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水流と水神コミュの市杵嶋姫=弁財天(神道系)

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コミュ内全体

市杵嶋姫(イチキシマヒメ)は「神に斎く(いつく)島の独身女性」の意。
斎くは身を清浄にして神に仕えること。

古事記の表記=
 市寸島比売命(イツキシマヒメノミコト)
日本書紀の表記=
 市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)
別称=
 厳島姫命(イツキシマヒメノミコト)
 市杵嶋比売命(イチキシマヒメノミコト)
 市木嶋比売命(イチキシマヒメノミコト)
 狭依毘売命(サヨリビメノミコト)
 狭依姫命(サヨリヒメノミコト)
 田心姫命(タゴリヒメ)

アマテラスとスサノオの誓約(うけひ)により、
スサノオが剣を噛み砕いて吹き出すことによって生まれた
宗像三女神(ムナカタサンジョシン)の一柱。
ほかの二柱はタキリビメとタキツヒメ。
イチキシマヒメは三女神の中でも美人とされている。
ヒンドゥー教の河の女神弁財天と習合した。

平清盛が平氏の氏神として厳島神社に祀った神でもある。

●イチキシマヒメノミコトを祀った代表的な神社
宗像大社(福岡県宗像市田島2331)
http://www.munakata-taisha.or.jp/
厳島神社(広島県廿日市市宮島町1−1.)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE
江島神社(神奈川県藤沢市江の島2-3-6)
http://www.enoshimajinja.or.jp/

《目次》
愛知県
●藤島神社(あま市)=書き込み181/182
●摂社辨天社(名古屋市 川原神社)=書き込み185/186
●境内社厳島社(一宮市 真清田神社)=書き込み183/184
●高津波町 市杵島神社(刈谷市)=書き込み176/177
●小場塚弁財天神社 (清須市)=書き込み146/147
●境内社厳島神社 (名古屋市 七所神社)=書き込み194
●境内社弁天社 (豊橋市 御嶽神社)=書き込み146/147
●深島神社(名古屋市)=書き込み169/170
●大高町 弁財天社(名古屋市)=書き込み189
●太閤 厳島神社(名古屋市)=書き込み167/168
●星崎 市杵島神社(名古屋市)=書き込み163/164
●椀貸池弁財天 (豊田市)=書き込み178/179
●境内社小幡辨天宮(名古屋市 小幡白山神社)=書き込み192

大阪府
●境内社市杵島姫神社(難波八阪神社)=書き込み171

神奈川県
●弁才天(川崎市 今井神社 末社)=書き込み125/126

埼玉県
●弁天社(朝霞市 宮戸神社)=書き込み95/96
●市杵島姫命(さいたま市 別所沼弁財天)=書き込み121/122

静岡県
●市杵島姫命(浜松市 辨天神社)=書き込み156/157

千葉県
●厳島神社港町弁財天(千葉市中央区)=書き込み154/155
●大豆谷厳島神社(東金市大豆谷)=書き込み127/128
●辺田町 三社神社(千葉市緑区)=書き込み148/149
●末社厳島社(館山市大神宮 安房神社)=書き込み140/141

東京都内
●境内社厳島神社(荒川区 尾久八幡神社)=書き込み117/118
●市杵島姫之命(大田区 厳島神社:洗足池弁財天)=書き込み64/65
●境内社笠島弁天(大田区 磐井神社)=書き込み98
●末社弁才天(大田区 羽田神社 羽田富士)=書き込み105/106
●利田神社(品川区)=書き込み108
●末社厳島神社(品川区 鮫洲八幡神社)=書き込み100
●末社厳島神社(渋谷氷川神社)=書き込み101/102
●末社厳島神社(渋谷区 氷川神社)=書き込み84/86
●抜弁天厳島神社(新宿区)=書き込み107
●市杵嶋姫神(新宿区 多武峯内藤神社末社稲荷神社)=書き込み138/139
●阿佐ヶ谷弁財天(杉並区)=書き込み16
●市杵嶋比売命(杉並区 天沼八幡神社)境内=書き込み34/35
●成宗五色弁財天(杉並区 成宗弁天社)=書き込み10〜12
●弁財天(杉並区)=書き込み36
●弁財天社(杉並区)=書き込み13/14
●和泉弁天社(杉並区)=書き込み1/2
●中瀬天祖神社 稲荷大明神(杉並区)=書き込み21/22
●境内社稲荷大明神(杉並区 中瀬天祖神社)=書き込み21/22
●市寸嶋比売命(墨田区 江島杉山神社)=書き込み114/115
●瓣才天(世田谷区 堂)=書き込み90/92
●弁才天女(世田谷区 奥澤神社末社福寿弁財天)=書き込み111/113
●厳嶋姫命(世田谷区 粕谷八幡神社 境内社五所神社)=書き込み74/76
●境内社厳島神社(世田谷八幡宮)=書き込み28/29
●末社弁財天(台東区 熱田神社)=書き込み119/200
●厳島大明神(千代田区 柳森神社 末社厳島神社)=書き込み5/8
●弁財天社 お歯黒獅子(中央区 浪除稲荷神社)=書き込み109/110
●三宝寺池弁財天(練馬区)=書き込み52/53
●箕輪築真弁財天(練馬区 市杵島神社)=書き込み26
●境内社 弁天社(練馬区 大泉氷川神社)=書き込み37/39
●狭依姫命(練馬区 天祖若宮八幡宮)=書き込み54/55

東京都稲城市
●弁財天(稲城市矢野口 穴澤天神社)=書き込み15
東京都小金井市
●市杵島姫命(貫井神社)=書き込み61/63
東京都国分寺市
●弁財天(真姿の池)=書き込み93/94
●境内社子育弁財天(本町八幡神社)=書き込み56/57
東京都八王子市
●福徳弁財天(薬王院)=書き込み19
東京都東久留米市
●市杵島姫命(八幡神社境内社金刀比羅神社) =書き込み67/68
●市杵嶋姫命石碑(神明社) =書き込み71/72
●厳島神社=書き込み43/44
●竹林弁財天=書き込み46/47
●弁財天(下里氷川神社)=書き込み97
●門前厳島神社=書き込み40/42

兵庫県
●玉光弁財天(神戸市 行者堂)=書き込み77
●市杵島神(西宮市 西宮神社末社市杵島神社)=書き込み145
●末社厳島社(姫路市 射楯兵主神社)=書き込み191

三重県
●久間田神社(四日市市)=書き込み175

奈良県御所市
●境内社市杵島社 (葛城一言主神社)=書き込み129
●末社市杵嶋姫命神社(高鴨神社) =書き込み180
●弁財天(吉祥草寺) =書き込み83
奈良県天理市
●楢町 厳島神社 =書き込み174
奈良県奈良市
●市杵島姫命(春日大社 末社宗像神社)=書き込み116
●亥之島弁財天(法隆寺 弁天堂)=書き込み80
奈良県大和高田市
●弁財天(奥田の蓮池) =書き込み130/131
奈良県生駒郡
●末社市杵島姫命・白龍大神合祀社(龍田神社)=書き込み172/173

