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†イエス・キリスト†コミュの集団ストーカーには作戦会議がある^_^

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コミュ内全体

集団ストーカーには作戦会議があるので、

たくさんの方々が、集団ストーカーと気付かずに、
いつの間にか、振り回されることになります^_^

そうです、作戦会議があるところ、
実は振り回されているのです(^ ^)

もちろん、一対一の会議でも、
集団ストーカーの会議です(^ ^)

だから、
実は集団ストーカーに振り回されていると、
本当に気付きにくいのです(^ ^)

コメント(389)


正直、リアルで、誰一人全貌を話さないので、
本気で、今どういう話しになってるかが、
まったく分からない(^^)


せめて、誰か、匿名でメモ書きでも落としてくれたりすれば、
少しはちぐはぐも少なくなるのですが、
本気でちぐはぐです(^^)


つまり、論破する気も、罪に定めるつもりも全く無いのですが、
自分と自分達のプライドと体面と体裁が、
リアルで論破されること、
リアルで罪に定められることを恐れてるのです(^^)


おいらは、あなたがたは神の子じゃないとか、
あなたがたは光の子じゃないとか言ってるわけではないのです(^^)

事の全貌を話してと言ってるのです(^^)


なぜなら、一年以上にわたり、
事の全貌を話さないから、
あらゆる善意と、あらゆる悪意が、
全てちぐはぐになったのです(^^)

つまり、もう結果は出てるのです(^^)

事の全貌を話さないことには、
善意ですら、
ちぐはぐになるのです(^^)



イエス様は、事の全貌を分かった上で、
忍耐しました(^^)

おいらも、事の全貌が分かれば、
そういう事情なら、監視していいですよとかに、
なるのです(^^)

そういう事情ならと、
事の全貌が分からなくても、
おいらは自分の損を選択し続けてきました^_^

つまり、全然むさぼってないし、
一年以上、常に、自分の損を選択し続けてきました^_^


集団ストーカーを肯定するなら、
一年以上集団ストーカーに耐えるか、
ガチで全てを捨ててください^_^


ただし、事の全貌を話せば、
そういう事情なら、
そのストーリーでいいですよとか、
監視していいですよとか、
ほのめかししていいですよとか、
わざと物音立てていいですよとか、
尾行していいですよとか、

少なくとも、
一つのグループは、
集団ストーカーでなくなり、
チグハグも、
誤解が誤解を生む形も少なくなるのです(^^)

しかも、
おいらは別のグループの対集団ストーカーに専念できます^_^


で、
一番あり得ないのが、
毎回、そうだよ、当事者に全貌を話すべきだよとか、
そうだよ、互いに愛し合うべきだよとか言う方々が、
毎回踏みにじられるのです(^^)


つまり、おいらに味方する方々が、毎回踏みにじられる^_^

これが一番あり得ないです(^^)


確かに、撃たれたら、必ず撃ち返すのがおいらです(^^)

撃っていいのは、撃たれる覚悟のある者だけだ。
という言葉も、確かに好きです(^^)

だから、
何年前であろうが、
撃たれたら、平気で撃ちます(^ ^)

それは認めます(^ ^)

確かに撃ちました、すみません(^ ^)
しかし、撃たれるまでは撃たないも徹底してます(^ ^)

去年は、酒どころか、360度これでもかと、
罠と分かりつつも駄々漏れさせたくなるネタ振りをしましたが、
覚醒剤や大麻などのネタ振りはやってません(^ ^)

今年も仕掛けてるネタ振りはあるのですが、
別のグループから、別のグループへの駄々漏れでないと、意味が無いのです(^^)
みんとのブログにご訪問ありがとうございます。



一か月前くらいから右腕肩にかなりの痛みがあり…ちょっと高い所にある物を取ろうとするとピキーンと痛みます。○十肩というやつでしょうか?腕の可動域が狭くなり思うように動かせないので着替えなどが厄介ですが…集団ストーカー周知チラシのポスティングは精神衛生上にも良いので行います。

腕の可動域は狭くても行動の可動域は広げていこうと日々努力をしているのですが…目下、私の課題は地域のスーパーやコンビニなどの店舗でゆっくりとお買い物をする事です。

この集団ストーカー犯罪の被害者になってから店舗でのお買い物の際には様々な嫌がらせを受けてきました。最初の一年目はそれでもと思い毎日通っていたのですが嫌がらせで受けた傷は想像以上に深く私にトラウマをつくりました。

これだけポスティングが出来ていても何故か地域の店舗でお買い物をするのにはポスティング以上の勇気がいるのです。なのでここ一年くらいはネットスーパー頼みでして(汗)えっ!みんとさん、そうなの?と…ポスティングの方が大変じゃない?と思われるかもしれないのですが…恥ずかしながら事実です。

万引きなんてした事もなく。何も思い当たる事はないのに地域の店舗で理不尽な対応をされたりして…何処かの洗脳されたカルトにつきまとわれる事よりもその店舗での対応の方が私の心を深く傷つけました。

嫌がらせの内容としてはこれ見よがしの監視を意識した品出しや音立て。暗号らしき店内放送…たくさんあります。ただ、ここにあげた内容はまだ顔認証システムに誤登録されたのかという可能性もあり、それで店側が防犯上その様な監視行為をしているかもしれないということも推測出来ますが。

集団ストーカー加害側はこの様なシステムさえ悪用し被害者を自殺や病気などに追い詰めていくのです。

犯罪防止行為とは程遠い行為…わざと私がすれ違うタイミングでする店員の咳払いや、すでにお会計を済ました後で買い物カゴをわざと大きな音を立てて乱雑にこれ見よがしに片付けたり…これって一体何なんでしょうか?

