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召命観とかベルーフについて

召命観とかベルーフについて 2016年11月18日 21:55
mixiユーザーmixiユーザー
洗礼を受けるとき、特にいわゆる「聖職」になるときに問われるのに、検索すると用語解説もなかったので作成します。
ベルーフ、職業観もありにします。
エレミア 1955 口語訳
1:4 主の言葉がわたしに臨んで言う、
1:5 「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」。
1:6 その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、

マルコ
2:13 イエスはまた海べに出て行かれると、多くの人々がみもとに集まってきたので、彼らを教えられた。
2:14 また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。
2:15 それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである。

コメント(22件)

[1]2016年11月18日 21:58
むう。
似たようなトピを昔つくった記憶がありますぞ。

それはともかく、神の召命以前に、神様はお昼寝中で、地表をうろつく二足歩行の猿には興味ないのでは?
[2]2016年11月18日 21:59
基本
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%AC%E5%91%BD-79889
しょうめい
Berufドイツ語
キリスト教で、神から召されて新しい使命を与えられることをいう。もともと「呼び出し」の意味をもつラテン語のvocatioは、神の召しとして、西欧中世のキリスト教会において聖職者になることの召しに限定されて理解され、用いられていた。16世紀の宗教改革者たちは、ルターをはじめカルバンも、この語を、すべてのキリスト者についてのものと理解し、強調するようになった。すべてのキリスト者は信仰と洗礼とにおいて神の召しを受け、世俗世界のなかでそれぞれの職業の生を通して神の召しにこたえるという、いわゆる「職業召命観」とよばれるものであって、信仰者をこの世界から隠遁(いんとん)させるのでなく、神からの使命をもって積極的にこの世に送り出し、働かせるという点で、近代精神にとっての大きな契機の一つとなった。職業生活に限らず、全生活を神の召しにおいてとらえるものであって、トレルチやM・ウェーバーの所説、とくに後者の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は著名。[徳善義和]
[3]2016年11月18日 22:03
>>[1]
全文で「召命」でひっかからなかったので作りましたが、それでは入信と聖職になることに限定します。
「あなたの召命観を述べよ」とか。
[4]2016年11月18日 22:13
>>[3]

錯覚でしょう。
[5]2016年11月19日 13:40
>>[2]

私の場合は、ヨナ書のヨナのように、巻き込まれた感がありますが…。それを召命と呼ぶのならば、召命だと思います。

>>[4] イリア・エレオスさん

何かあって、削除してしまったとかでは?幾つかのワードで、私も検索してみましたが…。
[6]2016年11月19日 13:43
>>[5]

確か、「アルバイトとベルーフ」とかいうトピ。
アルバイトは、食う為の労働で、
ベルーフは召命としての天職の意
[7]2016年11月19日 13:45
実際、牧師などで、
本気で自分が神に召命されたと思っている人が何人いるやら。

アメリカ辺りじゃ通信教育で資格がとれますな。
名乗ったもの勝ち。
[8]2016年11月19日 14:42
>>[7]

世俗社会の一つの職業として牧師を選ぶ人もいれば、
心底、神から召命された心もちを持って牧師になる方もいらっしゃるのでしょうね。
[9]2016年11月19日 19:36
>>[6]

確かに、ベルーフで検索すると1つヒットしますね。それが「アリアさんが語りたかったことなのか?」は、分かりませんが…。

代々ラビの家系・代々牧師の家系ともなると、そこに生まれてしまったら、どうすれば良いのでしょうか?家業を継ぐのであれ、召命なのでしょうか?

スルツキー家では、「スルツキー家で生まれたのだから、生まれたこと自体が召命である」と考えられていましたが…。
[10]2016年11月19日 20:21
同じ召命でも、カトリック教会のはちょっと違うと思います。
なにせ、、、、

「キリストの代理人」がおりますので。
[11]2016年11月19日 21:17
ちなみに、カトリック教会で言うところの「キリストの代理人」とは、ローマ法王のことです。
[12]2016年11月19日 21:41
>>[9]
主の平和!
今度は失礼します。
>代々ラビの家系・代々牧師の家系ともなると、そこに生まれてしまったら、どうすれば良いのでしょうか

ユダヤ教徒でもない私がユダヤ教の伝統、制度にとやかく云えない気もしますが、ユダヤ教のラビは元来、聖職でなく、
宗派指導者ですが信徒なので代々継承しても問題ないと思います。

