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キョンシー・ホラーコミュの【コラム】I'm Someno〜設立35周年「染野企業電影工作室」制作キョンシー映画

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85年に日本人プロデューサー・染野行雄氏が香港に設立した映画会社「染野企業電影工作室」。その35周年作品として提供した、2017年制作の映画『追龍』(画像左)が来たる7月24日より全国で上映されます。
1948年、茨城県生まれの染野行雄氏は、67年に当時香港最大の映画会社ショウ・ブラザースが御殿場でロケしていた『大女侠』(69年、DVDのみ。画像中)の撮影現場に招かれ乗馬指導を行ったことから、翌年香港へ渡りショウ・ブラザース・スタジオで乗馬の技術と糸東流空手有段の腕前を武器に、俳優(主に悪役)、スタントマンとして活動します。その間当時まだ助監督だったジョン・ウー(吳宇森)やスタントマン仲間のサモ・ハン(洪金寶)、ショウ・ブラザース作品に出演する為日本からやって来た同郷の俳優・倉田保昭さん、そして彼のマネジャーであった加藤直三さんといった面々と知遇を得ることになります。

そして功夫映画のスーパースター、ブルース・リー(李小龍)が急逝した73年以降は、ショウ・ブラザースを出て香港や東南アジア各国の独立プロが制作したB級アクション約20作に出演。武術指導も兼任するなか、日本の松竹映画『撃たれる前に撃て!』(76年)にも悪役で顔を出しています。そして80年に入り、地道に交流を続けてきた仲間の映画人たちに請われ、アクション無しのコメディー映画「大毛見小毛」(81年・未公開)に主演を果たします。作品自体は香港のローカリズムにあふれた独立プロ制作の小品なのですが、ほぼ無名に近い日本人俳優が香港映画に主役を張ったこと自体、非常に異例で画期的だったのです。

「大毛見小毛」(広東語、日本語字幕無し)のフル動画。貴重です↓

このクランクアップ直後、染野氏は香港での活動に一旦区切りを付け帰国するのですが、その数ケ月後香港で仕事を共にした監督兼プロデューサーのウー・セイエン(呉思遠)から、撮影が難航していた映画『龍の忍者』(82年)の現場へ合流して欲しいと要請され、ロケ地の台湾へ渡りノンクレジットながら主演の真田広之さんと殺陣を交え、一部シーンで武術指導も務めました(画像右はそのオフショット。右が染野氏)。
コレを契機に再度香港映画界へ復帰した染野氏は、曲折の末85年に香港に現地法人「染野企業電影工作室」を設立。プロデューサーとして再起し、当時香港映画進出を図っていた大島ゆかり(シンシア・ラスター)さんをマネジメントし、更には台湾のヒットメーカー、リー・ツォー・ナン(李作楠)監督と組んで、当時流行していた"キョンシー・ホラー"やファンタジー映画の制作に乗り出したのです。
そこで今回の作品トピですが、「染野企業電影工作室」と李作楠監督が組んで制作した『新キョンシーズ』と『ラスト・キョンシー』に加え、「染野企業電影工作室」はからんでいませんが、前述の2作とほぼ同じ陣容で制作されたビデオ撮りの『キョンシー・グーニーズ』も紹介して参りたいと存じます。

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