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私の勉強部屋コミュの朝鮮戦争について調べる

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コミュ内全体

第二次朝鮮戦争になるんちゃうか。言うてる人がいるので、前の事を調べてみることにします。

朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)は、1948年に成立したばかりの朝鮮民族の分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で生じた朝鮮半島の主権を巡る国際紛争[2][3][4][5]。1950年6月25日に北朝鮮が国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵攻したことによって勃発した[6]。

分断国家朝鮮の両当事国、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国のみならず、東西冷戦の文脈の中で西側自由主義陣営諸国を中心とした国連軍と1949年10月1日に建国された成立間もない中華人民共和国が交戦勢力として参戦し、3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場と化した後に荒廃させた。1953年7月27日に国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名し休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され、朝鮮半島は北部の朝鮮民主主義人民共和国と南部の大韓民国の南北二国に分断された。

終戦ではなく休戦状態であるため、名目上は現在も戦時中であり、南北朝鮮の両国間、及び北朝鮮とアメリカ合衆国との間に平和条約は締結されておらず、緊張状態は解消されていない。休戦以来、北朝鮮は幾度となく大韓民国への領空、領海侵犯のみならず砲撃を行うなど、韓国や日本などの国民の拉致や恫喝を行うなどを繰り返している。

コメント(15)

第二次世界大戦中の1943年11月に、連合国はカイロ宣言に於いて、1910年より日本領となっていた朝鮮半島一帯を、大戦終結後は自由独立の国とすることを発表し、1945年2月に開催されたヤルタ会談の極東秘密協定にて米英中ソ四ヶ国による朝鮮の信託統治が合意された[7]。

1945年8月8日よりソ連対日参戦により満洲国に侵攻したソ連軍(赤軍)は8月13日に当時日本領だった朝鮮の清津市に上陸していたが、同じく連合国を構成していたアメリカ合衆国は、1945年4月12日に大統領に昇格したハリー・S・トルーマンの反共主義の下で、ソ連軍に朝鮮半島全体が掌握されることを恐れ、ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案。ソ連はこの提案を受け入れ、朝鮮半島は北緯38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍に分割占領された。

1945年8月15日に日本はポツダム宣言を受諾、連合国に降伏、朝鮮は解放された。しかし8月24日に平壌に進駐したソ連軍は朝鮮半島北部を占領、既存の朝鮮建国準備委員会を通じた間接統治を実施し、朝鮮半島南部には9月8日に仁川に上陸したアメリカ軍が朝鮮建国準備委員会を解体した後、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による直接統治を実施、朝鮮半島は米ソ両国によって南北に分断されたまま、朝鮮半島内で抗日運動を行っていた人士や海外から帰国した左翼と右翼が衝突する連合国による軍政を迎えた[8]。
その後、米ソ対立を背景に1948年8月15日、南部に大韓民国が建国され、翌9月9日に残余の北部に朝鮮民主主義人民共和国が建国された。南北の軍事バランスは、ソ連および1949年建国の中華人民共和国の支援を受けた北側が優勢で、武力統一支配を目指す北朝鮮は1950年6月、国境の38度線を越え軍事侵攻に踏み切った。

侵攻を受けた韓国側には進駐していたアメリカ軍を中心に、イギリスやフィリピン、オーストラリア、ベルギーやタイ王国などの国連加盟国で構成された国連軍(正式には「国連派遣軍」)が参戦、一方の北朝鮮側には中国人民義勇軍(または「抗美援朝軍」「志願軍」。実態は中国人民解放軍)が加わり、直接参戦しないソ連は武器調達や訓練などで支援、アメリカとソ連による代理戦争の様相を呈した。

本項では、停戦後の朝鮮半島の南北分断の境界線以南(大韓民国統治区域)を「南半部」、同以北(朝鮮民主主義人民共和国統治区域)を「北半部」と地域的に表記する。また、韓国および北朝鮮という政府(国家)そのものについて言及する場合は「韓国」「北朝鮮」を用いる。これは、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とが、両国家とも建国以来現在に至るまで、「国境線を敷いて隣接し合った国家」の関係ではなく、あくまで「ともに同じ一つの領土を持ち、その中に存在する2つの政権(国家)」の関係にあるためである。
開戦までの経緯
第二次世界大戦終戦時の朝鮮の政治状況

第二次世界大戦の連合国会議によって、降伏後の日本が朝鮮半島を含む海外領土の統治権放棄は既定方針であり、1945年7月26日に発表されたポツダム宣言においてもその方針は明らかにされていた。

