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スメルジャコフとイワンコミュの雑感のためのトピック

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何か思ったことがあるのだけれど、新しいトピックを立てるほどのものではない、
あるいは、今のトピックで書き込むには趣旨が違う、など、「ちょっとした感想」のためのトピックです。

コメント(6)

トピック「好きなセリフやシーンなど」で、少し思ったことがあったのでこちらに書き込みます。
4、5で、皆さんそれぞれに語ってくださった「悪魔的」ということについて少々。

3で述べた(一般に言われる)「悪魔的」という形容がどこから来るのかということについては、
わたしはも少し単純に、犬のジューチカの逸話で、ビン入りのパンを食べさせる考えを吹き込んだりすること、あるいは、ある会話の中でグリゴーリーをなぶるように極めつけるやり方、また、フョードルの殺害や、その後の嫌疑を逃れるための身の処し方に見られる「狡知を働かせる」と表現できそうな部分、など、こういった部分から、その形容が使われている気がしていました。

イヴァンの対話する悪魔については、莉絵さんの言っておられたように、(イヴァンにとって、おそらくスメルジャコフより若干)古いなじみのように読んだので、自分としては、スメルジャコフとはあまりつなげて考えていませんでした。

とは言え、uさんもおっしゃっているように(また、莉絵さんも同じような感触も持っておられると思うのですが)「イヴァンの悪魔」とスメルジャコフの語り口や(こういってよければ)「手口」、また、「身分」や、少なくとも物語に登場するタイミングなど、両者に共通する感じがあるということも事実でしょうし、それは作者の意識するするところであったかもしれないとも思います。
ただ、「作者の意図」を持ってくると、その「共通性」は、
イヴァンという人間の心理の問題(彼の心理とそこにあるもの)を主として映しているのか、
それとも、もっと広く普遍的なものを端的に表しているのか、
という疑問を自ずと呼び起こすものだと思います。

uさんの言われる「イワン自体もどこか謎で人間離れした幽霊のようなボヤっとしたイメージ」というのは、おそらく、「三者」を一体的に見るような感じで、上に挙げた二つのうちの後者のイメージだと思われます。

このイメージを前面に打ち出し、「(父親殺しの)犯人は悪魔である」としながら、カラマーゾフの物語全体をカントの『純粋理性批判』との繋がりから(というよりそれに対する「こたえ」として)論じたのは、ゴロソフケルという研究者だったと思いますが、(『ドストエフスキーとカント』)、これは、自分としては非常に感心した本でした。
このイメージが「作者のじっさいの意図」の通りであるかは簡単ではないでしょうが、
(前に上げた二つのうちの)前者のイメージについていえば、こちらはわりに広く散見され、認められやすいものだと思われます。


今までわたしは「悪魔的」ということについて、あまり関心をもったことがなかったのですが、
皆さんのコメントをきっかけに、少し考えてみたくなりました。
まずは、悪魔とはどんなものなのか、イヴァンにとって彼の悪魔はなぜ悪魔と呼ばれたのか、そういう単純なことさえ自分にははっきりしないので、そのあたりから考えていこうと思っています。

お二人とも、参考になるコメントをありがとうございました。

はじめまして。ここで挨拶してもよろしかったでしょうか?

 僕は高二くらいのときに「カラマーゾフの兄弟(原 卓也訳)」を読みました。複雑な人間関係の中で、スメルジャコフは異質な存在だったせいか印象に残りました。

 また、機会があれば亀山訳の方も読んでみたいと思います。

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