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FOOTBALLを愛する皆さん…コミュのプエルタの死去、悲しみに暮れるスペイン

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プエルタの死去、悲しみに暮れるスペイン

デル・ニド会長が、チーム滞在先のアテネで短い間マスコミに対応した。憔悴しきった表情のデル・ニド会長は「ダイアモンドの左足を失った」と悲しみを表現している。

「今日は間違いなくセビージャにとって最も悲しい日だ。2006年4月27日(UEFA杯準決勝でプエルタは決勝ゴールを挙げた)に見たダイアモンドの左足は我々の運命を変えた。その左足が我々のもとを去ってしまった」。涙をこらえながらデル・ニド会長は「この苦しい状況を分かってほしい。もう少ししたらあなた方の質問に丁寧に答えられるようになると思う」と消え入りそうな声で語った。

シャルケは2006年4月に行われたUEFAカップ準決勝でセビージャと対戦し、セビージャホームの第2戦で、28日に亡くなったプエルタの決勝ゴールによって敗れた。メッセージには「サッカーの試合より大切なことはたくさんある。アントニオ・プエルタはわれわれのクラブの歴史に足跡を残してくれた選手。(セビージャに)敗れたとはいえ、シャルケはセビージャで経験した雰囲気やホスピタリティーが良い思い出として残っている」とつづられている。

プエルタの死去から一夜明けたスペインは、いまだ悲しみに暮れている。スポーツ紙も含めた29日の各紙一面トップには、プエルタの訃報(ふほう)が大々的に報じられた。22歳の若すぎる死を悼む声は、涙とともにスペイン中から聞かれている。

プエルタはセビージャのカンテラ(下部組織)出身として、ヘスス・ナバスとともにクラブの象徴的選手であり、その温厚でオープンな性格から地元ファンやマスコミからの評判も非常に良かった。また、セビージャのファンが今でも語り継ぐ2006年4月27日、UEFAカップ準決勝シャルケ04戦のスーパーゴールは「セビージャの人生を変えたゴール」とまで言われている。そのゴールによって初のUEFAカップ決勝進出を果たしたセビージャは、それから瞬く間に5つのタイトルを獲得した。公式戦88試合(リーガ55試合)に出場し、通算7ゴール、そして何よりその短い選手人生で5タイトルをセビージャとともに獲得した経歴は輝かしいものがある。

また、選手としての未来はもちろんのこと、プライベートでも10月に父親になる予定だった。「アイトール」と既に名付けられた息子の顔を見ることなく他界してしまった現実はあまりに残酷だ。公私で順風満帆の未来が待ち受けていたはずのプエルタの訃報に、スペインのみならず世界中のサッカーファンが言葉を失った。

スペイン時間8月28日の14時30分、突然の病に倒れてから約60時間続いてきた戦いを終え、アントニオ・プエルタは静かにこの世を去った。何度も心停止に見舞われ、孤独な戦いを強いられてきた彼にとっては、22年の人生の中で一番厳しい試合となったに違いない。

そのピッチにはいつもいるはずのチームメートもいなかった。指示を出してくれる監督もいなかった。ただ、ピッチの外から同じく人生を駆けてエールを送ったファンが多かったからこそ、彼は孤独ながらも勇敢にピッチの上で戦い続けていたのかもしれない。

スペインサッカー界が失ったものはあまりに大きいが、プエルタが残してくれたもの、気付かせてくれたものも多い。26日にはレクレアティボとの試合を終えたベティスの選手たちが、プエルタの入院する病院へ見舞いに訪れ、安否を気遣った。28日、訃報を聞いて市内の病院に駆けつけたファンの中には、ベティスファンも多く含まれていたという。セビージャのサッカーファン、街がひとつになりチームの枠を越えた一体感がそこにはあった。