8月9日に行われたソ連軍の日本と満州国への侵略に伴う、日本領の朝鮮半島への侵攻という事態に直面し、アメリカはソ連に38度線での分割占領案を提示した。この境界線はアメリカ陸軍のディーン・ラスクらによって30分間で策定されたものであり[9]、アメリカ軍占領域にその後大韓民国の首都ソウルとなる京城府が含まれる事も考慮されていた[10][11]。日本政府は8月14日にポツダム宣言受諾を連合国に通告、日本の降伏が決定された。

ソ連軍はアメリカによる朝鮮半島分割占領案に8月16日に合意し、翌17日には一般命令第一号(英語版)として、38度線以北の日本軍はソ連軍(赤軍)に、以南はアメリカ軍に降伏させることが通知された[12]。合意を受けてソ連軍は8月16日以降に朝鮮半島内への本格的侵攻を開始、27日には38度線付近の都市新義州に至った[10]。

9月2日、日本は降伏文書に署名、正式に降伏。この際に一般命令第一号は日本側に伝達され、大本営は朝鮮半島に駐留していた日本軍に対し、一般命令第一号に従って降伏するよう通告した。

日本統治下の朝鮮半島内では独立運動を志向する諸勢力も存在はしたが、独立志向組織はむしろ国外にあり、その勢力は小さく亡命先での活動が主だった。大きく分けると中華民国上海の大韓民国臨時政府、中国共産党指導下にあった満州の東北抗日聯軍(抗日パルチザン)、アメリカ国内における活動家などが挙げられるが、それらはいずれも朝鮮半島の住民から大きな支持を得るに至らず、その影響力は限定的なものであった。
このような情勢ゆえに日本降伏時、朝鮮全土にわたって独立建国に向かう民意の糾合は全く醸成されておらず、日本統治からの突然の「解放」は、あくまで連合国軍により「与えられた解放」であった[13][14]。朝鮮人が自らの力で独立を勝ち取ることができず、独立運動の諸派が解放後、それも数年間にわたり激しく対立し続けたことは南北分断にも少なからず影響し、その後の朝鮮の運命を決定づけた[15]。
朝鮮建国準備委員会

諸勢力の中でも比較的統制のとれていた呂運亨の集団は、日本降伏を見越し8月10日、密かに建国同盟を結成していた。その2日前の8月8日、参戦したソ連は8月9日に豆満江を越え、朝鮮半島に侵攻してきた。一方、朝鮮総督府は半島の突然の機能不全に動揺していた。約70万人もの在留邦人を抱え、有効な対抗勢力がないまま朝鮮全土がソ連に掌握されることを懸念し、呂に接触して行政権の委譲を伝えた。呂は政治犯の釈放と独立運動への不干渉などを条件にこれを受け入れ8月15日、日本降伏の報を受けて直ちに朝鮮建国準備委員会を結成。超党派による建国を目指した。

呂自身は左右合作による朝鮮統一を目指していた。8月16日には一部の政治犯が釈放され建国準備委員会に合流したが、その多くが弾圧された共産主義者であり、同委員会は必然的に左傾化した。9月6日、同委員会は朝鮮人民共和国の成立を宣言。その要人には李承晩、金日成、朴憲永、金九、槌嫂△蕕名を連ねていたが、これは国内外の主だった活動家を本人の許諾なく列挙したに過ぎなかった。

一方、連合国はすでに戦時中の諸会談で、自身の主導による朝鮮半島の信託統治を決定していた(後述)。彼らにとって朝鮮人民共和国は、日本がポツダム宣言に違反し連合国の承認を経ず勝手に建てた政権と映った。また総督府も左傾化を嫌うアメリカの意向を受けて態度を変え、建国準備委員会に解散を命じるなど情勢は混乱し、さらに同委員会内部でも対立や離反が相次ぎ足並みが乱れた。9月8日、仁川にアメリカ軍が上陸。呂は面会を求めるが拒絶される。翌9月9日、総督府は降伏文書に署名し、アメリカ軍に総督府の権限を委譲。9月11日、アメリカによる軍政が開始され、朝鮮人民共和国は連合国・枢軸国双方から承認を得られぬまま事実上瓦解した。

建国準備委員会はその後も活動を続けたが、軍政庁はこれを非合法とみなした。さらに反共を掲げる右派が湖南財閥と結び、9月16日宋鎮禹をトップとする韓国民主党(韓民党)を立ち上げ、上海から重慶に亡命していた大韓民国臨時政府支持を表明、建国準備委員会を否定した。