神父(司祭、司教・)と牧師の違いは下記のサイトが正確です。
宗派による違いと云えばそれまでですが、大きい違いは聖職か信徒の代表かのようです。
牧師は聖職でなく、羊飼い、教職です。
http://chigai-allguide.com/%E7%A5%9E%E7%88%B6%E3%81%A8%E7%89%A7%E5%B8%AB/

信徒は召命観がなく、代々でもいい気がしますが、聖職はやはり召命観があった方がと思います。
牧師は慣れべくなら位だと思います(^^;。
[13]2016年11月19日 21:49
>>[9]
コトバンクから基本的な見解を引用しておきます。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%93-147563
ラビ(rabbi)
ラバイともいう。元来はヘブライ語のラブ (偉大な) という言葉から出ているが,聖書では「僕」に対する「主」ないし「師」の意味で用いられる。タルムードの時代までは,聖書と口伝律法の解説者で平信徒であった。

しかし、古代イスラエルは祭司はレビ族とか決まっていて世襲で、我々の考え方だと召命をうけた聖職は預言者の気もします。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%AD%E5%8F%B8
「祭司階級は、大祭司、祭司、レビ人の3階級に分かれて、すべてがレビ族の子孫である。」
[14]2016年11月19日 22:58
>>[12]

ラビになるためにはヘブライ語が堪能でなくてはならない。ヘブライ語も語学なので、なかなかラビの成り手が居ない。ラビの娘息子であれば、ヘブライ語が自然と耳に入って来るような環境の中で育つ。ラビニカル・スクールの入試に難が無い。そんな人達は、そのような環境が与えられたことに召命を見出すことになる。

代々『牧師』の家系って、欧米には、ありますよね?特にルーテルだとかは、歴史がある分、そう言うことはあると思うけれどなぁ。

日本でも、2代目だとか3代目だとか、居ますよ。父親が牧師をやっていた教会となると、息子にしてみたら母教会だったりするでしょう?母教会に戻って牧師を務めるケースは、多分にあるのでは?

そんな家系に生まれると、聖書を読まないような人柄であっても、かなりの知識を持っている。遊びに夢中な時であれ、大人達が何度も口にすれば、子供の耳に残ります。

このようなお育ちだと、神学校の入学面接を通るのに難なんて無いと思いますが…。さもそれが召命であるかのように、面接官たちを納得させることが出来てしまうだろうし…。そんなことはないですか?

バプテスマを受けるにあたって、私の信仰告白を作成しました。うちの牧師が語るに、「子供には子供の信仰告白がある。たとえ大人のような信仰告白にならなくても、それで良いんだ」と言っていましたが…。
[15]2016年11月20日 05:35
>>[14] 、

おはようございます、、、、。

ーー

バプテスマを受けるにあたって、私の信仰告白を作成しました。うちの牧師が語るに、「子供には子供の信仰告白がある。たとえ大人のような信仰告白にならなくても、それで良いんだ」と言っていましたが…。

ーー
とても良い牧師に出会いましたね、よかったですね。
私の知り合いではユダヤ教からキリスト教徒に代わって、そして牧師になったと言う方もいらっしゃいますので、どうぞお励みください。では、失礼いたします。
[16]2016年11月21日 00:12
>>[15]

うちの牧師って、良い牧師なの??人間として尊敬できる人ですね。牧師としては、どうかな?牧師の従兄弟からは「こんな牧師、他に居るか?!」と、よく言われていますよ。

>ユダヤ教からキリスト教徒に変わって、そして牧師になった

「その人が、どこまでユダヤ教にどっぷり使っていたのか?」にもよるけれど…。その方は、元々ユダヤ人だったとかですか?

(改宗したのであれ)ユダヤ人だったのならば、(牧師になるためじゃないと)洗礼を受けたら大事ですよ。その方が牧師になられたのならば、良かったですね。

「アイツ(ユダヤ人)が失踪して、見つかったと思ったら、クリスチャンになっていた。アイツと来たら、牧師になる努力もしないで脳脳としている。アイツは裏切り者だ。破門としよう。絶対に相手にするなよ!!」

↑と、こうなるのですよ〜。ユダヤ人社会から破門されて、家族&親戚から完全無視を食らうのは、かなりキツイ。

だから、「牧師になれば、また良い関係に戻るのだったら、牧師になるしかないか。これは召命だ」と自身に言い聞かせて、そんなユダヤ人は牧師になろうとするのです。

でも、何であろうとも、一個人だけではなく群衆が関わるような流れになるのだから、召命なのでしょうね。
[17]2016年11月29日 14:41
>>[13]

召命とかイエスの顕現とかならば、このトピが適切だと思いますが、いかがでしょうか?

