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足利十五代・鎌倉公方コミュの足利直冬と慈恩寺

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かなりマニアックですが、島根県江津市にあります、足利直冬(ただふゆ)に関係する慈恩寺という寺をご紹介します。

先月に、広島へ旅行に行った時、ちょっと足をのばして訪れたのです。


慈恩寺は、室町時代、足利直冬が、晩年、隠棲していた寺だそうです。

↓以下のページで見ました。
http://www.mmjp.or.jp/askanet/samurais&temples-jionji.htm

直冬は、室町幕府初代将軍の足利尊氏の庶子でありながら、尊氏の弟・直義の養子となった武将です。

直冬の母の身分が低かったこと、その女性と一度しか通じていなかった(若い時の過ちでしょうか(^^;)ことなどから、尊氏は、直冬を子として認めようとしませんでした。

幼いころの直冬は、鎌倉の東勝寺の喝食(かっしき)となっていました。(正確には、当時、まだ直冬と名乗っていませんが)

【喝食】… 禅寺で、諸僧に食事を知らせ、食事の種類や進め方を告げること。また、その役目の名や、その役目をした有髪の少年。のちには稚児の意となった。

将軍の子なのに、可愛そうな境遇です。

鎌倉幕府滅亡の悲惨な瞬間を東勝寺で見たかもしれません。

尊氏が子として認められなかったのを可愛そうに思い、尊氏の弟の直義(ただよし)が養子に迎え、一字を与え、直冬と名乗らせました。
直義に子が無かったせいもあるでしょう。

直冬は、叔父の直義に恩義を感じました。
逆に、実の父親の尊氏を、心の底で憎んだと思います。

後に、1350年、観応の擾乱で、尊氏VS直義の兄弟対立が生じると、直冬は、迷わず、義父の直義に従います。

九州、中国地方で、直冬の羽振りがよかった時期もあるのですが、幕府打倒までは至りません。
如何ともしがたく、直冬は最後、足利義満の時代に、幕府に降伏します。

直冬は、幕府から捨て扶持をもらい、石見国で隠棲したといいます。
その場所が、慈恩寺のようです。

地図・http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=35/01/58.188&el=132/18/32.220&scl=1000000&bid=Mlink

直冬なりに、自分の宿命から脱却しようと頑張ったと思いますが。
その出生といい、晩年といい、寂しいです。

慈恩寺を訪れると、気温は5、6℃でしょうか、小雨で、風が強く寒いです。
慈恩寺の山門の下の方に、水仙の花が咲いていました。(写真1)
こんなに寒くても、咲いているんですね。

慈恩寺の境内に入っても、特に見るものはありません。
足利直冬の墓というものは無いようです。

ただ、慈恩寺の瓦には、足利氏の家紋である、二つ引両(ふたつひきりょう)の印が入っています。

この寺が足利氏に関係する寺であることが判ります。

写真1 慈恩寺の山門の下に咲いていた水仙
写真2 慈恩寺の本堂
写真3 慈恩寺の墓地から見た、風景。寒々としています。

コメント(10)

歴史の表舞台から抹殺された者の哀しみを感じさせますね。
観応の擾乱で赤松一族は大きく範図を広げましたから、この人の名前を聞くとなにか申し訳ない気がします。

でも、ちゃんと史跡として残っているんですね。

安心しました
 ジョン様

 足利直冬の足跡は、主に発給文書のみでしか追えなかったので、彼の足跡をとどめていることがうれしいところです。ご教示どうも有難うございます。

  いっちゃんさん >

いっちゃんさんは、赤松円心の末裔なんですね。(驚)
赤松氏は、元弘の変から、円心が家を大きくしました。
また、観応の擾乱で、版図を広げたんですね。
しかし、嘉吉の乱でへこんで、長禄の変で神爾を南朝から奪い返し、北朝に復帰しています。
その後、織田信長の播磨攻めにより、どうなった知らなかったのですが。
赤松氏の末裔の方が、現代いるとは、少々驚きました。

私は分家末流ですあせあせ

競馬好きな久留米の殿様、有馬伯は赤松一族ですよ。赤松本家は江戸時代は交代寄合でした。あとは、中曽根さんに自民党総裁選で負けて総理になりそこねた河本敏夫さんも、赤松一族ですよ。

足利直冬と赤松氏の関係には後日談があって、直冬の子孫をひそかに保護していたらしいです。嘉吉の乱では将軍候補に擁立したんです。節操のないことをするものです…

祖父にこの話を聞いたときは呆れましたが。
いっちゃんさん、ありがとうございます。勉強になりました。(謝)
赤松本家は、江戸時代、旗本だったのですか。
有馬氏は、赤松氏の一族なんですね。
そうですね。嘉吉の乱で、赤松満祐は、直冬の孫を大将として立てましたね。
しかし、赤松氏って、いろいろあって面白いです。
有馬持家は、義政の側近として有名ですね。
島根県の足利氏支流仁木氏支流、尾原が祖母です。祖母は、島根県邑智郡美郷町に住んでいました。直冬氏は江の川にも関わりがあったようで、小笠原氏と戦いのため、銀を軍資金にしようとしました。祖母の家の浦山からいつか銀を掘り出し、京都に納めたらしいです。お寺については知りませんが、祖父方も中世城の島根県の城主であったようです。徳島県や、広島県にも縁があったときいてます。

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