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言語学コミュの「知っている」の否定形は?/「知る」の可能形は?

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コミュ内全体

 動詞の「知る」についてわからないことが2点あります。

1)「知る」の否定形は「知らない」? 「知っている」の否定形は……。
 以前、他のコミュであるかたが【知ってない】というトピを立てました。いくつかコメントがついたのですが、なぜかトピが突然削除されました。
 詳しくは下記をご参照ください。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1551147702&owner_id=5019671

 テーマは「知っている」の否定形が「知っていない」にならないのはなぜ、ということでした。
 そのときに考えたこと
================================
 活用が似ている「持つ」、意味が似ている「わかる」「覚える」と比較する。

1基本形  2否定形   3状態を表わす形  4状態を表す形の否定形
知る    知らない   知っている     ×知っていない
持つ    持たない   持っている     持っていない
わかる   わからない  わかっている    わかっていない
覚える   覚えない   覚えている     覚えていない
                       (活用が違うのでなんとも)
================================

 調べてみると、「知っている」の特殊性は有名なようで、いろいろ資料は見つかりましたが、どうもハッキリしません。考えはじめると、「知る」の否定形が「知らない」ということまで疑問に思えてきました。
 どのように考えればよいのでしょうか。


2)「知る」の可能形(可能動詞?)は?
 フツーに考えると「知れる」でしょうが、これは別の意味になってしまいます。
 そうなると「知ることができる」にするしかないのでしょうか。
 同様に「わかる」(「理解する」の意味)の可能形も「わかれる」はヘンな気がします。
 どのように考えればよいのでしょうか。

コメント(36)

専門家でもなく、ただ日本語の話者としての意見ですが。
「知っていない」、という形が文法的には正しく、「知ってない」は、たとえば「食べられる」が「たべれる」という「ら抜き言葉」になるように、「な」が省かれているだけだと思います。「わかる」については、その言葉自体に「可能」が含まれているのではないでしょうか。すなわち、「ある事柄について知る(理解する)ことができた」結果として「わかる」という動詞が使われるから、可能を表す形がない、のではないでしょうか。
何の根拠もない、戯れ言かもしれませんが…
>1 黒山羊さん

 コメントありがとうございます。

「知ってない」はご指摘のとおりいわゆる「い抜き言葉」でしょう。「い抜き言葉」を指摘する意見はいろいろあります。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%81%84%E6%8A%9C%E3%81%8D%E8%A8%80%E8%91%89&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

 当方もリンク先の日記に下記のように書きました。当方が問題にしている話とは無関係なので「知っている」「知っていない」の形で考えたいと思います。
================================
 まず考えるべきは「知る」「知らない」「知っている」「知っていない」の関係。「知ってない」は「知っていない」の「イ抜き」なので、まぎれをなくすために、イを入れる。
================================
「知る」は、わからなかったものが既知のものになるという意味で、
「知らない」は、現在、何かがわからない状態を示します。
とすると、「知らない」は「知る」ではなく、「知っている」の否定の意味では?

ああ、でも、わからなかったものが、わからないままであるのが「知らない」という状態だとすると、
やっぱり「知る」の否定は「知らない」になるのかなあ…。
以下は素人の思いつきです。

「物知り」というのは、物を沢山「知っている」人のことですよね?当然、未知のものが既知のものになった体験も沢山していることになりますが、どうもその体験の多さを問題にしているわけではないような感じがします。また「知るも知らぬもあふさかの関」というのは「知っている人にも知らない人にも会う」の意味になると思います。なので、本来「知る」には「知る(未知のものが既知のものになる)」と「知っている」と両方の意味が含まれていた。しかしその二つを区別するには不便なので、「知る」と「知っている」に分かれた、という感じではないでしょうか。

「知っている」の意味の上での反対は、「知らずにいる」「知らないでいる」になるような気がします。「知らずにいる」「知らないでいる」と「知らない」とは、意味内容の上で区別がつかないように思います。

「お里が知れる」の「知れる」は「知る」の可能の意味だと思っていましたが、違うのでしょうか。
「知らない」は「その知識がない」という状態を表すので,
「〜っていない」という否定の状態を表す言葉がつかないのではないでしょうか?
「知る」は状態でなく「知っている」が状態を表していますが,
「持たない」は動作の否定,あるいは信条を表したりするので,
状態ではないですね。だから,「持っていない」といえるのかな,と思います。

「時計持ってる?」
「持ってない」(今の状態)

「時計持ってる?」
「時計は持たない」(習慣・信条)
よく知りませんけど、こういう簡易化は珍しくないでしょう。

「知っていない」が言い難いから、より言い易く充分に意味も伝わる「知らない」に(日常会話での使用上)変化したんじゃないですかね。
>3 ハルコス旧はるちゃん さん

>とすると、「知らない」は「知る」ではなく、「知っている」の否定の意味では?
 意味的に考えるとそんな気がしてきます。
 当方が「0」で下記のように書いたのもそういう意味です。
================================
「知る」の否定形が「知らない」ということまで疑問に思えてきました。
================================

