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文芸の里コミュのSF 未完 〈11の1〉 遠泳

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 鮫が出没したという情報が流れて、近くの海水浴場は遊泳が禁止された。
 大学も夏期休暇に入り、故郷の海を目ざして帰省したというのに、しょうがない鮫野郎だ、と亮輔は舌を鳴らした。今年こそ灯台の立つ岬まで遠泳しようと計画していたのに、それができなくなった。鮫への憎悪が膨らんできて、抑えが利かないほどだった。こいつこそ、あのサバイバル・ナイフで突き刺すに値するものだ。中学二年の夏、アルバイトをして手に入れたサバイバル・ナイフを振りかざす対象が目に見えた気がした。
 夏休みに寄せる期待が踏みにじられたのは、亮輔だけではなかった。七月になって、太陽はじりじり陽射しを強めてきて、海辺の町の各学校は、ほとんど同時に夏期休暇に入っていた。鮫が出たという第一報が入ったのは、その休みになる前日だった。早朝漁に出る漁船と擦れ違うように、入江に向かって一匹の鮫が泳いで行ったというのである。背鰭を見せ、その背鰭て悠々と水を切って。いかにも余裕のある泳ぎっぷりである。その二時間後に、遅れて出漁した船が、湾内で鮫を目撃している。さらに陸地からも、一人の漁師が鮫を見ている。目撃した三者とも、種類は頬白鮫であった可能性が大きいと語っている。長年漁師をしてきた人の見立てが狂っているとは思えない。
 頬白鮫といえば、人を喰らう体長五メートルもある狂暴な鮫だ。
 その鮫が明日から学校が夏休みに入る、その前日に現れたというところに問題がある。若者の海に寄せる夢や期待を根こそぎにしてやれといった悪意がみえみえなのだ。
 亮輔は実家の二階の窓辺に立って、ひと気のない海を見やった。例年の夏の海が、こんなにひっそりと静まっているはずはない。青い海原と寄せては返す白波、そこに散らばる色とりどりの海水着姿の按配が、調和していたのだ。やや混雑した感じの夏もあったが、それは夏の訪れが早いか遅いかして、一気に開花した花園を見るようなものだった。
 亮輔は今、遊泳を禁止された海からの潮騒ではなく、ごく近い所から異様な子供の声が洩れてくるような気がした。すぐ足元を見た。石塀に遮られて、一部しか目には入らないが、ビニール製のプールに水が張られ、子供が何人か水浴びをしていた。亮輔は良く見るために椅子に乗り、その上から観察した。狭い路地を挟み、しかも石塀という壁はあるが、ビニールプールの七割がたは目に入って来た。直系4メートルほどの青いビニール製のプールだ。そこに五六人の子供が水につかっている。
「トモ子、浅いんだから浮きなんか使わなくていいの。狭いんだから、みんなにぶつかってしまうでしょう。よそのお家のプールに入れて貰って、贅沢言わないの」
 姉に浮き輪を取られて、トモ子が泣き出してしまった。
「アヤメちゃんなんか、浮き輪に掴まってるよ」
 トモ子が泣きながら姉に訴えている。
「だってこれはアヤメちゃんのお家のプールでしょう。
鮫が出なくなるまで我慢するの」
「鮫はいついなくなるの」
 トモ子が泣き止んで姉に訊いた。
「さあね、鮫には鮫の都合があるんでしょうからね。テレビでは、今日も出たって言ってたでしょう」
「鮫はさっさと自分のお家に帰れ!」
 とトモ子が言った。
 アヤメの姉が、急に立ち上がったと思うと、
「お母さんに言われていた仕事思い出した。私プール出るからトモちゃん浮き輪入れていいよ」
 そう言って母屋に姿を消した。トモ子は急に元気づいて、姉に外に出された浮き輪を手に取ると、プールに戻った。自分の姉が去り際に放った一言が利いたのか、今度はアヤメも何も言わなかった。
