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文芸の里コミュの潮のように 未完3

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 サジョウ マサヒコを記憶にとどめてから、十日ほどが流れた。奈美は小学四年の男の子と中学一年の少女の家庭教師を、掛け持ちしていたが、この日は中学生の少女の勉強だった。奈美は少女の勉強を済ませ、駅へ向かって歩いていた。イヴの前日で、街のイルミネーション最高潮と言っていい輝きを見せていた。スピーカーで流す音楽も、路上のミュージシャンたちが掻き鳴らす音楽も、クリスマス一色といってよかった。
 道は途中からアーケードになり、エスカレーターに導かれた上の階は広場になっていた。人が多く集まるのも、音楽を掻き鳴らすのも、二階にあたるこの広場が中心になっていた。
 奈美はその日、どうしてかエスカレーターで広場に出るのを避けて、人の通りも、賑わいも少ないアーケードの下を潜った。二階の広場を支える太い柱が林立するだけの、薄暗い寂しい空間になっていた。そこに一人、コンクリートの柱に背をもたせて、ギターを弾きながら歌っている路上ミュージシャンがいた。
 その横を通り抜けようとして、奈美は歌手の横顔に目がいった。はっと息が止まりそうになり、駅に向かって一歩が踏み出せなくなっていた。彼こそサジョウ・マサヒコに違いなかったのだ。ギターに向かって俯いている顔が、ドイツ語の授業で見せていた、斜め後ろからの顔とそっくりであり、この突き上げてきて止まない動悸が、その誤りのなさを証明していた。彼の前には、二人の若い女性と三人の男の聞き手が坐りこんでいた。
 奈美も聞き手の一人となって、彼の前に路上に足裏をつける形で屈みこんだ。

♪今年も暮れる、この街並みに、この街角に、僕は今日もやって来たよ。取り得なく落ちぶれた身だ。顔も上げられはしないが、僕だって、この僕だって生きているんだよ。身元を証ししたくはないけれど、いつも付き合ってくれている人に、やっぱり僕は弱いのさ。親父は僕を残してぽっくり死んだ。おふくろは僕が十三のとき、家を出て行ったきり。それ以来僕は親父と二人っきりで生きてきたけど、その親父が僕を残して、ぽっくり逝ってしまった。正しく言えば、親父が残したのは僕だけじゃない。それは乗り回したポンコツ車さ。
それからというもの、僕は親父が残した二つの宝物。僕という息子とポンコツ車。僕は今、そのポンコツ車を兄弟みたいにして生きているよ。昼間も一緒、夜も一緒、それだけでは物足りなくて、寝るのも一緒さ。もっともこれは、未払い家賃が溜まって家主に追い出されたせいでもあるけどね。バイトをするにしても、その意欲が消えちまったのさ。僕は親父と一緒に暮らして、その生涯を思うだけで、胸がいっぱいになっちまって、情けない話、働けないのさ。大学は出たけれどって、歌はあるけど、おっと僕はまだ出ていなかった」
 サジョウは言って、自分の頭に手をやった。それからまたギターを弾きはじめた。歌詞は決まったものがあるわけではなく、口から出てくるものをそのままメロディーにのせて歌っている感じだった。しかしその曲の底にある寂寥は深く、独特なもので、そこから飾らないサジョウの歌の文句や、彼の風貌が相和して漂い出す哀愁に、奈美は感動を覚え、ギターに伏せる彼の顔を下から見上げていた。
 歌の文句は日記を綴るように次々と移っていたが、その曲はひとつの音色が主調低音のように反復され、奈美を打ちつづけていた。文句は途中から戯れ歌のようなものに代わり、次のような言葉を挿入した。
「僕は大学五年生、なんとかここまで来たけれど、この先まったく分らない。暗くて暗くて見えないよ……」
 サジョウマサヒコが歌うのに一区切りつけようとして、ギターの弦に手をかけたとき、奈美はこの時とばかり、
「サジョウ マサヒコさん、ですね」
 と言葉を投じた。サジョウが狼狽え、顔を上げて真っすぐ奈美を捉えた。動揺がはっきり、目の色に出ていた。突然揺さぶられて、眠りを覚まされた人のようだった。奈美の唐突な問いかけに、サジョウの目は強張っていた。
「君は?」
サジョウは、その表情から訊いてきた。
「ドイツ語の授業でご一緒しました。十日ほど前」
 サジョウはほっと納得の顔になり、
「僕は何度も単位を落として、卒業できないでいますから」
 そう言って悪びれたように頭に手をやった。
「それは歌の中にも出てきましたよ」
「そうでしたか。歌の文句は正直に出てきますからね」
 とサジョウは恥ずかしそうに言った。
「お困りなら、私の家に来ませんか? アルバイトのつもりで。私の家は園芸農家をしています。ここから電車で四十分の片田舎です。そんな田舎でよろしければ」
 奈美は細かいことは省いて、大ざっぱに話した。
「でも僕みたいなものが、そんなに簡単に使ってもらえるんですか。テストもしないで」
「私が保証しますわ。こう見えても、二つの家庭教師を掛け持ちしていますから。人を見る目くらいあります」
「僕には家庭教師の口もない」
サジョウはまたぼやいた。奈美はそれには取合わず、
「サジョウさん、あなた二日後の今の時間、ここに来ますか?」
と単刀直入に訊いた。
「ここにいます。僕にはこんな場所しかありませんからね。来いと言われれば、いつだって来ます」
「では、明後日、今の時間に、ここにいてください。私電車とバスの時間がありかすから、これで失礼します。あっ、私の名前、守屋奈美といいます」
 奈美は言って立ち上がった。同じ姿勢で坐っていたために脚と腰が痛んだ。痛みをかばって駅へ向かいながら、チラッと後ろを振り返った。サジョウはギターをケースにしまっているところだった。五人の聴衆は、奈美が彼に話しかけている間に散ってしまっていた。
 駅へ直行する階段にはエスカレーターがついていなかった。奈美は一歩一歩階段を上って行った。二階の広場に出ると、急に光と音響が溢れて彼女を映し出した。奈美は薄暗い辺鄙な世界から、よろめきつつ這い出してきたような感覚だった。

つづきます。

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