 ただ、形で考えるなら、「知る」の否定形は「知らない」だと思います。
>4 セバスちゃん さん

>「知る」には「知る(未知のものが既知のものになる)」と「知っている」と両方の意味が含まれていた
 たとえば、「わかる」「わかっている」とどう違うとお考えでしょうか。

>「知っている」の意味の上での反対
 たとえば、「わかっている」の反対は「わかっていない」だと思います。

>「お里が知れる」の「知れる」は「知る」の可能の意味だと思っていましたが、違うのでしょうか。
 どちらかと言うと「自発」かなって気がします。
 それ以前に「お里が知れる」は下記でしょう。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E7%9F%A5%E3%82%8C%E3%82%8B&stype=0&dtype=0&dname=0ss
================================
し・れる0 【知れる】
(動ラ下一)
[文]ラ下二 し・る
[1]人に自然と知られる。
少しは名の―・れた会社
お里が―・れる
================================
>5 光ってない源氏さん

「わかる」「覚える」の場合はどうなりますか。
>6 discoderさん

「こういう簡易化」とはどういう意味でしょうか。
 ほかにどのような例がありますか。
 
>「知っていない」が言い難いから、より言い易く充分に意味も伝わる「知らない」に(日常会話での使用上)変化したんじゃないですかね。
 書き言葉なら「知っていない」でいいということでしょうか。
わからずにいる、も意味の上で反対になると思いますよ。

「お里が知れる」は自発ですか。そう言われればそんな気もしますが、自発と可能の境界線はそれほど明快には引けないように思います。
わかる:
「わからない」物事が「わかった」その時点における体験

わかっている:
「わかった」体験をした以後の時点で「わかったこと」を保持している状態

「わかる」と「わかっている」との違いならこんな感じだと思いますが、「わかる」にはそれ自体に「わかること」が可能な状態の成分も含まれているように思います。
>1)「知る」の否定形は「知らない」? 「知っている」の否定形は……。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1551147702&owner_id=5019671
>トピ主の質問を要約する。「知ってるんでしょ?」という問いに「知ってない」ではなく「知らない」と答えるのはなぜか。
>論理的に考えると「知っていない」を間違いとする理由はないはず。でもヘンなものはヘン。

文法、語彙、談話、それぞれの問題を一つにまとめて考えておられるため、疑問を感じておられるのではないかと思います。

文法でいえば、「知っている」の否定形は、「知っていない」だと。
>1)「知る」の否定形は「知らない」? 「知っている」の否定形は……。
 もし、トピ主さんが、
1)「知る」という語彙の振る舞いについて不思議な点があるという事実の説明を求め
2)有害な情報を避けつつ
3)面倒な言語学の話は聞きたくない
とお思いであると仮定したうえで、以下の事を述べます。無論私の仮定のどれかが外れている場合はありましょうから、そのときはお知らせください。

あ)一般に、ある言語でよく使われる要素(語彙・形態素)・重要な要素は、不規則な形態変化や統語上の振る舞いをすることがあります。
い)英語の動詞の活用を思い出してください。be、do、haveを筆頭として、変なふるまいを見せます。これらが頻出する要素であり重要な要素であることは明らかだと思います。
う)日本語でも、スル・アル・イル・クル・イク・ミル・キクあたりは妙なふるまいを見せます。これもご存じのことと思います。そして、言うまでもなく、これらは基本的で頻繁に使う重要な要素です。
え)「知る」もよく使う要素であり基本的な語彙であることは間違いありません。したがって、「知る」においても、文法上普通と違ったことが起きている可能性があります。そしてその奇妙な現象(の一部)こそがトピ主さんが指摘なさった現象だろうと思います。これが答えです。
 「知る」は基本的な語彙だから変なふるまいを見せる、というだけのことです。スルがサ行変格活用をするのと同じように。
お)この先に「なぜ」を求められるとすれば、3)を破棄して、これら特殊な語彙の意味論にすすみ、そこから形態統語論に進む必要性があります。「知る」が奇妙なふるまいを見せる背後には、「知る」固有の意味の特殊性があるはずであり、それを明らかにすることが究極的な説明になります。『言語学』コミュとしては、これを行うのが本筋かもしれません。
 先行研究も最新の研究成果も提供する用意はありますが、トピ主さんはそこまでの事はお求めでしょうか。先行研究があるということは、多くの先人たちもこのことを問題にし、最新の研究があるということは、専門家でも容易には解けない謎が未だに存在しているということです。

 私以降に投稿される方に、要らぬ世話とはしりつつもここで明言しておいた方がいいかもしれません。 『言語学』コミュであるからには、先行研究に敬意を払いつつ、学問的に、トピ主の疑問に解説されることが望まれるのではないでしょうか。

>2)「知る」の可能形(可能動詞?)は?

