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山陽本線沿線観光コミュの其中庵

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 其中庵(ゴチュウアン)は、自由律俳人の種田山頭火(タネダサントウカ;1882〜1940)が昭和7(1932)年から昭和13(1938)年にかけて過ごした庵でした。
 山頭火は、明治15(1882)年12月3日に山口県佐波郡西佐波令(ニシサバレイ)村(現;防府市)の大地主種田竹治郎の長男として生まれました。本名は正一(ショウイチ)です。
 正一が10歳になった明治25(1892)年、母フサ(33歳)が父竹治郎の芸者遊び等を苦にして、自宅の井戸で投身自殺する事件があり、以後、正一は精神に変調を生じ始めた様です。
 明治29(1896)年に高等小学校卒業後、三年制中学の私立周陽学舎へ入学、翌年頃から俳句を本格的に始めます。明治32(1889)年に周陽学舎を首席で卒業して県立山口尋常中学の四年級へ編入、明治34(1901)年に東京専門学校高等予科へ入学して、明治35(1902)年には早稲田大学大学部文学科へ入学を果たします。
 しかし、明治37(1904)年2月に神経衰弱のため早稲田大学退学を余儀無くされ、同年7月に防府の実家へ帰郷しました。
 明治39(1906)年に父竹治郎が吉敷(ヨシキ)郡大道(ダイドウ)村(現;防府市)が酒造場を買収したため、一家で移り住みますが、明治41(1908)年に父は事業に失敗し、防府に残っていた家屋敷を全て売却しています。
 明治42(1909)年、27歳になった正一は、佐波郡和田村の佐藤光之輔の長女サキノと結婚、翌年には長男健が生まれます。
 明治44(1911)年に防府の郷土文芸誌『青年』が創刊されたため、そこへ田螺公(タニシコウ)の名で定形俳句を、「山頭火」の名で外国文学の翻訳等を発表し始めます。
 大正2(1913)年には荻原井泉水(オギワラセイセンスイ;1884〜1976)が主宰する『層雲』3月号にて初めて投稿句が掲載されますが、同年5月号からは俳号も山頭火に統一しています。『層雲』では翌年から自由律が始まるため、井泉水を師と仰ぐ山頭火もそちらへ傾倒して行きます。
 大正5(1916)年4月、父の酒造場が破産し、父が行方不明になってしまいます。山頭火は『層雲』で頭角を現して俳句選者の一人となっていましたが、友人を頼って妻子と熊本市へ移住、古書店「雅楽多書房」を開業しますが失敗、間もなく額縁店「雅楽多」として再出発しますが、その経営は妻サキノに任せがちになり、弟の二郎の自殺もあって山頭火は酒浸りの生活を送るようになります。
 大正8(1919)年、37歳の山頭火は妻子を見捨てて単身上京、大正9(1920)年にサキノと離婚しますが、大正12(1923)年に関東大震災に遭遇すると熊本のサキノの下へ逃げ帰り、泥酔して路面電車を止めたるなどの醜態を晒します。
 その結果、熊本市内の曹洞宗報恩禅寺に預けられて寺男となり、大正14(1925)年に42歳で 得度し、「耕畝」と名乗って味取観音堂の堂守となりましたが、大正15(1926)年には寺を出て、雲水姿で西日本を中心に旅し句作を行い、旅先から『層雲』に投稿を続けました。
 昭和7(1932)年になって郷里に近い山口県小郡町にこの其中庵を結庵しました。
 其中庵の名は『法華経』の中の普門品(フモンボン)にある「其中一人作是証言(ゴチュウイチニンサクゼショウゲン)」から取られています。其中庵へは友人の近木黎々火(チカキレイレイカ)等が頻繁に訪れ、最も充実した文学生活を送った時期でしたが、山頭火は体調不良から来る精神不安定から自殺未遂も起こしています。
 昭和11(1936)年から再び雲水姿で旅に出、主に東日本を巡りましたが、また其中庵へ戻っています。
 昭和13(1938)年10月に其中庵が老朽化して来たため、山口市湯田温泉街に「風来居」を結庵して移住しましたが、翌年には愛媛県松山市に移住して「一草庵」を結庵、昭和15(1940)年10月11日に脳溢血のため一草庵で生涯を閉じました。享年58。
 山頭火の死後、其中庵は取り壊されましたが、近木黎々火による見取り図を元に平成4(1992)年に復元が行われ、無料開放が行われています。

 新山口駅の西北800m。
 https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92754-0002+%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%B8%82%E5%B0%8F%E9%83%A1%E4%B8%8B%E9%83%B7%E7%9F%A2%E8%B6%B3%EF%BC%91%EF%BC%98%EF%BC%91%EF%BC%91+%E5%85%B6%E4%B8%AD%E5%BA%B5/@34.0976001,131.3854862,17z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x354484c3b9fd1c15:0x4e7ae951eed21aef!8m2!3d34.0976001!4d131.3876749

コメント(5)

 何かの工事が行われようとしていました。
左;小郡桜〔山口市指定天然記念物〕
中・右;休息所前の句碑「母よ うどんそなへて わたくしもいただきます」
左;句碑「この柿の木が 庵らしくする あるじとして」
中;遠景
右;乙女椿

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