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生活保護者の集いコミュのドラマ『ケンカツ』が炙り出す生活保護とケースワーカーのリアル

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https://diamond.jp/articles/-/175225

生活保護の「今」を凝縮した冒頭8分
ドラマ『ケンカツ』で思ったこと
 本記事公開の3日前にあたる2018年7月17日、フジテレビ系のドラマ『健康で文化的な最低限度の生活』(通称『ケンカツ』)が放送開始された。ドラマの原作は、柏木ハルコ氏が『ビッグコミック・スピリッツ』で連載中の同タイトルの漫画作品である。舞台は大都市圏の「東区」の生活課、いわゆる福祉事務所だ。

 主人公は、大学を卒業して入庁したばかりの新人ケースワーカー・義経えみる(出演は吉岡里帆)。映画監督になりたいという夢が挫折し、公務員になった。えみるは入庁式の最中、自分の人生を「結局、求めたものは安定。22歳で、人生エンディングマーク」と回想しながらボンヤリとしており、辞令交付のために自分の名前が呼ばれていることに気づかない。

 えみるは、生活保護について何も知らない。配属先が生活保護の部署と聞いて「大変なんですか?」と同期たちに尋ねるほどだ。同じ生活課に配属された5名の同期たちのうち3名は、生活保護で暮らす人々について口々に「働けるのに働かずにお金をもらっている人たち」「不正受給もあるし」「タチ悪い」と語る。しかし1名は「そんな人ばかりじゃないよ」と釘を刺す。

 新人5名が生活課に到着すると、係長の京極(田中圭)がまず、「国民の血税」が原資である保護費を扱う責任の重大さを強調する。また、必要だという人全員に保護費を出していたらお金がいくらあっても足りないこと、「本当に困っている人」のための生活保護であること、働けるなら働くことを求めることや、扶養義務者に扶養を求めることの重要さを語る。

 続いて、えみるの指導係となる先輩ケースワーカー・半田(井浦新)が新人たちを席へと案内しながら、生活保護制度は憲法25条に定められた「健康で文化的な最低限度の生活」を前提としていること、すなわち、生活保護は「国民にとっての最後の砦」であることを、肩肘張らない調子で語る。

えみるの担当は、110ケース。生活保護世帯110世帯ということなのだが、この設定は妙にリアルだ。規定では都市部で90ケース(地方は65ケース)だが、この定数が実際に守られている自治体は少ない。110ケースは、対人援助としてのケースワークがギリギリで成り立つラインだろう。

 その間にも、面談カウンターにはアパートの家主がやってきて、「お宅で生活保護をもらっている人が家賃払わずに失踪した」とぼやく。間仕切りの向こうには、「私は、平川さんに元気になってほしいんですよ。働いたら元気になるかもしれないじゃないですか」と就労指導を行うケースワーカーの声が聞こえ、姿が見える。若い男性・平川は、うつむいたままだ(平川はこの後も後ろ姿と声だけの登場で、キャストは公表されていない)。

 えみるは半田に指示され、110ケースそれぞれに用意されたケースファイル(記録)を読み始める。そこには「覚せい剤取締法違反」「逮捕」「虐待」「暴力」「自傷」「PTSD」といった語句が並ぶ。えみるの22年間の人生、昨日までの日常には現れたことがなかった語句だ。

 私は唸ってしまった。冒頭からここまでのたった8分間に、生活保護の「いま」、そして「いままで」が凝縮されている。「つかみはOK」どころではない。

日本の世論が投影された
新人公務員たちの姿
 ドラマ『ケンカツ』の冒頭から8分間で描かれている新人公務員たちの意識は、まだ一般市民と公務員の間を漂っている。生活保護で暮らす人々に対するイメージは、一般市民が抱いているものと同じ“劣等市民“観に近い。「そんな人ばかりじゃない」という声もあるが、多勢に無勢だ。新人公務員たちは、世論のバランスまで含めて、現在の日本社会を表現している。

 アパートの家主は、生活保護で暮らす困った人に困らされている市民であり、おそらく“血税”も払っているだろう。就労指導されている平川は、就労意欲が薄く、働けるのに働かない人物であるように見えなくもない。少なくとも表層的には、生活保護で暮らす人々と血税を払っている国民の対比が描かれている。

