ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ホーム > コミュニティ > 会社、団体 > ゴスペルハウス > トピック一覧 > 「決意と正しさを超えるもの」

ゴスペルハウスコミュの「決意と正しさを超えるもの」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コミュ内全体

ゴスペルハウスメッセージ2017.06.25
「決意と正しさを超えるもの」 ルカ 9:57-62

57 さて、彼らが道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」
58 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」
59 イエスは別の人に、こう言われた。「わたしについて来なさい。」しかしその人は言った。「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
60 すると彼に言われた。「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」
61 別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」
62 するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」


ここでは、3人の人がイエスさまと会話しています。
今日は、この箇所から、「決意と正しさを超えるもの」というテーマで、御言葉を開いていきましょう。

一番目の人は、強い決意を持ってイエスさまに話しました。
この箇所と同じ出来事を書いている、マタイによる福音書第8章では、この人は律法学者とされています。
「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」(57節)

彼の強い決意、強い決心、熱意の中に、イエスさまは報いを求める部分を見つけました。
そこで、イエスさまは答えました。
「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」(58節)
「私についてきても、人からの報いはないよ」「あなたが求める賞賛のかわりに、無理解があるよ」「あなたが期待する歓迎のかわりに、迫害があるよ」「あなたが期待に反する孤独があるよ」と、イエスさまは言っているのです。

決意も、決心も、熱意も、悪いものではありません。
しかし、あなたの決意やあなたの決心、あなたの熱意だけでは、乗り越えられないものもあるのです。

二番目の人は、正しさを持ってイエスさまと話しました。
イエスさまの「ついて来なさい」という招きに対して、彼はこう答えました。
「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」(59節)
子どもが死んだ父の葬りをするのは、当たり前の正しいことです。

それに対してのイエスさまの答えは、意外なほど冷たく感じるものでした。
「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」(60節)

イエスさまは、家族を喪った人の悲しみを無視するような方ではありません。
弔いの気持ちや、葬りの行動を否定する方でもありません。
それなのに、なぜ、このような答えをしたのでしょうか。

それは、この人の父親が、まだ死んでないし、死にかけてもないからです。
きっと、まったくの健康体でしょう。
イエスさまの招きに対して、すぐに従いたくないために、「子としての正しいこと」をたてにとっているだけなのです。
「父親がいるので、いま私は従いません。」という意志表示です。

年月が経って父親が死んだならば、きっと彼はこう言うでしょう。
「母親だけを残すわけにはいかないので・・・・」
母親も死ねば、「まだ嫁いでいない妹が・・・」「病気のおじさんが・・・」「頼りない息子が・・・・」
いくらでも、理由はできてしまいます。
それらすべてが死に絶えるまで、彼はイエスさまに従うことはありません。
「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」(60節)の「死人たち」とは、「あなたが理由にしたがっている人たち」ということなのです。

子として、家族として、正しい(ように見える)理由をつけて、イエスさまについて行くことをやめようとしているだけなのです。
三番目の人も、まったく同様です。

イエスさまは、あなたを招いています。
ともに歩もうと、愛の中にいなさいと、招待しているのです。

しかし、過ぎた決意・決心・熱意によって、イエスさまよりも前を歩いてしまうことがあります。
他人の賞賛を得たいがために、イエスさまよりも前に出てしまうため、イエスさまには背を向けてしまうことになります。
イエスさまを見つめていないので、どこに歩んでいるのか、何をしているのか、わからなくなってしまうのです。

また、過ぎた正しさによって、イエスさまよりも後ろに下がりすぎてしまうこともあります。
イエスさまの背中だけは見えるのですが、イエスさまの表情が見えないので、イエスさまから愛されているという実感を得られません。

決意も正しさも、大切なものです。
しかし、その決意や正しさが、イエスさまとの関係を悪くするなら、つまづきの原因なら、何を求めたらいいのでしょう。

それは、やはり決意と正しさです。
しかしそれは、あなたの決意や正しさではありません。
イエスさまの決意や正しさなのです。

あなたの決意とイエスさまの決意と、どちらがあなたを救いましたか。
あなたの正しさとイエスさまの正しさと、どちらがあなたを導きますか。
言わずもがなですね。

では、あなたの願いとイエスさまの願いと、どちらをあなたの人生に実現したいですか。

あなたの生きる毎日が、神様の愛とともにありますように。


(参考:並行箇所)
マタイによる福音書第8章
19 そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。「先生。私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」
20 すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」
21 また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
22 ところが、イエスは彼に言われた。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ゴスペルハウス 更新情報

ゴスペルハウスのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング

mixiチケット決済