 そもそも「知る」に可能形がなければならないとお考えの理由を教えてください。「知られる」では駄目なのでしょうか。また、「知れる」でダメという理由をお書き願えればと思います。
 あるいは「知る」の特殊性がここでも発揮されていて、スルの可能形がデキルでありアルの否定形がナイであるように、「知る」の可能形も「分かる」である、と考えて、何か不都合があれば教えてください。
>15 エリナさん

>文法、語彙、談話、それぞれの問題を一つにまとめて考えておられるため、疑問を感じておられるのではないかと思います。
 具体的にはどういうことでしょうか。
 できればもう少し詳しくお願いできませんか。

>文法でいえば、「知っている」の否定形は、「知っていない」だと。
 何通りかに解釈できて、なんとも言いようがありません。

ex.
 だと……お考えですか。
 だと……私は思いますがいかがですか。

 いずれにしても、下記のリンク先をご参照ください。
>16 killhiguchiさん

 こんな時期にトピにコメントを入れるのも気が引けるのですが……。
 ただ、今月中にある程度のカタをつける必要がありそうなもんで焦り気味に……。
 あちらのコミュの件は、このあとにコメントを入れます。

 詳しくは下記をご参照ください。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1689780509&owner_id=5019671

 以下は一部の抜粋(重言)。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

●1)「知る」の否定形は「知らない」? 「知っている」の否定形は……。
「16」のコメントを、思いっきり乱暴に書きかえる。
「知る」のようにきわめて使用頻度の高い基本語句は、特殊な性質をもつことがある。「知っている」の否定形が「知っていない」にならないのは、そういう特殊な性質のひとつと考えるべき。
 文法的には「知っていない」だけど、実際にはほとんど使われない、って言うほうが正確かな。
 そういうことなんだろうな。言葉の問題に関しては、理論的に割り切れないことが多々ある。
(略)

●2)「知る」の可能形(可能動詞?)は?
 まず例によってWeb辞書をひく。
(略)

 2種類のWeb辞書を読み比べて、ポイントになることがいくつかある。
『大辞泉』の【1】の意味の最後にポツンと書かれている〈[可能] しれる〉の文字。なんでこんなことを特記しているのだろう。「知る」の可能形が「知れる」って、わざわざ書くようなこと?
 さらに『大辞泉』の「知れる」の項には「知ることができる」とある。
 一方『大辞林』だとかなり違ってくる。
『大辞林』の「知れる」の項には、「人に自然と知られる」(「知る」の「受身」とも「自発」ともとれる)があっても「可能」は見当たらない。
 そうか。「知る」の「自発」は「知られる」になる。つまり、「お里が知れる」は、あくまでも下一段動詞の「知れる」の話で、「知る」とはちょっと違うのね。
 これじゃ何もわからない。
 うんと素直に考えることにする。「知る」の可能形は「知れる」。でも下一段動詞の「知れる」とまぎらわしいせいもあってか、めったに使われない(このあたり、辛口の某氏に丸め込まれている気配濃厚)。

 で、トピの「16」のコメントに戻ろう。
================================
 そもそも「知る」に可能形がなければならないとお考えの理由を教えてください。「知られる」では駄目なのでしょうか。また、「知れる」でダメという理由をお書き願えればと思います。
 あるいは「知る」の特殊性がここでも発揮されていて、スルの可能形がデキルでありアルの否定形がナイであるように、「知る」の可能形も「分かる」である、と考えて、何か不都合があれば教えてください。
================================

 質問を箇条書きにして答えていこう。
1)「知る」に可能形がなければならないと考える理由
 現実に「ある」と思う。
2)「知られる」ではダメか
「知られる」は「知る」の本来の可能形。現代では「受身」として使われることが圧倒的に多い気がする。
3)「知れる」でダメという理由
「知れる」は「知る」の一般的な可能形。ただし、実際にはほとんど使われない(下一段動詞の「知れる」とまぎらわしいせい?)。
4)「知る」の可能形も「分かる」と考えるとダメか
 それはさすがに少し強引だと思う。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
>18tobirisuさん
>文法的には「知っていない」だけど、実際にはほとんど使われない、って言うほうが正確かな。
>そういうことなんだろうな。言葉の問題に関しては、理論的に割り切れないことが多々ある。

 私の主張とは大いに異なります。私は「理論で割り切る」以前のお話をしています。16に以下のように書きました。

>お)この先に「なぜ」を求められるとすれば、3)を破棄して、これら特殊な語彙の意味論にすすみ、そこから形態統語論に進む必要性があります。「知る」が奇妙なふるまいを見せる背後には、「知る」固有の意味の特殊性があるはずであり、それを明らかにすることが究極的な説明になります。『言語学』コミュとしては、これを行うのが本筋かもしれません。
(続く)
(承前)
>18tobirisuさん

>1)「知る」に可能形がなければならないと考える理由
>現実に「ある」と思う。

 これはお答えになっていません。
 可能の意味を表わす形式(可能形といういい方は混乱を招くので使いません)がない動詞は沢山あります。「痛む」「壊れる」。なぜ「知る」をその仲間にしてはいけないのでしょうか。

