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新潮文庫の名短篇を読むコミュの第19回 色川武大「百」

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雀聖・色川武大です。
いまNHKで柳美里が彼について語っています。
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200803/tuesday.html

次回オンエア(3月11日)のタイトルははズバリ「父という名の屈託」です。

コメント(6)

高齢化社会を先取りしたような作品ですね。(もっともそれを言うなら有吉佐和子の『恍惚の人』がありますが)
ただ、そういった社会性を持ちつつ、純然たる私小説、しかも父と子の相克がテーマという古典的な小説の風貌も備えています。
ま、単純に志賀直哉などを思い出してみたりもします。

けれども志賀直哉とちがうには父と子の間には和解訪れません。
そしてこの先もけして訪れないことをこの作品は暗示します。
年を重ねるとともに成熟して父子が分かり合うというある種の成長譚が虚構だと知らしめ、読む人をしばし途方にくれさせます。
発案者です、なかなか書き込めずすみません。
これまでに二度、今回もう一度読みましたが、初読の感動がいちばん大きかったです。圧巻が最後の二行でした。

 私たちはむしろ望んだように立ちあがり、三人連れだって庭に出た。そうして冷たい夜空を眺めた。

「私」は父親に従属すること、兵卒になることがいやなはずです。しかし父親の「熊を探せ」という命令には「むしろ望ん」で従った。これは父親が「脅威」としてではなく、「耄碌した老人」として命令を下したからでしょう。ドラマなどで「人の死は悲しい」と単純に言いますが、この場合の家族は父親の老いを「むしろ望ん」でいる点で、そのようなドラマを否定していると考えられます。

しかし果たして、父親が死んでこの家族は、とくに「私」は喜ぶのでしょうか。
>風車さん

「私」は父親の死を喜ばないでしょうね。
やはりこの父は「私」の強烈な自意識/アイデンティティーの源泉ような気がします。

終わらないエディプス・コンプレックスの話でしょうか?
人は抑圧されるが故に自我を確立するというか。
「私」にとって、父は「私」で「私」であるがために欠かせない抑圧なのかもしれません。

まったく余談ですが僕は犬について交わされるちぐはぐ会話がとても好きです。
「まあなんでもいいしっかりやれ」というところは僕の繰り広げられる会話に似ていて身をつままされます。

うちの父親はまだ耄碌してませんが、父子の会話ってそんなもんなんでしょうね。
「老人小説」と一言で片付けられない深い味わいのある作品ですね。

私はこの「父」が百歳になったら長寿の祝いにもらえる100万円を唯一の孫の学資にあてようとしている、という部分が好きです。あと、軍隊時代を回想して艦に犬を預かった時の話をするところも好きです。

95歳になっても人生の「途上」にあるということ、それがこの作品のテーマなのかなと思いました。
ほんとに味わい深い作品ですね。
人間、生きるもの総てが避けられない老いという悲しさ、
老いて耄碌することをを本人も家族も受け入れながら、なお
現実に生きてあることへの苦悩がよく書かれていると思います。

私も最後の二行が好きです。
耄碌した父親と直に向き合うことから開放されて、
庭に出て冷たい夜空を眺めているのでしょう。

テレビで柳美里の「色川武大」を二回見ました。
色川は自分を劣等と認識し、常識的な現実世界とは別の
自分の世界を作ろうとしたのですね。
>えーじさん
孫の学資の話は老いてなおというか、この年で未来を見据える性根には驚きですね。
老いというのは老いた本人よりも周囲がより強く意識するものかもしれません。
周りは終わりと思っていても本人はまだ先があると思っていると言うか。
そのギャップが関係の齟齬を、つまり物語を生むのでしょうね。

>カッコーさん
味わい深い作品というえーじさん、カッコーさんの意見には全く同意です。
この種の小説はある年齢に達しないと書けないものなのでしょうが、最近、若手の新しさばかりに目が行ってしまう自分に自戒の念を込めてそう思います。

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