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アンダルシア-Andalucia-コミュの【キム・ホセの紹介】『フラメンコの庇護をするアンダルシア新自治憲章』

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【キム・ホセの紹介】『フラメンコの庇護をするアンダルシア新自治憲章』

「「国家の解体」を視野に入れない「憲法」や“憲法論議”はすべて駄目だ!」

それが本意ではないので、できるだけかんたんに述べたい。

わたしは少し前に、『何も理想的な憲法は、日本のそれのみではなく諸外国に多くみられると思う。ある意味で憲法とはすべて理想的なものであろう』と述べた。これは、諸外国の持つ憲法がその「国家」の特質やその“段階”においていずれにせよ「理想的」なものであろうし、何も日本国憲法が「普遍的」な「理想」のものではないであろうと“直感”のみで言ったのである。
わたしはまったく「憲法」を知らないし、別に憲法論者ではないが、日本の知識人や文化人はてまた政治屋や団体が“それを言う”のには「辟易」する。

もし、「憲法」が「国家」の存在を前提または同伴するものだとするならば、それはとても“矮小”なものにみえてならない。いくら理想的な憲法があっても、あるいは憲法が国家を縛るもの、国家の逸脱を拘束するものであったとしても、現実はその理想からどんどん欺くように変わっていく。つまり現実は理想を“立前”にしながらついに「崩れていく」もののようにわたしには見える。

わたしがここで言いたいのは、つねに「国家」を“開放” していくのが民衆の解放であり、「民族」というものを“無化”するあり方が想定されない「言説」は駄目じゃないかということである。
もっと言えば、「国家の解体」を視野に入れない「憲法」や“憲法論議”はすべて駄目だということだ。

そのことを展開する見識をわたしは持っていない。

そこで、いろいろな問題はあろうが、わたしの好きな「アンダルシア」に限定して、また「フラメンコ」の歴史とその現在における庇護について紹介を兼ねながらわたしの不勉強を戒めるものとしたい。
驚きは、ひとつの舞踊にすぎないフラメンコをその「文化」として「自治州憲法」に取り込んでいることにある。
そして、なぜわたしがこのつたない紹介をするかといえば、わたしもついにあの「民族の融合」と言われるアンダルシアにようやく触れ始めることができたという嬉しさである。わたしはそのためにこそ「スペイン内戦」を見詰め、そこから歴史を逆登りする方法で「ローザ・ルクセンブルク」に触れ、そこで「ロシア革命」を『破産した革命』と規定し、いまようやく、またふたたび「パリ・コミューン」に入れたのである。そのある意味での“到達”と“余裕”はついにわたしがよく使う「きみ」、つまり民衆に“むきあう”ことが可能になったものだと思う。

だから、わたしもまた小高き丘の上ではあるがひとりの“微笑み”を持って、人々の束の間の「宴」の傍で“美味しい酒が呑めそうな”気がするのである。


中央大学法学部教授である「若松 隆」さんの著書には大変勉強になった。
その彼が「アンダルシア新自治憲章とカタルーニャ新自治憲章の比較研究 – CLAIR」という文章をネットで書いている。それはとても長文であるので、「第1章 アンダルシア自治憲章の歴史的背景」のみを引用したい。いずれにせよその「アンダルシア新自治憲章」には「フラメンコ」に誇りをもってその庇護を“憲章”に盛り込んでいることには驚いた。興味のある方はぜひこの「アンダルシア新自治憲章」に触れられたい。そこには「アンダルシア」をつねに“開いて”いこうという「現実的な理想」がみえるであろうから。

