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ナチス・ドイツ空軍コミュのFritzX

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コミュ内全体

 フリッツXはドイツ空軍が開発した空対艦滑空誘導爆弾で、爆撃機から投下された後、母機の無線誘導を受けながら目標に突入するハイテク兵器です。制式名称はRuhrstahl/Kramer X-1で、SD1400X・FX1400X・PC1400X等の別称もあります。
 フリッツXの開発は1938年から帝都ベルリンのアドラースホフ地区にあるドイツ最大の航空研究所DVLでSC-250爆弾を使った箱型尾翼の開発を行っていたマックス=クラマー博士(1903〜86)の研究に航空省技術局が関心を示したのが発端です。
 なお、フリッツXは動力付誘導爆弾Hs293と混同される事が非常に多いのですが、Hs293が通常の爆風爆弾であるSc500を用いているのに対し、徹甲弾であるPC1400を基にしているため、優れた対艦攻撃能力が期待されていました。
 フリッツXの機体の主要構成部品である誘導装置については、無線操縦用送信機はテレフンケン社、無線受信機はシュトラフスト=ルントフンク製作所でそれぞれ開発した後、ラインメタルボルジク社で完成されました。
 1941年にメクレンブルクフォアポンメルン州ウーゼドム島のペーネミュンデ長距離兵器実験場で風洞実験が行われ、1942年初頭からベルリン南方60kmのヨーテボーグにてHe111爆撃機を用いた飛行試験が開始されました。
 また、1942年夏、クラマー博士等は相手の電波妨害を考慮して有線誘導も試みましたが、ワイヤー繰り出し速度の限界が540km/hしかなくてフリッツXの加速に追い付かなかったため、繰り出し先を主翼端に変更したところ1080km/hの速度を出す事が可能だと判明しました。しかし、8kmもの長さのワイヤーを必要とするため不経済過ぎて、このプランは廃案となってしまいました。
 1942年秋には殆どの技術的問題が解決されましたが、フリッツXの真価は6000m程度の高高度から投下しなければ発揮されなかったため、ドイツ帝國国内では地上からその高度まで晴れているという天候条件がなかなか満たされる事がありませんでした。
 そこで、1943年初頭には試験場がドイツ国内から同盟国イタリア王国南部アドリア海沿岸のシポントに移され、地中海世界の晴天の下で改良が続けられる事となりました。
 誘導方式は目視誘導で、Do217等の母機から5000〜8000mの高高度で投下、母機はそのままスロットルを戻し着弾時には目標の真上にいられるようにします。このとき照準手は母機に据え付けられているロフテ7爆撃照準機でフリッツXを追尾しながら可視無線操縦しました。なお、目視誘導を容易にするため、フリッツXの後部にはHs293と同じようにフレアーが出るようにされていた外、一部は夜間使用のためのライトが点滅するようにもなっていました。
 本体にはアマトールとTNT爆薬が4対6か5対5の比率で装填され、ラインメタル社製のBZ38-B信管がセットされていて、四枚の安定翼と円筒形の尾翼ユニットが取り付けられていました。尾翼には無線機器と誘導ジャイロスコープが、安定翼には無線操縦用のソレノイド(電磁コイル)作動式スポイラーが装備され、射程や方位角の変更に対応可能でした。
 母機からの信号を受け取ってスポイラーを操作し爆弾を制御する方式でしたが、このスポイラーは上手く機能しない場合が多かったようです。イタリアで実験中に作動方式を空気圧式に変えてみたものの、温度変化の問題からこの案は破棄されてしまいました。