これらも万引きなどの犯罪防止行為ですか?

お客様の前で咳払いをわざとしたら、犯罪防止は出来るのですか?お会計をしてお金を払ってるのに買い物カゴで威嚇するのは何の目的があるのですか?

コンビニにおいてはわざとレジのキーを鳴らしたりお釣りをわざと落としてみたり…


こんな…わざと!に何の意味があるのですか?


私には咳払いをしたからといって犯罪防止が出来るなんてとても思えません。他の行為も一緒です。

今だかつて犯罪とは無縁で、ましてやきちんとお会計をした後にそんなことされるなんてただの嫌がらせじゃないですか。嫌がらせとは別に私に関して変な情報が何処からか流されたり、顔認証システムで誤登録されてるようでしたらそれも名誉毀損の人権侵害犯罪です。

この様なわざと!の行為をしている店舗はもはや防犯目的ではなく単なる嫌がらせです。そう、集団ストーカー犯罪の加担店ということになります。

一般の方々にもこんなことが一部店舗で実際に行われていること、全国には被害者がたくさんいて生活が破壊されたり引き篭もりにされたり…

どんな思いで被害者が買い物をしたり暮らしているかをぜひ知っていただきたいと思います。

逃げてばかりではいけないので、また一歩!
そろそろ私もたくさんのチラシを持ってそんな嫌がらせをしてきた店舗に周知を兼ねて再デビューしましょうか。。。


そんな店舗の今後の対応や将来を…
皆様、私と一緒によーく見届けてください。


みんと
2015年03月20日 19:11
女性のピックアップ

イエス様が十字架につけられたのは金曜日の朝でした。朝の9時に十字架につけられ、午後3時に絶命したと聖書は伝えますけれども、普通二〜三日かけて死んでいく十字架刑としては、異例の早さで絶命いたしました。それだけ苦しみが大きかったということでありましょうが、なくなられたイエス様を、人々は、日が沈まないうちにとあわてて葬ったのであります。なぜなら金曜日の夜から安息日が始まるからであります。おそらく、今日の箇所に登場してくるイエス様を愛する女性たちは、その遺体の扱われ方に心を痛めていたのでしょう。なんとか遺体をきれいにして差し上げたい。しかし、土曜の夜まで安息日なので身動きがとらない。ゆえに、安息日があけた日曜日の朝、彼女たちはイエス様の遺体に香油を塗りにやってきたということであります。

 この香料を死んだ人の体に塗るということは、当時の風習として、誰に対してもやっていたことかと一見思いますけれども、歴史に詳しい人たちによると、どうもそういうことではないようで、こういうことをするのは珍しいことだそうであります。そもそも当時香油は大変高価なものであって、遺体に塗ってしまうということはしなかったようであります。ですから、ここで女性たちは、イエス様に対する一途(いちずな)思いで、自分の身銭を切って、大変高価な香油を買ってですね。それを塗りにやってきたわけですね。しかも墓は大きな石でふさがれていたことを、彼女たちは知っていた。墓に納められたところを見ていましたからね。大きな石がふたをしていて、イエス様の遺体に香油を塗ることなどできないかもしれない。「だれがあの石を転がしてくれるのか」と話し合いながら、ですから、もしかしたら、あの石のおかげで、この奉仕は徒労に終わるかもしれない、無駄骨に終わるかもしれないにもかかわらず、彼女たちは一途にも、高価な香料を買って、それを塗りに墓へと向かったわけであります。
 普通こういう状況だったら、まず、最初に石を転がすことを考えるんじゃないですかね。そして、確実に転がすことが出来てから、高い香料を買いに行くんではないかとおもいます。もし、石が転がせなければ、高い香料を買ってもむだになってしまいますから、まず、石を転がすことを考えるだろうと思う。

 しかし、彼女たちは、まず、イエス様に香油を塗ること、イエス様に奉仕することのみを考えたわけですね。だから、無駄になろうが徒労に終わろうがかまわない。と。

 そんな打算をこえた、愛に動かされた女性たち。そして石のこと、つまり、目の前の現実的な障害、困難を、委ねてしまう信仰ですね。その彼女たちの、愛と信仰に答え、神様は、石は取りのけて下さったのではないかと、そう思います。問題を自分の力で解決してから、愛するというのではなくて、問題や障害を抱えながらも、なお愛することを願うとき、神様がその問題や障害を取りのけてくださる。そんなことを、この出来事から教えられるのではないでしょうか。