静岡県三島市
●市杵島姫命(三嶋大社 境内社厳島神社)=書き込み142/143

和歌山県
●境内社厳島明神(丹生都比売神社)=書き込み158〜160
 
↓MAP
http://www.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&t=k&om=1&msa=0&ll=35.697177,139.773407&spn=0.001523,0.001526&z=19&msid=113844027188609943916.000001129eb1a39df5e56

コメント(194)

●厳島神社港町弁財天 水脈環境
千葉市中央区港町10-15

厳島神社港町弁財天拝殿裏の神池には廃棄物が沈んでいるが、水はごく透明だ。
(写真左)
池には意味不明の糸が張ってある。
神池に浮かぶ島への石橋を渡るとすぐ、
参道脇右手の小さな石塚から、
手水を受けるための自然の湧き水が流れ落ちていた。
都川を見に行ってみると、河口で巾70mほどで、
堤防下には係留されたランチボートが並んでいた。
●辨天神社
静岡県浜松市西区舞阪町弁天島

pm22:30に東京を出発し、246号線を経由して1号線に入り、
ほとんど、15年ぶりくらいに、浜松で
浜名バイパスではなく、市街地を抜ける東海道に入った。
すでに夜は明けており、舞阪側から1号線の橋を渡って弁天島に渡ると、
神社の前を通過した。
Uターンして戻ると、それは辨天神社だった。
前から地図で、このあたりに辨天神社があることは気になっていたのだが、
1号線に面してるとは思わなかった。

玉垣に囲われた境内は、さほど広くはないが、樹木はよく伸びている(写真左)。
入り口に掲げられた由緒によれば、もとの弁天島は陸とつながっており、
三保の松原に舞い降りた天女は当初、弁天島に舞い降りたらしい。
その後、大災害によって弁天島は湖の孤島になり、
舞阪の岸とは渡し船で行き来するようになったが、
江戸時代に渡海(?)安全のためにこの神社が創建されたという。

石造靖国鳥居をくぐると、コンクリートでたたかれた参道の両側に
朱の太鼓橋の欄干がかけてあった。
参道が2mほどの橋に見立ててあるのだが、下に水が流れているわけではなく、
あくまでも“形”だ。
拝殿は入母屋瓦屋根(写真中)で、本殿は神明造(写真右)。
ともに赤紅色に彩色されており、
祭神が市杵島姫命であることを示唆していた。
●辨天神社 水脈環境
静岡県浜松市西区舞阪町弁天島

この辨天神社には珍しく、池が無い。
この神社のある弁天島自体が浜名湖に浮かぶ島だから、必要ないのだろうが、
一応、参道を橋に見立てたか、朱の欄干がある(写真左)。
地図をチェックすると南80mあたりに海岸がある。
海岸に出てみると、沖合の水上に朱の大鳥居が立っていた。
その背後を抜けている立橋のハイウェイが、いつも通る浜名バイパスで、
バイパスをいつも眺望しながら通過していたのがこの大鳥居だったのだ。
鳥居は辨天神社の方を向いているようにみえるが、
神社の規模と大鳥居のバランスが合わない。
海岸を通りかかった地元のおじさんに、大鳥居に関して取材。
はっきりしたことは不明だが、大鳥居は弁天島を神体として祀られ、
船上から参拝する形になっているようだ。
おじさんによれば、少し内陸側に古い堤防石垣が残っているらしく、
島の面積は広げられているようだ。
海岸に降りてみると、黒い砂に無数の貝殻の欠片が散らばっている(写真右)。
この海岸は潮干狩りが楽しめるるらしく、
草原の中に海岸をイメージしたデコレーションの、
アサリをデザインしたつい立てのある
お洒落なカフェのようなトイレが建っていた。
●丹生都比売神社
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230

紀伊国一宮、高野山鎮守、全国の丹生都比売神社総本社。

祭神は、
第一殿 丹生都比売大神(丹生明神)
第二殿 高野御子大神(狩場明神)
第三殿 大食都比売大神(気比明神)
第四殿 市杵島比売大神(厳島明神)

第四殿の市杵島比売大神は、後世(鎌倉時代)になってからの合祀です。
●丹生都比売神社
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230

境内には、表示は無かったのですが、池があって小島があって小祠が有りました。
これは弁天社ですよね。
●丹生都比売神社・水脈環境
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230

丹生都比売神社の近辺は、ホタルの名所だということです。
まだ水質が保たれているということなのでしょう。
ホタルの写真を撮ってみたのですが、なんだか・・・。
ムービーも撮ってみたのですが、ますます・・・。
<video src="9288899:070acae8825070ae7a9a9d16752b7100">
●弁天社(御嶽神社)
愛知県豊橋市下地町字宮前

豊麻神社の東側に沿って、入り口は別にした御嶽神社があった(写真左)。
入り口に鳥居はなく、参道に入るとすぐ右手に弁天社の石鳥居があった。
鳥居の奥には金網塀で囲まれた池がある(写真中)。
正午に近く、快晴なので、日差しは強いのだが、弁天社の入り口は
濃く繁った樹木の葉で遮られ、日陰が気持ちいい。
鳥居をくぐって橋を渡ると、90度左に弁天社の祠。
左側に境内社があるが、祭神は不明。
●弁天社(御嶽神社)水脈環境
愛知県豊橋市下地町字宮前

弁天社を取り巻く池の水面は青々とした蓮の葉で覆われていた。
祠の正面に1輪だけ白い花が開き始めていた(写真左)。
●星崎 市杵島神社
愛知県名古屋市南区本星崎町1

父親の実家のある旧南野村(現星崎1丁目)の歴史をしらべるために
『南区の歴史』(愛知県郷土資料刊行会)の
「信仰-南野村」の項をチェックしていたところ、
意外なことに、聞いたことの無い市杵島神社の存在を知った。
しかも場所は父親の実家の菩提寺、常徳寺から70mしか離れていない。
だが、この神社の名称は地図には表示されていなかった。
航空写真でその場所をチェックすると、
空き地の中央に小屋の屋根らしきものが見える。
10月の下旬、光のきれいな日にバイクでその場所に向かった。
国道1号線に面した常徳寺の裏の路地に入り、
勘で曲がりくねった複雑な住宅街の路地を進むと、
細かな砂利を敷きつめた広場の前に出た(写真左)。
鳥居は無く、狛犬、常夜灯の類いはいっさい無いが、
左手に祠が2基、中央に待合室のような建物があるが、
それが、上空から見えた屋根の建物で、拝殿のようだ。
この広場の入り口脇には星崎公民館の建物があり、
その向かい側はアパートになっている。
どうもこのふたつの建物の間を南に伸びている路地が
参道だったようだ。
路地は広くないので、愛車を邪魔にならない場所まで移動して停めた。
境内に戻り、砂利の中を抜ける雷光形の敷石の参道に入ってゆくと、
拝殿は壁が無く、床は土間になっている(写真中)。
拝殿を抜けると、正面に瑞垣に囲まれた立派な神明造の本殿があった(写真右)。
鞭懸(むちかけ)もちゃんとあり、千木は水平に切ってあるが、
なぜか鰹木は奇数になっている。