 なお、理論的命中精度は6000mから投下して目標までの誤差60cm、即ち着弾誤差0.1%とされていましたが、実際は誘導員の技量に大きく左右されました。
 こうして、1943年6月には初期生産型のX-1が完成し、折りしも東部戦線の第4航空軍(軍司令官;オットー=デスロッホ大将)から地中海戦域の第2航空軍(軍司令官;ヴォルフラム=フォン=リヒトホーフェン男爵元帥)麾下へ転属して来た第100爆撃航空団(司令;フリッツ=アウフハンマー少佐)の第2・第3飛行隊へ実戦配備されました。
 X-1の要目は以下の通りです。
・全長:3.26m
・フィンを含む全幅:1.35m
・胴体直径:56cm
・最大速度:1035km/h
・全体重量:1565kg
・弾頭重量:1400kg
・炸薬重量:320kg
 最大速度には諸説あり、音速に近い高速では操縦不可能ではないかという説もありますが、機体にはエアブレーキが搭載されていたので、この数字が操縦可能な限界値であったと見る事も可能です。
 フリッツXは早速英領マルタ島攻撃に投入されていますが、対艦兵器を対地攻撃に用いても充分な戦果を挙げる事は困難でした。

 さて、フリッツXが完成した1973年夏のイタリアは激動の時代を迎えていました。7月10日にドワイト=アイゼンハウアー米陸軍中将麾下の米英軍がシチリア島に上陸、7月25日にはベニト=ムッソリーニ首相が国王ヴィットーリーオ=エマヌエーレ3世によって解任・逮捕され、ピエトロ=バドリオ陸軍元帥が首相に就任します。
 9月3日には米英軍がイタリア本土南端に上陸し、同日、バドリオ政権は秘密裏に米英軍と休戦協定を調印、それが8日に公表されたのです。
 8日午前、イタリア北西部のラスペチア軍港を本拠としていたイタリア本国艦隊司令長官カルロ=ベルガミーニ大将は、ローマの海軍軍令部次長サンソネッチ大将から連合国側の指示を電話で伝えられます。その内容は、翌朝全艦隊を率いて出港、コルシカ島・サルデーニャ島西方を南下して英国領マルタ島に向かい、連合軍に降伏するようにとのものでした。
 ところが同日午後になってベルガミーニ大将は、海軍大臣兼海軍軍令部総長ラファエレ=ド=クールテン大将からの電話で、国王・バドリオ首相等がドイツ軍の攻撃を避けてサルデーニャ島北東岸のマダレーニャ島へ遷る事となったので、全艦隊を率いてそちらへ向かうように命じられます。但し、連合軍の許可はこれから取り付けるとの事でした。
 こうして9日0300時、ベルガミーニ大将は基準排水量41650tの最新鋭戦艦ローマを旗艦とするヴィットリオ=ヴェネト級戦艦3隻・軽巡4隻・駆逐艦8隻のイタリア本国艦隊を率いてラスペチア軍港を出港、途中で軽巡3隻・水雷艇1隻から成る第8戦隊とも合流して、コルシカ島西方を一路南下しました。夜明けと共に英軍偵察機も艦隊上空に飛来して艦隊の監視に当たりました。
 同日午後、ベルガミーニ大将はマダレーニャ島へ向かうために東へ変針します。ところが、混乱する情況の中、連合軍側にはイタリア本国艦隊が行き先をマルタ島からマダレーニャ島に変更した連絡が届いておらず、英軍司令部はイタリア艦隊が裏切った可能性大と見て殺気立ち、イタリア艦隊攻撃準備を始める騒ぎとなりました。
 一方、ドイツ南方総軍総司令官兼C軍集団司令官アルベルト=ケッセルリンク空軍元帥はイタリア本国艦隊の脱出を知って激怒、リヒトホーフェン男爵元帥にイタリア艦隊殲滅を命じます。そこで、リヒトホーフェン男爵はフリッツXが真価を発揮する好機と考えて第100爆撃航空団第3飛行隊に出撃を命じたのです。