 さて先に進みますけれども、彼女たちが墓にはいると、真っ白な衣を着た若者が座っていたとあります。

 この若者は天使でありましょう。天使とは英語でエンジェルでありますが、聖書の元の言葉のギリシャ語でいいますとアンゲラスという言葉で、このアンゲラスというのは、神の使い、メッセンジャーという意味ですから。
 ここに、天使が現れて、神様からの啓示、メッセージとしてこの出来事の意味が告げられる。これは重要なことだと思います。

 なぜかといいますと、人間というのは、なにか起こっている出来事だけをみても、その意味を悟れないことがあるからですね。
 私たちはイエス様の十字架が、私の罪を購う贖いの死であったと知っていますけれども、これは御言葉を通して啓示されたからであって、もし、あの十字架の現場にいて、その出来事を見ていたとしても、この十字架が私たちの罪の身代わりなのだと、そう思いながら見ていた人は一人もいなかったわけであります。それは、神の御言葉を通して、十字架の意味を教えられて、初めて知りうる知識だったわけです。


 ですから、今日の箇所で、もし、天使がここに現れなくて、ただイエス様の体が墓の中から消えていたという、その出来事だけで終わったならば、ただ遺体がなくなったという奇妙な事件で終わったわけであります。だから、ここで天使によって、このことの意味が告げられるということがなければならなかったのでしょう。これは、ただ、イエス様の遺体がなくなるという奇っ怪な事件ではなくて、復活という、喜びの出来事なのだと、その意味が天使によって告げられて初めて、この出来事が喜びの知らせになるわけです。
 ところが、この喜びの知らせであるはずのイエス様の復活のメッセージを聞いた彼女たちは、喜ぶどころか恐れたわけであります。あれほど愛し、一目散に香油を塗りにきた、そのイエス様が甦った、生きておられると告げられたのに、その彼女たちの反応は、喜びではなく、恐れ。それも、正気を失うほど恐れたわけでありました。そして、天使に、弟子たちのところへ行って、このことを話すようにと、いわれたにもかかわらず、彼女たちは誰にも話そうとしなかった。恐ろしかったからだと、そう記されているのですね。

 この彼女たちの反応からして思うことは、この、復活という出来事は、私たちにとって、喜びである前に、まず、恐れであるのではないかということであります。

 その恐れというのは、一つは、いわゆる、自分の理解をはるかに超えた神の業に直面した恐れ、ですね。

 しかしそれだけではないと思うのですね。彼女たちがここでなにを恐れたのか。それこそ、正気を失うほど、そして、弟子たちに告げようとさえしなかったほど、彼女たちは何を恐れたのか。その恐れの訳を、考えたいわけであります。


 まず、この時、12弟子は、逃げ去っていたわけであります。自分たちはたとえ死んでもあなたとともにどこまでも歩んでいきますと、かつてそう語っていた弟子たちは、イエス様がいざ捕まってしまうと、一目散に逃げだしてしまった。

 なんで弟子たちは、死んでもついて行くと言っていたのに、イエス様が捕まったら、逃げ出したのかというなら、イエス様の十字架も復活も信じていなかったからですね。イエス様が何度も何度も、「わたしは十字架につくが、三日目に甦るのだ」といわれていたのに、彼らはその言葉を、ちっとも信じようとしなかったし、今も信じていない。だから、弟子たちは、墓にもやってこないわけです。この時も、弟子達はまさかイエス様が復活するなどと信じていないわけですね。そして、今頃、故郷のガリラヤに向かいながら、なんで自分たちは、イエスという人に、すべてを捨てて従っていったのだろうか。大切な仕事や家族を捨ててまで、なんでイエスという男に従って無駄に時を過ごしてしまったのであろうかと、つぶやきながら、故郷のガリラヤに向かっていたのでしょう。

そんな不信仰で、イエス様を捨て去った裏切り者の弟子たちのまえに、突然、復活したイエス様が現れたとしたら、いったいどうなってしまうのだろうか。そう考えたときに、女性たちは恐ろしくて、恐ろしくて、震え上がって口もきけなくなったと、そのように考えることが出来るわけであります。

 イエス様を裏切った弟子たちの、その取り返しのつかない罪を覚えて、彼女たちは震え上がったのではないでしょうか。そしてそれは人ごとではなく、今、こうして香油を塗りにきた私たちにしても、正直言ってイエス様が復活するといわれていた、あの言葉を信じていたわけではなかった。遺体があると思って、彼女たちはやってきたわけです。その不信仰の罪が、イエス様の復活によって、今、あらわになった。そんな私たちの罪が神の前にどのような裁きを受けねばならぬのかと、そう思って震え上がったとしても不思議ではないのであります。
その恐れとおののきに、まさに正気を失うほど恐れた。

しかし、真実に罪を認めるということは、人と人との比較の問題ではないからであります。真の罪は、神の前にのみ明らかにされるのです。

それゆえに、確かに、復活のイエス様に出会い、信じ受け入れることは、罪を示され、恐れを感じることなのであります。しかし同時に、忘れてはならないことは、その復活された方は、私たちのその罪を赦すために、そのために、十字架にかかってくださった、その方が、復活されたということですね。復活された方は、私たちのために、十字架についたかた。罪を赦し、神の恵みの中に私たちをおいてくださる方が復活したのだということであります。

