化
 
 この分類はよくできていると思う。ただ、同書の解説がホニャラララ。サラリと読んだときには「なるほど」と思ったが、じっくり読むと……。
 詳しくは↑のチャレンジ日記の〈1〉を読んでほしい。
 で、改訂版(エラいセンセーの説に改竄を加えるのは、とっても失礼。よい子は絶対にこういうマネをしてはいけません)。

1)主題
2)対比
3)限度・強調
4)その他

 いろいろな文献がいろいろな分類を試みている。読んでて実感が湧かない理由のひとつは、どれが大事なのかを書いてないからじゃないだろうか。
 実態は膨大な量の例文を解析しないとわからないだろう。そんなことをしているとたいへんなので、予想値で書いてしまう。それぞれの出現割合は下記くらい。煩わしいので「約」さえつけない。

1)主題         80%
2)対比         10%
3)限度・強調+4)その他 10% 
 だいたいこんなもんだろう。異論がある人はどうぞ。ちゃんとした統計に基づく異論があればすぐに訂正します。(←オイ!)
 全体の80%を占めるのが、「主題」のハ。問題になることはあまりないから、細かい話はとりあえずパスする。だって、ほとんどの人はわかっているから。
 問題は、それ以外の20%の部分。ちなみにこういう場合に「残りの20%」と書くのは誤解のもと。20%の20%だと全体の4%になってしまう、って考え方もできる。
 主題以外の半分を占めるのが「対比」。
「彼ハ賢いが、僕ハ愚かだ」 
 こういう場合のハは対比の働きと考えるのが素直。
 とは言っても、けっこう微妙なことが多い。たとえば、ある人が「彼ハ賢い」と書いたときに、ほかの誰かと対比しているか否かは他者にはわからない。この段階では単なる主題と考えるべきだろう。「彼ハ賢いが、僕ハ愚かだ」と並べられると、「対比」であることがわかる。
 そう考えると、「主題」に見えるハのかなりの部分は「対比」かもしれない。何%なのかはわかりません。
 2)3)4)の違いを見るための例文を考えた。文法の話でこんなバカな例文を持ち出すヤツはいないだろうな。
 説明の都合上、一文ずつ改行して番号をつける。

‖膺い自慢の彼ハ、実際には牛丼を2杯しか食べられなかった。
∨優呂發辰反べられる。
たぶん4杯ハ食べられる。
い任癲5杯ハ無理だな。
(……実際に食べてみる)
4杯ハ食べられると言いハしたけど、考えが甘かった。
3杯でギブアップだった。

 ,世韻覆蕁崋臑蝓廚塙佑┐襪里素直だろう。´△セットになったら「対比」でいいだろう。
 は「限度・強調」だろう(微妙なことが多いので、この分類にした)。どちらにもとれる。これがい世函峺妥戞廚世蹐Δ福
 イ1つ目も「限度」だろう。これがペロリと食べたのなら「強調」になりそう。
 メンドーなのはイ2つ目。『日本語練習帳』が「再問題化」と呼んでいるのは、こういう用法らしい(正確にはわからない)。
 大野先生でも持て余したのね。そういうのは一種の特殊用法なんだから、「その他」にしておくほうが無難だろう。ちなみに、ハにはほかにも特殊用法がいくつかある。そういうのも全部「その他」のしておけばいいの。全部を網羅しようとするとむずかしくなる。
 ↑の1)〜3)を知っていけば、90%以上は理解できるはずだから大丈夫だって。
【「ハ」の用法 男は度胸、女は愛嬌 春はあけぼの 東京は浅草にやってまいりました〈1〉〈2〉】
(略)

コメント(14)

う〜ん! これが、前半で、初心者にもわかるですか?。

単に、現象と機能を羅列しただけの相も変らぬ床屋政談のたぐいにしか見えませんが。

「ハの働き」はそれぞれの文で千差万別であり、それを並べた結果がこのようなホニャラララの文章を飽きもせずに繰り返す結果となっていることを自覚すべきと考えます。

1)主題
2)対比
3)限度・強調
4)その他

などという、機能、結果を並べたてて何の役にたつのでしょうか。紙に書かれた、「ハ」が、どうしてこんな働きをするのか、それが問題ですよね。

 『「は」と「が」』野田尚史著 (くろしお出版 1996)を開けてわかるように、「ハ」の文を「ガ」の文に書き変えて、ああだ、こうだと訳の分からないことを最初に展開し、結局、現象と機能を羅列しただけなのは誰でも分かることです。