拝殿の前の参道に向かって並んでいる祠は
竃神社と加具土神社だった。
●星崎 市杵島神社 水脈環境
愛知県名古屋市南区本星崎町1

寛政年間(1789〜1800年)ころに制作された『愛知郡村邑全図』の
「星崎庄 南野村」(MAP左)によれば、
水路が「通り」という表現になっているが、
市杵島神社の場所には「弁天」という表記があり、
その北側を東西に水路が通っている。
その水路は「北江通り」(現38号線)に流れ込んでおり、「北江通り」は
表記が無いが、大江川湊(現大江川緑地)に流れ込んでいる。

本殿の裏側に回り、水路跡を探すと、本殿の後ろ、
境内に沿って水路があったようで、
境内から脇の住宅街に抜ける幅2mほどの路地の中央に暗渠が通っていた。
(写真中/右)
暗渠の蓋は境内に入ったところで姿を消しているので、
そのまま境内の地下を抜けて
大江川緑地(旧大江川湊)に向かっているものとみられる。
●太閤 厳島神社
愛知県名古屋市中川区太閤5丁目

4月中旬 晴れ。
JR名古屋駅の南西460mあたりにある厳島神社に向かった。
かつて、南北に流れていた笈瀬川を埋め立てたと思われる笈瀬本通から
西の路地に入ると周囲は個建ての住宅街だった。
そんな住宅の狭間に西側の路地に面して厳島神社はあった(写真左)。
入り口は鳥居が無く、社号票と灯明門。
境内は全面がコンクリートで叩かれている。
境内の樹木は古木はなく、若い樹木ばかり。
入り口の立派な屋根を持った『由緒』掲示板によれば
祭神は市杵島比売命。
鎮座したのは延享4年(1744)のことで、
宮裏神明社、椿神明社とともに牧野三所社と呼ばれていたようだ。
宮裏神明社は現在、見当たらないが、
椿神明社はここ厳島神社の北530mあたりに現存する。
そして厳島神社は昭和17年に椿神明社と合併し、
現在、厳島神社は椿神明社の境外末社となっているという。
灯明門をくぐると、境内にあるのは倉とその前にある小さな空き地、
池と池の中にある島、ほかは参道のみという、最小限だが、
厳島神社として必要最低限の装置はすべて揃っている神社だった。
ただし、池も島も方形で橋も太鼓橋ではなく、余裕はまったく感じさせない。
(写真中)
島に渡る橋の入り口には
頭を下げないとくぐれないほどの大きさの鳥居が池の南側に立っており、
橋は柵の門が閉まっていて渡れない。
鳥居の正面に銅板葺き流れ造りの屋根を持ち、しっかりした躯体の本殿が
丸石を組んだ基壇の上に祀られている(写真右)。
島内には狛犬と石造の常夜灯のほかに島の片隅に
「弁財天御神」と彫られた屋根を持った石碑が置かれていた。
●太閤 厳島神社 水脈環境
愛知県名古屋市中川区太閤5丁目

鳥居の前で参拝して水面を見るが、流れはなく、
池はこの境内で完結しているようだ。
かつて、50mほど東に現在は埋め立てられているらしい、
南北を流れる笈瀬川が流れていたというが、悪水(汚水)だったというから、
つながってはいなかったと思われる。
池の壁面はすべて丸石を重ねた石垣が巡らせてある(写真左)。
水面を見ると、大きくはない緋鯉の群が回遊していた(写真右)。
池中に亀の甲羅干しするスペースがあり、そこにいる亀を見ると、
外来種のために絶滅しかけている和亀だった。
この事態を招いたのは主要因があって、
1960年代にチョコレートメーカーが
空き箱とミドリガメ(ミシシッピアカミミガメの幼体)を交換する
インセンティブのキャンペーンを行ったことが大きく影響したという。
●深島神社
愛知県名古屋市北区柳原2丁目

2月下旬 晴れ
名古屋城の鬼門にある金城橋北交差点に南を流れる堀川を渡り、南に下った。
表通りから西の柳原の路地に入ると、
深島神社(ふかじまじんじゃ)の北の背後に出た。
深島神社は名古屋城の東側の住宅街の中にあった。
深島神社は南向きで、社頭に石造の明神鳥居が立っている(写真左)。
奥行きはさほど深くない神社で、鳥居のすぐ先に拝殿が見えた。
鳥居前の掲示板に『当神社御由来』のプリントが貼り出されていた。
祭神は

・本社殿 田心姫命(タゴリヒメ)
・東社殿 牛頭天王
・西社殿 石神社[石神] 石土彦神(イシヅヒコ) 石巣姫神(イシヅヒメ)

『日本書紀』第三の一書では「田心姫命」は市杵嶋姫の別名で、
牛頭天王=スサノオの剣から生まれた。
さらなる別名タギリヒメの「タギリ」は
Wikipediaは「天の安河の早瀬のこととも解釈される」としているが、
天の安河とは天の川のことで、
堀川をはさんだ対岸に多奈波太神社が祀られていることと符合する。
2社の距離300mほど。
双方の神社に天の安河に関する由緒が残っていないのがもったいない。
そして、多奈波太神社の主祭神、天之多奈波太姫命(織女)は
田心姫命と同神と考えられる。
さらに多奈波太神社の110mほど西には
田心姫命を含めた宗像三女神を祀った宗像神社があり、南北340m以内に
田心姫命が三ヶ所に祀られていることになる。
そして、宗像神社の南260m辺りには
宗像三女神の親神スサノオを祀った天王神社がある。

牛頭天王=牽牛

と考えられ、深島神社の東社殿に祀られた牛頭天王のことも考えると、
堀川が天の安河に見立てられているとも受け取れ、
堀川を挟んで北岸に織女(天之多奈波太姫命)、
南側に牽牛(牛頭天王)が配置されていることになる。

ところで、『御由緒』にはこうもある。

「『尾張志』に応永五年(1398)三月改築との記録がありそれ以前の御鎮座であることは明らかである」

鳥居をくぐるとすぐ、参道はY字に別れ、
左の参道は拝殿、右の参道は深島稲荷社に向かっている。
拝殿は床を持つが壁の無い瓦屋根棟入りの建物で(写真中)、
銅板葺き屋根・流れ造りの本殿(写真左)とは屋根の無い石段でつながっていた。
本殿の東西の社殿も流れ造りで、
その西側の石神社(写真右)は石ではなく、社殿として祀られていた。
●深島神社 水脈環境
愛知県名古屋市北区柳原2丁目

4月の上旬、満開の桜が見られる最後の週末、堀川沿いを北上し、
柳原の南側の岸に到達した。
堀川沿いは名古屋城の西部から桜の樹々が多くなり、
深島神社の北部にさしかかると、さらに樹の密度が高まった(写真左)。
桜は堀川の水面に枝をせり出し、対岸の多奈波太神社前の桜も満開だ(写真中)。
堀川の水面に散った桜の花弁はほとんど動いてなく、
流れがほとんど無いことがわかる。
桜の枝をチェックしてみると、
これでも80%くらいがすでに散っていることがわかる(写真右)。
●境内社市杵島姫神社(難波八阪神社)
大阪府大阪市浪速区元町2-9-19

