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ダンテス・ダイジコミュのダイジからの解放。

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オウム真理教の麻原氏が死刑にあった。

松本さんは、かつて、ダイジから瞑想を学んだのは、真実。

ダイジは自らを屍仙とされた。出口王仁三郎の神霊からから、古神道を伝授され、宮地水位老仙とも感化。

もはや、その思想は、録音物と書籍からのみ、知識を得られるのみ。

ダイジは、とても、親切で、人の悪口を言わない、善い人であられた。瞑想の王である。

何故、自屍されたのであろうか。

ダイジの教え子達は、ダイジの無限の親切を受け、そこから、ダイジに依存しただけなのであろうか。ダイジを越え、あらたな、ステージに立つ者がおられたのであろうか。

コメント(71)

今晩はexclamation 思索瞑想するには いい お言葉です。
天知る、地知る、吾が知り、あなたが知る。是を四知と呼ぶ。

天網かいかいそに漏らさず。

瞑想とは、坐とは、言語に非ず。

瞑想に師は、要るのであろうか。

師が要る者は、即ち囚われる。師の愛に。師の優しさに。師の欲求に。
へ。

瞑想とは蠹毒である。ああ、孤独。しかし、呪による蠱毒と陰陽による。同一蠱。

てめえらは、瞑想とは教えてもらう物。ゆえに、追従する、妄想家が増えるのみ。
何故に自己の神聖を知り、悟れない。

自己に自信の在る存在は、是、滅びる。

自己の弱さを知る者は、増しなる人。

即ち問う。ダイジには、数多の愛人が在り。

彼女以外に何故、関係を持ったのであろうか。

ダイジは、肉体が男であろうと、永遠の少年であった由縁である。
発達障害とは、近年の病。

義務化する教育には、特異は受け付けない。
ダイジの特異とは、少年の愛。理想と、自殺する経験に於ける、心理。と真律。なんせ、ダイジは、幼少期より、自殺志願者でもあったな。
ダイジとは、弟子を求めず、自己の発露を互いに求め、ぶつかり合い、酒を飲み合い、己の愛を共に分かち合う存在を求めて来たが、死ぬまで、その存在と繋がる事は、なかった。
人とは、生きている限り苦悩する。第二も自殺未遂を繰り返し、最期には、極命中により、自らの生死を放棄した。

ダンテスダイジとは、自らの死に因って地獄に墜ちたのであろうか。然り。。。されど、同時にシカイセンと、為し、日本の神仙界に在るも然り。

今も生きていれば、日本神の瞑想道の導きを開かれたのかも知れないが。(ダイジは出口王仁師の宗教史を知らぬままに、出口王仁師より霊的薫陶を受けておられた。)

まあ、瞑想するものの安寧を開かれたのは、老祖の先天坐あるのみ。人の継承と形象を持つ瞑想は、アラヤシキに囚われ、永遠の鬱と躁の波と互助、荒波がありて、死ぬまで安らぎと安寧は得られない。