前置きは、このくらいにし、【「は」と「が」】の本質について説明させていただきましょう。

言語は話者の認識の表現です。したがって、【「は」と「が」】も話者のどのような認識を表現しているのかが明らかにされなければなりません。

「ハ」には二種類の用法があり、特殊性の認識を表す場合と普遍性の認識を表す場合があります。
特殊性の認識を表す場合は副助詞で、普遍性の認識を表すのは係助詞と呼ばれています。

これを具体的に説明します。

‖膺い自慢の彼ハ、実際には牛丼を2杯しか食べられなかった。
 「彼ハ」は、「私」や「君」や「彼女」ではなく、「彼」という人称の特殊性の認識の表現です。

∨優呂發辰反べられる。
 「僕ハ」の「ハ」も「彼」とは異なる「僕」という特殊性の認識を表しています。

たぶん4杯ハ食べられる。
  「4杯ハ」はの「ハ」は、「3杯」にたいする食べられる牛丼の杯数の特殊性の認識の表現です。

い任癲5杯ハ無理だな。
(……実際に食べてみる)  これも同じです。

4杯ハ食べられると言いハしたけど、考えが甘かった。
  「4杯ハ」は同じで、「言いハ」は「言う」「言わない」という特殊性の認識の表現です。

3杯でギブアップだった。
  説明するまでもありませんね。

 「彼ハ賢いが、僕ハ愚かだ」 
これは、「彼」と「僕」という人の特殊性の認識の表現であり、結果的には対比の機能を表しているに過ぎません。

ご参考までに、当方の説明にお礼を戴いた【一】例を下記します。
 「〜によって、〜によっては、について。」
 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11173144596

この質問者に、「【「は」と「が」】外伝 初心者にもわかる助詞の「ハ」の使い方」を説明しても、「うまく説明できません。」と言われてしまう、ホニャラララの回答にしかならないのは自明と思われますが。

「が」は個別性の認識を表し、「は」には「地球は丸い。」「海は広いな大きいな!」のような、普遍性の認識を表す係助詞としての使い方もあります■
追補

『「は」と「が」』 (野田 尚史 (著):新日本語文法選書 (1)) 単行本 – 1996/11/1)については、「記述文法という機能にたよる形式主義文法の限界」というカスタマレヴューをAmazonに投稿しておりますので参照下さい。

また、投稿者名をクリックいただければ、言語哲学、言語学、文法論他について100冊以上の拙レヴューを参照いただけます。■
>>[1]
 
 コメントありがとうございます。
 下記あたりのときには、あまりにも非常識な連投にゲンナリしていました。
 やっとお別れできたとホッとしていたのですが……。
【存命中のことを「生前」と書くのはなぜですか?】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12277626691.html

 それでも過去の的外れの数々のコメントに比べれば、今回はずっとマシな気がします。
 少し書こうと思いますが、その前に確認させてください。

「相も変らぬ床屋政談」は、誰の言説に対しての言葉でしょうか。
「ホニャラララの文章を飽きもせずに繰り返す結果」は、誰の言説に対しての言葉でしょうか。
 どのような目的があって、こういうことを書くのでしょうか。
>>[1]

 返信はいただけないようですね。
 もうmixiを離れて活躍?の場所を移されたんですかね。

 引越しを前に、悪態を並べて……そういうのをなんて言うかご存じですかね。
 やはり、言語の本質とやら牋柄悪瓩砲發辰箸考えになるべきことがありそうですね。
 なんか、いろいろ残念です。
普遍性の認識を表わす「は」について

  前回、特殊性の認識をあらわす「は」について説明致しましたが、「は」のもうひとつの用法である普遍性の認識をあらわす「は」について考えてみます。

 個別は普遍と特殊という対立物の統一として存在しています。個別的な事物も、それなりに不変的な性格をもっていますから、この側面を普遍性として扱って「は」で表現します。

  われは海の子。
  吾輩は猫である。
  おれは河原の枯れすすき。
  あるじは名高きいつこくおやじ。
  童は見たり野中の薔薇。
  産まれは遠州浜松在。
  東京は神田の産まれよ!
  箱根の山は天下の嶮。
  愚僧が住家は京の辰巳の世を宇治山とは人はいふなり。

 科学が法則を定式化する場合には、月や地球のような単一の対象も水や人間のような多種多様の対象も、そこから普遍的な法則性を捉えることになり、それゆえ「は」が使われます。