恐れながら家の戸に鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちに、復活されたイエス様が現れます。そして、「あなた方に平安があるように」と語るのであります。裏切り逃げ去った弟子たちを、一言も責める言葉を発することなく、ただ、あなた方に平安があるようにと主はいわれます。そして、弟子たちに、十字架につけられたときの、手とわき腹にある傷跡を見せられる。復活された方は、確かに、私たちのために十字架にかかられたゆえに、裏切り逃げ去った弟子たちを責めることなく、ただ一言「あなた方に平安があるように」と言われたのですね。そして、同じように、私たちにも、主は、罪を責めるお方としてではなく、「あなた方に平安があるように」と罪をゆるし、慰めの言葉を語りかけてくださるお方として、復活し、いつまでもともにいてくださることに、心から感謝したいと思うのであります。
さて、去年の8月にPA事件というのがありました^_^

実は、PAをやりたいわけでは全くないのですが、
愛を選択するか、偽善を選択するかの試しを、
あらゆることを全て御存知の神が、全員を試しているのかもしれないと思い、PAの話を承諾しました^_^

結果、承諾したPAの話は、無かったことになりました。
理由として、
ダンスをさせたいから。
教会にあまり来てない人にやってほしいから。
教会に来たり、来なかったりするから。

と、
矛盾した理由が3つあがりました^_^

この時点で、
愛を選択したのではなく、
偽善を選択した事が確定です(^ ^)

さらに、
善意で愛を優先しようとした方々が、
毎回のごとく踏みにじられた可能性が高い。
あくまで可能性ですが^_^

もう一度言いますが、
PAを承諾したのは、
PAをやりたいからではなく、
実はやりたいふりをしているおいらに対して、
愛を選択するか、偽善を選択するか、
あらゆることを全て御存知の神が、
試す機会としているからじゃないかと思ったからです(^ ^)

結果は、偽善確定です(^ ^)

つまり、やってしまったことは全員にあるということです。
偽善は誰にでもあります。
今は、偽善を誤魔化す偽証をどんどん重ねる時ではありません。
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機として、
永遠の命を失う偽善となるのではなく、
愛を動機として、
偽証に偽証を重ねる偽善をやめる時です(^ ^)

少なくとも、
愛を動機とする方々を踏みにじるのはやめましょう^_^

我々が守るのは、
自分と自分達のプライド、体面、体裁ではなく、
自分と自分達の永遠の命です(^ ^)
確かに、ある意味、永遠の苦しみもあるのですが、
死から命に移った永遠の命をとどめると言う方が、
分かりやすいかもしれません(^ ^)


「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。 愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。 兄弟を憎む者はみな、人殺しです。 いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。」
>>[363] 鬱陶しいなどと書いてるが、相手からしたらお前らの事をそう思うからこちらが出てきてんの!
分かってんのか?
>>[367] のう原因ー原因はやりにくい環境にて「自分がしてきた事を律する事で自分が悪いと思わないとじゃあお前が逆に罵れるんや?てなるのも「原因」はわからんらしいな
>>[367] >>[364]>>[363]
お前がやりたい放題で相手を罵り相手その通りでした!ほら僕の言うとおりだ!「そんな世界があるとでも思ってる時点」だ甘い
お前が「原因」だから仕留めてるだけや、の場合これも赦されると
実際の存在してたイエスキリストもすぐキレるとさっき長くクリスチャンをしてきた女と電話して電話2余計アヌが正しいわと思ったわな

元々他人にイエスキリストに近いとよく言われ始めたしな
>>[367] >>[364]>>[363]
結局協議規定から逸脱して自分側のアンチに対して「散々やらかすしか脳みそがない荒らしと確定させてから北斗神拳伝承者としてのパンチを撃ってるこんなもんじゃねーから「アヌに喧嘩をふっかけた人間は耐えろ」これをやらなかった奴は誰もいないし、もったやつもいないと
確かに、ある意味、永遠の苦しみもあるのですが、
死から命に移った永遠の命をとどめると言う方が、
分かりやすいかもしれません(^ ^)


「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。」

”互いに愛し合いなさい”という聖書の中でのたった一つの戒めが神の御心の中での一番大切な部分を表しているのです。 しかし、この戒めには様々な面があり、また効果があるのです。


汽茱魯諭。魁В隠亜■隠粥檻隠

「そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行なわない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。 」
だから、クリスチャン生活、信仰生活で、
本当に注意しないといけないのは、
まず愛です(^ ^)

我々は死から命にうつってます(^^)
だから、我々は毎日、神の子、光の子です(^ ^)
しかし、我々は毎日罪人のかしらなんです。
ということは、好き勝手しても、
永遠の命を失わないということではないのです(^ ^)

だからといって、
壺を売るとか、輸血拒否するとか、コーヒーを拒否するとかではないのです(^ ^)

毎週、必ず愛をメッセージする教会があるのは、
愛を動機とせずに、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とすることが、本当に、本当に、致命傷になるからです(^ ^)