 こうして1400時、第3飛行隊長ベルンハルト=ヨーペ少佐は、フリッツXを装備した12機のDo217爆撃機を率いて南仏マルセイユ近郊のイストル飛行場から出撃、イタリア艦隊を追いましたが、なかなか発見する事が出来ませんでした。
 こうした状況下の同日1530時頃、ベルガミーニ大将は海軍軍令部から「サルデーニャ島はドイツ軍に占領されつつあるため、国王陛下・首相はマダレーニャ島への脱出を断念、南イタリアのブリンディシへ遷る事となった。従って、本国艦隊は一番最初の予定通りマルタ島へ向かえ」との無線連絡を受け、1535時頃、慌てて本国艦隊に西方への変針を命じました。偵察機からその報告を受けた英軍司令部は安心して、イタリア艦隊攻撃を中止します。
 ところが1540時頃、イタリア艦隊がサルデーニャ島北部のアシナラ島近くへ達した時、ヨーペ少佐麾下の第3飛行隊が襲来したのです。艦隊上空に到達したのは9機でした。これに対し、イタリア艦隊は英軍機が出迎えに来てくれたものと勘違いして対空戦闘を行ないませんでした。
 かくしてヨーペ少佐は全く妨害を受けないまま艦隊2番艦の戦艦イタリア(旧名リットリオ)へフリッツXを放ち、前部主砲の右舷側へ命中させました。イタリアは上部構造物を大破されながらも速力を維持しました。
 続いて1545時頃、艦隊先頭の戦艦ローマへ放たれたフリッツXが後部マスト右舷の90mm対空砲基部に命中、162mmの防御甲板を貫通して艦底で爆発したため、ローマは右舷主機械が壊滅して速力が10ノットに落ちてしまいました。
 さらに1550時頃、別のフリッツXがローマの2番主砲塔と艦橋の間の左甲板に命中して艦体下方で炸裂、大火災が発生します。ローマは左舷主機械も殺られて完全に停止状態に陥りました。
 ローマ艦長アドーネ=デル=チーマ大佐は直ちに消火作業と前部弾薬庫への注水を命じますが、主機関が全壊して停電してしまっていたため作業は全く進捗せず、1612時に前部弾薬庫に火が回ったため艦は大爆発、ローマの巨大な艦体は断裂し轟沈してしまったのです。ベルガミーニ大将・デル=チーマ大佐以下1350名の乗組員が戦死する大惨事でした。

 ベルガミーニ大将の戦死で指揮権を継承した第7戦隊(旗艦軽巡ディ=サヴォイア)司令官ロメオ=オリヴァー少将は軽巡レゴロと駆逐艦3隻を現場に残し、ローマの生存者を救助させましたが、救出された596名は全て大火傷を負っていました。
 オリヴァー少将は深手を負った戦艦イタリアを含む残存艦艇を率いて南下し、翌10日朝、戦艦ウォースパイト・ヴァリアントを主幹とする英国艦隊と合流、11日にマルタ島に辿り着きました。
 一方、ヨーペ少佐等はフリッツXの命中後、連合軍艦載機の襲来を恐れて直ちに引き返したため、ローマの轟沈を確認しておらず、イタリア降伏の混乱の中でローマ沈没のニュースはマスコミでも報道されなかったため、ドイツ側では大戦果を知らないままでした。寧ろ、9機から放たれたフリッツXは3発しか命中しておらず、着弾誤差0.1%とのカタログデータとは程遠い結果だったため、フリッツXの有効性が疑問視されていた程です。
 同じ9月9日、連合軍はイタリア本土サレルノ湾上陸を強行するアヴァランシュ作戦を発動しますが、ドイツ第2航空軍第100爆撃航空団第2・第3飛行隊は上陸支援任務に当たっていた連合軍艦船へもフリッツXによる攻撃を行ないます。母機にはDo217の外、Do17やHe111も用いられています。9月11日には、基準排水量9700tのブルックリン級米軽巡サヴァンナと数隻の駆逐艦・輸送船に直撃弾を与えていますが、いずれも撃沈には至りませんでした。
 続いて9月13日には、基準排水量8712tのセイロン級英軽巡ウガンダにもフリッツXが命中して大破、戦死者16名を出しましたが撃沈には至りませんでした。