 ふと、海の所有者は鮫なのではないかと、亮輔は考えてみた。自分の海を人間に奪われ、あげくは鮫の肉が練り製品にされて売られている現状を見ていられず、喰われるのなら喰ってやれ、とばかりに現れるのではないか。
 しかしそうは言っても、その鮫に喰われている小魚たちや、鮫の餌食にされている、鳥や哺乳類の海豹やオットセイのことはどう考えたらいいのか。
 無差別だ。鮫は無差別の殺戮者だ。背後にいるのは悪魔だ。悪魔なら闘わなければならない。亮輔は短絡的にそう思った。
 中学二年生の夏、魚の加工場でアルバイトをして手に入れたサバイバル・ナイフを目に浮かべた。何故サバイバル・ナイフが欲しかったのか、その理由さえ憶えていなかった。ただ、五歳年上の姉に見つかってしまい、それを欲したわけを問われ、苦し紛れに、
「少年のアクセサリーだよ。姉さんがネックレス集めてるのと同じさ」
 とだけ応えた。しかし姉は承服せず、棄てるように迫った。手放す代わりに買ってくれたのが、防水製のデジタル腕時計だった。その頃からダイビングの得意だった亮輔には、もっとも欲しいものの一つだった。高校を出て、オーエルになったばかりの姉には、痛い出費だったに違いない。
 その防水腕時計は、幾度か岩にぶつけることはあったが、腕や手に擦り傷はできても、時計本体は無事で、今も一秒の狂いもなく動いている。
 亮輔は時計と引き換えに棄てたはずのサバイバル・ナイフを目に浮かべた。そのときからずっと、燃えない塵として棄ててしまうのはもったいなく、見ても分からないように、ビニール袋に包み、その上をガムテープで幾重にも巻いて、ダンボールの奥に隠したはずである。どの段ボール箱だったか、ほぼ見当はついたので、下に積まれた箱を上にして中をしらべ、隠してあったものを見つけ出した。持ち重りがし、草一本切っていないのに、犯罪の匂いがした。姉は嫁いでしまってこの家にはいないが、母の目があるので、包装を解くのは、あとにしよう。
 サバイバル・ナイフを、どうしても手放そうとしない弟に、姉はお母さんに言いつけるよと脅したのだ。それでも首を横に振り続ける弟に、デジタル防水腕時計を持ち出して納得させたのであった。

翌日亮輔は普段より早く起き出した。母は父の経営する従業員五人の海産物加工場に出ていた。その加工場は家から徒歩で十五分の海沿いにある。亮輔がかつてサバイバル・ナイフを買うためのアルバイトをし、その後もときどき働いているのは、父のこの工場ではない。もっと大きな他人が経営する加工場である。
 塀の中のビニールプールから、まだ子供たちの声は聴こえてこなかった。
 亮輔は昨日見つけ出した危険物の覆いを剥がしていった。姉にはあっさり、燃えない塵として出したと答えたはずである。
 ほぼ五年振りに取り出したサバイバル・ナイフは、錆び一つなく、厚ブレードのロングサイズを目の前にさらした。
 刀身を鞘から抜いて、再び鞘に収めるときは、一度も手にしたことのない、長身の太刀を扱っている気がした。時代を遡って侍になった気分である。
 彼は海水パンツをはき、上は白では目立つので、紺色のテーシャツを着た。監視の望遠レンズを避けて、海水浴場の外へ出る必要があった。岩場に自転車を置くと発覚するおそれがあるので、徒歩で行くことにした。体力の温存を図り、自転車で行きたかったが、その分は食で補うつもりで、冷蔵庫からサラミのソーセージとチーズを腹に詰めた。まだ足りない気がしたが、それは出発直前の非常食として、途中のパン屋で仕入れるつもりだった。
 ゴムバンドを腰に巻いて、それにナイフをぶら下げようとした。しかし取り外しが面倒で、いざというとき手間取りそうだ。それより直に海水パンツに挟み込むのはどうだ。海水パンツのベルトがけっこうきつく、ナイフの握りの部分に段丘がついていて、うまく収まり、長い時間にも耐えられそうだった。紐で腰につるすなどという間遠なことはしていられなかった。鮫に一対一で挑むのだ。紐で連絡したナイフなど、一対一の力を発揮できないだろう。鮫に跳びついたら、相手を完全にやりこめるまで闘うのだ。相手が逃げ出せば戦意喪失とみなして、そこで闘いをやめてよい。そうなれば鮫は湾を出て行くだろうから。
