ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

究極の神示「飛鸞宣化」コミュの釈迦古佛 / 平成七年五月七日

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
   鴻大無辺なる宇宙の中にて 無数の星が生じ滅す
   一つの星の中にて 無数の生命が生じ滅して行く
   一人の肉体にて 無数の細胞が生じ滅して行く
   生じ滅すの繰り返しの中に何が有るか
   そして 巡る輪廻の中にて何を必要とするか
   生命 是の意味を悟る事が大いなる佛道への一歩也
   そして 輝ける永遠の生命を享く為に天道有り 吾乃
 釈迦古佛
ム命を奉りて、聖域に来臨す。
慈ムに礼叩し、諸賢等と親しく接す。
 吾、茲に開壇訓の筆を執りて、暫し盤上に聖訓を展開す。本日の訓示は「人と生命と解脱」と言う題にて一文示さん。            哈哈 止

   「人と生命と解脱」
 佛道(経)の基本とは、人とは何かを知る事であり、生命は人とどの様な関係にあるのか知る事に有り。人は宗教を信仰する、それは何故か。今でも人々は、私、釈迦の残した言葉を繰り返しする、何故か。それは全て、人には生命があるが為也。是の生命を維持せんが為に苦しみ、悩む也。是の生命が終りを告げるが為に神を求める也。私の言葉は、様々な形で経文として世界に伝えられたり。然し、経文としての本来の目的は、果たされているとは言い難し。逆に、聖書の様な簡単な文が、又、易しい教えが世界の人々に理解されたり。故に、茲に一つの簡単な準えにて、人と生命の関係、宗教や解脱について示して行かん。
 人が生きていると言う事は、大きな河の流れに任せて下っているが如し。一人一人、肉体と言う小さな舟に乗りて、その河の先には大きな滝が有る。そして、滝は滝壺へと向っている。皆、是の滝が軈て来る事を知っている。則ち、死である也。人々は是の様な大いなる危険を眼前にし乍ら、どの様に振舞って居るであろうか。若し実際、一人の人間が同じ様な本当の河に身を置き、後数分程で巨大な滝に至るとすれば、どの様な行動を取るであろうか。勿論、両岸の何れかへと避難する筈也。本当の河に於いては逃げ出さんとするのに、生命と言う河より何故に逃げ出さんとしないのか。私が難行苦行し解脱を得んとした理由は、生命と言う河が危険極まりなきものだと想った為也。然し、生命と言う河は余りにも巨大で両岸が見え無い故に、流れに従う他、術は無し。そして、殆どの人々は、是の巨大な河の岸を発見する事を諦め、舟上で愉快に残りの時間を過す也。後の祭りと言う事であろうか。然し、残りの人々は岸へ辿り着こうと右か左へと漕ぎ出す。是の様な人々は、現世に於いて難行苦行して解脱を得ようとする人々也。然し、残念な事であるが、後の祭りと言う人も努力する人も滝(死)よりは、誰も逃がれる事は出来ず。後は、滝壺に至りても生き長らえるか否か、則ち死後の話となる。そして、天国か地獄かと言う話になるのである。
 そして、是の滝壺に飲み込まれる人々は、幾種に分けられるであろうか。先ず、なる様にしかならない、運任せだが殆どの人は自分だけは幸運だろうと想っている。次に、死ぬしか無い。是れは無信論者の人にあてはまるであろう。後の残りは、河の上で何らかの努力をしておれば、滝壺に至っても救われると言う人、則ち、現世に於いて何らかの信仰をしている人、又、宗教をしている人である也。それも又、幾種かに分けられる。雑念を捨てて自然な気持で滝に向えば救われる。又、是の言葉を毎日唱えていれば、滝壺に至りても救われる、又、河の中の方より落ちれば助かる可能性は低く、河の右左のいずれかに漕ぎ移れば滝壺の深さも浅くなる。故に、河上にいる間に右左のいずれかに移動しよう。(徳を積めと言う事と考えて良い。)後は滝壺に落ちる時の姿勢にて決まる。是れは葬儀と考えて良い。是の様に何れも一見救われる様で何の保証も無い。是れが宗教である。そして、確実に救われる方法、それが天道也。
 どの様に確実なのか。例えで示せば、滝(死)から滝壺(死後)に至る途中に(ここで図を描かれた)図の様に滝に至り、人(魂)が舟(肉体)と離れて滝壺に至る時に両岸より張られた網に掛かる。然し、全ての人が是の網に掛かるわけでは無い。網の目の大きさより大きくなければ救われ無い。故に、救われる人は河上にいる間に網の目に掛かる大きさになるものを背負う(得道)のである。実際の得道は救われる様子を見る事は出来無いが、若し、神眼で見るなれば理論的にまるで先程の例えで示したが如く、納得理解出来るなり。そして、宗教を信じ生き長らえた人、運が良くて生き長らえた人も再び河上で滝に至る迄、それぞれの時間を過ごさねばならぬ也。これを輪廻と言うべきである。そして、悲しくも滝壺にて死したる人々は地獄に行くと言えば良いであろう。そして、その人達は、又、河の出発点より河下りを開始する迄、長い時間を必要とするであろう。それを四生六道と言えば良い。
 生命、それは大きな、非常に大きな河の流れ、そして、脱しようと想いても脱し切れ無いもの。その生命を超ゆる為に確実な方法がある。絶対なる道がある。それは得道、そして天道。神々は、ラウムは河上にいる人々を全て救いたい。救いの網に掛かる為の救命具を全てに与えたい。天上より播くわけにもいかず、舟上にいる誰かが同じものを他の舟上の人々に手渡す以外に術は無い。天の命により、全ての人々に平等に救命具・三宝を手渡す事が許されたり。さあ、岸に至る為に、その救命具を受け取れ、そして皆に手渡すべし。

天命にりて、新壇名を降す。
 (※省かせて頂きます)
 以上
 新天壇の出航を心から祝う。
 本日の訓文で、肉体は舟であると例えた。本日、壇主になった者達は、今世から天上界に至っても失うことの無い宝船を得た也。そして、是の宝船は自分一人のみならず、他の衆生も乗せる大きな船である。生命則ち人生と言う河を是の船に乗りて下って行ける、是れ以上の幸福は無い。
 私は、紅陽時代の天盤の命を有難くも受け継いだが、佛教が十分に世直しの為に反映していない事を、とても、とても悲しく思う。本日、沙盤を借りる期会を得て、簡単に易しく佛教の真意を傳える事が出来、嬉しく想う也。もう何の能書きも必要としない。唯、悟りを得て貰いたい。なるべく多くの人々に、出来れば全ての衆生に、咳。
 吾、茲に言葉多く続けず。當地の諸賢の活躍を祈り、
皇ムに辞叩し、天外理天に帰す。        哈哈 退



_________________________________

※『ム』、『ラウム』はラウムの字です。
(漢字の「母」を90度回転したもの)

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

究極の神示「飛鸞宣化」 更新情報

究極の神示「飛鸞宣化」のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。