つまり、
奉仕することが愛ではないのです。
全てを耐え忍ぶことが愛ではないのです。
ゆるすことが愛ではないのです。
命を捨ててまでも従順することが愛ではないのです。

なぜなら、こういうことです(^ ^)

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、私に何の益もない。

つまり、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とすることが、致命傷になるからです(^ ^)

だから、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とせずに、愛を動機とする奉仕が、神に、不法をなす者どもよ、わたしから離れされと言われない奉仕となります。

自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とせずに、全てを耐え忍ぶことが、神に、不法をなす者どもよ、わたしから離れされと言われない忍耐となります。

自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とせずに、愛を動機としてゆるすことが、神に、不法をなす者どもよ、わたしから離れされと言われない、ゆるすこととなります。

自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とせずに、愛を動機として、命を捨ててまでも従順することが、神に、不法をなす者どもよ、わたしから離れされと言われない従順となります。

何が言いたいかというと、
我々がまずしなければならないのは、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とすることをやめることです^_^

なぜならこれがあるからです(^ ^)

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、私に何の益もない。

「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。 愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。 兄弟を憎む者はみな、人殺しです。 いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。

21]わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。 [22]その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』 [23]しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。

だから、
奉仕や従順や忍耐やゆるしすら、
神に忌み嫌われる側にならないためには、
まず、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とせずに、
愛を動機として、
キリストにあって、
神を愛し、兄弟姉妹と互いに愛し合うことなのです(^ ^)
でなければ、
本当に、本当に、本当に、
永遠の命を失うのです。

だから、兄弟姉妹に敵意や陰口を植えつけることは、
本当に、本当に、その兄弟姉妹の永遠の命を奪うことになるのです。


そうなれば、
奉仕や従順や忍耐やゆるしすら、
本末転倒になるのです。

なぜなら、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とする、
奉仕や従順や忍耐やゆるしは、
神に忌み嫌われるからです。

これは、知恵と啓示の御霊が示してくださって、
はじめて理解できます(^^)
加担住人のAさん(仮名)は、私が長男の保護者会に参加する時に当時ヨチヨチ歩きの次男を預かっていただいた事もありました。田舎から旬の果物が届けばお互いに届いた物をお裾分けする仲でもありました。

被害前はそんな関係だったのに、ある日突然、私のゴミ出しには朝であろうが昼であろうが夜であろうが遭遇しつきまとう加担住人となりました。およそ3年やり続けていました。

私が半年前いつものように会い日頃のうんざりした気持ちから「よくお会いしますね。主人もAさんによくお会いすると言ってたんですよ。」とわざと笑顔で声をかけたら苦笑いをし、ゴミ出しのつきまといをやめ私の前に姿を見せなくなりました。

今は私が自転車置き場に行く際にたまにタイミングを見計らいながら2階から網戸をパシャン!と姿を隠しながら閉める嫌がらせに変更したようです。

ご主人も3年近く車での待ち伏せ担当でした。何年か前に定年を迎えたようで朝から暇なんでしょうか。私が朝ベランダに洗濯物を干しに出るのを車の中で待っていて、出たら車を発進するというわけわからないアピールをちょくちょくしていました。我が家の小窓から待機している姿が見え証拠の写真を撮りました。

Aさん宅はそんな夫婦。

加担住人のBさんは一人息子がおり、その息子は一流大学を卒業し、どこかの一流企業に勤めているようですが、こちらもゴミ出し時のつきまとい担当。Aさんと当番を組んで交互にやっておりました。

ある日、夜中の12時くらいに主人と私が外出から帰宅した際にマンションエントランスにBさんが一流企業の息子と待ち伏せていた時には本当にびっくりしました(^◇^;)こんな時間までやるとはある意味凄い!こんな人達に私は負けたくはないので思わず「遅くまでお疲れ様です。」と笑顔で嫌味たっぷりで挨拶してみたらそれ以来会わなくなり昨日久しぶりに会いました。

またBさんはこんな事もやってきました。大して交流していたわけではないのですが…Bさんからいただいた年賀状の家族写真に下には…

近くのお店に一緒に飲みに行きましょう!

と書かれていました。このマンションにお互いに住んで20年以上になりますが、そんな事をした事もないしそんな事を書いてきた事も無いのにです。私には日々つきまといや嫌がらせをしておきながら私の家族には仲良しアピールをするという実に卑怯な人です。

子供のイジメでも定番ですが、親や先生の前では仲良しのフリをして陰ではイジメ抜くという…
やっている事は全く一緒なんですよね。

お次は加担住人のCさん。幼稚園のママ友でした。これまた階段付近でよく待ち伏せをし、私が玄関から出ると突然足音も立てずに私の前に現るという忍者みたいな人です。またお得意の技は洗濯バサミや布団バサミをわざと我が家の庭に落とすという嫌がらせを繰り返ししていました。

ある時その落ちてきた布団バサミの嫌がらせの現状をスマホで証拠写真を撮り、その布団バサミを拾い管理人室に届けに行き自宅に戻るや否や電話がなりました。Cさんからでした。