 可能動詞(五段動詞からの下一段動詞派生)もしくはレル・ラレル形もしくはスルコトガデキル形を持つ動詞に共通するのは意志性を持つことだと思われます。そのテストとして、例えば、願望「私はーたい」意志「私はーう」意志「私は明日ーΦ」が考えられます。
   私は走りたい。私は走ろう。私は明日走る。私は走れる・走ることができる。
   私は見たい。私は見よう。私は明日見る。私は見られる・見れる・見ることができる。
   *私は痛みたい。*私は痛もう。*私は明日痛む。私は明日*痛める・*痛まれる・*痛むことができる。

 しかし、このテストでは、中間的な動詞も存在することが分かります。
   私は分かりたい。??私は分かろう(言いきりでは用いない)。*私は明日分かる(意志ではない)。私は*分かれる・*分かられる・○分かることができる。
   私はいい人間でありたい。??私はいい人間であろう(言いきりでは用いない)。*私は明日いい人間である(意志ではない)。私はいい人間で*あれる・○あることができる。

 「知る」もこの内に入ります。
   私は知りたい。??私は知ろう(言いきりでは用いない)。*私は明日知る(意志ではない)。
したがって、「知る」の可能を表す形がそもそもない可能性もありますし、可能動詞がなくレル・ラレル形が可能の意味を表わさない可能性もあります。

>4)「知る」の可能形も「分かる」と考えるとダメか
>それはさすがに少し強引だと思う。

 これも理由を示されないと答えになってないと思います。「する」という特別な動詞において、対応する可能の意味を表わす動詞を「できる」と認めるのであれば、「知る」の場合が「分かる」である可能性も否定できません。
 無論「できる」のすべての用法が「する」の可能の意味に対応しているということは主張していません。同じような場合に「見える」「聞こえる」があります。

>2)「知られる」ではダメか
>「知られる」は「知る」の本来の可能形。現代では「受身」として使われることが圧倒的に多い気がする。

 「本来の」という意味が私には分かりません。歴史上そうであったことがある、ということでしょうか?用例をお願いします。

>3)「知れる」でダメという理由
>「知れる」は「知る」の一般的な可能形。ただし、実際にはほとんど使われない(下一段動詞の「知れる」とまぎらわしいせい?)。

 「一般的」だが「使われない」という意味も分かりません。
 下一段「知れる」をときどきお出しになられますが、「知れる」という動詞が「知る」と派生関係ではなく独立に存在しているというご主張でしょうか?下一段「知れる」「読める」は五段「知る」「読む」の派生ではないというお考えでしょうか?
 確かに、下一段「切れる」は、五段他動詞「切る」からの派生である可能動詞「切れる」と、下一段自動詞「切れる」とに対応しています。しかし、だからといって、片方が使われないということはなく、構文によってどちらであるかは分かります。可能動詞「私は簡単に紙が切れる」下一段自動詞「突然糸が切れた」。
 「知れる」は五段他動詞「知る」に対応する下一段自動詞とお考えなのでしょうか?それとも可能動詞でもあり下一段自動詞でもあるとお考えなのでしょうか?
 (日本語史上の四段と下二段の対立の話は面倒です。青木博史『語形成から見た日本語文法史』ひつじ書房をご参照ください。可能動詞を江戸時代に始まった五段からの下一段派生とすれば、少なくとも室町時代には尊敬動詞を作るための四段からの下二段派生があり、さらには奈良時代以前から四段と下二段は自他の対立を作っています。この場合の自他の対立の場合、「他」というのが他動詞だけでなく使役動詞相当の意味を含む場合もありますし、「自」というのが自動詞というだけではなく自発・受身・可能の意味を含むこともあります。これは現代語でも議論されていることです。)
(続く)
(承前)
 そもそも可能という意味は、さまざまな意味の寄せ集めであり、他の言語や方言ではその内部で形態の使い分けがなされることがあります。他のどの分野でもそうですが、形式と意味が一対一に対応する保証はないのです。

 まず「実現可能=現実にしようと思ったらできた」とそれ以外は区別されます。例えば、英語では、前者にcouldは使えません。(無論couldは、以下で述べる「不可能」「潜在的可能」の過去を述べる場合には使えます。)
 それ以外には、「不可能=しようと思ったができない・できなかった」と「潜在的可能=しようと思ったらできる(実際にはしていない)」が区別されます。古文でル・ラルが不可能しか表わさないと習ったことを覚えてらっしゃるでしょうか。古文では「潜在的可能」はΦ・ヌ・ベシなどで表わされます。
 可能は、意味の面で「傾向」や「可能性」や「潜勢」とも隣接します。シウルは「可能性」と「不可能」「潜在的可能」を表わす形式です。(「傾向」を表わすものにシガチダ、「潜勢」を表わすものにシソウダがあります。)
 可能が、動作主の能力によるものかそれ以外かで「能力可能」と「状況可能」に分かれることも知られています。関西弁では、「よう走る・走れん」というのは能力可能をあらわし、状況可能の時は「走れる・走れん」と使い分けます。
 無論、可能との区別がよく問題になる「自発=しようと思わなかったのにできた」も同じ形式で表わされることがあります。「分かる」「見える」「聞こえる」「笑える」「泣ける」などはそうでしょう。(受身と尊敬は比較的意味が離れているので割愛します。)
 可能の意味を表わす形式の否定形式が「不可能」であるだけでなく「禁止」「不許可」を表わす場合もあります。四国には「駐車場では遊ばれんよ」という方言があります。