5月中旬 晴れ。
正午ころ、南海本線難波駅の西400mあたりにある難波八阪神社前に立った。
(写真左)
社頭は南向きで、 入り口には石造の大きな台輪鳥居が立ち上がり、
それを よく育った樹木が東西から覆っていた。
拝殿は真正面だが、鳥居よりかすかに西に振ってある。
社頭には『難波八阪神社御由緒』の板書きが掲示され、そこにはこうあった。

「古くは難波下の宮と称し後三条天皇の延久の頃(1069〜73)すでに難波牛頭天王社として勧請され時代の変遷とともに境内社十三社(祭神三十六社)を数へる古社で…」

祭神は素盞鳴尊、奇稲田姫命、八柱御子命のスサノオ一家。
鳥居をくぐって手水を使い、堂々たる巨大な拝殿で参拝。
拝殿の西側には2社の祠ごとに大きな石柱(瑞垣?)で区切られ、
4社の境内社が祀られていたが、拝殿側から3番目の祠が
市杵島姫神社だった(写真左の左の祠) 。

円柱形の石が再利用されて基壇が設けられており、
その上に錆びた銅板葺き屋根を持った流れ造の小祠が祀られていた。

ここからほぼ真南450mあたりにも
素盞嗚尊と大國主命を祀った敷津松之宮があるが、
その名称の由来がWikipediaにこうある。

「神功皇后が三韓との戦いから帰朝した際、海岸だった敷津の浜に荒波が打ち寄せる様を見て、潮がこれ以上満ちないよう祈願するため、松を3本植えて素盞嗚尊を祀ったのが由緒とされている。」

と記述されており、かつては海岸線がこの近くに迫っていたことがわかるが、
現在はここからかつての海岸線だったと思える木津川まで1.3kmほど、
鉄鋼共営埠頭まで3.2kmほどある(MAP右)。
つまり、この市杵島姫神社はこの周辺から持ち込まれたものであったとしても、
海岸線は市杵島姫神社に迫っていた可能性がある。
あるいはここから450mほど北を東西に道頓堀川(1615年開削)が流れており、
その関係か、そこからの用水に関係した市杵島姫神社であったのかもしれない。
●末社市杵島姫命・白龍大神合祀社(龍田神社)
奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6

6月下旬 快晴 熱暑。
四天王寺から、25号線で斑鳩町に向かっていた。
法隆寺周辺の地形を見たかったので、
25号線の北側にある数社の神社に寄って行くつもりだった。
25号線と平行して走る路地に入り、
25号線から80m以内に南向きの社頭がある、龍田神社に向かった。
境内の西側が駐車場に見えたので、愛車に乗ったまま境内に入ったところ、
デジカメを乗せた三脚を構えたおじさんが木陰のベンチに腰を降ろしていた。
カメラの向いてる方向を除けて、木陰に愛車を停めた。
社頭を見に行くと、黒木鳥居に銅板葺きの屋根を乗せた奇妙な鳥居だった。
(写真左)
鳥居のすぐ先に拝殿が見えている。
入り口の板書きに『由緒沿革』があり、以下の記述から
ここが聖徳太子とつながりのある神社であることがわかった。

「聖徳太子が推坂山で法隆寺建立の地を指示された龍田大明神を法隆寺の守護神として鬼門除神として法隆寺建立と同時に御廟山(錦ヶ丘)南麓の地に移し祀られた(聖徳太子伝私記より)」

祭神はすべて、ここでしか聞かない神名だった。

・天御柱之大神
・国御柱之大神
・龍田比古之大神
・龍田比女之大神

鳥居をくぐると参道東に巨大な楠が天にそびえている。
参道脇にも、ここでしか見たことのない物が…
手水桶があるのだが、その龍口が巨大な金属製の鶏だったのだ。
金属の素材は銅でも鉄でもないようだ。

龍田神社拝殿はすでに鉄筋化していた。
拝殿の西には2段に別れた境内に
大きくはないが、朱の鳥居を持った末社群が玉垣を組んだ一画に祀られていた。
(写真中)
下の段には事代主神社と淡島神社ほか4社、
上の段には市杵島姫命と白龍大神を合祀した1社。
この合祀社は二ノ鳥居を持っていた(写真右)。

あまりの熱暑で睡魔に襲われ、おじさんの居なくなったベンチに横になって
15分ほど熟睡したが、
こうした、生産とも消費ともいっさい関係の無い空間は
自宅に持つことも難しいから、ほんとに癒される。
●末社市杵島姫命・白龍大神合祀社(龍田神社) 水脈環境
奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6

市杵島姫命が祀られていれば、その周辺か、
かつて、その市杵島姫命が祀られていた周辺に
水辺が存在する可能性があるのだが、
地図をチェックすると、市杵島姫命が祀られている末社の北170mあたりには
3つの池があることがわかったので、それを見るために
龍田神社の境内を出て、境内の西側に面した道路を北上した。
道は碁盤の目状に整地された住宅街の中を少しくねりながら、
急な坂道となっている。
3つの池の東側を北上したことになるのだが、池端に出ることができないまま、
500m走って町立斑鳩中学校のグランドの塀にぶつかった。
グランドの西側に面した道路は工事中なので、グランドの塀の前に愛車を停め、
徒歩で、工事中の道に入ると、ネットの塀越しに下の方に池が少し見えた。
池の東側は住宅街に面していて、池端に出ることはできないようだった。
池の西側に回ってみることにしたのだが、
西側に回るには工事中の道しか無く、
時計回りでも逆周りでも、大きな迂回をする必要があった。
斑鳩中学校の外周を迂回する池の北側を回るコースを選択して、
池の西側に出た。
3つの池の最上部にある池にだけ、道路が面しているのだが、
その道路と池の境にも生け垣が設置されていて、
それが子供たちの危険防止が目的なのか、
他所者が入り込まないようにするためなのかはわからないが、
意図的に池が見えないようにしてあるように感じる。
それでも、生け垣の隙間や、池端に建てられた家の庭を通して
池を見下ろすことができた(写真左/中)。
水は汚れてはいないが、不透明で、水深は想像できない。

ところで、
航空写真を眺めているうちに、池は3つではなく、
7つあった可能性のあることに気付いた。
(MAP右)の1・3・7が埋め立てられた池である可能性があるのだ。
1はグランド、3が斑鳩中学校、7は現在は畑地になっている。
かつての7つの池は頂上にある1から麓の7に向かって
階段状に段差を持って並んでいるのだが、それは柄杓の形をしている。
北斗七星を意味している可能性があるのだが、
北辰だから、龍田神社の祭神、龍田比古之大神、龍神・市杵島姫命に繋がる。
ここは聖徳太子の本拠地だから、
聖徳太子が列島に持ち込んだ七星剣ともつながる。
七星剣という名称は剣に北斗七星が描かれていたことによるが、
聖徳太子の一族に関る剣とみられる。
四天王寺、法隆寺の両寺に聖徳太子の七星剣が伝わり、現存する。
本当に池は7つであり、北斗七星を意識して造成されたのだろうか。
●楢町 厳島神社
奈良県天理市楢町