 鮫は視力が弱いと、以前ドキュメンタリーの番組で視たことがあり、鮫の目を狙うことを第一の目標と考えていた。
 ナイフを海水パンツに挟んだ状態では歩きにくいので、身につけるのは泳ぎ出すときにするとして、ナップザックに入れた。ナップザックにはほかに、傷をしたとき消毒するオキシドール、包帯、粘着テープ、それに水中眼鏡を入れた。それに水分補給のための缶ジュース三本。携帯はじゃまになるので家に置くことにした。そのうち、学生の間に実行しようと計画している離れ島への独り旅には、釣り道具、煮炊きに使うアルコールランプ、方向を探る磁石、それに聖書があった。
 亮輔はその格好で家を出ようとしたが、これではいかにも海に行くと宣言するようなものなので、海水パンツの上からジーンズの長ズボンをはいた。
 二階の窓を閉めようとして下を覗いたが、ビニールプールにまだ子どもは来ていなかった。プールにはられた水に反照する朝日が、亮輔の目を直撃してきた。この角度は、まだ朝のものだった。波立つ反射の奥を見返したとき、一瞬鮫に襲われた気がしたが、被害妄想というものだった。
 亮輔は勢いよく、音弾ませて窓を閉めた。


 雲ひとつない海水浴日和の中を、亮輔は海に向かって歩いて行った。商店の並んだ一郭に来ると、パン屋を見つけて入った。
 見覚えのある女が、一人で店番をしていた。亮輔を迎える女の目色に驚きがさざめき、それで思い出した。この店の娘で、クラスは違うが亮輔と同窓だったのだ。、
 口をきいたことはないが、亮輔と同じ都市の大学に通っているという情報だった。情報というより、卒業後に送られてきた、同窓生名簿に載っていたのかもしれない。
 お互いに離れてみてはじめて、存在を確認しあえたという挨拶になっていた。
「横浜にいるんだってね」
「ええ」
 と娘は頷いてから、
「脇川さんも」
 と言った。つづけて、
「いつまで、いるんですか?」
 と訊いてきた。
「休みの間中いるつもりだったけど、鮫にあらされて、つまらないので、早く戻ろうかと考えているんだ」
 亮輔は苦々しくそう言った。鮫のことは出すまいとしたが、そうはいかなかった。
脇川さんからすれば、そうでしょうね。泳げない海なんてつまりませんもの」
「今年の夏は、あの灯台まで遠泳に挑戦するつもりだったんだよ。それが鮫のために断ち切られた」
 亮輔はうっかり口を滑らせてはならないと、警戒しながら話していた。
「あら、あの北岬の灯台まで? あんな遠い所までどうやって行くの。歩いたって大変だって言うのに。無理よ、そんなの。私だったら、絶対行かせないな」
 北沢メグ子は男みたいに腕を胸の上に組んで、意気込んで言った。
「いきなりは無理さ。遠泳の訓練をして、体を慣らしてからのことさ。その訓練まで鮫は台無しにしてしまったんだよ」
 話がどうしても鮫に傾いていくのを、亮輔はどうすることもできないでいた。しかしこれまで一言も話したことのない北沢メグ子と、一言どころか自分の青春の最終目標ともいえる遠泳の話までしていることが信じられないほどだった。
 家が裕福でもなく、頑健な肉体を持っているわけでもない。成績だって中の上くらいのもので、また仲間たちの信望が篤いともいえなかった。その亮輔が虐めに遭うこともなく、無難に学校生活を送ってこられたのは、水泳で群を抜いていたからではなかっただろうか。
 泳ぎがうまいとはいっても、それで人気者になるというのでもなかった。水泳部があるわけではなく、亮輔の泳ぎはあくまでも単独のスポーツだった。不思議なことだが、柔道部、体操部はあっても、海に近いにもかかわらず水泳部はなかった。他に野球、バスケット、テニス、登山にはクラブがあって、いくつかは毎年地区優勝を果たし、メグ子の所属したバスケット部は、全国大会で準優勝に輝いていた。