 このように、可能という意味は様々な隣接分野を含みながら、意味や構文ごとに、複数の形式で表わし分けられる可能性があります。「知る」で言えば、「知った」「知れる」「知れた」「知れない」「知られる」「知られた」「知られない」「知ることができる」「知りうる」「分かる」などが、それぞれに張り合いながら使い分けをされており、「知る」に対応する可能の意味を表わす形が一つでない可能性も大いににあるのです。

 ここまでで、「知る」の可能の意味を表わす形は
a)存在しない。
b)一つだけ存在する。候補:「知れる」「知られる」「知ることができる」「知りうる」「分かる」。
c)複数の形式があって意味・構文を表わし分けている。
の3つの場合が考えられます。未だにここまでに議論ではどの場合かさえ分かっていないのではないかと思います。
 「知る」の可能を表わす形を知りたいのであれば、選択肢が広いc)を調査の基本戦略に据えるのがいいように思われます。意味・構文ごとの異なりを調べていって、結果として、一つであることが判明する・ないことが判明する・やっぱり複数で使い分けしているという実態が明らかになる、というところではないでしょうか。
>20
>可能の意味を表わす形式(可能形といういい方は混乱を招くので使いません)

 言葉足らずでした。
 「可能の意味を表わす有標の形式」が正しいと思います。
 可能の意味自体は無標でも表わせます。「彼は100mをやすやすと5秒で走る。」(ときに、「この壁はどんなに叩いても壊れない」を挙げて、有対自動詞が無標で可能の意味を表わす、と言われる時がありますが、可能の意味を表わすのは、有対である場合に限られませんし、無意志動詞にも限られませんし、変化動詞にも限られません。)

>21
>。関西弁では、「よう走る・走れん」というのは能力可能をあらわし、状況可能の時は「走れる・走れん」と使い分けます。

 間違いです。
 能力可能「よう走る・よう走らへん」
 状況可能「走れる・走れへん」
 (「よう走れへん」という形もありますが、これはヘン・ヒンが五段動詞のどの形につくかという問題と関係があるので割愛します。)
 o( ̄ー ̄;)ゞううむ。
 このコミュの参加者は、皆さん「19」〜「22」のようなコメントを理解できるのでしょうか。
 当方には何がなんだか(泣)。
 できれば、どなたかもう少し噛み砕いていただけません。
>23tobirisuさん
 いつも申し訳ありません。私はどうも人に説明するのがヘタクソで。ご迷惑をおかけします。
 もしよろしければ、具体的にどの部分がお分かりにならなかったのか指摘していただけると、今後改善に向けて微力を尽くせる可能性が持てますので、ありがたいです。私が解説し直すにしても、他の方が噛み砕いてくださるにしても、この作業は必要なことと思われます。
 また、私が20で質問したことにはお応えくださってませんが、それについてもコメントいただければ幸いです。
>24 killhiguchiさん

 質問した人間がこういう書き方をするには失礼なのは重々承知しておりますが……。
 到底わかっているとは思えないのに「よくわかりました」とか「参考になりました」(誤用という説もある)とまとめるトピ主がいます。当方にはあのほうがよほど失礼だと思います。

 どこがわからないと言われても……。
「16」の段階でよくわからなかったので、自分なりに書きかえました。それが「私の主張とは大いに異なります」となると……。
 どこから手をつけたらよいのかわからない……というのが正直なところです。
 おそらく、当方に基本的な知識が欠如しているのだと思います。

「20」の質問に関しては……。
 たとえば1)に関して。
 一例をあげるなら、辞書に〈[可能] しれる〉とあるからです。ほかにもいろいろ書いたつもりです。
 これ以上は、たぶん平行線になる気がします。ほかの質問に関しても、すでに書いたとおりです。あれ以上ちゃんと答えるには、当方は知識不足です。
>25tobirisuさん
>たとえば1)に関して。
>一例をあげるなら、辞書に〈[可能] しれる〉とあるからです。
 もしこういう論法をとられるのでしたら、答えは既に出ているのではありませんか?「辞書に載っているから、「知る」の可能の意味を表わす形は「知れる」である」と。それでは、このトピックを立てられた意味がなくなるのではないですか?

 tobirisuさんがこのトピックを立てられたのは、トピックの頭にお書きになった、
>フツーに考えると「知れる」でしょうが、これは別の意味になってしまいます。
これが前提になっていたのではないのですか?辞書は信用できないからこのトピックを立てられたのではないのですか?辞書に書いていない言語学的な助言を色々な人から聞こうとなさってこのトピックをお立てになったのではないのですか?