6月下旬 快晴 熱暑。
東西に走る192号線と、
それを南北に横切る桜井線の交差する櫟本町(いちのもとちょう)から、
桜井線の東側を通っている細い路地を170mほど北上すると櫟本駅があり、
さらに400mあまり畑地と住宅街の間を抜ける複雑な道を辿ると、
厳島神社の南の社頭に着き、
愛車を路肩の1ヶ所しか無い木陰に停めた(写真左)。
杜はコンクリートブロック塀で囲まれていた。
境内の南と西は畑に面し、東と北は住宅に面している。
制作コストを考慮しても、コンクリートブロック塀よりよい方法は
いくらでもあったはずだが、なんとも美しくない。
入り口には朱の明神鳥居。
鳥居をくぐると正面に石造の二ノ鳥居があり、その先に朱の柵や祠が見える。
(写真中)
二ノ鳥居をくぐると、島に向かって石橋がかかっており、
朱の柵は欄干であるとわかった。
島の周囲はプールになっているが、水は無い(写真中)。
境内には落ち葉がうずたかく重なり、
日常は手入れがされていないことがわかる。
本殿は角度の異なる切妻屋根を2種重ねた屋根を持つ春日造。
橋を渡って、参拝した。
もとは、600mほど東の弁天池の畔に祀られていたが、
ここから北50mほどの場所を東西に流れている楢川の氾濫で
現在地に流れ着き、祀られたという。
俗称、「苅郷宮」と呼ばれていたようだ。
●久間田神社
三重県四日市市鹿間町449-1

6月の下旬 猛暑の夕刻。
115号線から路地を西に入ると、東南向きの石造内宮源鳥居のある
久間田神社(くまだじんじゃ)社頭に出た(写真左)。
一ノ鳥居前両側には基壇に特徴的な輪を持った左三つ巴神紋が刻まれた狛犬が
「ア」「ウン」と言いながら控えている。
杜は玉垣で囲まれ、細かな砂利が敷きつめられた参道がまっすぐ奥に延び、
すぐ先に一ノ鳥居とまったく同じ石造内宮源鳥居の二ノ鳥居が見える。
そのまたすぐ先に見えるのは拝殿のようだ。
長くはない参道の両側は樹木で埋まっている。
ふたつの鳥居をくぐって奥に進むと、入母屋屋根平入りの拝殿前に出た。
拝殿は前面にガラス窓があり、集会所の建物風で、
拝所部分はパネルで塞がれ、目の高さのあたりだけ素通しの格子になっていて、
なんともすっきりしない建物だなと思いながら近づいて、驚いた。
腰板部分はすべて木目がプリントされたアルミサッシだった。
拝殿前には本社と境内社に分けて祭神名を刻んだ、
御影石の石碑が2基立っていたが、
この石碑の基壇がまた、石碑とくらべて、やたらに巨大で、
何でこうなるのというものだった。
2基の石碑はそれぞれ本社と境内社の祭神を表示したものだった。

本社御祭神:天照皇大御神 伊邪那岐大神 市杵島姫命 他◯柱ノ神

拝殿で参拝して裏面に回ると、本殿は石垣の上に組んだ板瑞垣の中にあった。
(写真中)
拝殿とまったくイメージが異なり、正統な神明造だが、
使用された素木の木口部分はすべて朱で染められ、
防腐の役割とアクセントを兼ねていた。
瑞垣内はゆったりしたスペースがとられている。
拝殿の南西側には森があって、広い池と島の痕跡があり、
島に向かって長い石橋が架かっていた(写真右)。
本社祀られた市杵島姫命と関係のある池なのだろうが、
島内に石灯籠が見え、祠が祀られている可能性があるので、
割れそうにしなる石橋を通って島に渡った。
石橋の中には鉄筋が通してあるようだった。
島内には基石のような石と灯籠と樹木があるのみだった。
本殿に合祀されている市杵島姫命はこの島に祀られていたのかもしれない。
7月、この地では夏祭・弁天祭が行われ、
雨乞いの大太鼓踊りという行事があることで知られているらしい。
●高津波町 市杵島神社
愛知県刈谷市高津波町5-44

6月の中旬午後 曇天。
刈谷市の西部を南北に流れる逢妻川(あいづまがわ)の東岸の水田地帯に面した
高津波町 市杵島神社に向かった。
刈谷市内を南北に貫く48号線から住宅街の中を蛇行して抜ける路地を辿ると、
高層マンションの脇に黒い石碑に白い文字で「市杵島神社」と
社号を刻まれた社号票に桜の枝葉が覆い隠さっていた(写真左)。
社頭は東向きで、痛んだアスファルト舗装の参道が延び、
その参道の両側に各4セットの石造の常夜灯と1セットの石灯籠が並び、
その先に石造の明神鳥居が立っているが、鳥居の先はすぐに開けている。
鳥居をくぐると広場になっており、
中央に土俵の跡らしきものがうっすら残っている。
広場の北には南向きの瓦屋根を持った土塀のある拝殿、
西には東西に長い、集会所らしき建物とそれに並んだ東向きの境内社があるが、
祭神は不明。
拝殿の正面にあたる南側にも石造の明神鳥居があり、
その鳥居の外側は隣の空き地になっている。
どうも、この南側の鳥居が本来の社頭で、
東側に住宅街が開けたことで、社頭が現在の東側に設けられたようだ。
南の鳥居と拝殿の間には1セットづつの石灯籠と狛犬があるが、
その石鳥居の東側の石灯籠は広場の中にポツンとあるので、
東側から境内に入ってくると、石灯籠がそこにあることに違和感がある。
拝殿は切り妻の瓦屋根で平入りの建物だが、木部は防腐剤がかけてあるようで、
黒紅色に染まっている。
拝殿の東側にまわってみると、本殿は瓦屋根の流れ造りの建物だが、
こちらも木部は茶褐色に染められていた。
●高津波町 市杵島神社 水脈環境
愛知県刈谷市高津波町5-44

境内を出て、境内の北側を抜ける蛇行した道路を下ってゆくと、
段丘の端にある市杵島神社に沿って、麓を流れる用水路があった。
逢妻川(あいづまがわ)に流れ込む用水から分流され、
中手町の住宅街を暗渠になって抜け、水田地帯に入ったところから明渠になり、
水田地帯の東に沿って下流の南に流れ、
弁天排水機場で逢妻川に排水されているようだ(MAP左)。
用水路の上流は川床に水生植物が生え(写真中)。
下流には灌木が被いかぶさっていた(写真右)。
●椀貸池弁財天
愛知県豊田市八草町丁田

7月下旬の週末、快晴で熱暑。
豊田市から愛知県北設楽郡へ東西に走る
猿投(さなげ)グリーンロード(6号線)の豊田市側の起点になっている
八草東に向かったが、
途中、6号線に繋がる60号線(東山線)の望が丘(のぞみがおか)で
黒雲が出てきたなと思っていたら、あっという間にスコールになり、
30分ほど東名高速道路の高架下で雨宿りした。
猿投グリーンロードの八草東から北に向かう523号線に入り、
最初の交差点八草来姓でマイナーな道に折れ、東に向かった。
八草来姓交差点から870mほど走ると2叉路があり、
その二股の中央に

