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ラテン(イベロ)アメリカ文学コミュのマリオ・バルガス=リョサ『楽園への道』

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コミュ内全体

(1)ゴーギャンはブルジョア・アーティストであり、日曜画家であった。つまりはヨーロッパの中心で資本主義を担っていたのが、何をまちがったか、たまたま画家という道にすすんでしまった。そんな思いがわたしには強い。詳細に見ていくならば、後期印象派たるゴーギャンの作品にはセザンヌの影響が色濃く見出せる。しかし本人も思い悩んだすえに、試行錯誤を試みていたにちがいない。一方、ゴーギャンはいわずと知れたジャポニスムの教徒。タヒチに渡ってからのいわゆるプリミティズムとはどう折り合いをつけたものだろうか。

(2)不可避的にゴーギャンはゴッホと比べられてしまう。比べるられる前に、すでにゴッホ・聖なる愚者、ゴーギャン・自分勝手な日和見主義者、というような色眼鏡をわたしたちはかけているのではないだろうか。あるいはわたしたちはゴーギャンに弁舌の機会を与えるべきなのかもしれない。だがゴーギャンの血を問うことはさいわいにして可能だ。それはバルガス=ジョサの仕事があるからだ。ゴーギャンの絵画制作に、流れている血がどのようにかかわったか、いったい考慮するにあたいするかという考え方ももちろんありえる。本人は否定したがったかもしれないが。

(3)パリの喧騒と倦怠とに辟易してゴーギャンはヨーロッパ脱出を試みる。それにもかかわらず多くの画家はパリを愛し、棲みつづけたのだが。それとは別にすでにボードレールは、散文詩『この世の外へなら何所へでも』を発表していた。それは脱出願望を批判・風刺するものであった。それでもタヒチ(タヒチだけではなかったが)。ここでコロンブスの卵:なぜゴーギャンはあれほど心酔したニホンへと向かわなかったのか。受け入れインフラの問題だろうか。またはヨーロッパに代表される物質文明への呪詛こそここで注目すべきなのか。

(4)ゴーギャンの母親、それに祖母のフローラ・トリスタンはおなじく四十一歳で亡くなっている。どちらも苦しみと辛さに塗り込められた一生であった。しかしフローラこそはヨーロッパ思想史上にも残るような闘士であり、資本主義の初期における労働者の虐げられた暮らしに抗議の声をあげ、蔑まれている女性たちを護ろうとした。同時代人としてマルクスやエンゲルスらもイデオロギーに則って台頭したが、フローラの戦いほど血の滲むようなものではなかった。自らが虐げられてきたがゆえに、虐げられた人たちを護る。それがゴーギャンの祖母であった。

(5)読んだのはスペイン語版のみ。ポール・ゴーギャンとその祖母社会運動家フローラ・トリスタンを描いたもの。それまでバルガス=リョサはラテンアメリカのなかのことだけを語ってきて、今回は初めてヨーロッパに触れたのか、という感慨をわたしは発刊のときに思ったことを覚えている。しかしフローラ・トリスタンとはだれなのか。とりわけニホンでは知られていなかったのではないかと思う。しかしそんなことよりも、フローラの意識の高さおよびその受難を思うと、気が滅入った。これでもか、これでもかと、長々と叙述されると読むほうも鬱屈せずにはいられなかった。物語は循環しているようにも見え、そのゆえか、読みがあまり進められなくなった。一方、ゴーギャンもトラブルメーカーとして名高くなってしまった、結果論としても。とにかく、ゴーギャンについてはあまり詳しく考えたことがなかったので、いろいろ考えることになった。「月と6ペンス」ぐらいは読んだことがあったが、ほとんど何も思い出せなかった。さいごに、あれほど社会運動というものに理解をみせたバルガス=リョサがいまではあのようになってしまったのはおおいに不可解。あるいは社会運動というものではなく、政治というものに辟易したのか(あるいは幻滅したのか)。

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