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ゴスペルハウスコミュの「感情と努力」

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ゴスペルハウスメッセージ 2017.07.08
「感情と努力」 列王記下 5:10-14

10 エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」
11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このらい病を直してくれると思っていたのに。
12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。
13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい。』と言っただけではありませんか。」
14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。

列王記下の第5章は、ナアマンのことだけが書かれていますので、ぜひ章全体を読んでいただきたいと思います。
ナアマンは、アラムの将軍でした。
彼は重い皮膚病を患っていたので、エリシャに直してもらおうとやって来ました。
財宝を携え、アラムの王の手紙を持ち、イスラエルにやって来たのです。

そんなナアマンに対してエリシャは、しもべをやってこう言わせました。
「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」(10節)
何も難しいことではありません。
しかし、ナアマンは従うことができませんでした。
簡単すぎたから従うことができなかったのです。

もっと努力を求められたら、彼の感情は満足したことでしょう。
つまりは、エリシャの対応は、ナアマンの好みに合わなかったのです。
「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このらい病を直してくれると思っていたのに。」(11節)
この言葉が、それを如実に表しています。
つまり、好き嫌いの問題と言い換えてもいいでしょう。

私が塾を経営しているとき、数学の苦手な生徒が入塾してきました。
私は彼女に、どういう分野が苦手なのかを聞き、その解決方法を与えました。
すぐさま、彼女はその単元の問題が解けるようになったのです。
「これで安心だね」と私が言うと、彼女は不安そうに答えました。
「このやり方で、学校で解いてもいいですか?」
彼女は、自分がこんな簡単にできるようになるとは思えない、もっと悩むべきと考えたのです。
これも、感情の問題です。
はじめて出会った私に対して、彼女は全幅の信頼を置くことができなかったのです。
その後、何度か授業を重ねていくうちに、彼女の感情のほつれは解けました。

私たちには、感情があります。
好き嫌いがあります。
でも、信頼していい人からの言葉は、好き嫌いを超えていいのです。
私は授業をする時に「数学キライなままでもいいよ。それでもできるようになっちゃうから」と話します。
感情を超えて、好き嫌いを超えて、現実がやって来るのです。
いうまでもなく、神様からの言葉は、私の数学の授業以上に、完全に信頼に足るものです。

こういう問いにあなたはどう答えますか。
「勉強ができるために、また、能力を伸ばすために、努力は必要か?」
ほとんどの人は、「はい、必要です」と答えるでしょう。
そこでさらに質問を続けます。
「それはだれの努力ですか?」
私の答えは、「教師(教える側)」です。
教師の工夫努力が十分ならば、授業を受ける側は容易に能力を伸ばせるのです。

こういう例ならもっと分かるでしょう。
「美味しい料理を食べるのに努力が必要なのは、料理人か食べる人か、どちらでしょう」
言うまでもなく料理人ですね。
食べる人は、ほとんど何の努力も必要ありません。

くどいようですが、さらにもう一つ。
「かつお節でダシを取るための努力は、かつお節購入前に終わっている」
比較的簡単な作業でダシを取れるかつお節ですが、その製造過程で多くの手間ひまがかけられているのです。
だから購入者は、台所で簡単な作業のみでいいのです。
努力はすでに、製造過程で終わっているのです。

上手な料理人の料理は、そのまま食べていいのです。
かつお節のダシは、何時間も煮出さなくていいのです。
自分が努力しないことについて、あなたの感情がどうであれ、好みがどうであれ、問題ではないのです。
好き嫌いを超えましょう。
キライなままでいいから、受け入れていいのです。

好き嫌いは問題ではないと言ってきましたが、1つ例外があります。
それは、神様の場合です。
神様は、全知全能ですから、その好き嫌いも完璧な好き嫌いなのです。
つまり、好きなものは好きでよいもので、嫌いなものは嫌いでなくてはならないものなのです。

神様は、罪を憎みます。
つまり、罪が嫌いなのです。
ですから、罪人は神様の国・天国に入ることはできません。
神様の好き嫌いは完璧な好き嫌いなのですから、ここは譲ることができません。

しかし、神様はそんな不完全な人間を、愛してやまないのです。

この完全で完璧な好き嫌いを満たすために必要だったのが、イエスさまの十字架です。
イエスさまの十字架によって、あなたは救われました。
イエスさまの身代わりによって、あなたは赦されました。
あなたが何の努力をしたわけでもないのにです。
あなたの感情や好き嫌いにかかわらずにです。

かつお節の製造工程のように、あなたが手にする前にすべての努力は支払われているのです。
二千年前に、すでに完了しているのです。

あなたの感情や努力や好き嫌いが、問題なのではありません。
だれか他の人の感情や努力や好き嫌いが、問題なのでもありません。
神様の感情が、そして、イエスさまの努力が、あなたを神様の子としたのです。

嫌いなままでも、救われます。
受け入れられなくても、赦されています。
本物の愛は、そんなあなたに開かれているのです。

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