「椀貸池
 弁財天
 左へ約八丁」

と刻まれてた道標があった(写真左)。
「椀貸池」は「わんかしいけ」と読むことは、
後でしらべるまでわからなかった。
道標右手の道は一般道。
左の丘の上へ向かう道路からは20mほど先で弁財天社の石段が分岐している。
道標の背後には『椀貸池』の案内板があり、祭神と由緒が書かれていた。

・弁財天
・白竜王大明神
・ミヨリノホシ
・御獄山

「〈願かけ池〉として知られ由緒ある池です」とある。

「椀貸池」の読みをネットで探していたら、
「椀貸池」は全国に分布しているようで、
「椀貸伝説」という用語でkotobankに項目があった。
それによれば、

「椀貸塚,椀貸池などで頼めば膳(ぜん)・椀を貸してくれたという伝説で,全国に分布し,不心得者が返さなかったため今では貸さなくなったと伝える。その土地から実際に土器などの出土することもあるが,木地屋(きじや)のように椀を作る者との沈黙交易の説話化とみる説が有力。」

とある。
この伝説は近江(おうみ:中国地方)を中心に全国に分布しているらしく、
近江の木地屋が全国に移り住んだことで、広まったとする説がある。
地誌『掛川誌稾(かけがわしこう)』の編纂者、掛川藩士斎田茂先(さいだしげとき/1774〜1815)は
「椀貸(わんかし)」は「椀かし(椀を洗う)」からの転訛であり、
椀貸伝説は「椀貸」という字意への後付けだとしているという。
伝説では竜神、河童、大蛇、乙姫などが
椀の貸し主となっている場合があるようだが、
ここ丁田の椀貸池に祀られている弁財天(龍神)と白竜王大明神は
椀の貸し主のバリエーションに該当する。
椀貸池に祀られたもう1柱のミヨリノホシが気になるが、
蛇の霊を慰める役割をしたようだということ以外に情報が無いが、
ということは弁財天(龍神)、白竜王大明神と関係がありそうだ。
愛車は丘の麓の一般道脇に停めて、丘の上に向かう道を登り、
丘の上に立ち上がる石造の明神鳥居(写真中)に向かう石段を上がった。
石段脇には「弁財天」の社号票が立っている。
石段を登り切り、鳥居をくぐると、目の前に山林に包まれた椀貸池があった。
目の前に椀貸池が広がったとは形容できない微妙な広さの池で、
参道は池の東南に沿って一直線に延びており、池に沿って進むと、
池端に椀貸池を背景にして弁財天社が祀られていた。
(写真右)
向きは東北ということになるが、
コンクリートの基壇の上に赤いトタン屋根の覆い屋があり、
中に銅板葺きの流れ造の本殿が納められていた。
祠には観音開きのガラス戸が閉まっていて、
中に奉納された銅の龍像と陶器の白蛇像が収めてあった。
弁財天社本殿の隣に高さが40cmほどしかないまだ新しそうな石碑が
旧い自然石の基壇の上に立てられていた。
「椀貸池白龍王大明神」と刻まれている。
●椀貸池 水脈環境
愛知県豊田市八草町丁田

椀貸池の水面には池を包む山林と青空が映り、水中はまったく見えない。
水は汚れてはいないが、澄んでいるとは言えないようだ。
椀貸池の形は細長い星形で、参道から望んでも、死角があって、
全貌を望むことはできない。
池はワイヤーネットの塀で囲まれており、
椀貸池に沿って先に進むと土手は並走する舗装路と一体になり、
ガードレールが始まった。
池の南側は参道と道があって開けているが、
この丘はどうも人口的な堤防ではないかと思える。
南以外の方角は池端まで山林が迫っている。
池の北側の方は水深が浅いようで、葦が繁茂している(写真右)。
水面には何か水草が繁殖しているようだ。
●末社市杵嶋姫命神社(高鴨神社)
奈良県御所市鴨神1110

9月の初旬、台風12号が去って、やっと本格的に晴れた。
高鴨神社は金剛山山頂の南東3.4km、水の豊かな金剛山の麓、鴨神にある。
南向きの社頭はT字路の北側中央に面しているから、
高鴨神社の真っ直ぐ北に延びる参道を含めれば
十字路ということになる(写真左)。
T字路の縦棒と西側の道が30号線になっており、
西隣の敷地には葛城の道歴史資料館があり、休館日のようだったので、
その敷地内に愛車のバイクを突っ込んだ。
T字路に面した朱の明神鳥居の社頭額には「高鴨神社」とあった(写真左)。
30号線に面して大きな『高鴨神社』の案内板があった。
そこにはここが全国に祀られた加茂社の総本社であり、
祭神は神武天皇の大和平定には八咫烏として武勲をたてられた神とある。
鳥居をくぐると、 参道には砂利が敷いてあり、
参道に面して東側に社務所、西側に池がある。
正面には20段あまりの石段が立ち上がっており、
その上に朱の木造の玉垣や拝殿が見える。
石段の下には石造の明神鳥居。
一ノ鳥居からその二ノ鳥居まで60mあまり。
二ノ鳥居をくぐり、石段を上がって振り返ると
不透明な若葉色の池が広がっていた。
水は不透明だが不浄な感じは無く、蓮だろうか、
15%くらいの水面を水生植物が覆っている。
拝殿前に板書きがあって、それによれば祭神は

・阿治須岐宅彦根命(アヂスキタカヒコネ)
         〈迦毛之大御神(かものおおみかみ)〉
・阿治須岐速雄命(アジスキハヤオ)
・事代主命
・下照姫命 天稚彦命(アメノワカヒコ)

とあった。
拝殿で参拝して本殿を観ようと東側に向かったが、
石垣の上にある本殿を取り囲む透かし塀に阻まれ、
桧皮葺流れ造の屋根しか見えなかった。
拝殿の東側には拝殿と同じ向きで朱塗りの連棟社「東宮」があった。
祭神は天照大御神・天児屋根命・住吉大神。
その東宮の東側には拝殿前の方を向いて、6社の祠が
石垣を組んだ基壇の上に並んでいた。
その末社群とは独立した形で末社市杵嶋姫命神社は祀られていた(写真中)。
棟入りの本殿は高鴨神社と違って
朱がまったく使用されていない素木の寂びた祠だった。
社務所前に戻り、池の縁に回り込んで拝殿の方を見てみると、
水面に社殿の朱色だけが映っていた(写真右)。
●藤島神社
愛知県あま市七宝町秋竹柏田509

11月下旬の週末。晴れ。
午後3時半過ぎ、中型スクーターで、
あま市七宝町の秋竹交差点から南北に延びる139号線に入って北に向かい、
150mあまりも走ると、東側に神社があるのに気づいた。
道路と境内の間に空き地があったので、そこに愛車を停め、
社屋と住宅の間をすり抜けて境内に入ると、
南向きの銅板葺入り母屋根の拝殿前に出た。
とりあえず、南にある社頭を観るために砂利道の参道を逆に辿ると、
途中に参道脇の樹を剪定している人物がいた。
職人さんではなさそうで、宮司さんか?
100mほどで南向きの石造伊勢鳥居のある社頭に到達した(写真左)。
社頭は斜めに139号線に接していた。
社号標には「延喜式内 縣社藤島神社」とある。
鳥居前の板書きにはこうあった。

