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末日聖徒イエスキリスト教会コミュの「モルモン書はこの世で最も正確に(英訳された)聖典であり、私たちの宗教の要石です」

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「私は兄弟たちに『モルモン書はこの世で最も正確に(英訳された)聖典であり、私たちの宗教の要石です。ですから、人がその教えを守り続けるならば、他の如何なる書物にも増して神に近づくことが出来るのです』と言いました」

 私は預言者ジョセフ・スミスがどれほどこの聖典の正確さに信頼をおいていたか、また自分もそれを知りたいと思って研究して来ました。ご存知の通り、一般に流布されている聖書は私の知る限りで150巻以上もある古文書の66巻に過ぎず、然もそれは何度も人の手によって書き写されてきたもので、誤写を含め脱落や書き加えによる改ざんが甚だひどいものです。紀元397年に司教たちが集まったカルタゴ会議でヨハネの黙示録が付け加えられ現在の66巻になったわけです。
 対して、モルモン書は筆記されたままの原文からのウリム・トゥミムによる忠実な英訳であり、原文に人の手による間違いがあってもあえてこれに手を加えていないことは、ジョセフ・スミスが前書きで証しています。

 然しそういうわけで、より分かりやすく和訳するためには、補足を入れる他に「慣用句」や「古語」に注意する必要があります。どこの国の言語にも「慣用句」と言う言い回しがあるのですが、例えば、最もよく知られているところでは、あいさつがあります。good morningを誰も「よい朝です」と和訳しないでしょうし、日本語の「おはようございます」を英訳する場合も全く同じことが言えます。また直訳で「それは一切れのケーキです」も「そんなの簡単だよ」とか「朝飯前だよ」となりますし、分かりやすいところでは「骨を折る」即ち「尽力する」もあります。
 モルモン書では第一ニーファイの書き出しからこの慣用句が用いられています。流布されている和訳モルモン書とは異なり、正確には「私ニーファイは良家に生まれたので・・・」であり、この家族が経済的に恵まれていたばかりでなく、信仰の上でも優れた伝統の家系であったことが分かります。それで彼らが何を信じていたかは、第四章でニーファイが良家のボンボンであった兄達に語った話につながるわけです。それは、神に導かれた預言者モーセがエジプトで奴隷の境遇にあったイスラエルの大集団をその境遇から解き放った神の力であり、紅海の水を分けた天空の力であり、エジプト軍を壊滅させたエホヴァの力であり、またシナイの荒野で40年間毎日イスラエル二〜三百万もの民を天空からのマナで養ったエホヴァの力であったわけで、文面を読んで行きますと彼らの中でエホヴァの力とモーセの影響力がどれだけ大きかったかが分かるのです。それは、イシマエル一族がニーファイの言葉一つで荒野に出て行った経緯からも分かるはずです。
 またヘブライ語・アラム語からの直訳で旧約にも度々登場する「主は生きておられる」と言う慣用句がありますが、これは「命にかけて誓う」と言う意味であり、ニーファイがゾーラムを捕まえた時に語った言葉は「私の言うことを聞くか。言うことを聞くなら私は命にかけて誓う。確かにお前の命を助けてやる」となります。この場面も二人の信仰による取引であり、主をどれだけ信頼していたか、またニーファイの言葉を信じ、命にかけて誓い、リーハイ一族と行動を共にしたゾーラムの信仰が見えるのです。
 

 古語は現代用法と意味が全く異なりますので注意する必要があります。例えば、cry(cried)であれば、「叫び求める」ではなく「願い求める」であり、magnify(magnifying)も「大いなるものとする」ではなく「尊重する」とか「礼賛する」と訳さなければなりません。 

コメント(4)

モルモン書序文より

この 記録について、預言者ジョセフ・スミスは次 のように言っている。「わたしは兄弟たちに言った。『モルモン書』はこの世で最も正確な書物で あり、わたしたちの宗教 のかなめ石である。そして、人はその教えを守る ことにより、ほかのどの 書物にも増して神に近づくことができる。」

何に対して「この世で最も正確な書物」と言ったのか?

そこを見誤ると、モルモン書を偶像化してしまいかねない。

「翻訳(英訳)」という見方も確かに一理あるが、モルモン書の本質を踏まえるならば「イエス・キリストの福音」について「最も正確」に伝えていると考えるのが妥当のように思われる。
そうであれば、翻訳の正確さはあまり問題ではなくタイトルページの「ところで、もし誤りがある とすれば、それは人の犯した間違いである。したがって、キリストの裁きの座で染みがないと認められるために、神にかかわるものを非難しないようにしなさい。」は、原著者たちだけでなく翻訳した自分自身の誤りについても語っているのであろう。
モルモン書の1830年初版パルマイラ版は、著作権が切れているので、リ・プリント版が手に入るので、手に入れて、現行の1981年版と比べて見てもらいたいですね。実に多くの本文の変更がなされています。

英語のサイトで比較してあるサイトもあり、3000箇所以上の変更が指摘されています。

聖書については、最低でもちゃんと本文批評の本やネストレアーランとの欄外の異読を調べて発言してもらいたいですね。
変更箇所について
http://www.utlm.org/onlinebooks/3913intro.htm

モルモン書初版はこちらで見ることができます。
http://www.inephi.com/search.htm
助言と資料web.ありがとうございます。和文とびらの「概説」末尾に記載されている通りです。出版前の原稿を見たことはありませんが、単語の置き方を見ますと、この訂正は初めから本文になかったとしても、文章を誰にでもよりわかりやすくするために補足してあることが分かります。教義の原則上大きな問題になるものではないにしても、訂正前の文章のままではおかしな意味になるところが沢山ありますのでこの訂正は適切でしょう。

 聖書については、日本で出版されているその多くが日本聖書協会発行でしょう。私は日本聖書刊行会版と欽定訳版も多用していますが、原版の系統が異なるためかどれが正しいと言えるものではありません。例えば、イザヤ48:1にある欽定訳の「ユダの水から」は、手持ちの版(1958年イギリス版、ヘブライ語)では水に該当する単語の綴りではありませんでした。然し「ものみの塔」教団が自分たちの英文版から和訳したものは「水」となっていました。いずれにしても、今や多々ある小さな誤りは神の教会の教義が根底から変わるような大した問題ではありません。


 これまで、諸宗派の方々が印刷されているものに固執して来た様子を何度も見て来ましたが、気の毒に思うものです。

 

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