しかし、この対比は「対立」とまでは言えない。アパートの家主は、生活保護費の家賃補助という形で、間接的に生活保護制度を利用している。もしかすると平川は、そのアパートの別の一室に住んでいるのかもしれない。現実として、また制度の設計として、生活保護は直接の制度利用者以外にも多くの人々の生活を支えている。生活保護に対してどのような偏見を持っていようが、日本に暮らす私たちすべては、現実として生活保護制度という基盤の上に生きている。生活保護で暮らす人々とそうではない人々は、共生している。これは“既成事実”だ。

福祉事務所の使命は生活保障か
それとも自立支援なのか
 えみるが配属された生活課では、係長の京極が就労支援や家族扶養によって生活保護の利用を抑制する「適正化」に軸足を置く。その一方で先輩ケースワーカーの半田は、保護費と人的援助によって生命と生活を守る側面に軸足を置いている。しかし、対立しているわけではない。京極と半田のミッションは、協力して東区の生活保護制度を運用することだ。

 生活保障か、それとも自立支援か。「自立支援イコール就労支援」で良いのか。これらの議論や対立は、終戦直後、1950年に生活保護法(新法)が成立して施行されるまでの厚生省(当時)内部にもあった。また1950年以後は、生活保障を最優先したい厚生省(当時)と「適正化」の名の下で生活保護費を抑制させたい大蔵省(当時)の間にもあった。

 対立の末、1954年、厚生省は生活保障を最優先する方針から「適正化」名目での生活保護の利用抑制への方針転換を余儀なくされた。もちろん、その時、生活保障を断念したわけではない。

 厚労省と財務省の議論・対立・交渉は、2018年現在も水面下で続いている。生活保護を実施している地方自治体と政府の間でも、各地方自治体の間でも、1つの福祉事務所の中でも、1生活保護世帯をめぐる福祉事務所内での議論においても、現在進行中の問題だ。おそらく、社会福祉や社会保障の永遠の課題の1つだろう。

 いずれにしても、生活保護で暮らす世帯や個人には、その世帯やその個人の過去の歩みがあり、現在がある。現金・現物による援助、および対人援助が必要なので、その人々は生活保護を必要としており、利用している。政治状況がどうであっても、昨日があって今日があり、今日があるから明日があることは変わらない。

 ドラマ『ケンカツ』第1話冒頭の8分間に描かれているのは、この歴史と背景、そして現状そのものではないか。ドラマ制作陣には、そこまでの意図はなかったのかもしれない。しかし、結果として生活保護の約70年間と現在が凝縮されている。私はそう感じ、唸ってしまった。

 第1回では、約1時間のドラマ本体の中で、駆け出しケースワーカー・えみるの最初の数日間が描かれている。生活保護で暮らす人々の日常も、ケースワーカー業務も、平凡ながらドラマに満ち溢れている。人間の暮らし、人間が生きるということは本来そういうものだということを、「生活保護」という切り口から、繰り返し示される気がする。

 なお、東区役所内では、生活保護「受給者」という用語は使われておらず、生活保護「利用者」だ。小田原市は2017年、どうしても「上から目線」「ありがたく恵んでやる」というニュアンスが漂う「受給者」という用語を撤廃し、「利用者」に切り替えた。法的には「被保護者」であり、役所用語ではいまだ「受給者」が一般的だが、ドラマ『ケンカツ』によって、「生活保護利用者」という用語が普及することに期待したい。

『ケンカツ』は、ドラマとしても、非常に完成度が高いと感じる。速すぎず遅すぎない絶妙なテンポ感。福祉事務所という一般には馴染みのない場が舞台であるがゆえに解説的なセリフやシーンも多く、「ちょっとくどいかな」と感じる部分もあるけれども、視聴を止める気にはならないだろう。個々のセリフやシーンには「ちょっと、これはナニ?」「それって、アリ?」と感じる部分も若干はあるが、第2話以後の伏線かもしれない。いずれにしても、展開が楽しみだ。

地方ケースワーカーの実態は?
ドラマが描き切れない「リアル」
 実際に生活保護で暮らしている人々は、この『ケンカツ』第1回を見て、どのように感じただろうか。

 地方の県庁所在地で娘と暮らしているシングルマザー・ミサトさん(40代)は、えみるが担当する生活保護利用者の1人が自死するエピソードに、衝撃を受けたという。

 えみるは、ショックを隠せない。そこに、先輩ケースワーカーが「国民の血税から出ている月13万円の保護費が減った」「ケースが1人減った」と声をかける。「良かったじゃない?」というニュアンスだ。