「みんとさん、ごめんなさいー。布団バサミをつい落としちゃって。…。…。ところで最近何してるの?」

と言われ、最近何してるの?ってあんた、つきまといしてるんだから私の行動は全て分かってるでしょうにと心に思いながら私が返した言葉、それは…

「うーん、防犯のボランティアやってるのよ。」

Cさんはそれ以上防犯のボランティアには突っ込んではきませんでした。

こんな自宅マンションの鬼のご紹介になりましたが、まだこの他にもいるんです。また気が向いたら書きますが。

私の行動を盗聴盗撮など何らかの方法で把握し、その情報をマンションの一部の住人で共有し嫌がらせをする。一つ一つの嫌がらせ自体は大した事ではありませんが継続的に巧妙に行う。これが集団ストーカー犯罪の近隣での被害の一つです。

こんな住人を
あなたはどう思いますか?

明るく書いてはおりますが…こんな風に立ち直っていくにはそれなりに時間も掛かりました。ゴミ出しに行くのが怖くなったり外出したり帰宅する時は極度の緊張との闘いでした。悲しい事ですが今だって全く被害前の自分に戻れたわけではありません。

でも、こんな鬼になんて絶対に負けられない!

3年ぐらいは元気に生き生き嫌がらせをしてきた住人も徐々に減り、今はバツが悪そうにしています。向かいの戸建ての住人は騒音担当でしたが周りの商店にチラシを掲示してもらい私が活動の時に「おかしな依頼をされましたら警察にご通報下さい。」のトークを連発していて間もなく戸建てを売りに出し引っ越していきました。奥のもう一軒もね。

私は堂々と正しく生きるのみです。
>>[379]

集団ストーカーと言うから、
大げさになるのかもしれません(^ ^)

要は、どんな共同体にも、敵意や陰口や嫌がらせはあるのです(^ ^)

ただ、悪質な場合もあるということだと思います(^^)

学校や、職場や、サークルや、ご近所さんにも、
ある程度はあるでしょう^_^

ただ、悪質な部分は、やめるのが正しいというか、
犯罪です(^ ^)

我々は、
自分が敵意や陰口を植えつけられると、
知らず知らず嫌がらせしてしまい、
自分自身もむしばまれてしまうのです(^ ^)

しかも、
神に忌み嫌われてしまう。

であれば、
わざわざ自分自身をむしばむ必要はないし、
わざわざ、
神に忌み嫌われる必要はありません。

カチンときたなら、
悪質な嫌がらせをしたり、
敵意や陰口を植えつけて、他人の永遠の命を奪わなくても、
正々堂々、神に忌み嫌われないやり方があります(^ ^)

ただ、
やはり、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とすることが、
ただの偽善になってしまい、
神に忌み嫌われる側になってしまうのです(^ ^)
したがって、これに尽きます(^^)

だから、クリスチャン生活、信仰生活で、
本当に注意しないといけないのは、
まず愛です。

我々は死から命にうつってます。
だから、我々は毎日、神の子、光の子です。
しかし、我々は毎日罪人のかしらなんです。
ということは、好き勝手しても、
永遠の命を失わないということではないのです(^ ^)

だからといって、
壺を売るとか、輸血拒否するとか、コーヒーを拒否するとかではないのです(^ ^)

毎週、必ず愛をメッセージする教会があるのは、
愛を動機とせずに、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とすることが、本当に、本当に、致命傷になるからです(^ ^)

つまり、
奉仕することが愛ではないのです。
全てを耐え忍ぶことが愛ではないのです。
ゆるすことが愛ではないのです。
命を捨ててまでも従順することが愛ではないのです。

なぜなら、こういうことです(^ ^)

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、私に何の益もない。

つまり、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とすることが、致命傷になるからです(^ ^)

だから、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とせずに、愛を動機とする奉仕が、神に、不法をなす者どもよ、わたしから離れされと言われない奉仕となります。

自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とせずに、全てを耐え忍ぶことが、神に、不法をなす者どもよ、わたしから離れされと言われない忍耐となります。

自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とせずに、愛を動機としてゆるすことが、神に、不法をなす者どもよ、わたしから離れされと言われない、ゆるすこととなります。

自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とせずに、愛を動機として、命を捨ててまでも従順することが、神に、不法をなす者どもよ、わたしから離れされと言われない従順となります。

何が言いたいかというと、
我々がまずしなければならないのは、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とすることをやめることです^_^

なぜならこれがあるからです(^ ^)

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、私に何の益もない。

「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。 愛さない者は、死のうちにとどまっているのです。 兄弟を憎む者はみな、人殺しです。 いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。

わたしに向かって、主よ、主よ。と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。

だから、
奉仕や従順や忍耐やゆるしすら、
神に忌み嫌われる側にならないためには、
まず、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とせずに、
愛を動機として、
キリストにあって、
神を愛し、兄弟姉妹と互いに愛し合うことなのです(^ ^)
でなければ、
本当に、本当に、本当に、
永遠の命を失うのです。