 それら体育系の生徒たちから、亮輔は掴みどころのない日陰者と見られていたのだろう。
 北沢メグ子と接触の機会がなかったのも、そのあたりに原因がありそうだった。
 自分の能力を売り出して、将来は国体とかオリンピックで輝くのかと思っていた周囲の期待を裏切って、彼が選んだのは、水泳とは縁もゆかりもない経済学部だった。著名なスイミングクラブに所属するのでもなかった
 七分後、亮輔は三人分のサンドイッチを買ってパン屋を出、海沿いの道を内陸の方角へではなく、海の広がる方へと歩き出した。メグ子の心の動きに不穏なものを感じて亮輔を落ち着かせなくしていたが、それが加速してメグ子に覆いかぶさり、亮輔の不審を煽って警戒を強くした。
 あの人サンドイッチを三人分も買って、どうするのかしら。どこかに彼女でも待たせてあって、亮輔が一人で店に入って来たのだろうか。
 しかしどうしてか、亮輔に限って、その線は考えにくかった。これからどこへ出かけるのか、訊けばよかったが、それができなかった。亮輔の態度が、そうさせなかったのだ。
 メグ子の気がかりになっていることが一つあった。彼の背負っているナップザックのサイドポケットに、水中眼鏡らしきものが覗いていたのだ。まさかとは思うが、あんなに遠泳できないとぼやいていたが、それが実際はカモフラージュで、遠泳を決行するつもりだったのではないか。
 一度その疑念が浮かぶと、引っ込んでいかなかった。むしろその考えが一人歩きして、亮輔の後姿を目で追っていた。彼はこれから散策に出かける人のようにではなく、目的あり気にせかせかと歩いていた。空はところどころ白雲が霞むていどで、かんかん日を降らせている。こんな日こそ夏帽子は不可欠なのに、彼は無帽だ。
 海沿いの道は陸の方へ折れていき、視界から消えた。
はるか沖の方に、灯台の立つ岬が、走り去る列車のように霞んで伸びていた。
 こうしちゃいられない。メグ子はケイタイで海の監視員の詰める臨時見張台の番号を押していった。誰も出ない。遊泳禁止を布告しているので、その必要はないというのだろうか。犯罪はいつも網の目をくぐって行なわれることを知らないのだろうか。鮫の出現自体が、立ち入り禁止の掟を破って現れているのに。
 メグ子は次にどうすべきか頭をめぐらせる。海水浴客を取り仕切っているのは町役場だろうか。それとも観光協会。あるいは漁業組合。
 とにかく急がなければならなかった。あのサンドイッチで腹ごしらえをすれば、亮輔はすぐにも遠泳を開始するかもしれないのだ。メグ子は焦った。亮輔の意図に気づいているのは自分だけなのだから、今追いかけていき、遠泳を止めさせるようにはかるべきではないのか。
 自分の内面に聞き入ってみる。
「いつ俺が遠泳に出るなんて言った」
「さっき言ったじゃん。遠泳の計画で帰省したって」
「そうは言わなかったよ。そのつもりで帰省はしたけど、
鮫のご登場で、ならなくなったって、ぼやいただけだよ」
「でも私には、そうは見えなかった。三人分のサンドイッチでおなかを満たしたら、灯台を目指して泳ぎ出すように見えたの。意図を隠しているなって。ねえ、図星でしょう」
「なら、訊くけど、これまで一度も話したこともなく、初対面とも言える君に、どうしてこちらの心のうちまで探られなければならないんだ?」
「初対面じゃないわ。確かにお話したのは今日がはじめてかもしれないけれど、高校一年二年三年と、会っていたわ。クラスこそ違っていたけれどね。卒業してからも」
「卒業後も?」
 このあたりにくると、夢でも語っているようで、メグ子は恥ずかしくなり、とても言えないと思った。
 このときメグ子と同じような感情を抱きながら、不遇に終っている同級生の木村美里のことがちらと頭をかすめた。木村美里が目に浮かんできたのは、おそらく彼女の父親が町役場の職員であることに関連していたからにちがいない。総務課の相当偉いポストにあるはずだった。