 20で、私は、「知る」が可能の意味を表わす形をもっていない可能性について書きました。可能の意味を表わす形をもたない動詞は沢山あります。どうして「知る」をその仲間に入れてはいけないとお考えになるのでしょうか?
 また、「分かる」を「知る」の可能の意味を表わす形にしてはいけないとお考えになる理由は何なのでしょうか?
 また、18でお書きになっていることを再掲しますが、
>「知られる」は「知る」の本来の可能形。現代では「受身」として使われることが圧倒的に多い気がする。
 「本来の」というのはどういう意味でお使いなのですか?
>「知れる」は「知る」の一般的な可能形。ただし、実際にはほとんど使われない(下一段動詞の「知れる」とまぎらわしいせい?)。
 「一般的」だが「使われない」というのはどういう意味でお使いなのですか?
 このように、tobirisuさんの具体的なお考えやご自分の質問に対する答えの要求水準は、具体的にお書きにならない限りは、私を含むコミュの皆さんには分からないと思われますし、このトピでの議論も進展のしようがないように思われます。
(続く)
(承前)
>「16」の段階でよくわからなかったので、自分なりに書きかえました。それが「私の主張とは大いに異なります」となると……。

 私は16で、tobirisuさんは
>3)面倒な言語学の話は聞きたくない
という仮定をおきました。言語学の話をしないならば、以下のような納得の仕方もできる、という書き方をしました。したがって言語学の話はしていません。私が書いたのは、「なぜ「知る」は奇妙なふるまいを見せるのか?」という質問に対して、
○よく使われる動詞には奇妙なふるまいを見せるものが多い。「知る」もよく使われる動詞である。したがって「知る」は奇妙なふるまいを見せる可能性がある。
と言ったにすぎません。これは、例えば、「なぜ太郎は賢いのか?」という質問に対して、
○男性には賢い人もいる。太郎は男性である。したがって太郎は賢い可能性がある。
と答えたにすぎないのと同様です。本来なら説明すべき、「知る」という動詞や「太郎」という個人について何も説明していません。まして、「知る」のシテイル形や「太郎」の賢さについて、具体的なことは何も言っていないのです。
 私が3)の仮定をおいたのはtobirisuさんがお求めの答えがどういうものか分からなかったからです。詐欺を働こうとしたのではなく、3)のもとで言語学的な話をせずに納得なさる方・納得なさる場合もあるだろうと思って書きました。
 それを、
>言葉の問題に関しては、理論的に割り切れないことが多々ある。
と「理論」という言葉を使われて言語学の問題として一般化されたのでは、心理学において「人間のことはよく分からないことがある」と言うのと同じで、学問・研究を否定することになります。そんな一般論に落ち着くのなら、すべての学問・研究は無価値です。
 繰り返しますが、私は理論的なことなど一切語っていません。本来は、心理学では、「人間の賢さ」や「太郎個人の性質」を問わなければならないのと同じように、言語学では、「知る」の性質やシテイル形の意味とは何か可能とは何かを問わなければならないと思います。それが16の、
>お)この先に「なぜ」を求められるとすれば、3)を破棄して、これら特殊な語彙の意味論にすすみ、そこから形態統語論に進む必要性があります。「知る」が奇妙なふるまいを見せる背後には、「知る」固有の意味の特殊性があるはずであり、それを明らかにすることが究極的な説明になります。
です。
 tobirisuさんは言語学的に「知る」の奇妙なふるまいをお知りになりたいのですか?16の3)の仮定は破棄してよろしいのでしょうか?
 同様に、16で私が書いたように、
>先行研究も最新の研究成果も提供する用意はありますが、トピ主さんはそこまでの事はお求めでしょうか。
という問いをここでもう一度繰り返します。
 tobirisuさんは言語学的な先行研究や言語学的な知見をお求めなのでしょうか?それとも違うしかたでの答え方をお求めなのでしょうか?


 「議論が平行線だ」というのは便利な言葉ですが、それは、議論を尽くして互いの異なった前提が明らかになって初めて使うのが許される言葉だと思います。
 私に論理の欠陥があるからtobirisuさんがお分かりにならないのか、私の説明が下手だからお分かりにならないのか、私の前提がtobirisuさんと異なるからお分かりにならないのか、現状ではそれさえ明らかになっていません。
 また「知識が足りない」と仰るのであれば、どこを理解するのが困難だから知識が足りないと思われたのかを具体的にお書きにならなければ、コミュのどなたも、tobirisuさんが持ってらっしゃらない知識を具体的に供給することは困難なように思われます。
 どこがどうお分かりにならないのか、どこを理解するのに知識が足りないと思われたのか、すべてを具体的にご指摘いただければ幸いです。
本コメントはただの交通整理で、私は何の意見も見解も表しません。

