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天皇とNationalityを考える。コミュのローマ帝国の滅亡と天皇制(君主制)の廃止

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「ローマ人の物語42巻:ローマ世界の終焉」(通常版では15巻)
を読んだのですが

ローマ帝国の滅亡って何だか日本的というか
天皇制の廃止にも繋がる気がしませんか?

文庫版の196ページから引用しますが

ローマ帝国は、こうして滅亡した。蛮族でも攻めてきて激しい攻防戦でも繰り広げられた末の、壮絶な死ではない。炎上もなければ阿鼻叫喚もなく、ゆえに誰一人、、それに気づいた人もいないうちに消え失せたのである。少年皇帝が退位した後にオドアケルが他の誰かを帝位に就かせたわけでもなかった。ただ単に、誰一人皇帝にならなかった、だけであったのだ。半世紀前の紀元前410年の「ローマ劫略」当時には帝国中であがった声も、476年にはまったくあがらなかった。

それでいて、今日でも世界中の教科書では、紀元前476年を、西ローマ滅亡の年としている。しかし、どの教科書も、また、いかなるローマ史の権威も、滅亡の「年」は紀しても、「月」と「日」は記していない。その理由は簡単で、わからない、からである。想像を働かせたとしても、9月のいつか、が限界だ

燃え尽きはした。だかそれは、火炎によってではなかった。
滅びはした。だが、阿鼻叫喚とともに、ではなかった。
誰一人気づかない内に、滅びたのであった。

タイム・トンネルでもくぐって紀元476年の秋のローマに行き、行き交う人々に、マイクを向けたら、どんな答えが返ってきたであろうかと考えてしまう。ローマ帝国が滅亡しましたが、それについての御感想は、とでも問いながら。
ある人は怪訝な顔で言うかもしれない
「滅亡だって? それはいつのことです」
別の人は笑を浮かべながら答えるかも知れない
「まだ存続してたのですか」

以上ローマ人の物語より引用

最後の皇帝ロムルス・アウグストゥスも殺されず多額の年金を支給されナポリで余生を暮らしたそうですし
ローマ皇帝を廃止したオドアケルも西ローマの統治機構と元老院を受け継いで
その後の蛮族のイタリア支配も圧政を敷いた訳ではありませんでした

むしろイタリアに破滅をもたらしたのは同邦の東ローマのイタリア侵攻だったのは皮肉な話です。
(ローマ人の物語文庫版43巻参照)

コメント(3)

エチオピアには20世紀まで天皇家より古い王朝がありましたが、今はエチオピアに王はいません。そして、今でもエチオピアという国は存在しています。

私個人としては、天皇家は形を変えて存続してきたので、大日本帝国時代に万世一系を代々直系という意味合いに誤読してしまっていることを改善すれば、今後も形を変えて存続して行くことは普通に可能だと考えています。

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