「自死した方がいることに対して、『担当が1人減って良かった』というケースワーカーには、衝撃を受けましたね。こんな風に考えているケースワーカーが、もしも1人でも本当にいるとしたら、恐ろしいと思いました」(ミサトさん)

 残念ながら、現在も日本のあちこちに、1人とはいわず実在するだろう。1993年、「公的扶助研究会全国連絡会」の機関紙に、生活保護利用者への差別意識に満ちた川柳が掲載されていることが問題となった。問題になった川柳の1つは、「ケースの死 笑い飛ばして 後始末」というものだ。そのケースワーカーが「笑い飛ばした」のは、もしかすると自分自身のやり切れなさや無力感かもしれないが、多数の差別的川柳の1つであることを考えると、「死んだ人自身や死んだことを笑い飛ばしている」という解釈を捨てるわけにはいかない。

 その後、「公的扶助研究会全国連絡会」は「公的扶助研究会」として再スタートし、現在は同様の差別を許さない組織となっている。しかし、このような研究会に参加しないケースワーカーの方が、圧倒的に多いのだ。

親身になってくれる人ほど
あっという間に異動してしまう
 またミサトさんは、自分の担当となったケースワーカーたちを思い浮かべて、違和感を隠せない。

「えみるのように、受給者の心に寄り添おうとするケースワーカーは、実際、何人いるのでしょうか? 現実との大きなギャップを感じました。私を担当したケースワーカーのほとんどは事務的で、1人を除いて親身になる方々ではなかったです。親身になって下さった1人は、1年で異動になってしまいました」(ミサトさん)

 地方の小さな自治体で障害を持つ夫と共に暮らすアキコさん(40代)は、自分の暮らす地域と「東区」の違いに、まず違和感を覚えたという。

 アキコさんの暮らす町の生活保護世帯数は、300世帯にも達しない。現在、ケースワーカーは3人おり、規定数を1人下回っている。アキコさんにとって大きな問題は、3人のケースワーカーが全員男性であることだ。

「ドラマみたいに、女性のケースワーカーがいたらいいのに。攻撃的なものの言い方をしないケースワーカーがいたらいいのに。手厚く寄り添ってケースワークしてくれる人がいればいいのに」(アキコさん)


少なくともドラマ『ケンカツ』には、利用者に対して高圧的だったり暴力的だったりするケースワーカーは登場しない。そして、えみるは優しさゆえに寄り添い過ぎて潰れてしまうのではないかと、上司や先輩たちに心配されている。アキコさんは、ドラマと自分の地域との共通点は「制度が申請主義であることだけ」という。また、定食屋の店員が語る「生活保護だからお酒を飲んだらダメ」というセリフや、「国民の税金で生活保護が賄われている」という京極のセリフには、「なんか違う!」と心の中でツッコミを入れたかったそうだ。

ドラマ『カンカツ』は
世論に変化を起こせるか
 しかしアキコさんは、柏木ハルコ氏の原作コミックの大ファンだ。そして、ドラマにも期待している。

「ディープなケースが多いですから、ドラマが原作にどこまで近づけるのか……。製作者の力量を見てみたい気がします。10月から生活保護費は削減される予定で、強い憤りを抱いている今日この頃ですから、生活保護が気軽に使えるものになるためにも、ドラマを制作している関西テレビには敬意を表したいです」(アキコさん)


本連載の著者・みわよしこさんの書籍『生活保護リアル』(日本評論社)好評発売中
 ミサトさんも、ドラマの今後に期待する。

「まだ1話だけですから、今後どういう話が出てくるのか気になります。ドラマを通じて、生活保護受給者が1人1人、様々な問題を抱えていることを知って欲しいし、偏見や差別が少しでも減ってくれればいいと思います。そういう願いを込めて、これからも見ていきたいと思っています」(ミサトさん)

 私も、ドラマ制作陣の力量と今後の展開に期待している。さらに、若干の不安とともに、世の中の反応と変化を期待している。

 ドラマ『ケンカツ』こと『健康で文化的な最低限度の生活』(公式サイト)第1話は、7月24日まで関西テレビ「見逃し無料配信」で視聴できる。また、全国のフジテレビ系放送局で、7月21日〜7月24日の期間に再放送される。マンガやドラマに限らず、多様な形で正面から「生活保護」が語られる今後に、大いに期待したい。

(フリーランスライター みわよしこ)

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