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生活保護者の集いコミュのカネがまったくなくて死にたくなる気持ちが、カネには適度に困るような人にはわからない

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https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20200502-00176437/

田中俊英 | 一般社団法人officeドーナツトーク代表
5/2(土) 9:18

■おカネがないことの暗黒さ

新型コロナウィルス対策として、どうやら緊急事態宣言が1ヶ月ほど延長されるようだ。

それに伴って心配されるのが、自殺の増加だ。

自殺数と社会の経済状況とは明確な相関性があり、深刻な経済状況が長引くと自殺数が増える。98年の山一證券倒産前後の金融危機後、自殺数が一気に2万人から3万人になりそれが10年以上続いたことは誰もが知っている(経済不況で自殺が増加する:コロナウィルス経済対策の重要性)。

今回の新型コロナ対策のなかでの経済停止に伴い、4月からすでに影響(非正規雇用者の大量離職等)が出ていることはメディアでは日々報じられている。

そして、今回の緊急事態宣言延長により、この「お金が入ってこない」状況がさらに深刻化することで、中小・零細企業経営者や非正規雇用労働者を中心として、また1万人ほどの人が(ここ数年続いてきた2万人に上積みされて)自殺していくだろう。

僕は、テレビのニュースや政府の金銭保障の動向などを見ていて、その切迫感の薄さに衝撃を受ける。

確かに、「1万人増える」とか「3万人の大台に戻る」とか、数字だけ羅列されてもピンと来ないのかなあ、とは思う。

だがそれ以前に、テレビに出てくる政治家や官僚、そしてメディアや大学教授や医師といったスーパーエリートたちには、

〈おカネがないことの暗黒さ〉

が想像できないんだと、僕は考え込む。

■「他人事」感

自殺と言えば、文学や映画に出てくる自我の苦しみ・揺れのような観念的なものを想像する人が多いだろう。いわゆる「人間失格」的な「或阿呆の一生 」的な「バナナフィッシュにうってつけの日」的な、アイデンティティとイノセンスと汚れた社会の間で苦悩する近代人の孤独のようなもの。

もちろんそんな自殺も10代を中心に多いのだろうが、金銭的経済的苦境から自殺する人も多い。経済的苦境と「鬱」問題が絡み、中高年を中心に自殺している、というのが日本の現実だ(自殺の状況をめぐる分析 厚生労働省)。

それが、ゼロ年代を中心とした10年以上に渡って、自殺数3万人台が続いた。最近は2万人に戻ったのだが(それでも多い)、今回の新型コロナ「緊急事態」が引き起こした深刻な経済停滞により、再び3万人台に戻ると僕は読んでいる。

だが、政治や行政、メディアからは、この自殺者急増に対する焦りのようなものが感じられない。それなりにがんばっているのだろうが、「緊急事態」の捉え方や目標、金銭補償の時期、それらを背景とする人々の不安、などの行為や捉え方に、なんというか「他人事」感がしてたまらない。

ましてや、「9月入学」や「アフターコロナ」の経済対策などの議論に接すると、「本当にこれから1万人が自殺する可能性」を想像しているか? と絶望的な気分になる。

■カネという光は泡のような存在

その「他人事」感の理由はただひとつ、まさに「他人事」だから、だと思う。

官僚や政治家やメディア人になる人々はエリートであり、そのほとんどが、そうしたエリート教育を生まれながらに受ける資格をもった「おカネもち」のお家出身である。

「連鎖」はなにも貧困層だけの特権ではなく、富裕層もしっかりその恩恵を連鎖させている。

そうした人々には、「おカネがなくて自殺する人」のことは、余程でないと想像できない、というのが僕の身も蓋もない結論だ。

たとえば、最初にあげた文学作品とは別に、あのドストエフスキーが書いた『罪と罰』のラスコーリニコフの物語冒頭の切迫感などは、そうした「持っている人々」にはとても想像できないだろう。

『罪と罰』は自殺ではなく殺人の話だが、おカネに困った主人公が追い込まれていく過程がドストエフスキーによって書き込まれている。

経済的困窮と欝で自殺していく日本の中高年は、ラスコーリニコフのような濃密な言葉は持たないだろうが、おカネがないことによる独特な追い詰められ感は同じだと思う。

おカネがなくなると、暗黒になる。その暗黒さは思春期の絶望とは少し違い、「希望」から程遠い。

思春期の暗黒も暗いのではあるが、どこかに抽象的な光が射すのを願っている。いま自分は完ぺきな孤独で絶望状態にいるのだが、何かのきっかけで光が射してくれるかもしれない。

その光を探して自分は街を彷徨おう(『ライ麦畑でつかまえて』J.D.サリンジャー)。

おカネのない暗黒は、もはや希望(光)がない暗黒だ。あるいは、光は「カネ」というまったく具現的でリアルな唯一の存在しか当てはまらない。

その光(カネ)は、目の前に現れた瞬間心と懐と近い将来をわずかに満たすが(来月の支払いのメドが立つ等)、希望の光ようなまったく別の人生の可能性にまで照らすことはない。

カネという光は、今日のパンを買える、たまった家賃を払える、たまった従業員への給与を払える、すこぶる現前的で、希望的空想を抱く前にあっという間に消えていく泡のような存在だ。

■自殺者を少しでも出さないために、4月とは違う対策を

おカネに余裕がある人でも、住宅や教育費等で時々困る時はもちろんあるだろう。

だが、おカネがないことによる「暗黒」の暗さは想像ができない。そうした状態に突入する人の気持ちに共感できない。『罪と罰」を書斎で読み、そのラスコーリニコフの言葉にはうたれるものがあるかもしれないが、それは文芸評論で読む哲学的なレベルの問題であり、あの主人公が内面すべてにおいて突き上げられている切迫感にまで想像が及ばない。

日本では、その切迫感は鬱を呼び込み、自死となって行動化される。

焦り、無力、孤独、暗さ。それら一群の感情が一つの束となり当事者を閉じ込め、そこに鬱という暗い気分の停滞が襲う。

このように、カネがまったくなくて死にたくなる気持ちが、カネにはローン等で適度に困るような人にはわからないのだが、新型コロナ対策を受け、そうした人々がたくさん出現するだろう。

自殺が多い月は3月と5月(上引用「コロナウィルス経済対策の重要性」参照)だが、ちょうどその5月がいまやってきている。

新型コロナの患者数が漸減から減少に転じようとしているいま(新型コロナウイルス国内感染の状況)、自殺者を少しでも出さないために、4月とは違う対策が打ち出されることを切に願います(感染者が著しく低い県の「解除」、より早急な金銭補助等)。

田中俊英
一般社団法人officeドーナツトーク代表
子ども若者支援NPO法人代表(淡路プラッツ02〜12年)のあと、2013年より一般社団法人officeドーナツトーク代表。子ども若者問題(不登校・ニート・ひきこもり・貧困問題等)の支援を行なう。03年、大阪大学大学院「臨床哲学」を修了。主な著書に、『ひきこもりから家族を考える』(岩波ブックレット)ほか。内閣府・広島県・川西市・大阪市ほかで子ども若者支援専門委員。officeドーナツトークは、平成29年度 内閣府「子供と家族・若者応援団表彰、内閣特命担当大臣表彰」受賞。

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