「御祭神 市杵嶋姫命
 由 緒 当神社は延喜式尾張121座の1社に列せられ天武天皇の白鳳4年
     (676)の創建と列せられる歴史を有する古社である。」

すっかり紅葉している桜並木の参道を二ノ鳥居まで戻ると、
この大鳥居は純白にペイントされた伊勢鳥居だった。
二ノ鳥居のすぐ先の藩塀(ばんべい)は白っぽい花崗岩のようだ。
藩塀越しに銅板葺の拝殿の屋根が覗いており、
藩塀を迂回すると正面に入母屋造の開放型の拝殿(写真中)。
拝殿内を通して祭文殿とその奥の本殿が望めるが、
拝殿、祭文殿と比較して本殿が小型だ。
参拝して東側に回ると、銅板葺流れ造の本殿だった。
境内社は見当たらなかったが、秋葉社が祀られているようだ。
●日光川
愛知県あま市七宝町秋竹柏田

藤島神社社地内か周辺に池か水路がある可能性が高いので、
地図でチェックすると、
藤島神社の東150mあたりを南北に流れる日光川がもっとも近かった。
愛車に戻って、社頭前の路地に入り、東に向かうと、
日光川堤防の麓にぶつかった。
堤防下に愛車を停め、萱の紅葉した堤防の上に上がり、
上流側を望んだ(写真左)。
両岸の家屋は下流(写真仲)にいくほど、密集度が増している。
堤防上から河川内に下りて水面を見に行くと、
川の流れはひじょうに穏やかで、水は不透明だった(写真右)
●真清田神社境内社厳島社
愛知県一宮市真清田1-2-1

12月初旬、週末の午後、気温はいよいよ冬らしくなっていた。
一宮(いちのみや)を東西に走る岐阜街道(155号線)の北側に
南向きの真清田神社(ますみだじんじゃ)があり、その楼門をくぐると、
南と東の塀に沿った場所に「神池」と呼ばれる池があり、
その出島に厳島社は祀られている。
池の脇にこの神社の東の神門があり、
そこにある手水舍に掲示された『神池麗水と龍神信仰』という板書きには
天火明命(アメノホアカリ)降臨にに始まる記述があった。

「 真清田神社は神武天皇33年、この木曽川の流域、青桃丘の風光明媚で然も豊泉が涌き出で、恰も国を照らすが如く明鏡の神池があり、浄明正直なこの聖地に天火明命は御降臨になられ御鎮座されました。」

天火明命はここ真清田神社の主祭神。
神池の北西の角に北向きの厳島社と八龍神社の社頭があるが(写真左)、
石造の明神鳥居をくぐって、石畳の参道を池に沿って時計と逆回りに進むと、
池の真南に石橋の渡り口があり、石橋の真ん中に朱の両部鳥居がある(写真中)。
その鳥居をくぐって橋を渡ると、
正面に銅板葺流れ造朱塗りの厳島社が石を組んだ基壇の上に祀られていた。
(写真右)
西隣には銅板葺流れ造素木の八龍神社が祀られている。
●真清田神社 神池
愛知県一宮市真清田1-2-1

神池には鯉が遊泳しており、池の東側には給排水溝らしきものがあって、
水が流れ込んでいるのだが、池の水は井戸から汲み上げているものらしい。
地図を見ると、東500mあたり、北750mあたりに
木曽川から取り込んだ水路があり、
それぞれが蟹江川と新日光川となって日光川に流れ込み、
日光川は名古屋港に注いでいる。
●摂社辨天社(川原神社)
愛知県名古屋市昭和区川名本町 4-4-11

飯田街道は尾張名古屋の名古屋城南門と馬市で栄えた信州飯田を結ぶ街道だが、
現在の国道153号線はほぼ旧飯田街道と一致する。
飯田街道は関所が無かったので、関所逃れの旅人も多かったという。
現在の名古屋城の二の丸から南東5.2kmあたり、そんな飯田街道の北側に面して、
池があり、そこに川原神社の摂社辨天社が祀られている。
もちろん池の名は「弁天池」だ。
この池は1838〜41年に出版された『尾張名所図会』にも描き込まれている。
http://banbeimani.exblog.jp/8759352/

ここは神仏習合の地だったようで、もともと、弁天池に祀られていた弁財天は
神仏分離で飯田街道の南側に少し奥まった曹洞宗寺院大平寺に遷され、
現在は市杵嶋姫命が祀られている。

4月初旬の週末 快晴
飯田方面から川原神社に向かった。
飯田街道は山中交差点で片側2車線の153号線と別れ、
片側1車線の56号線となっている。
山中交差点から西に向かう飯田街道(56号線)を660mほど進むと、
T字路の交差点の北側向こう角に背の高い常夜灯と北に向かって連なる玉垣が見えた。
北に右折して、人通りが無いので、玉垣沿いの歩道に愛車を停めた。
改めて交差点に戻り、南西向きの石造伊勢鳥居の立つ社頭正面、
向かい側の狭い歩道に渡って、杜を眺めると、
鳥居の東脇には鳥居に匹敵するくらい背の高い社号標が立ち上がっていて、
「縣社 式内 川原神社」と刻まれているが、
「縣社」の部分だけがコンクリートで埋められている(写真左)。
鳥居の西脇には朱塗りの小屋のような建物が建っている。
車道を社頭側に渡って、鳥居をくぐると、
それは池に向かった拝所であることがわかったが、
拝所をほかの方向に向けるスペースは充分あり、
鳥居と拝所が邪魔し合わない配置は充分可能なのに、
なぜか、強行に拝所〜本殿を南東に向けたいようで、
とにかく、鳥居の柱が拝所の出入りに邪魔な位置にあった(写真中)。
拝所に入って先を望むと、水面には朱の台輪鳥居が立っていて、その先の島には
銅板葺朱塗りの宮が祀られていた(写真右)。
小型だが、屋根には千鳥破風と唐破風が重ねられた重厚な本殿が灌木に包まれている。
説明は無くても「辨天社」であることはわかったが、
境内の掲示板で摂社であるとわかった。
この神社、埴山姫神、罔象女神、日神を祀った川原神社よりも、
摂社の「川名の弁天様」で通っているようだ。
●摂社辨天社(川原神社 弁天池) 水脈環境
愛知県名古屋市昭和区川名本町 4-4-11

4月初旬の弁天池は不透明な萌黄色に染まっていた(写真左)。
水面はゴミも無く、カルガモが数羽泳ぎ回っている。
辨天社の祀られた島はその本殿の裏にも広がっており(写真中)、
その奥にもう一つ、小さな島がある。
小さな方の島には戸隠社の素木の祠が祀られている(写真右)。
このふたつの島を含めた池の広さは1000平方メートル、水深は最深約1.5mだという。
江戸時代から亀が多い池として知られてきたようだが、
この日はまだ、その活動は見かけなかった。
一時、外来種のミドリガメに席巻されたようだが、
現在は人為的にニホンイシガメ、クサガメが復権しているという。
●大高町 弁財天社
愛知県名古屋市緑区大高町字高山1-1

