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†イエス・キリスト†コミュのガリラヤについて

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コミュ内全体


初めまして。
教えていただきたいコトがあります。

"When I go back Baltimore, need no carpet on my floor
Come along and follow me, we'll go down to Galilee"

"ボルチモアから帰るときには
カーペットを敷いてもらう必要はない
ついてきなよ
ガリラヤへ一緒に行こう "

ある映画のシーンにおいて、
冴えないフォークシンガーがこう歌います。

「ガリラヤに行こう」

これにはどういう意味が含まれるのか、ガリラヤを調べると「処刑されたイエスが復活しガリラヤから天に昇った」という事だけど、
よく分からないです。
この歌に誘われガリラヤへ行く者が
そこに見出すべきもの、
それはどういう旅路でしょうか。

あるいはこれは、死ぬ為に行くのでしょうか?
だれか考えをお聞かせください。
宜しくお願いします。

コメント(20)

これが一番総合的です(^ ^)


ガリラヤに行こう」 加山 献 牧師
マタイによる福音書28章1節〜10節
安息日が明けた朝、つまり日曜日の朝にマグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見にいったとあります。彼女達は墓の中にイエスさまを探しましたが、イエスさまはそこにはおられませんでした。「墓」は、イエスさまを閉じ込めておくことはできなかったのです。「墓」は「死」の象徴です。イエスさまは人類最大の問題である「罪」と「死」に打ち勝ったことを表しています。そして「墓」は過ぎ去った「過去」の象徴でもあります。イエスさまを「墓」の中に探すということ、それはイエスさまを「過去」の中に探すことでもあります。
生きておられるからこそ、イエスさまは、今もわたしたちの人生に影響を与えることができます。この方が生きておられるから、今日もわたしたちに希望があります。この方が今日も生きておられるから、わたしたちの人生は悲しみで終わることはありません。この朝、わたしたちは死んで墓の中に眠っている方ではなく、今も確かに生きておられるイエスさまを礼拝しています。
復活されたイエスさまは弟子たちに新しい命令を与えられました。それは「ガリラヤに行きなさい」という命令でした。ガリラヤとは、弟子たちがイエスさまと出会った場所でした。弟子たちにとってガリラヤは、思い出がいっぱい詰まった始まりの場所だったのです。
しかしながら、イエスさまが十字架にかけられる時、弟子たちはみんな逃げ出してしまいました。イエス様に従うことに挫折してしまったのです。そしてイエスさまは墓に葬られました。全てが終わったかのように思えました。しかし、復活のイエスさまは言われました。「ガリラヤに行きなさい」。もう一度やってみよう、もう一度新しくはじめてみよう、ということです。
わたしたちも信仰に挫折する時があります。信仰の生活に倦怠感を覚える時がやってきます。そんな時は、イエスさまと出会った場所に帰る時です。イエスさまと出会った日を、この方に一生ついていこう、と決断した日を思い起こす時です。その場所でイエスさまは私たちの涙を拭ってくださり、私たちの疲れを癒してくださいます。今日、「墓」の中にイエスさまを探しておられますか?もしくは、過ぎ去った「過去」にイエスさまを探しておられるでしょうか?今日も生きておられるイエスさまは「ガリラヤに行こう、そこでわたしに会うことになる」と言われます。
>>[1]

なにこれ。すごいばっちり!
新しく始めよう、て事なんですね。
そして、思い出そうという事ね。

ありがとう。

ちなみに僕は、毎日リアルトレインスポッティングです。


>>[2]

まっ、20代の火遊びは、
良い経験になる、、、、

ほどほどが一番、、、、

パクられる前に切り上げるのがベストだ、みすのん(^ ^)
>>[3]

それがもう30代だから笑えない^_^
なんとか頑張ります٩( ᐛ )و
>>[4]

大丈夫です。
人生80年としても、
まだ残り半分の幸せがあります(^ ^)

祝福がありますように(^^)
:
>この歌に誘われガリラヤへ行く者が
そこに見出すべきもの、
それはどういう旅路でしょうか。
あるいはこれは、死ぬ為に行くのでしょうか?

「死ぬ為に行くのでしょうか? 」
そうとも解釈できますが、復活するとも解釈できます。
「空の墓」の物語?