 フリッツXによる攻撃を再現したCGです。

 この段階では、連合軍はフリッツXの存在を充分認識していませんでした。ローマ轟沈の様子は英軍偵察機やイタリア軍将兵から報告されていましたが、理解不能な部分が多かったため情報解析は後回しにされており、サレルノ湾では被害が大きくなかったため、通常爆弾によるものだと誤解されていたのです。
 しかし、9月16日午後にはヨーペ少佐麾下の第100爆撃航空団第3飛行隊のフリッツX搭載Do217爆撃機3機がFw190戦闘爆撃機12機と共にサレルノ湾へ出撃、イギリスのクイーンエリザベス級戦艦ウォースパイト(基準排水量33410t)を攻撃した結果、連合軍は驚異的な新兵器が登場した事を思い知らされる事となりました。
 1425時、Fw190が陽動のために急降下爆撃を行なって対空砲火を引き付けている隙にDo217はフリッツXを発射、ヨーペ少佐機はウォースパイトの煙突の真後ろのボート甲板に命中させました。このフリッツXは左舷格納庫・後部居住甲板・第4ボイラー室等を突き抜けて、二重底の予備給水タンクで爆発、外板の底に6×2m以上の大穴を空けましたが、タンクの水で爆風が減殺されたため戦死者9人・負傷者14人を出したに留まりました。
 続いて2番機の放ったフリッツXが右舷第5ボイラー室の2m横、バルジの下端の深さの部分で爆発、艦底の内外の鉄板に皺が寄り、バルジの被覆に穴が開いて歪みました。さらに3発目は海に落ちて右舷後部横への至近弾となりました。
 この結果、ウォースパイトの第2〜第6ボイラー室は水浸しとなり、残った第1ボイラーも1500時に海水が混じって蒸気が全て停止、機関室も浸水を始めました。ウォースパイトは操艦不能となって円を描いて漂流し始め、機雷原の方に流されて行きましたが、ディーゼル発電機は動いており、操舵装置も何とか修復したため辛うじて機雷原に突っ込むのを回避、1700時から2隻のタグボートに曳航されて、時速僅か2ノットの超低速で現場からの離脱を図りました。
 17日1015時、さらに2隻のタグボートが曳航に加わり、時速は6ノットに上昇、潮流の早いメッシーナ海峡で曳航線が全て千切れて漂流してしまう一幕もありましたが、ドイツ空軍の再攻撃が無かったため、19日0800時に漸くマルタ島に到着、応急修理の後、ジブラルタルのドックに入りました。
 こうして、ドイツ軍の新兵器の威力に驚愕した連合軍は情報収集を急ぎますが、9月27日にバーナード=モンゴメリー陸軍大将麾下の英第8軍がシポントのフリッツX試験場を占領した結果、連合軍は漸くローマやウォースパイトを襲った大型爆弾が恐るべきハイテク兵器たる滑空誘導弾だった事を知ったのです。
 ハイテク精密兵器だったフリッツXの月産数は66機程度とされており、生産効率は良くありませんでした。最終的2000機が発注されて1386機が生産されましたが、1943年〜1944年までの実験に半数が使用されており、実戦参加数は約200発でした。
 フリッツXの実戦配備と改良は平行して行われ、次のようなヴァージョンも開発されました。
・フリッツX-2
 X-1の操縦装置改良型で、高度8000mから投下されて1080km/hの最高速度を得ましたが、試験飛行は1回のみでした。
・フリッツX-3
 X-2の量産型。主翼の両端にトリムタブを設置して翼の安定度を向上させ、操縦性向上のためスポイラーが導入されたため、誘導精度は少々犠牲となっています。とは言ってもX-1で0.1%だった着弾誤差が1.0%になっただけでしたから実用性は充分でした。しかも12000〜14000mの超高高度で発射した場合、最高速度は1440km/hに達し、標準大気中の音速1225km/hを凌駕したのです。これは200機発注されましたが、1944年後半に入ってドイツ空軍が防御戦闘一色になってしまうと、この種の攻撃兵器は無用と見做されてキャンセルされ、実戦配備は行なわれませんでした。