11月の中旬の週末、コケの採集をするために、
実家の近所の緑地ということで思い浮かんだ大高緑地に向かった。
大高緑地は全体が公園になっていて、北側の国道1号線に正門があり、
その正門周辺の遊園地のすぐ南側に想定外でボートの乗れる広い琵琶池があり、
その池内に島がひとつあり(写真左) 、
島内にはなんと、銅板葺屋根の祠が見えていた(写真中)。
ネットで調べたところ、弁財天社であることがわかったものの、
ここは公共施設内なので、
通常なら、特定祭祀施設を設置することは許されないのだろうが、
ほかの池に移転できる性質の神ではないし、
廃止するにはこの池での事故が心配されたのではないかと思われた。
池名の「琵琶」は弁財天の持ち物だ。
公共施設内の神社という事情が反映されているのか、
この弁財天社に参拝するための参道(橋ということになるが)は存在しない。
琵琶池の南部には葦の繁殖した場所がある(写真右:湖面の白い植物)。
琵琶池では5羽の鴨を見かけているが、湖面が広く、
1.4km北西に天白川が流れている割りには頭数は少ないと言える。

琵琶池のある大高町はもとは「火高(ひダか)」地名だったのが、
一般に、火高で火事が続いたので「火」の文字が忌避され、
「大」に変更されたと説明されているが、
なぜ「ヒ」が「オオ」に変更されたのかという説明はされていない。
おそらく、語れない事情があったものと思われる。
「火高」とは「日高」への当て字変更だったものと思われ、
「日高見国」につながる地名だからだ。

北上(KITAKAMI)
  (HIDAKAMI)日高見

金田一京助は東北の「北上」を
「日高見」 に由来する地名という説を唱えている。
●末社厳島社(射楯兵主神社)
兵庫県姫路市総社本町190

2月上旬 午後 青天
射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)の門は南向きで、
この神社の公式サイトには「神門」と表記してあるが、
随神像の姿は見えなかった。
この神社の南西に位置する
姫路駅前から徒歩でやってきたので、
境内には西側の中門から入ることになったので、
社頭を見るために一旦、神門を出た。
ところが、この神門の南150mあたりに一ノ大鳥居があることは後で知った。
神門の西側の袖には大きな案内書きが掲示してあった。
その案内書きを要約すると

「 『射楯大神(いたてのおおかみ)』と『兵主大神(ひょうずおおかみ)』を本殿
  に奉斎する。
   射楯大神は『五十猛尊』と称せられ、
   兵主大神の別名は『大国主命』『大黒様』と云う。
  境内の摂社・末社には天照大御神をはじめとする名のある六十四座の神々
  を祀り、総社の由来となっている播磨国総神殿(はりまのくにそうしんでん)
  には播磨国内の大小明神七十四座の神々を奉斎しています。」

改めて神門をくぐると、翌日は紀元節ということからか、
拝殿前の上空は紅白の提灯で埋まっていた。
正面の拝殿までは25mほどで、そこで参拝して、
摂末社群のある東に向かう参道に入った。
30mほど進むと、右手(南)に摂末社参拝者のための手水桶があって、
そこから溢れた水は背後の池に落ちていた。
池の中に朱塗りの神殿の背中が見えていたので、
それが境内図にある厳島社であることは分かった。
厳島社の正面に回るために池に沿って右折し、
15mもない参道を南に向かった。
池には大きな自然石を積んだ島があり、
その中央に銅板葺流れ造の本殿が祀られていた(写真中)。
正面に回り込むと、大きくはないが、比較的新しい朱塗りの両部鳥居、
朱塗りの欄干を持った石橋が島に渡してあった(写真右)。
公式サイトに厳島社のくわしい情報は無く、
Wikipediaには祭神は単独の「市杵島姫命」とあった。
●末社厳島社(射楯兵主神社) 水脈環境 
兵庫県姫路市総社本町190

厳島社の祀られた池の北側には大きな鉄製の龍口を持つ、
高さ1.5mほどの手水桶が立ち上がっており、
豊富な水が龍口から流れっぱなしになっており、
手水桶の縁には苔が生していた(写真左)。
摂末社の参道から手水桶まで、1.5mほどの石橋が渡してあり、
石橋には厳島社と同じ朱の欄干が付いており、
手水桶の裏面には湿地を好む野草がびっしり繁殖していた(写真中)。
池底は暗いが、水は非常に透明で、チリひとつ浮いて無く、
数は多くないが緋鯉が泳いでいた。
両部鳥居の足元はさらに暗く、池中の石にはやはり苔が生していた(写真右)。
●境内社小幡辨天宮(小幡白山神社)
愛知県名古屋市守山区小幡中1-13-8

3月の初旬
バイクで東西に延びる瀬戸街道の北側に位置する
小幡白山神社((おばたはくさんじんじゃ)に向った。
小幡白山神社は白山神社ほか3社が合祀されて成立したという。
本殿は丘の上に祀られているのだが、その丘の東の麓に
周囲に鉄柵を巡らした池があって、
「小幡弁天宮(おばたべんてんぐう)」の紅白の幟が立ち並んでいた(写真左)。
池内には自然石を積み重ねた島があって(写真中)、島内の大きな自然石の基壇の上に 銅板葺き流れ造りの社が祀られている(写真右)。
島には石橋が渡してあって(写真右)、島に渡れるようになっているのだが、
鉄柵の門は閉ざされていた。
●市杵島姫 (八所社境内社厳島神社) 
愛知県名古屋市中村区岩塚町上小路1

1月下旬 快晴 気温11度
東西に走り庄内川を渡る名古屋高速5号万場線(まんばせん)の 高架下、
北側側道に面して七所社の社頭はある。
玉垣などの境内の仕切りは無く,広大で、
そんな境内の端の空き地に愛車を停めた。
社頭の石造伊勢鳥居は南向きで社頭額には「郷社 七所社」とある。
社叢はよく伸びている。
社頭から50mあまり奥に祭文殿が見えている。
その祭文殿の南東部の境内の端に濠の巡らされた島があった(写真左)。
島はよく伸びた竹林になっており、島の周囲には水は無いが,
濠が巡らされ(写真中)、 濠に沿って玉垣が巡らされ、
島の竹林の中には祠が祀られている(写真右)。
一目で弁天池と厳島神社だと思った。
ただ、門はあるものの、弁天島に渡る橋は無かった。
玉垣沿いに設置されたステンレス製の案内書き『厳島神社(弁天様)』には
以下のようにあった。

「祭神は市杵島姫
 〜中略〜
 社が祀られている濠中の小山は〈岩塚〉の名の由来となった、境内に3つあ
 る塚の一つであり奈良時代初期の古墳であると伝えられている
                              (二三四会)」

「岩塚」は今もこの地の地名になっている。
島は厳島神社を祀るために
円墳を利用し、濠を削掘して造立されたものだったのだ。
こんなの見たことないよ。
竹は枯れたからなのか、半数は間引きされている(写真左)。
円墳の周囲は崩れないように木杭で護岸されていた(写真中)。

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