  月は地球の衛星である。
  水は水素と酸素の化合物である。
  反作用はつねに作用と方向が反対で大きさが等しい。

 最後の文は作用反作用の法則ですが、「反作用は」と普遍性を提示し、部分を表わすところには「大きさが」と個別性の認識をあらわす「が」が使われています。

  私は頭が痛い。
  象は花が長い。

も同様で、

  春は早うから 川辺のあしに  蟹が店だし  床屋でござる。(北原白秋『あわて床屋』)

という童謡もあります。■
>>[5]

 繰り返します。

 下記あたりのときには、あまりにも非常識な連投にゲンナリしていました。
 やっとお別れできたとホッとしていたのですが……。
【存命中のことを「生前」と書くのはなぜですか?】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12277626691.html

 それでも過去の的外れの数々のコメントに比べれば、今回はずっとマシな気がします。
 少し書こうと思いますが、その前に確認させてください。

「相も変らぬ床屋政談」は、誰の言説に対しての言葉でしょうか。
「ホニャラララの文章を飽きもせずに繰り返す結果」は、誰の言説に対しての言葉でしょうか。
 どのような目的があって、こういうことを書くのでしょうか。
 続きです。
【これならわかる!? 助詞の「ハ」の使い方  教えてgoo〈2〉】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961347013&owner_id=5019671
 以下は一部の抜粋(重言)。

 で、あまり必要ではない後半部。
 〈1〉では助詞のハの80%は「主題」と書いた。
「主題ではなく主語を表わすのでは」という疑問が湧かないだろうか。このあたりをちゃんと説明しないと、「主語」「述語」になじんできた日本人はピンと来ない気がする。
「日本語には主語がない」って考え方はそのとおりだと思う。
 そのとおりだとハ(強調? 再問題化?)思いながら、自分の中にも納得できに気持ちがある。
「私は学生です」の「私」は主語じゃないのか?

 基本を理解するための考え方として、これは「主語」でもいいと思う。厳密に言うと「主語」ではない、と考えるのは上級者の仕事。もちろん、日本の国語教育が「日本語には主語がない」という考え方をしてくれるなら、それでもいい。
 現実には「主語」「述語」で育ってきてんだから、それを引っ繰り返すのはたいへんじゃないかな。だったら、そのまま「主語」でいいじゃん。「日本語には主語がない」と考えるのは、専門的な勉強を始めてからで十分だよ。
 もちろん、「主語」とはいいにく例も多々見られる。「きょうは……」あたりが典型だろうか。
「きょうは私がご飯を作る」の主語は……「私」だろうな。

 うんとシンプルに考える。
 助詞のハの80%は「主題」。ただ、そのなかには、義務教育で「主語」とされているものが相当含まれる。割合としては半分くらいでいいや。つまり、「主題」のうち半分は、「主題=主語」で、残りは、「主語」とは言いいにくいもの。
「私ハ学生です」とか「私ハご飯を作る」なら「主題=主語」だから、義務教育レベルの考え方で問題がない。うんと乱暴に書くと、ガに置きかえられそうなハは、「主題=主語」と考えていいはず。

 ついでに書くと……。
「きょうハいい天気です」だけなら「主題」。
「きょうハいい天気です。だから洗濯をします」でも、この段階では「主題」。
 これが「きょうハいい天気です。きのうまでハ雨続きでしたが」となるなら「対比」。
「きのうまでハ雨続きでしたが、きょうハ(試合があるので)晴れてほしかった」だと「対比」を通り越して「限度・強調」だろう。
 このあたりはいろいろな考え方ができると思う。
【『どこどこ』は『どこどこ』と言うように、…】
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12177644542

 どうやら理解できないのは当方の問題ではないらしい。
 ちょっと安心しました。

〈なお、助詞の「は」の文法的機能(「主題化」「話題化」)については多くの国語学者が共通して認めているところです〉に対し、


〈これは「多くの国語学者が【誤って】共通して認めているところです。」とすべきです。かつての天動説のように〉ですか。そりゃ常人には理解できなくて当然でしょう。
 そういうホニャララを他者に押しつけるのはやめてほしい。
「は」と「が」の意義と主題(1)

語は意義を持ち、この意義を介して話者の個別認識が文に表現され意味を表わします。

「は」と「が」の使い方を明らかにするためには、この語の意義を明らかにしなければなりません。
文に表現された結果としての意味や、機能を並べても単に現象を記述するだけで、そこから意義を抽象しなければ、使い分けを説明することはできません。

