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栃木県の廃線コミュの今も残る鉄道関連物

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廃線・廃駅ではありませんが、こういった物も載せていきたいと思います。

最初は、宇都宮線(東北本線)雀宮駅に残る【鉄道院 跨線橋柱】です。
製作は「株式会社 高田商会柳島製作所」とあります。
なぜ、これだけが今も残っているのかは不思議なところです。


左画像:宇都宮方面ホーム

中画像:東京方面ホーム

右画像:明治四十五年七月製造


鉄道院は、1908年から1920年にかけて存在した日本鉄道を管轄する官庁です。
日本の鉄道を管轄する官庁は1871年設置の工部省鉄道寮(後に鉄道局)が最初です。
1885年に工部省が廃止され内閣直属へ。1890年に鉄道庁となり内務省の外局に。
1892年に逓信省の外局化、その翌年に逓信省鉄道局(内局化)となりました。
1897年に現業部門を外局独立、鉄道作業局(1908年に帝国鉄道庁へ改組)とし、
鉄道局は監督行政のみになるなど、こうした相次ぐ鉄道行政の所管変更や、
監督組織と現業組織の分離による混乱が、鉄道国有化問題をきっかけに問題視され、
1908年12月5日、鉄道局と帝国鉄道庁を統合し内閣鉄道院を設置し内閣直属機関とした。
鉄道路線の増大で行政事務が増加し、1920年に鉄道院は省に昇格しました。
その後も、鉄道省→運輸通信省→運輸省→国土交通省と、管轄官庁変更が行われます。

跨線橋の設置については、鉄道の歴史を見ると分かります。
鉄道院の歴史と、跨線橋製造年を合わせて載せてみますと・・・

1895年(明治28年)7月6日 雀宮駅開業。
1908年(明治41年)12月5日 内閣鉄道院設置。
1912年(明治45年)7月 跨線橋製造。
1913年(大正2年)4月 小山〜宇都宮間複線化。
1920年(大正9年)鉄道院は省に昇格。

つまり、鉄道管轄官庁が鉄道院時代に、東北本線を複線化するにあたり、
雀宮駅のホーム増設を行い、その跨線橋を造った。という事になります。
現在の跨線橋はコンクリートとかですが、当時は木造の跨線橋だったのでしょうか。
しかし、この柱4本だけ残っているというのは、なんとも不思議です。
この部分だけ、明治の雰囲気をかもしだしています。
約一世紀もの間ここに立ち続け、雀宮の住人を見守ってきたんですね。
実はこの柱、今は緑に塗られていますが、以前はピンクに塗られていたようです。

鉄道に力のあった明治時代の遺構、お目にかかれるのもなかなか珍しいです。
ほとんどの人は「なんだろうコレ。」くらいにしか思ってないかもしれませんが。

コメント(4)

日光線鶴田駅に残る鐵道院袴橋です。

雀宮駅のより1年古いようですし、
どうやら袴橋自体も当時の物を使用しているよう。

左画像:改札側

中画像:昭和四十四年 鐵道院

右画像:浦賀「舟公」渠株式會社製造
鶴田駅袴橋のつづきです。

内部構造は、さすがに補修されてますね。
鉄骨の骨組みだけが、当時のままでしょうか。
雀宮駅西口に高校が新設されたり開発が進む関係で、
西口からの利用のため駅舎や跨線橋が新築されました。

以前の跨線橋は取り壊し中です。
その入り口にあった鉄道院の跨線橋柱は、
上下線各ホームの時刻表示板の柱として利用され、
宇都宮方面のホームには説明板も設置されています。

明治の鉄道遺構がなくなっていく中で、
残して頂いて嬉しく思います。

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