>26

余計なお世話になるやも知れませんが・・・
当方の印象だと、知識不足によるものではなく、[16]読解時に注意力がそがれてすれ違った感があります。

--[18]----------------------------------
「知る」のようにきわめて使用頻度の高い基本語句は、特殊な性質をもつことがある。「知っている」の否定形が「知っていない」にならないのは、そういう特殊な性質のひとつと考えるべき。
---------------------------------------
まず、この部分は[16]を言い換えたと言えます。実際、[19]の引用部分に含まれていません。[19]では全否定されているのではなく、[19]で引用された箇所のみの部分否定と考えるべきです。
「大いに異なる」と指摘しているのは「文法的には「知っていない」だけど、実際にはほとんど使われない、って言うほうが正確かな。」です。これは[16]のあ)〜お)のどこにも記されていません。要約の感想だとしても的外れです。外野の毒電波と混同した感想になっているのではないでしょうか。


--[18]----------------------------------
言葉の問題に関しては、理論的に割り切れないことが多々ある。
---------------------------------------
上記引用にも毒電波の感想と思われる要素が混ざっているので[16]の立場としては反対を表明せざるを得ません。論理的に分類(あ〜え)し、その背後にどのような理論の想定が可能か(お)を準備しているとコメントしている[16]のに、この応答はアンマリです。

さて、[16]で宣言されているように、(あ〜え)の裏に潜む理論(解説)に意味論が登場します。
ポイントは二つ。一つは「知る」の意味、もう一つは可能の意味です。真面目に体系的(理論的?)に取り組むなら、「知る」と「可能」の組み合わせ数だけ考察する必要があるんでないのか?というのが[19]以降の内容でしょう(かなり意訳してます)。
このように要約すると、[21]でcを基本戦略に据えて臨むのが望ましいだろうコメントするkillhiguchiさんのコメントが理解できるのではないでしょうか?[19]以降は[16お)]の「面倒な言語学の話」という位置づけです。

さいごに、[16]冒頭の言葉に戻ります。
--[16]----------------------------------
1)「知る」という語彙の振る舞いについて不思議な点があるという事実の説明を求め
2)有害な情報を避けつつ
3)面倒な言語学の話は聞きたくない
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現象の裏に潜む「なぜ」を考察する部分は[21c]のスタンスで臨む必要があり、その話は非常に思考テストが複雑で面倒であるからトピ主の意に反するのではないか、という立場で(あ〜え)で足りないとすれはどこに納得できないのかを求めたのが[16]の最後の問いかけ部分です。

 1)「知る」に可能形がなければならない理由
 2)「知られる」では駄目な理由
 3)「知れる」でダメという理由
 4)スルの可能形がデキルであるように、「知る」の可能形も「分かる」であると考える問題点

本トピの議論を上記の問いから仕切りなおしするのがいい気もする反面、この問いに答えるのは非常にメンドクサイ気もします。
1)は「知る」の可能の意を表したい場合とはどんな時か、です。一つではなく複数挙げた方がいいでしょう。いつ「知る」の可能の意が求められるかを考えた結果、「あまり使われない(場面が浮かばない)」ということはあるかもしれません。
2)3)4)は「知る」の可能の意を表し得る形式で、1)の場面で2)、3)または4)では足りないということを述べる必要があります。
>29OMIさん

 交通整理ありがとうございます。私はOMIさんの要約に異存はありません。
 (お口が少々悪い点を除いては。ただし、このことは私がOMIさんより口が悪くないことは意味しません。)
>29 OMIさん

>まず、この部分は[16]を言い換えたと言えます。実際、[19]の引用部分に含まれていません。[19]では全否定されているのではなく、[19]で引用された箇所のみの部分否定と考えるべきです。

 そういうふうに読むものなんですね。ありがとうございます。
 コメントをくださったkillhiguchiさんにはお詫び申し上げます。

>本トピの議論を上記の問いから仕切りなおしするのがいい気もする反面、この問いに答えるのは非常にメンドクサイ気もします。
 申し訳ないとは思いながら、当方もそう思います。
「メンドウクサイ」とはちょっと違いますが、この問いに答えるには非常に手間がかかります。そのうえ、いくら手間をかけても意見が食い違う可能性が高いと思います。
 そういうのを「メンドウクサイ」と言うということなら甘んじます。
 せっかく「交通整理」をかって出てくださったのに申し訳ございませんが、やはり当方の読解力ではこれ以上のやり取りは無理だと痛感します。
>30tobirisuさん

 「メンドウ」にならないために、色々布石を置いてきたつもりでしたが。
 せめて27.28の問いにはおお答いただけませんか?これは今後のトピックの運営にも関係することだと思います。最低限これだけでもお願いします。まだトピックをお続けになるのであれば。そうでなければ「メンドウ」になるかどうかさえ、少なくとも私には、分からないのですから。