これは、道を求める者の宿命でもある。
瞑想と云うテクニックは色々ありますが、座ってて起こって来るのは自己(の中身)との対面と感じてます。

高揚感でもなく、単に自分に差し出される普段取り扱うこともない些細な思考妄想の種。

自分の歪みがあればあるほどに、偏見や拘りがある程に、自己の充満感は窒息にも似た苦しみを産みます。

濁りを感じて居るんでしょうね。

人は偏見をいっぱいいっぱい捨てなきゃいけないとダイジは言いましたが、これは体感的に良く解ります。

大抵の苦悩は前提として自分の拘りと事実(と思ってる)との摩擦によります。

残ったビールを横から見て、後これだけしかないとか、まだこれだけあると言ってる状態、ダイジはこれを上(下)から覗く視点を提示します。

ダイジの言葉でいくつも身に沁みて響くものがありましたが、南雲さんと兵頭さんに語った言葉にひとつ身に沁みたのがありました。

苦しみが本当に苦しいなら、坐禅組たまえ。

あぁ、やっぱり座るんだなぁっていつも思います。

何か鬼雷さんの話しとズレてるかも知れないけど、そんな事を感じましたよ。
>>[41] 捨て去るこれを坐忘と申します。

瞑想して高揚感があるは、脳のマスターベイション。自然治癒に依る、自己への表現回復。

生きている事とは、永遠の苦悩在り。

瞑想でそれは、永遠に解答すら得られない。


瞑想とは、苦悩への挑戦。永遠の苦しみから逃げる術に在らざる。

なんせ、釈尊の前のカタナイナにより、始まる、苦からの解放。悟り覚り悟り、ひらけども、幾憶念の時節あり。それでも、人はくるしむ。諦念による放棄しても、カルマによる、輪廻の生誕有り。
>>[42]
カタナイナてなんですか?
カタカムナ的なものですか?
>>[40]

鬼雷さん、ひとつ確認なのですが、

確かにダイジは「ニルプロ」の只管打座の章で、小学校のものごころついた頃からよく自殺を考えた、また、実際、ガス自殺未遂を二、三度繰り返して、母親を深く苦しめた、とありますね。

ですが、「ニルプロ」に書かれている、マントラ禅による目覚め、丹田禅における目覚め、クンダリニー・ヨーガにおける目覚め、只管打座による目覚めを経た後でも、まだ自殺への思い、また、未遂事件はあったのでしょうか。

実際にそうして死んだじゃないかと言われるかも知れませんが、最期のときの少し前のガス爆発はピットインさんを助けようとしたための事故、という説もあり、また、最期のときについても、事故と自殺の両説があり、真実は闇の中と私は思っているのと、上記のような目覚めの後でも自殺への思いを克服出来なかったとは思えず、また、もし出来なかったのであれば、悟りや解脱など一体どれほどのものであろう、その程度のものでしかないのか、と思ってしまうのですが。
>>[45]
座脱立亡についてはどう考えますか?
>>[46]

並んでいる文字から推測出来ましたが、知らなかったので調べてみました。ダイジの死の真相のひとつの可能性として言われている、座ったまま逝くことですね?

どう考えるかと言うと、何をお聞きしたいですか?(推測はつくのですが、的外れな回答にならないために確認です。)
>>[44] カタナイナとは、釈尊による生誕以前の性である、前世。
>>[45]

人は何れ死ぬ。天に愛されたものは夭折する。天機が濃ければ、人の世の最終を悟るからである。

ダイジこと、第二は、自死したのであろうか。

天を知る人は皆無。知らない覚者は、自己の経験を元にする。

ダイジは、常に死ぬと同一に、瞑想の観念を独破した。それは、自殺未遂した、人の心を持つ所以に。
グンタリニイによる、生命力とは、螺旋力。それを蛇のとぐろ。

ダイジは、日本独自の、古神道を出口王仁 三郎の霊から伝授されたのは、然り。
ダイジがその、古神道に、目覚めれば、統べての解放になり、死ぬことは、なかった。
しかし、人は、絶対的に固執する。

ダイジの、瞑想とは、即死。簡単に、死に至る。
ああ、人の世では、生とは、天が人を労する。死とは、天が我に安らぎを与えてくださる。。。
ダイジは、その師の教え、グンタリニイを完遂しようと、試みた。故に死んだのである。

結論。

天の意思は、ダイジを救うべく、尋仁王仁師、霊積真人を動かした。神道の奥義を知りながら、師に固執した、蛇の尻を喰らう蛇。故に死んだ。
>>[47]
はい、座脱立亡とは、座したまま或いは立ったまま自ら息を止めて窒息死する禅の死に方です。

解脱した禅師達もそのように死を選ぶ事があると言うことについてはジミーさんはどう考えられるのかと思ったのです。
>>[57]

質問をより詳しく述べているだけで、私にとっては最初の質問と同じで、それは分っているんです。それについてどう思いますか?としか問われていないので、何が聞きたいのかが分かりません。

そのようなものがあることは知ってます。
>>[58]
はい、かつての聖賢ですらそうした死を選ぶ事がある訳ですが、ダイジの死もそのような事であると思われますか?

