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日記ロワイアルコミュの祖母とコーシー

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 空気が、まるで緊張しているかのように、しんとしていた。

 足音を立てぬよう階段をおり、真っ暗な台所で、換気扇についているライトを点す。時刻は午後十時だが、祖母はいつものように寝床についている。できれば彼女を、起こしたくはない。

 慣れない茶箪笥に苦労しながら、目的の粉を見つけた。さて、次はやかん――とかたかた戸棚をいじっていると、うしろでみしりと床が鳴った。勢い、首がそちらを向く。すると、暗闇のなかに老婆が立っていた。

「出たっ!」

 思わず叫ぶと、「失礼だね!」という祖母の声がする。たしかに失礼だが、化粧を落とし、浴衣のような寝巻きに身をつつんでいる彼女は、どちらかというと、「皿を割って、井戸に放り投げられた、老婆」という言葉がしっくりくると思う。ばくばくと鼓動する胸に手をあてながら、僕は、「まだ起きてたの、ばあちゃん」とひきつった笑顔を祖母に向けた。

「あんたはまだ勉強してんのかい?」

「まだって、まだ、十時だよ」

「まだ十時ってあんた、江戸時代ならとっくに寝てる時間だよ」

 ここで江戸時代のたとえが出てくる理由がよくわからないが、もしかしたら祖母はその時代から生ているのかもしれない。というか、とっくに死霊かもしれない。

「それにあんたね、昼間寝て夜中に勉強してるみたいだけど、泥棒じゃないんだから、昼間勉強しなさい」

「だっておれ、夜型なんだもん」

「夜型だか銭型だか知んないけどね、不規則な生活はやめなさい」

「でも、あさってにはもう試験だから、いまがんばってやんないと」

「受験受験って、まったく、いまの子はたいへんだねえ。あたしが若いころには、そんなものなかったよ」

 そんなはずはないのだが、もしかしたら祖母の指す若いころというのは、さっき勉強した、縄文時代のことなのかもしれない。いや、さすがにそれは言いすぎだ。きっと、弥生時代に違いない。

「ま、とにかく勉強しなくちゃいけないからさ、コーヒー煎れに来たんだけど、ばあちゃん、やかん、どこ?」

 あいよ、と軽い返事をして、祖母がてきぱきと動き出す。「電気つけてくれないかい?」と言うので、「どこだっけ?」と僕は訊いた。

「あんた、まだ覚えてないのかい。玄関の電気をつけるスイッチの下のスイッチだよ」

「うん、ええっと、……そのスイッチ、どこ?」

 そっちそっち、と祖母が指す。「ああ、そうか」と返事をして、僕は、ようやく探し当てたスイッチをオンにした。

 私立高校の受験をするために上京して、もう一週間になる。ホテルに泊まりたいという僕の希望は、「これから金がかかるんだから」という父の一声で却下となり、ひとり暮らしをする祖母の家にお邪魔することになった。離れた土地に住んでいてこれまでにも数回しか会っておらず、なんだか緊張するし、「ばあちゃんとふたりっていうのも、ちょっと」という気がしたのだが、自分で払うわけではないので、わがままも言えない。

 羽田空港まで迎えに来てもらったときも、「こんな顔だったっけ?」とあまりぴんとこなかった。僕の父は八人兄弟の末っ子で、もしかしたら一桁違うかもしれないが、祖母はすっかり八十を数えている。しかし、その矍鑠とした姿からは、もしかしたら一桁違うかもしれないが、七十代にすら見えない。

 混雑した新宿の駅で僕がひとにぶつかって歩いていると、祖母が、「置いて行くよ!」と言いながら、その間をするすると抜けていった。最寄の駅まで乗った電車で、でかい音楽のもれるイヤホンをした若者が携帯電話をいじりながら優先席に座っていたのだが、祖母はつかつかとその前に立ち、「そこはあたしたちの席だよ。どきな!」と叱っていた。「いや、ばあちゃんにも座る権利はなさそうだけど……」と思いながら見守っていると、若者はいきなりのことに驚いたのか、そこが目的の駅だったのか、背中を丸めながらすごすごと次の駅で降りていった。

 その光景を見て、こりゃ、怒らせないほうが身のためだな、と用心したのにも関わらず、着いた日の夜、さっそくばあちゃんに怒られた。勉強に必要な筆記用具を自宅に忘れてきたのである。

「あんた、なーにしに、来たのさ!」

 ばあちゃん、ボールペン、貸してくれる? と訊ねた僕に、祖母は電車の中で若者を叱ったときと同じように、怒鳴った。すっかりびびりながら、雷が落ちるというたとえを、僕は生まれて初めて体験した。

「ボールペンなんてハイカラなもんは、うちにはないよ!」と、祖母が鉛筆を用意してくれた。「鉛筆削りは……?」と恐る恐る訊くと、「あんた、自分で鉛筆も削れないのかい!?」と、祖母はまた雷を落とした。

 もしかしたら彼女は、雷神様かもしれない。

 志望校に合格したらこの家から通学することになっている。そうなると、こんな祖母とふたり暮しを開始するというわけで、僕はなんだか気が重く、祖母がカッターで削ってくれた鉛筆を持ちながら、勉強をするのにも、すこし身が入らなくなっていた。