「は」の基本的な性質として挙げられた

1)主題
2)対比
3)限度・強調
4)その他

は、正に性質であり、機能に過ぎず、現象を羅列しているにすぎません。おまけに、主題を第一に掲げながら主題とは何かが明らかにされていません。

こんな、説明でいったい「は」の何がわかるのでしょうか。これで、分かるのであれば当方が例に上げたような質問は出されないでしょう。

われわれは「犬」と「猫」の違いを意識して使っていますが、「は」と「が」との違いは特別に意識しているわけではありません。ただ経験的に、何となく「それに対して一定の陳述をなさずしてはこれらの結末がつかぬ」ような気もちになって使っているわけです。マルクスの言葉にあるように、「彼らはそれを意識してはいないが、しかし彼らはかく行うのである。」ということになります。

何がそういう気もちにさせるのか、それにはやはりそれだけの根拠がなければなりません。それは、話者の主体的表現に関する選択ですから、その根拠は認識の特殊な範囲にあるであろうことが、だいたい見当がつきます。
陳述の本質は肯定判断であるとするならば、「が」と「は」との違いも判断のあり方の違いに根拠があるのではないかということになります。

このようにみてくると、我々は対象を概念としてとらえ言語で表現するとはいうものの、その概念が個別的概念か、特殊的概念か、普遍的概念かに区別することができ、これらの概念の自己自身による規定作用としての判断も、個別的判断か、特殊的判断か、普遍的判断かに区別できます。そしてこれらの判断は、当然に肯定判断や否定判断と認識構造において結びついています。

われわれは、どんな判断かという自覚はないにしても、助詞を習慣的に使いわけています。個別的判断のときには「が」を使うが、特殊的判断や普遍的判断のときには「は」を使わないと何かおかしい感じがしてきます。

こうした、認識における判断の違いを明らかにすることなく文に表現された意味や機能という現象を撫で回すだけではまったく進歩はありません。「多くの国語学者が共通して認めている」ことは、何ら論理の正統化にはなりません。■
「は」と「が」の意義と主題(2) : 主題とは何か

言語表現には語、文、文章という質的に異なる段階があり、それぞれを規定する規範が異なります。

語についての規範は、概念と聴覚ないし視覚の表象とをどう結び付けるかについての規定で、文についての規範は概念の運用においてそれを連結するための法則になります。

文は話者の個別認識を表現する最小の単位で、客体的表現と主体的表現の組合せによる一つの統一をもつ表現として示されます。「火事!」「起立」「お〜い!」等は一語文と呼ばれます。

さらに、この文による流動的な思考の展開が文章になります。この文章を特徴づけるのが題です。論文・小説・詩・報告など、みな題名をもっています。文章が文と異なり特殊な法則性を持っていることと、題名を持っていることとは何か内面的な結び付きをもっているのではないかという想像ができます。

春過ぎて夏来たるらし/白妙の衣ほしたり天の香具山。
古池や/蛙飛びこむ水の音。

これらは、上と下の二つの文からなっています。それでは、これが単なる二つの文の集まりかといえば、そうではありません。上の文があって、下の文が導かれています。形式的にはそれぞれ完結した文ですが、これらは全体の一部として互いに依存しあっています。これらの全体は、文を超えたもの、すなわち文章です。そして、

あたらしきサラドの色のうれしさに箸をとりあげて見は見つれども。
五月雨の降り残してや光堂

のように全体が一つの文である場合も先の例とおなじように短歌や俳句としての全体の統一性をもっていることは疑いがありませんから、これは文の形をもっている文章、すなわち一文文章だということになります。

これらは、歌集、詩集として題名がつけられ纏められています。このように、文章には題名があり、題名と呼ばれるものの背後には、文章全体を貫く統一的な性格について集約し統合した認識が、すなわち本分とは異なった立場に立って把握された認識がひそんでいる、ということです。

論文・小説・詩・報告など、題名をあたえられて書いた場合は、その題名のもつ内容を中心にして文章の構成が行われ具体的な展開がなされるし、また題名を後からつける場合には、文章の内容を検討してその全体を貫く中心的なものを取り出して題名に表現します。

このようにみてくれば、【文章の本質・文章独自の統一性は、題名として表現されるような集約された思想が、ある場合には他から与えられある場合には自分で設定したものとして準備されており、これが骨組みとなって全体の表現が展開するところにある】、といえます。この、「題名として表現されるような集約された思想」こそが【主題】といわれるものです。

「わたしにはこんな仕事はむきません」も、俳句と同じ五七五七の十七文字ですが、これは文法的な表現のタイプで直観的に現実をとらえただけのものです。集約された思想が表現全体に展開され、そこに統一性を与えているような、反省された表現ではありません。これは、文ではあるが文章とはいえないのです。