建国準備委員会が実際に果たした役割については諸説ある。日本が朝鮮統治を放棄した後、行政機構として一定の機能を果たしたとする見方もあれば、突然当事者とされたことに呼応してできた組織であり、実際には朝鮮人民の意思を反映していなかった点を強調する見方もある。

朝鮮半島内で各派の足並みが揃っていない状況下、大韓民国臨時政府に弾劾されアメリカで活動していた李承晩や、ソ連の支援の元で国内で活動していた金日成を初めとする満州抗日パルチザン出身者など、様々な考え方を持った亡命者たちも次々に帰国し、独自の政治活動を展開していた。しかしこの過程で、朝鮮半島に発生した各政府はいずれも連合国全体からの承認を得られなかった。
写真で見る朝鮮戦争の様子。悲惨すぎる韓国と北朝鮮の戦争!韓国の徴兵制 - NAVER まとめ https://matome.naver.jp/odai/2139963327309069801
韓国軍慰安婦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6

韓国では、日本軍慰安婦問題について1980年代から1990年代にかけて社会問題、さらに日韓の外交問題ともなっていた。他方、1990年代後半になると、大韓民国国軍あるいは米軍にレイプされた韓国軍慰安婦の存在について韓国内で公論化され始めるようになった。

1997年にはアメリカでヤン・ヒュナ(Yang Hyunah)が韓国軍慰安婦の研究論文「Revisiting the Isuues of Korean Military Comfort Women」を発表し[77]、同年、ヒュン・S・キム(Hyun S.Kim)とJT・タカギとヘ・ジュン・パク(Hye-Jung Park)は「The Woman Outside:Korean Women and the U.S.Militaly [8]」を発表した。
研究と資料閲覧禁止

韓国軍慰安婦については1996年に韓国慶南大学の金貴玉教授が、大韓民国陸軍本部軍事監室『後方戦史(人事篇)』(1956年刊)の調査で、朝鮮戦争時に大韓民国陸軍が慰安婦を徴集していたことや、同書には当時の記録や統計がおさめられていることを明らかにした[5][6]。

金喜午(김희오)大将は韓国軍慰安婦について明らかにされたくはない恥ずかしい軍部の恥部であるが事実であると語った[8]。しかし、韓国の学会や運動団体からは韓国軍慰安婦は公娼であるし、また「身内の恥をさらすもの」「日本の極右の弁明の材料となりうる」と警告し、韓国国防部所属資料室の慰安婦資料の閲覧は禁止された[9]。
2000年代

日本でも 崔吉城が2001年に「朝鮮戦争における国連軍の性暴行と売春」を発表した[37]。

2002年2月、金貴玉と姜貞淑などにより韓国軍慰安婦の存在が公開され、朝日新聞2002年2月24日の報道では、金らは1948年の韓国政府の公娼廃止令に背いて、約3年間不法に公娼を設置・運営していたと発表した[78]。2002年の韓国メディアでは韓国軍慰安婦の存在を認める報道もなされてた[6][8]。また最近週刊新潮2013年11月28日号で「朴槿惠大統領の父は『米軍慰安婦』管理者だった」という特集記事が掲載され、そのなかで彼女たちは一人ずつドラム缶に押し込まれ「補給品」名目でトラックに積まれた、などと書いている。

しかし、2012年に、最大発行部数を誇る朝鮮日報は従軍慰安婦は日本軍の性奴隷であるが[79]、韓国軍慰安婦の存在については歪曲であると主張している[79]。

韓国ほぼすべてのマスコミが報道する日本軍慰安婦問題と異なり、韓国軍慰安婦問題に関しては、ハンギョレをはじめとした一部の革新系メディアが取り上げるのみであり、保守系メディアである大手新聞社やテレビ局は、慰安婦裁判等も含め黙殺している状態である。
韓国の慰安婦に関する諸説
日本軍慰安所との関連

金貴玉は当時設置を行った陸軍関係者がかつて日本軍として従軍していたことなどから、「韓国軍慰安所制度は日本軍慰安所制度の延長」と主張している[9]。また在韓米軍基地は日本軍基地を転用したものがほとんどで、米軍は基地周辺の売春街も活用したことも背景にある[17]。

