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カイビョウヲトラコミュの車懸かりの陣 その考察(11)

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。。。。。
まだ最後までというか。。。。全然進んでなかった「車懸かりの陣」
前回

メディアに見られる「車懸かりの陣」というのを懸賞してみたのですが。。。

「もう夢がないからやめて」
という意見を頂いて。。。。たしかに
あんまり夢のない話ってのも。。。いけないなぁってヒボシも思って
ちょっとの間
現実逃避しました

キャラデザやったり
他の話しを考えたり

別に有り余るほど才能があるわけでもないので
仕事に打ち込んだりしてましたが

「それで車懸かりの陣はどうなったのですが!!」

という意見もココ何日かの間に。。。。
ありがたい事に頂いたりしましたので
後少し。。。。描いてみようかと。。。。。



さて
戦国時代
軍勢の勝敗に関わる要素を上げろと言われると
これは色々あります

有能な統治者である大名
その指揮官を支える有能な武将たち
新しい武器
新しい考え方に対する柔軟な姿勢
色々
色々

などですが
とわいえ
「戦」は大名が個人戦でやる物じゃありませんなから
その国にすむ「民度」も大きく関係しているといえます

織田信長様は「兵農分離」を戦乱期に推し進め
フルタイムで戦う武士の集団を作った事でよくしられていますが

上杉謙信はそれは出来ませんでした
信長様と謙信公の年齢差はたった4つなのですが。。。
謙信には兵農分離は出来なかった
それどころか

関東が燃え上がった
「関東三国志」(上杉VS武田VS後北条)勢力図の中で一番
兵農分離に土地見地が出来なかった武将だ


なのに
越後兵は強かった
というか信長様をして「越後は強兵が揃っている」とさえ言わしめている
まぁ
これはおべっかのたぐいなのでしょうが(爆)

信長様の強さは「神速の機動力」と言われる
それは兵農をしっかり分けたために「すわ戦!!」となれば「戦専門の者達」によって軍事がうごいたからだ
これはこの後,秀吉によってさらに強化させられるのだが
その話しはまた今度〜〜〜


関東三国志の中でもっとも足が速かったのが「越後軍」
そう
上杉謙信率いた軍団だ

何故そういえるか
それは上杉軍が越後内に持っていた「軍道」に関係がある

軍道といえば「武田」も「棒道」というのをもっている
有名ですよね〜〜〜
「諏訪,大門峠。。。」などなどから伸びる上中下の道により
上野(こうずけ),奥信濃,そして川中島への兵站ラインを確保していた

同じように「上杉軍」も軍道を持っていた
ただかなり意味合いが違う軍道でその名を「直道(じきみち)」という
これは
関東出兵に合わせて整備された道なのだけど。。。。。


関東に出るとき謙信公が率いた軍勢はおおよそ5000が上限だったかと思われる
多くても6000

城方(春日山留守居)にやはり同じぐらいの数の集兵ができるよう
防衛ラインに点在する城には守りの兵が詰める

さて越後から関東に行くにはどのぐらいかかるのだろうか?
そりゃ
昔の話しですからねぇ
それにねぇ「三国峠」を越えて行かなきゃ成らない道程。。。。。
う〜〜む
通常の計算でいくと
だいたい。。。。。。一ヶ月はかかるらしい
なんたって三国峠は「峠」といっても山中をとおる難所だから

だけど
この直道を使った上杉軍は「三国峠」までを6日で歩く
越後府内から6日で。。。。。およそ115キロを進軍する
江戸時代。。。。大人一人が東海道を一日で歩く距離は男でだいたい35キロ(藤枝梅安さん曰く(爆笑))
とすると。。。。
35×6=210
決して不可能じゃないっス


安直に言ってしまいたいところですが
これは条件が違いすぎます
まず身軽な人(藤枝梅安さんは身軽(藁))です
さらに江戸時代は宿場町もできるほど道筋が平坦でおだやかです
現代人でいうなら
一日8時間あるいて30キロがいいとこです
となると。。。。30×6=180
おおっ!!!余裕!!!


だからぁぁぁぁ
まてまて
そりゃ一人の場合だし三国峠がゴールだったら余裕って事だし。。。。

何がいいたいのか(藁)

これが軍事行動だと言うこと
府内から出陣する謙信公は少なくとも2000の兵を連れている
これが越後国内の終結ポイントである「坂戸」(あれよあれ。。。政景さんの居城ね)に集結する時には5000になる
府内から坂戸まではだいたい80キロこれを4日で行軍する
一日20キロ
フル装備の軍団と兵站のための大荷駄,小荷駄が歩く道程としてはかなりきついハズ


が!!!

上杉軍は軍の規則で一日24キロを歩く
最低そこまでは歩くという決まりがある
というか
そうしないと「城」に入れないようになっている(爆)

24キロを歩く5000の兵
当然朝は早い6時には起床7時に出発
24キロ先の城には15〜16時には入るという事だから

6時間の行軍
一時間に4キロ歩く
時速3〜4キロで6時間の行軍を大人数でこなす

全体でみたら関東に行くまでの行軍として決して早いとはいえないのですが
歩行武者全盛であった戦国時代の事を考えれば
これほど統一された軍団はなかなか見あたらない


24キロを6時間
この大人数での規則正しく「早い」行軍が後の「車懸かりの陣」に活かされたのではないのか?とヒボシは考えた
5000もの人数
どこかでへたばったヤツが出てきたら「迷惑」
だからこそ歩行を鍛えられた軍団によって車懸かりの陣は「急旋回」という荒技をこなすことができたのではないだろうか?


なんて思ってみた(藁)

最近背骨が痛いヒボシは運動もろくすっぽなので。。。。車懸かりの陣には参加できないなぁ。。。などとおもったりもしている次第ですよ〜〜〜

続く。。。。かなぁ。。。。

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