だから、兄弟姉妹に敵意や陰口を植えつけることは、
本当に、本当に、その兄弟姉妹の永遠の命を奪うことになるのです。


そうなれば、
奉仕や従順や忍耐やゆるしすら、
本末転倒になるのです。

なぜなら、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とする、
奉仕や従順や忍耐やゆるしは、
神に忌み嫌われるからです。

これは、知恵と啓示の御霊が示してくださって、
はじめて理解できます(^^)
クリスチャンになっても、
ノークリスチャンの軛を背負わされる必要はありません(^ ^)

毎日罪を犯すのはクリスチャンも、ノークリスチャンも同じだからです(^ ^)

ただ、ノークリスチャンが優れているのは、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とする偽善が醜いということを、知っていることです(^ ^)

あらゆることを全て御存知の神は、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とする偽善を、ものすごく忌み嫌い、
最後の最後に、どんでん返しで、わたしから離れされと言われます。

はっきり言って、全ての教会の致命傷になるのは、
この、自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とすることなのです。

つまり、神を愛し、兄弟姉妹と互いに愛し合うことができない自分達があるから、毎日十字架があるのです(^ ^)

開きなおりは、永遠の命を失います。
クリスチャンになって、極悪非道になっても、大丈夫なわけがありません。
開きなおりは、永遠の命を失います。
これは、全教会、すんなり、そうだよね、開きなおりは最低だよねと理解できます。

しかし、本当に耳の痛いことは、
なかなか理解できないのです。
つまり、自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とするなら、山を動かす信仰も、奉仕もボランティアも、
礼拝すら、神に忌み嫌われるのです。

なぜなら、神は、自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とする偽善を、本当に、本当に、忌み嫌われ、
最後の最後、どんでん返しで、不法を働く者達よ、わたしから離れされ。
と、偽善者達を忌み嫌われるからです。

それは、少数とか、一部ではありません。
多くの者がと書かれています。
それほど、全ての教会において、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とすることは、全てを偽善に変える、致命傷となるのです(^ ^)

十字架はいたってシンプルです。
できないから、毎日十字架があるのです。
自分と自分達のプライと体面と体裁を動機とするから、
毎日十字架があるのです。
だから、毎日十字架は必要なのです。
一ミリずつでも、できるようになるのは、十字架のおかげです。
和解、兄弟姉妹と互いに愛し合う、必要なことはたくさんありますが、
全ての教会の致命傷となる、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とする偽善、これが一番神に忌み嫌われ、最後の最後、
どんでん返しとなる致命傷となります。
だから、最優先、最低限、まず、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を動機とすることをやめましょう。
愛を動機とするなら、神に忌み嫌われることはありません。
できないから、毎日十字架があり、一ミリずつでも、できるようになるのです(^ ^)


わたしにむかって主よ、主よと言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。
その日には、多くの者が、わたしにむかって主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんかと言うであろう。
そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ。
 この聖句を読むと、「父なる神の御旨を行う者」と、「主の名によって預言する者」「主の名によって多くの力あるわざを行う者」が、同じではないことがわかる。むしろ後者のグループは、主イエス・キリスト自身に「不法を働く者ども」と呼ばれてしまっている。

 
 むしろ「主の名によって」「主のために」という大義を使って、隠れた自分自身の目的のために行うことに「不法」の本質があるのだろう。「主よ、主よ」と言う人々の「私はあなたの名によってこれらのことを行ったではありませんか。それなのになぜですか」という、主イエスの裁きに対する「驚きや戸惑い、不平」のニュアンスも読み取れる。「その日」に言われる言葉が全く驚きの内容であることはありえず、むしろ何度も繰り返し語られていたが、聞く耳を持たなかった内容なのだろう。

 
 教会指導者を追い出したり、教会に分裂をもたらしたり、教会の信者を自分のところに誘導する働きにさえも、「主のため」という言葉が平然と使われてしまう歪んだ時代には、預言者エレミヤの言葉「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。 」は、決して誇大表現ではないと思える。

 エゴという狡猾で巧妙な働きを見張り、その欺瞞から解放してくれる唯一の道は、やはり主イエス・キリストの十字架に日々寄り頼む以外にないだろう。
みんとのブログにご訪問ありがとうございます。


集団ストーカー犯罪被害者の受ける被害の一つに近隣からの騒音があります。私の記事では幾度となく書いておりますが一般の方々に知っていただくためには繰り返し書いていく必要があると思うので、また書かせていただきます。

私もこの被害を認識してから現在に至るまで…上階からの執拗な騒音に大変迷惑をしています。昼であろうが夜であろうが何かしら音を立てるのです。

私が一人家にいる時を見計らってやります。盗聴盗撮しなければ分からない私の状況を上階は把握しているのが分かります。

状況を把握している…

これが単なる嫌がらせではなく犯罪行為だと常々私が強く訴えているところです。

窓や網戸の開閉…初期の頃は夜中に20回でも30回でもやっている。ボーリングの球を落としたような音や奇声…普通ではありませんでした。生活音とはとても言えない状況でした。

嫌がらせに精を出し私を精神的に追い詰めるのに必死だったのでしょうか。そしたら何かの報酬でも得られるのでしょうか。汚れたお金を得るにはやはりそんな馬鹿な事をしないといけないのでしょうか。それとも上階はいわゆるカルトなんでしょうか。