一語文、「火事■!」の判断辞が零記号(■)となっているように、題名を持たない文章は「零(■)題名」の文章と理解すべきものです。

以上で明らかなように、「は」が文の「題名」を表わす機能を持つなどというのは、文/文章の相違と関連、「は」の意義が不明なため直観的に「題名」と結びつけたこじつけに過ぎないことが判明します。

「多くの国語学者」の一人がどのように「主題」を論じているかのサンプルとして、<日本語の「主題」-ひつじ研究叢書(言語編)>のレヴユー(1/2,2/2)

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5352139&id=69840270

の[189][190] を参照下さい。■
>>[10]

 あのー。

 タイトルが読めないのでしょうか。
「初心者にもわかる」の意味はわかりますか?
 天動説か地動説か知りませんが、常人に理解不能な話はお控えください。

〈助詞の「ハ」の使い方〉がテーマですよ。「は」と「が」の話がしたいのならヨソでお願いします。


 ご理解いただけるまで繰り返します。

 下記あたりのときには、あまりにも非常識な連投にゲンナリしていました。
 やっとお別れできたとホッとしていたのですが……。
【存命中のことを「生前」と書くのはなぜですか?】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12277626691.html

 それでも過去の的外れの数々のコメントに比べれば、今回はずっとマシな気がします。
 少し書こうと思いますが、その前に確認させてください。

「相も変らぬ床屋政談」は、誰の言説に対しての言葉でしょうか。
「ホニャラララの文章を飽きもせずに繰り返す結果」は、誰の言説に対しての言葉でしょうか。
 どのような目的があって、こういうことを書くのでしょうか。
 やはり理解できないのは当方の問題ではないらしい。

 第2弾です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11182106206
===========引用開始
<独り言>
やさしいことを難しく言うのは簡単だが、難しいことをやさしく言うのは難しい。↓ 
===========引用終了


 第1弾は[8]に書いた下記です。
===========引用開始
【『どこどこ』は『どこどこ』と言うように、…】
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12177644542

 どうやら理解できないのは当方の問題ではないらしい。
 ちょっと安心しました。

〈なお、助詞の「は」の文法的機能(「主題化」「話題化」)については多くの国語学者が共通して認めているところです〉に対し、


〈これは「多くの国語学者が【誤って】共通して認めているところです。」とすべきです。かつての天動説のように〉ですか。そりゃ常人には理解できなくて当然でしょう。
 そういうホニャララを他者に押しつけるのはやめてほしい。
===========引用終了
「文法的機能(「主題化」「話題化」)とは何か」

きのう【機能】  ( 名 ) スル

ある物事に備わっている働き。器官・機械などで、相互に関連し合って全体を構成する個々の各部分が、全体の中で担っている固有の役割。 「言葉の−」 「胃の−が衰える」 「十分に−しない」 〔明治中期に英語 function の訳語として広まる。「生物学語彙」(1884年)が早い例〕    【大辞林 第三版】

のように、機能は「ある物事」、つまり本質の働きで、宙に浮いているわけではありません。文法的機能とは何を云うのかがまず明確にされなければなりません。単に現象を言い代えているだけです。そのためには、文法とは何かが明らかにされなければなりません。

助詞「は」という語が「主題化」などという機能を、どうして果すのかそれが問題です。そもそも、[10]で論じたように、主題とは何かも明らかにすることなく、意義不明な語を繋ぎ合わせ「主題化という文法機能」など何をいっているのか説明していただきたいものです。結局、それらしい語を並べただけで、何も明らかではないということです。
それゆえ、毎回同じ質問が出され、毎回、中身のないホニャラララの回答が繰り返されています。

ここに記した内容が理解されるのも文法的機能によるものであり、文字、語が理解されるのもまた、文法的機能によるものであることは明らかで、だからといって何かが明らかになるわけではありません。

念のために記せば、文法とは通常「語から文を構成するための規則」とされますが、本来は語・文・文章という言語表現の諸単位諸段階における法則を語法・文法・文章法と呼び、全体を言語法と呼ぶべきもので、文法(言語法)とは諸規範の媒介によって成立する所の言語表現の構造についての法則をさすことばと捉えなければなりません。

これを、「語から文を構成するための規則」に矮小化するしかない現在の言語論、文法論では、「が」と「は」の本質を明らかにすることができないのはこれまで記した通りです。■

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