イエスが十字架刑になり、女たちが始めて墓に行くと、そこにはイエスの亡骸はなく、青年が座っていて以下のように言います。
マルコによる福音書/16章5節〜7節
5:墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。
6:するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。
7:今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。
**

ガリラヤは女たちがイエスと共に生きた場所で、そこで復活のイエスと出会うことか示唆されてます。

つまり、自分たちが生活している場で復活したイエスに出会うという意味ともとれる訳です。
ガリラヤで出会うというのは以下のこととも解釈されてます。
マルコ1章以下のイエスの物語、イエスの福音を読む
http://bbbible.com/bbb/bbbmk01a.html#mk1.1-8
口語訳1955
1:1 神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
1:2 預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。
1:3 荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、
1:4 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。
1:5 そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
1:6 このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
1:7 彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない。
1:8 わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」。
1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
1:10 そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった。
1:11 すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。・・・。
続く


ガリラヤというのは、パレスチナの地中海気候Bの亜熱帯の地方で、ヤシの木陰が涼しい地域です。
単にバカンスでも楽しもうかという意味かも知れませんが(^^;、その歌も聴き手次第で意味が違うわけですが。

文脈、構造は理解していただけたでしょうか?
もう一つ、ガリラヤで再会する解釈があります。
一番短い続きは以下です。

16:9 〔週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた。イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある。
16:10 マリヤは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた。
16:11 彼らは、イエスが生きておられる事と、彼女に御自身をあらわされた事とを聞いたが、信じなかった。
16:12 この後、そのうちのふたりが、いなかの方へ歩いていると、イエスはちがった姿で御自身をあらわされた。
16:13 このふたりも、ほかの人々の所に行って話したが、彼らはその話を信じなかった。
16:14 その後、イエスは十一弟子が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心のかたくななことをお責めになった。彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。
16:15 そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
16:16 信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
16:17 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
16:18 へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
16:19 主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。
16:20 弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。〕
映画はジョエル&イーサン・コーエン兄弟監督の「インサイド・ルーウィンデイヴィス」、デイブ・ヴァン・ロンクという実在のフォークシンガーがモデルの映画で、オスカー・アイザックが彼を演じてる。

曲はコレです。宜しければ。
https://m.youtube.com/watch?v=1Q5m2DEf7ag

>>[8]

丁寧な回答ありがとう。とても興味深く読ませていただきました。
たぶんですがボルチモアはアメリカ独立と関係があるので、1814年のイギリスとの戦争について歌っているように思います(歌詞にはあとでイギリスを指して歌っているように思えるフレーズもあります)。

フォーク自体がプロテストソングと言えますが、まあそうした文脈がありはするものの、場面としては本当に牧歌的で、特別ガリラヤを強調するようなニュアンスはない。
難しいムードじゃないんです。

だから尚更、たとえば宗教的な意図はそれほど無い中でこのフレーズが出てくる、それほど頻繁に言い合うようなものなのかな、
などと気になる所です。
>>[13]
>だから尚更、たとえば宗教的な意図はそれほど無い中でこのフレーズが出てくる
**
私も聞いて何となくわかりました。
私の立場に近いガリラヤのイエスの解釈ですね。
史的批判をすると、イエスはローマの圧政に対して抵抗したとも云えます。イエスはローマによって政治犯にしか適用されない十字架刑に処せられた事実から見る歴史学の見方です。
イギリス→ローマ
アメリカ→ガリラヤ
と見ている訳です。

現在では、民主政が行われているのでナンセンスですが、政治活動、選挙を通してそれを実現したいものです。
>>[13]
こうして、現在にイエスを蘇らせるのが、最初の実存的復活の解釈です。
>>[13]
イエスの時代のガリラヤ
http://james.3zoku.com/jesus/jesus01.html
>>[12]
歌詞ラスト
You come along and follow me
There’s a man in Galilee

私に従って来なさい。
(イエスの弟子レビ(とアリア)の召命のことば)
ガリラヤに一人の男がいるよ
(ガリラヤの男 イエス)
()内アリア解釈
>>[11]
みすのさんにも召しが下ったのですね。
私がイエスの召命を受けたときも、音楽レリピー(Let It Be)が流れてました(^^ゞ
>>[18]

すごい。そういう歌だったんだな。
アリアさん、ありがとうございます。

召しが下った、については分かりません。
それは何を意味するのですか?
キリストについて考える事?

僕はオアシスとキンクスが好き(そーゆう話じゃない)^_^
>>[19]
>召しが下った、については分かりません

>>私に従って来なさい
>>(そこに)ガリラヤの男がいた

キリスト教徒になること、聖職への招聘のことです。

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