 ◆◆◆

「しかし、いい匂いだね」

 沸かしたお湯をそそいでいると、祖母が興味深々に覗いてくる。ドリップの中でコーヒーの粉が膨らみ、ゆっくりと沈んでいく。こぽこぽと落ちる音が聞こえて、馥郁たる香りが部屋を舞う。

「飲む?」と、僕は笑いながら訊ねた。ここへ着いた日の夕方、持参したコーヒーを煎れて飲んでいると、飲んだことがないという祖母が、「あたしにもくれよ」と言い出し、煎れてあげたのだ。だが、翌日の朝、「あのコーシーのおかげで眠れなかったじゃないか!」と彼女は文句を言った。ばあちゃんが飲みたいっていったのに……、と思いながら、僕は、「ごめんなさい」と謝っていた。

 だからこのときの台詞は、冗談だったのだ。しかし祖母は意外にも、「飲む」と言った。僕は驚きながら、「また寝れなくなるよ、ばあちゃん」と呆れた声を出した。

「いや、今日は寝なくていいんだ」

「なんで?」

「あした、誕生日だから」

 よくわからない。首を傾げていると、祖母は、浴衣の合わせたところから、すこし黄ばんだ封筒を大事そうに出してきた。それをじっと見て、「これ、読むんだ」と言う。

 受け取って見ると、達筆な字で、表に祖母の名と、その右上に「八十歳」と書いてあった。裏を返すと、右下に、すでに他界している祖父の名が小さくある。

「なに、これ?」

「ラーブレーダー」

 なぜここで横文字を使おう(しかも間違っている)と思ったのかわからないが、祖母はすこし顔を赤らめて、にっこりとほほ笑んだ。「じいちゃんから?」と訊くと、「そうだ」と言う。

「いつもらったのさ?」

「もう、何十年も前だ」

 そして祖母は語ってくれた。

 戦争に行くことが決まっていた祖父は、結婚するとき、祖母の前に紐で束ねた封筒をどっさりと置き、「これ、この先ずっとの、フミさんの誕生日祝いの手紙だから」と言ったらしい。決まりごととして、示された年齢の誕生日にぜったい開けること、じぶんの死期を悟っても、先の手紙は読んでいけないことを約束させられたという。

「へえ」と目を丸くして驚いていると、「たぶん、じぶんが死んでもあたしが生きる希望を持てるようにしたんだろうねえ」と祖母は呟いた。

 運良く戦争からは帰還した祖父は、そのあと祖母と共に大家族を養っていくが、六十になる前に、無理が祟って突然亡くなってしまった――という話を、会ったことのない僕は父から聞いている。けっこうロマンチストだったのかねえと思いながら、僕は手紙を返した。

「これ、何歳分まであんの?」と訊くと、祖母は、困ったような顔をして、「百歳」と言った。

「百歳!?」

「そうなんだよ、まったく。長生きしなきゃだよね」

 はあ、と感心しつつ、このひとなら余裕だろうと、僕は思った。

「で、なんで寝なくていいの? あしたでいいじゃん」

 そう訊くと、祖母は、「だってあんた」と眉根を寄せる。

「寝てる間に死んじまったらどうすんだい。起きてりゃ、そう簡単に死ぬこともないだろう?」

 だから、コーシーを飲むんだ、と祖母は言った。もうこの歳になると、毎日寝る前に「あしたはお天道さんを拝めるかねえ」と思うもんだ、と彼女はなにかを噛みしめるように付け足した。つまり、このまま起きて、0時になった瞬間、手紙を開封する気らしい。

「なるほど」

 変に納得してしまった僕は、これでまたあしたの朝に、「寝れなかった!」って文句を言われたらやだなあと思いながら、祖母のために湯飲み(しかない)を用意した。ドリップをつけて粉をいれ、こぽこぽとお湯をそそぐ。となりで祖母が、「いい匂いだ」とうなずいた。そして彼女は、その場で、「しかし、苦いねえ」と顔をしかめながら、僕が煎れたコーヒーを飲んでいた。

 ◆◆◆

 0時を過ぎたころ、勉強を中断し、足音を立てずに階段を下りていった。もちろん新しいコーヒーを煎れるためだったのだが、すこし、祖母の様子も気になっていた。

 祖母の部屋から明かりが漏れていた。ふすまがすこし開いている。ゆっくりと近づき、「まるで泥棒みたいだな」と苦笑しながら、僕は部屋のなかを覗いてみた。

 蒲団の上に正座し、祖母は泣いていた。左手で手紙を持ち、右手で口を押さえていた。そして肩を震わせていた。

 さっき勉強した「鬼の目にも涙」という言葉が浮かんだが、僕のこころは、さわやかな風が吹くように、おだやかなものになっていた。自然と笑顔になっているのが、自分でもわかる。

 勉強している机に戻り、祖母にコーヒーを作っていたときの会話を思い出した。百歳まで生きる自信がない、と言うので、「じゃあ、毎日コーヒー飲んだら? 寝なくてすむよ」と僕が言ったのだ。彼女は、「バカたれ」と言って、笑っていた。

 一年後の誕生日の前日にも、僕は祖母のためにコーシーを煎れてあげようと思った。そのためにもまず、受験に合格しなければならない。

 僕はハチマキを締めた。そして、祖母が削ってくれた鉛筆を持ち、その右手に気合を入れた。

コメント(288)

メール、lineが主流となった世の中で、改めて手紙の良さを感じました。
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