 「いくら手間をかけても意見が食い違う可能性」というのをどこから導かれたのかは分かりませんが、
1)「事実認定に対する食い違い」は、トピックの特性である大勢の参加、ということでかなり緩和できると思います。議論の経緯によっては、事実認定の基準のようなものが、トピック内で生まれるかもしれません。
2)「事実から論理展開をする食い違い」も、集団で見張ることで、防御できます。親切な人たちが、論理的な間違いを正してくれるでしょう。
3)「複数の論理展開の可能性があった場合にどれを選ぶかという際の食い違い」は、個人の自由なので、仕方ないと思います。
 まだ1)にさえ至っていないのに、議論を投げようとなさる理由が私には分かりません。
否定とは話者が対峙する対象である事態、事実が想像と異なることの表現です。

それは、否定の助動詞「ない」で表現されます。したがって動詞の形式の問題ではありません。

形式的には、否定の助動詞が続く場合は動詞は連用形になり、形容詞は未然形になります。動詞「知る」の否定形が「知らない」なのではなく、「それは知らない。」という「動詞+助動詞」の否定表現の一部の句を形式的に取り出したに過ぎません。

動詞「知る」の否定形が「知らない」なのではなく、「知らない」は表現された句であり、語とその表現である句のレベル、内容と形式を混同した誤りです。

「知っている」というのは、「知る」という結果の継続の表現で、一度知ったが現在は知らない場合は「忘れる」という動詞を使用し、その状態が継続している場合は「忘れている」と表現します。

このように、単語の意義・形式とそれによる話者の認識の表現である句や文とのレベルを混同した疑問ということです。

「知る」の可能形は可能の助動詞(正しくは接尾語)「れる」を付加し「知れる」になりますが、下記の△猟未衄歡蠏舛罵僂い襪里普通で、この場合との混同を避けるため肯定的に表現する場合は「知ることができる」と具体的に表現します。

しれる【知れる】

( 動ラ下一 ) [文] ラ下二 し・る
/佑房然と知られる。 「少しは名の−・れた会社」 「お里が−・れる」
◆並燭打ち消しの形で用いる)話し手にそのことがわかる。 「あいつの気が−・れない」 「えたいの−・れないやつ」 「底−・れぬ力を持った人」
(「しれている」の形で)はじめからその範囲がだいたいわかっている。たいしたことはない。 「行き先はだいたい−・れている」 「たかが−・れている」
ぁ福屬匹鵑覆法弔しれない」の形で)非常に…するであろう、という予測や、非常に…したという気持ちを表す。 「どんなに喜ぶか−・れない」 「どんなに迷惑したか−・れない」
ッ里蕕擦襦 「己おのが辺りを人に−・れつつ/万葉集 1446」 → かもしれない【大辞林 】


「分かる」「判る」も「分かれる」「判れる」では「別れる」と混同するため、具体的に「分ることが出来る」「判ることが出来る」、又は「理解できる」と表現します。

このように、ソシュールの云うラング(語)と話者の認識の表現であるパロールの区分と相違を正しく理解する必要があります。■
すいません、否定の場合の活用形は動詞が未然形で、形容詞が連用形の誤りです。

現在の学校文法、日本語文法では否定の助動詞「ない」を動詞の場合にしか認めず、形容詞の場合は補助形容詞だなどと誤った、形式主義的な解釈をしています。この一因に、活用での接続の相違があるのかもしれません。

活用とは語と語の繋がりで起きる形式の変化で、意味自体が変化するわけではありませんが、意味の変化を表わす屈折と混同しているところにも原因があるかもしれません。

しかし、このような形式主義、機能主義的な見方が今回のような誤った捉え方を導いた根底にあると考えます。■
「知らない」は一語ではなく、「知る」の未然形「知ら」+否定の助動詞「ない」ですが、これが敬語表現になった場合は「知りません」になります。この場合、「知る」の連用形「知り」+判断の助動詞の丁寧形「ます」の未然形「ませ」+否定の助動詞「ぬ」の終止形になります。つまり、話者は想像の世界で「知る」を肯定判断したのち、現実の世界に戻り「ぬ」と否定しています。

このことから、認識過程から見ると「知らない」は「知ら■ない」と想像の世界での判断が判断としては存在しながら表現としては零記号として省略されていることが理解できます。

これは形容詞の場合も「長くない」は「長い」+「ない」ですが、「長か(くあ)らず」と「長い」に否定判断が密着するのではなく、「あらず」と肯定判断+否定判断の構成になっており、肯定判断を言語形式で表現する場合としない場合があることが判ります。学校文法では、これを形式的に捉え<カリ活用>だと判断辞を形容詞の活用形にしてしまう誤った解釈をしています。この場合、「長から」を一語と解釈していることになります。

本トピの発想も、このような「知らない」を形式的に一語と捉える発想から生まれたもので、規範としての語彙と話者の認識の表現としての句を混同したものということになります。■

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