また、「慰安(婦)」という言葉が共通していることなどから韓国軍慰安婦は旧日本軍慰安婦にならってつくられたと考えられている。しかし、旧日本軍の慰安婦の募集・慰安所の経営が民営であったのに対し、韓国軍の慰安婦は軍直営どころか「慰安隊」という正規の軍組織であった。なお、日本軍慰安婦の場合は公募によるものであり、当時の公務員の平均給与を超えた高額給与が慰安婦に支払われていた(日本の慰安婦参照[27])。韓国系アメリカ人の研究者でサンフランシスコ州立大学教授のサラ・ソー (C. Sarah Soh) は2009年の著書で、慰安婦を「性奴隷」や戦争犯罪とむすびつけて描写するのは不正確であるとしたうえで、韓国政府と韓国議会が日本軍慰安婦問題を扇情的に扱い、異論を許さないまま「日帝による被害の物語」を作って国民を誘導したと批判している[80]。ソー教授は「慰安婦が強制連行された物語」は陳腐な教義[81]であり、韓国政府のこの政治誘導的な誇張が慰安婦問題の真の理解とその解決を妨たげていると指摘した。さらに韓国社会が被害者意識から脱却するべきこと、また韓国自体も元慰安婦にトラウマを与えた共犯者であり、慰安婦制度それ自体は戦争犯罪ではなかったことを受け入れるべきだとした[80]。

現在の韓国では韓国軍の慰安婦の存在を当時と同様に認める報道もなされているが[6][8]、最大発行部数を誇る朝鮮日報は従軍慰安婦は日本軍の性奴隷であるが[79]、韓国軍慰安婦の存在については歪曲であると主張している[79]。

・・・・・

↑ここらの記述は、もう少し調べることが必要かもしれんけど。
本この辺かな。
朝鮮戦争―金日成とマッカーサーの陰謀 (文春文庫) 萩原 遼 https://www.amazon.co.jp/dp/4167260034/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_r4mQzb0BXNKC0 @amazonJPさんから

これ自体は分からんけど。
朝鮮戦争 (前編) 衝撃的な映像が有ります。 https://youtu.be/gKUi34_tRUY @YouTubeさんから 今見出したんだけど、ウヨちゃんらの必死のコメントがあるわ。
トランプが北朝鮮を攻撃する日、日本が覚悟すべき3つのこと http://the-liberty.com/article.php?item_id=12841 キタチョウセンを撃て―って騒いでる皆覚悟してんの?
朝鮮戦争で日本はさまざまに国連軍=米軍に
協力、関与した。それはこの細菌戦でも全く例
外ではない。
朝鮮戦争における米軍の細菌戦被害の実態─現地調査報告
https://www.keiho-u.ac.jp/research/asia-pacific/pdf/publication_2004-03.pdf
朝鮮戦争 (後編) 衝撃的な映像が有ります。 https://youtu.be/jEEbc1LzNkM @YouTubeさんから
朝鮮戦争休戦協定 wiki 休戦協定は1953年7月27日に署名され、「最終的な平和解決が成立するまで朝鮮における戦争行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する」と規定した[3]。しかし、「最終的な平和解決」(平和条約)は未だ成立していない。署名された休戦協定は朝鮮半島に事実上の新たな国境である軍事境界線を生み出し、戦闘を停止させ捕虜の本国送還を終了した。軍事境界線は戦争前に南北朝鮮を隔てていた北緯38度線からそう遠くないところにある。


1958年のアメリカによる朝鮮への核兵器配備

1957年から58年まで、韓国、台湾、フィリピンは、アイゼンハワー大統領の核兵器分散政策の新しい配備国となった。http://www.antiatom.org/GSKY/jp/Rcrd/Politics/-99/j_where_nukes.htm

こういうのって結構話題になってましたか?
朝鮮戦争における米軍の細菌戦被害の実態─現地調査報告
https://www.keiho-u.ac.jp/research/asia-pacific/pdf/publication_2004-03.pdf

自衛隊が戦後初めて、海外の戦地であるイラ
クに派兵されたという事態の中で、この報告を
書かざるを得ないことを残念に思う。
昨年のイラクに対する米英を中心とした侵略
戦争は、旧フセイン政権が大量破壊兵器を開発、
保持しているとの疑惑を最大の「大義」に掲げ
て行われた。それに日本の小泉政権も同調して、
この侵略戦争を支持した。だが、この「大義」
には全く何の根拠もなかったことがこの間、ほ
ぼ明確になりつつあるようだ。
何の証拠もない疑惑をでっち上げた米国はそ
の一方で、核、生物、化学の各大量破壊兵器の
すべてを実戦で使用したと、現代史の中に記録
されている世界で唯一の国家である。米国は第
二次大戦後、初めて大規模に生物兵器を朝鮮半
島で使用したとされる。

今見てる動画(後編の中でで出てきた)

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