ジミーさんが自殺への思いを克服出来なかったのであれば解脱など一体どれほどのものであろうと言われる部分を見てこのような質問を思い付いた次第です。
>>[59]

ダイジの死がどのようなものであったかについては、私には分からないんですよね。ダイジのような深い人について、私が憶測しても、至らぬ思考で判断するだけで、そんなものは全く意味の無いものだと思います。なので、私はダイジの死については謎のままに残しておくのが最も賢明なことだと思っています。

また、自ら肉体を滅ぼすことによる死、つまり、私たちが通常「自殺」と言う死と、瞑想の中で意識が肉体を去る死と、その二つはどちらも自殺であることに変わりは無く、それはただ方法の違いに過ぎないと思います。

問題はそこにあるのではなく、何故肉体を去ると決めたか、それが、肉体として存在していてることの苦しみに耐えがたい苦による、この世からの逃避であるとすれば、それは方法に関係無く、私たちの普通に言う「自殺」であると思います。

しかしまた一方、こうも思います。

仏陀は、「一切は苦である。」と言いましたが、悟れば悟るほど、この世、あるいは肉体であることが苦であることを深く痛感するのかも知れませんので、むしろ、「死にたい」と思うことの方が自然のこと、より深い悟りにあることの証である、とも言えるのではないか。

であるならば、それは、「克服する」といったような問題ではなく、克服などあり得ないことであるのではないか。そうも思います。

追記です。

通常、「自殺は良くないこと。」と言いますが、「克服」ということが出て来るのは、この「良くない」ということが前提にあるからですね。

ところが、何故自殺は良くないのか、この根拠が曖昧になって来ると、「克服」ということも意味を為さなくなって来るわけですね。

生まれたから生きなければならない、これはひとつの「不自由」です。絶対自由に目覚めた者が、死を選ぶ、これもまた自由、と言えないか。
>>[61]
全く同じ思いです。
ありがとう。
>>[61] 日本のある中紀による、感化には、腹を斬るがある。。。

自己の思念を締め括るにあり、自己の責任を、全うするにあり、瞑想王であれば、死を持って生命力の掛け合いによる、絶対しゃを目指す。
かつての武士は腹を斬り自死する。そして、転生は起きる。腹を斬るも命数あり。
ダイジとは、不幸の、王。かつて、沖縄に瞑想王国を、築こうとしたが、遅きと自らの思念を辞めた。
今晩はexclamation 

たっちゃん & じみー 対話 読みました。 かなり 議論が 沸騰 していましたね。 それで 鬼雷さんの 「ダイジからの解放」を 洞察 してみました。 いままで 鬼雷さんの この テーマ、 鬼雷さんが 言わんとしている  ことを 深く 理解している つもりでしたが、 その 深さに 驚き 書かせて いただいています。

さすが 道院の 修方 ですね。 

ところで 「坐」の 方は すすんでいるのですか? そのほうも 気になります。
>>[66]も喜ばれたでしょうに。まあ、このようなことになったから再読されたということだと思われるので仕方ないですけど。

「座」とは、私の呼吸法のことですか?
>>[67]

おはようバイバイうれしい顔ぴかぴか(新しい)晴れございます。 道院 独特の 座禅 です。
>>[68]が退会されたのはご存じですよね?
>>[69]

退会したのは 今 始めて 知りました。
>>[70] たっちゃん

あら、道理で会話が成立してないわけです。(笑)

たっちゃんの私の対話のトピックを全部読んでいただけると分かります。

書き込みが一日遅かったですね、と言ったのは、そう言う意味でした。

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