・フリッツX-4
 クラマー博士が1943年から開発を開始したルールシュタールとも呼ばれる空対空ミサイルですが、これは殆ど別兵器です。ジェット戦闘機Me262の主力兵装として開発され、動力は小型の液体ロケットエンジンで、4枚の安定翼と操縦翼を持ち、2本のケーブルで誘導するという先進的な兵器でした。最高時速は1120km/hでした。終戦までに約1300発が製造されましたが、ロケットエンジンの生産が空襲で途絶した事などから、一度も実戦では用いられませんでした。
・フリッツX-5
 2500kg爆弾を用いた大型重徹甲弾版です。PeterXとも呼ばれ、5発を集束した強力タイプもありましたが、何れも制式化はされませんでした。
・フリッツX-6
 X-5の高性能炸薬型。制式化はされませんでした。

 1944年6月6日、米英軍がノルマンディー上陸作戦を開始すると、第3航空軍司令官フーゴ=シュペルレ元帥は13日から25日にかけてフリッツXを用いた反撃も行いましたが、その数は僅少で殆ど効果はありませんでした。この際、再び英戦艦ウォースパイトに直撃弾を得たとの史料もありますが、信用し難いです。
 同年8月7日には、第40爆撃航空団第2飛行隊のDo217爆撃機がフランス共和国バスノルマンディ州モンサンミッシェルに近いポンタバルト橋梁をフリッツXで破壊し、ジョージ=パットン大将麾下のアメリカ第3軍戦車隊の進撃を食い止めています。
 さらに、8月15日にフランス共和国地中海岸のプロヴァンス地方へアレグザンダー=パッチ中将麾下のアメリカ第7軍とジャン=ド=ラットル=タッシーニ大将麾下の自由フランス第6軍が上陸作戦を行なった際にも数機のDo217爆撃機がフリッツXを用いた邀撃を行なっていますが、これがフリッツXが実戦で用いられた最後になりました。
 8月22日には15機のHe177グライフ重爆撃機がフリッツXを装備してエルザス州シュトラースブルクの空港から出撃しようとしましたが、米第8航空軍による猛空襲のため出撃は中止され、以後、フリッツXプログラムは打ち切られて生産は全てキャンセルされました。
 これは生産上の問題では無く、母機の損失が余りにも多かったからです。フリッツXはその投下方法と誘導方式から母機は常に低速で目標の上空を飛び続けなければならず、敵戦闘機や対空砲からの回避行動をとる事が出来なかったため、敵制空権下でフリッツXを運用するのは自殺行為だったのです。
 フリッツXの技術は、戦後になって連合軍に持ち帰られ、誘導爆弾の基礎技術となりました。戦後にアメリカ・ソ連・フランス等が開発した初期の誘導爆弾と対艦ミサイルは、フリッツX技術を土台としていたのです。

 ちなみに、フリッツXとHs293の混同は非常に甚だしく、ドイツ側の史料も散逸しているため、本稿で取り上げた対艦攻撃も全てHs293によるものだとの説もあります。しかし、通常の爆風爆弾を用いたHs293が戦艦の装甲板をブチ抜いて艦底で爆発するのは無理であり、少なくともローマとウォースパイトに命中した誘導爆弾はフリッツXであると考えて間違いないと思われます。
 なお、2012年6月28日、イタリア海軍はサルデーニャ島の北方30km沖合、水深1000mの海底で、戦艦ローマの残骸を発見したと発表しました。

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