ついでにその「フラメンコの歴史」も引用しておいた。


【アンダルシア新自治憲章とカタルーニャ新自治憲章の比較研究 - CLAIR】

「第1章 アンダルシア自治憲章の歴史的背景」

現在の連邦制化したスペイン「自治権国家(Estado de las Autonomías)」の実態を明らかにするため、このたび最南部の自治州(Comunidad Autónoma)であるアンダルシア州に焦点を絞り、すでに検討ずみのカタルーニャ州と比較することにより、その独自的性格を考察する。
研究の対象は近時相次いで制定された両州の新自治憲章である。
さてアンダルシアにおける最初の自治憲章(Estatuto Autonómico)は、1981 年10 月
20 日、上下両院における審議と採決を終えたあと、アンダルシアでの住民投票を経て制定されるに至った。形式的にいえば「アンダルシアのための自治憲章改正の組織法(Ley Orgánica)、3月19 日、2007 年第2号」により、旧アンダルシア自治憲章は置き換えられることになったのである。そこでまず、アンダルシア新自治憲章の具体的内容を紹介することにしたい。
新自治憲章の前文で、「アンダルシアは複数の民族と文明の融合によって豊かな文化遺産を集め、数世紀にわたる人的な混交の充分な実例を呈示してくれる」と述べ、地理的にはヨーロッパとアフリカ大陸の接点であり、地中海と大西洋の2大洋に面しているとする。
続いてアンダルシアにおける自治主義の歴史的発展が略述され、1883 年に制定された「アンダルシア連邦憲法」に始まり、1918 年の「ロンダ会議(Asamblea de onda)」でアンダルシアの旗と紋章が制定され、さらに第二共和制下の1933 年、「アンダルシア自由主義評議会(Juntas Liberalistas de Andalucía)」がアンダルシアの公式歌を定め、セビーリャでアンダルシア臨時地方評議会(Pro‐Junta)が招集されて自治憲章案が練られるに至った。しかしアンダルシア自治に向けての気運は1936 年に勃発した内戦によって中断され、民主化後の1977 年12 月4日における大衆的デモンストレーションと1980 年2月28日の住民投票の実施(と自治憲章の承認)により、バスク、カタルーニャの両地域に続いていち早く自治権を獲得したのである。
以後30 年が経過し、「自治権国家」の分権化はさらに進み、アンダルシア自治州憲章もそれに対応して改正する必要性が出てきた。アンダルシアは25 年前から、スペイン国内における地域的差異を尊重し承認してきたが、それが特定の特権を得るための口実となることには同意できない、と述べる。1978 年憲法第139 条1項にある「全てのスペイン人は国内のどこにおいても、同等の権利・義務を有する」として、地域的不平等を認めないと主張する。
ともかく21世紀に向けての新しい自治憲章である。続いて順次、新自治憲章の条文を紹介していく。


【History of Flamencoフラメンコの歴史】

アンダルシアのフラメンコのルーツをはっきりと描き出すことは不可能に近い。南スペインの歴史の様に、多くの民族、文化の影響を見いだすことが出きる。モロッコ、エジプト、インド、パキスタン、ギリシア、その他のスペイン周辺の国々、極東。ジプシー=遊牧民族の中で育った芸術ならではの特徴とも言えるだろう。

そんなフラメンコの歴史を紐解く上で、ジプシーの民族としての歴史を振り返って見よう。

もともとインド北部(現在のパキスタン)の地域を出自とする遊牧民族であるが、戦争、征服者に追われる様にエジプト、そしてチェコスロバキアへと流浪の旅を強いられた。大量の流民を快く迎え入れる土地は少なく、民族は途中で3つのグループに分化しヨーロッパへ散った。その一派が南スペインに辿り付いたのは15世紀だと言われる。書物にはじめてその存在が記述されたのが1447年ということだ。南スペインに到着した彼らが目にしたのはイスラム、ユダヤ人、カトリック文化の融合した高度に発達した文化だった。

ジプシー民族の文化として音楽への造詣は非常に強いものがあった。民族の祝祭、または日々の生活においても音楽は常に身近にあった。彼らにとって音楽は簡単に創造できた。自らの声、そして手拍子、タップ。スペインのリッチな文化の中で彼らの音楽もまた豊かに成長した。
この時代のスペインはレコンキスタ完了に向かい、ムスリム、クリスチャンが戦う激動の時代であった。コロンブスが新大陸を発見し、ついにグラナダ陥落が達成されたのが1492年、新征服者としてカトリック両王は国内の非カトリック民族に対し厳しい態度で臨んだ。ジプシーに対してもそれは同じ。遊牧民であるジプシーに定住、定職を義務付け、民族の言語であるCALOの使用を禁じた。この時代、ムスリム、ユダヤ教徒、そして異教徒であるジプシーの多くが鉱山での仕事に従事した。多くの労働者が命を落とした一方で、こうした規制のある町から離れ山や洞窟で生活するものも出た。当時こうしたジプシーの活動、居住の中心となっていたのはAlcala, Utrena, Jerez, Cadiz, SevillaのTriana地区だったと言われる。

音楽的センスに秀でていた彼らは時として上流階級のパーティーに呼ばれ、その音楽を披露した。他の民族には理解できない外国語の節のなかで歌われたのは、民族に降りかかった不幸、世間からの不平等な待遇への不満だった。

時代とともに社会の規制は和らぎ、ジプシーもまた土地の生活に適応してきた。それとともに多くの人々が彼らの音楽に興味を示す様になってきた。クラッシックギターとフラメンコが出合い、地元の人々は彼らの音楽をスペイン語に翻訳し始めた。

19世紀には現在見られるフラメンコのスタイルが完成されていた。と、言ってもフラメンコの本質、つまりライブのパフォーマンスの中で日々成長するものであることは、フラメンコが発生した時から現在まで変わりはない。

*Flamencoという言葉の語源はアラビア語のfelag(田舎者)とmengu(放浪者)から発生しているそうだ。18世紀にはこのフラメンコと言う言葉はアンダルシアジプシーと同義に使用されていた。

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