日本では、ネストリウス派(景教)が根強いのでしょう。アウグスティヌス派であるカトリックは、負けてしまう。カトリック宣教師ですらも、回心に導いてしまう。遠藤周作の沈黙にある背景は、こうであったかと感じています。

欧州周辺にてネストリウス派とアウグスティヌス派の対立があった時代、ネストリウス派の異論は、「イエスとヤハウェは同一ではあり得ない」と言うものだったろうと考えています。

なので、遠藤周作の『沈黙』においては、
[18]2016年11月29日 14:54
(続き)

なので、遠藤周作の「沈黙」において、カトリック宣教師の背教とは、顕現しないヤハウェと顕現するイエスについての問題だったろう…と考えています。

カトリック宣教師の召命については…。「目上に従い、口答えはするな!」と言う時代だったように記憶しますが…。

沈黙(遠藤周作)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E9%BB%99_(%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%91%A8%E4%BD%9C)
[19]2016年11月29日 17:35
>>[16]
ーー
コピペ失礼いたします。
ーー
、、、
だから、「牧師になれば、また良い関係に戻るのだったら、牧師になるしかないか。これは召命だ」と自身に言い聞かせて、そんなユダヤ人は牧師になろうとするのです。

でも、何であろうとも、一個人だけではなく群衆が関わるような流れになるのだから、召命なのでしょうね。
イイネ! 返信
1人がイイネ! 福宮穂希(妙信千聖)

ーー
また良い関係に戻るのだったら、牧師しかないか。、、、
ーー
私の知り合いで、ユダヤ人だったのに牧師になられた方がおり、教会で英語を教えている方がおりましたが、ご夫婦で改宗された方です。
「良い関係になる」ことを望まれて流れに沿ってということなら、本当に恵まれていると思いますよ。
わたしも、いい関係なりたいと思ったらカトリックを辞めることができました。
これは個人の問題ですから、神様との相談の上ということになりますね。

ーー
、、、群衆が関わるような流れに、、、、
ーーー
はい、召命と言うのは、「流れ」もありますね。
その流れがないと中々進みません。
牧師の場合には、教会の方からは伝道師に対して「先生祈っておりますね」と言われてなることが多いと思います。そして、やはり何にしても「心と心の交流」がモノをいうと思いますよ。

カトリックの場合には、よく、「一度なったら、やめると罪」とか言われて中々本当の道を歩める方が少ないようにも感じます。とくに、途中で結婚したいと思っても、周りがその流れを作りたがらないとかいろんな事もあります。
でも、本人が結婚を望むならしてしまった方がいいと思う。
本人と神様が決めることだと思うし、その道を団体が決めることは神様を無視したやり方ではないかとすら思うことある。

いずれにせよ、「流れに乗ること」が大切です。
私がカトリックやめたのは、その「暖かい流れ」が出てきたからなのです。



[20]2016年11月29日 20:00
>>[2] 、カトリックで言うと「信徒使徒職」と言うのがありますが、
それに近いものですかね。
[21]2016年12月08日 19:41
ドイツ語のベルーフ(Beruf)についてはマックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』においてとても精緻な検証を行っており、それは読んでいて面白いほどエキサイティングです。
ドイツ人が今日、世俗的な職業の意味合いも込めて使う天職(Beruf)という語と同じような表現は、カトリック教徒が優勢な諸民族や古典古代においては見出されず、プロテスタントの優勢な諸民族においてのみ必ず見出されるとヴェーバーは指摘し、かなり詳細にこの由来を論述していますね。
[22]2016年12月09日 07:11
>>[21] 、お早うございます♪ぴかぴか(新しい)
カトリックの場合にはまだ本当の意味でのショウメイに至らないのには、歴史的背景も関係していると思います。
まず、「聖職者」という言葉をすべての人々に当てはめるのが正解かと思います。
人はそれぞれの奉仕を与えられていますが、そのそれぞれが聖職であるということに目覚めなければと思います。隣の魚やさんも、向かいに住むお花やさんも、聖なる人々です。

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