 そうだ、木村美里に電話してみよう。他に道はなかった。

 メグ子からの突然の電話に、美里は戸惑っている様子だった。
「何かしら」
 と彼女は鼻息も荒く言った。この美里の態度に、メグ子は美里の亮輔への思いを読んでいた。やっぱりと、メグ子は思った。
 メグ子はいきさつを手短に話し、
「亮輔が危険な海に泳ぎ出そうとしているから、父親に頼んで何とか食い止めてくれ、と頼んだ。もし泳ぎ出してしまっていたら、船を手配して護ってくれとも言った。
「今海水浴場の監視台に電話したんだけど、誰も出ないのよ」
 美里はそんなことで自分に電話をしてきたメグ子のことが、まったく分からなかった。
「実は、脇川亮輔さんが、さっき店にパンを買いに来て、どうも北岬灯台まで遠泳に出るらしいのよ。鮫が出て海に入れないのがつまらんなんて、ぼやいていたけど、どうも口振りから遠泳を決行するみたいなの」
「…決行するみたいって、あんた脇川さんと大学が同じ街じゃなかった」
「同じではあるけど、会ったこともないし、話したのも今日が初めてで、どうしてそんな中身まで訊けるのよ。でも彼が店を出てしまってから、今日遠泳に出るつもりだなということが、確信に近くなってきたのよ。ナップザックのサイドポケットに入っていたのが、水中眼鏡らしかったし、この夏のかんかん照りに帽子も被っていないのよ。三人分のサンドイッチでお腹を満たして泳ぎ出す感じだった。昨日も鮫が出たっていうのに」
「それじゃ、あなた、脇川さんを追いかけて、止めさせることもできなかったのね」
「そうなのよぉー」
 メグ子は心底からの落胆を滲ませて言った。「バスケとバレーとの違いはあるけど、同じ体育系でありながら、意気地がないと思われるかもしれないけれど、だから準優勝で止まってしまったって、言われそうだけれど、実際そうだったの。今まで話もしなかったくせに、いきなりあんたは俺の心の中まで探って、海に入るななんて言われなければならんのよって」
「分かったわ。すぐパパに連絡するよ。一人の若造の道楽に付き合って、町の予算をつぎ込むことなんかできないって、蹴られそうだけど、そのときは言ってやるわ。鮫に食べられたりしたら、海水浴客なんか一人も来なくなって、よけい町は赤字になるってね。パパに承諾させて、あなたに報せるから」
 木村美里は、そうそそくさと話し、電話を切った。
 メグ子はほっとしたものの、新たな不安が胸に広がってきた。それはもやもやしていはしても、いつか繋がるかもしれないと夢見ていた亮輔との逢瀬が、にわかな恋敵の登場で、そっくり奪われてしまう懊悩だった。しかし人の命にはかえられないのである。放っておいて、万一にも被害に遭ったら、胸の傷が広がり、良心の咎めを伴って、生きていけないかもしれなかった。


 亮輔は波の寄せ際の岩に坐って、サンドイッチを頬張った。視野の先に、灯台が白く輝いている。上を流れる白雲の濃淡や大きさで、灯台の輝きが微妙に変化する。すっぽり影に呑まれて、灯台が黒ずんでしまうと、ジュースで租借したものを飲み込んだりして、灯台から目を放せないでいた。何か不吉なものを見せられた気がして、手に残っているサンドイッチを口に運べないでいた。あれは不吉な影などではなく、灯台の上にかかる雲の厚みと大きさで、黒ずんで見えるだけさ。そう自分を納得させて、食べ終えると、水中眼鏡をかけ、ズボンとナップザックとスニーカーを岩の窪みに隠して、軽い準備運動をし、体を海水につけた。視線の先の灯台が明るく輝き出すと、心も晴れて、ゆっくり泳ぎ出した。その直前にサバイバルナイフをしっかり海水パンツのゴムの間に挟み込むのを忘れなかった。そこから取り出す訓練を三度繰返しした。最後に上の道を人も車もやって来ないのを確認して、陸を離れたのだった。

⇒ 遠泳 11の2 へつづきます。



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