また、本来そばにいるはずのセビージャのチームメートが、彼の死に目に会えなかったことは残念だ。「サッカーより大事なことがある」と誰もが分かっていながら、目の前の試合や過密日程を消化するため、危篤のプエルタを残してチームはアテネに向かった。この現実は、今のサッカー界があらためて直視すべき問題だ。そして今回の心停止の前に既に2度、試合と練習で気を失ったことがあるというプエルタの死の原因究明、サッカー界としていかに選手の体、命を守っていくかという対策など、彼の死を無駄にしないためにもサッカー界には多くの課題が残されている。

プエルタがサンチェス・ピスフアンに最後の別れを告げた際、デル・ニド会長は涙を抑えることができなかった。それは最も感極まる瞬間だった。その後、人々を襲った悲しみは墓地へと続く行列となり、警察さえもそれを抑えることはできなくなる。そのため、埋葬の開始は予定より20分遅い14時となった。埋葬には遺族の他、セビージャのコーチ陣、トップチームとBチーム全員が出席した。

僅か22歳のアントニオ・プエルタを襲った悲劇的な結末により、彼の遺族とセビージャのファン、そしてスペインサッカー界全体が一つになった。サンチェス・ピスフアンに設置された祭壇を訪れる人並みは途絶えず、スペイン国内における大多数のクラブ責任者が足を運んだ。12時にセビージャの選手達を乗せたバスが到着すると、大きな拍手と共に「Puerta, amigo, Sevilla esta contigo!(友人プエルタ、セビージャは君と共にある!)」というコールが響き渡った。

 その少し前、大株主マヌエル・ルイス・デ・ロペラ氏率いるベティスもチーム全員がプエルタの元を訪れた。ベティスのチームバスが大きな拍手で迎えられたこの時、もうセビージャの町には一つのチームしか存在していなかった。

本当に多くの人々がプエルタの元へと集まった。エンリケ・セレソ(アトレティコ会長)、ジョアン・ラポルタ(バルセロナ会長)、チキ・ベギリスタイン(バルセロナ・スポーツ・ディレクター)、カルラス・プジョール(バルセロナ・キャプテン)、フェルナンド・ロッチ(ビジャレアル会長)、ラファ・ゴルディージョ(元ベティス選手)。ダニエル・サンチェス・リブレ(エスパニョール会長)、ラウル・タムード(エスパニョール・キャプテン)の2人は悲しみのあまり最後までその場にいられなかった。R・マドリーからはラモン・カルデロン会長、ページャ・ミヤトビッチ・スポーツ・ディレクター、ラウル、グティ、サビオラ、バチスタ、セルヒオ・ラモスらが姿を現した。


ご冥福をお祈りします ...

コメント(2)

また一つ尊い命が天に召されましたね

フォエが亡くなってから、まだそんなに月日は経ってないです。
それなのに同様の事故がまた…

原因としてはやはり、過密日程が挙げられるのではないでしょか?

バブルと言われているサッカー界を根本的に見直すか、連続試合出場数を制限するなど、
とにかく、もうこんな悲しい出来事はたくさんです!

今はただプエルタさんのご冥福をお祈りします。
続けてスミマセン

あくまで想像、噂の域を越えてない情報というより意見として聞いてください

私の友人(外国人)が言っていたのですが、プロスポーツ選手の突然死の原因の一つとしてドラッグがあるというものです。

それは本当に体に良くない、人間を蝕むモノや、トレーニング効率を上げるための有効なモノまで色々な種類があるようです。

もちろん前者の場合は命を落とすことになってもフォローのしようがありませんが、後者の場合には所属チーム等の専属のメディカルスタッフがコントロールすべきであって、選手を道具の一つとしてしか扱ってない例ではないかと思いました。

選手みんながロナウジーニョやカカである必要はないんです。目標や憧れであって、薬によって造られたファンタジスタなんかは見たくありません。

以上、プエルタ選手を悪く言っているのではありませんので、スペイン代表、セビージャ、プエルタ選手ファンの皆様、気を悪くされないようお願いします。

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