だったら、そんな騒音はお隣や別の階の住人からも文句が出るのではないか?出ないのであれば私の気にし過ぎではないかと一般の方々は思うでしょう。でも気にし過ぎではないのです。

これが現代版村八分の一部の姿なわけです。
集団で結託した嫌がらせ犯罪なんです。
つまり周りは暗黙了解って事です。
誰も何も言わず口をつぐんでいるんです。

村八分とは言葉では知ってはおりましたが…
まさか現実に自分に起きるなんて…
これっぽっちも思っていませんでした。

村八分って悲しいですが現代にも存在するんですね。

昔とは違いメールやラインなど何かの連絡ツールを使い個人情報や位置情報を集団で把握して昔より更に巧妙化した犯罪です。

全国の被害者さんのほとんどの方が同じような状況にあります。犯罪手口のマニュアルがあるみたいです。

盗聴盗撮が証明出来れば当然加害者加担者は逮捕されるはずです。ただ今の技術は大変進んでいます。昔のようにコンセントから盗聴器が発見出来たとかそんなレベルではないです。だから個人での証明が非常に難しいわけです。

スマホからだってアプリを使い盗聴は出来るようですし…技術の進歩とは使い方によっては大変恐ろしい事だと思います。

こんな馬鹿らしい事をして一体何になるんだろう?
誰からこんな事を頼まれたのだろう?

普通じゃ考えられないから私はいつだって疑問だらけです。それが集団ストーカー犯罪被害者の日常です。

被害初期の頃はとても怖くていられませんでしたが今は冷静に被害受け止めています。

今日も朝からしつこく騒音!
上階は何をする人ぞ!!



ガーベラ出来ポスのお知らせガーベラ

4月12日木曜日に都内にてポスティング、終了後にお花見をします。詳細はまた後日。。。お楽しみに!
キャラウェイイイネスター
2018年09月25日 12:45

>>これが現代版村八分の一部の姿なわけです。
集団で結託した嫌がらせ犯罪なんです。
>>つまり周りは暗黙了解って事です。
>>誰も何も言わず口をつぐんでいるんです。

>>村八分とは言葉では知ってはおりましたが…
>>まさか現実に自分に起きるなんて…
これっぽっちも思っていませんでした。

>>村八分って悲しいですが現代にも存在するんですね。

>>昔とは違いメールやラインなど何かの連絡ツールを使い個人情報や位置情報を集団で把握して昔より更に巧妙化した犯罪です。

∞∞∞▲∞∞∞▲∞∞∞
怖い犯罪ですね涙バッド(下向き矢印)

SNSでも、それに近いことを平気でしようとする人達がいるようです。

また、※この世は 所詮 お金やコネなのですよ※ 等と
コメントをし、 虐めのグループにとりこむのは、いかがなものでしょうか。
苦の原因に 関係のない人を逆怨みして、
なかま達に ストーカーまがいの行為をさせるのは、いかがなものでしょうか。

虐めのターゲットを眠らせないように 代わる代わるで追い込み、
事実無根の悪意の噂を流す行為は いかがなものでしょうか。
SNSでの 文書や演技の見せ方。。。←偽りは、悪質以上ではないだろうかと思う次第です団子湯のみ



毎日リアル007
2018年09月25日 12:56
>>キャラウェイさん

その通りです、感謝です(^ ^)

ただ、全員、良いところがあるのです(^ ^)

最初の一歩を間違えると、どんどん卑怯になり、
良心と聖霊の警告に戻るのが、
ものすごく勇気がいることになります(^ ^)

しかし、どんどん卑怯になると、
次は、卑怯で醜いゲスになります。
全員、誰しも、卑怯で醜いゲスになりたくないのに、
どんどんしがらみができるのです(^ ^)

しかし、全員が今受けているしがらみを断ち切る勇気は、その全員を解放することに、実はなるんです(^ ^)

なぜなら、
吐き気がするほど、
全員、卑怯な醜いゲスに、心の深いところでは、
嫌気がさしているからです。
しかも、そのふくらんでいく関係者の永遠の命を、
実は奪っている^_^

だから、神により頼むことが必要です。
はっきり言って、神により頼まなければ、
しがらみを断ち切る勇気は、絶対与えられません。
それほど、吐き気がするほど、醜いところまできてしまったからです(^ ^)

しかし、神に不可能はありません。
我々は、自分と自分達のプライドと体面と体裁を守り、
永遠の命を失うのではなく、
自分と自分達のプライドと体面と体裁を打ち砕き、
愛を動機として、
永遠の命を守ることができます(^ ^)
ありがとうございます団子ハムスター兎団子

コメント751 あたりですねぴかぴか(新しい)
↓↓↓↓↓↓↓
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=185639&page=72&id=86920798

この世には、理不尽なことが多くあり、
私たちは、誰しも流されてしまうことがあります。
けれども
神の前に1人立ち、祈り
愛を動機として行為しようと一歩踏みだせば
神の光は輝くばかりですぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
>>[388]

めちゃくちゃアーメンです、感謝です(^ ^)

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