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関西高校文芸雑誌部OB会コミュの大島武士作 「涅槃の次に訪れるもの」

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コミュ内全体

小説を書いていきます。

突っ込みどんどんください。

推敲して完成致しましたら、倉敷市や岡山県の賞、もしかしたら、全国的な新人賞に送るかも、、

1章

1982年から1984年にかけての話を語ろう。

1982年、僕は倉敷中央病院にて産声を上げた。

生まれてすぐに、父がRolling Stonesの「(I can’'t get
no)Satisfaction」を聴かせてくれた。

1982年から1984年にかけて、僕の実家では(おそらく)、松本隆さん作詞の、松田聖子さんの曲が流れていた。

岡山駅から徒歩10分の母の実家に、その頃、父が何枚もレコードを置いていった
All Man Brothers Band、あがた森魚、吉田拓郎、PINK FLOYD、井上陽水、etc、、

そして、1982年から1984年にかけて、僕の実家と、母の実家、共にレコードプレーヤーは壊れ、そこから、僕の家族・親戚たちは、カセットテープを集め出し、何度も繰り返し聴いていた。

それが、1980年代前半においての、僕の実家と、僕の母の実家の家庭事情、、

僕の憶えている限りでは、、

その頃の、岡山の街のライブシーンを知りたいと、2017年に思い立った僕は、
まずは実家の、父と母のレコードコレクションを漁ることから始めた。

コメント(7)

2章

「この地球の、この宇宙の、幸福と不幸の量は、永遠に一定なんですかね?」
「そんなもんさあ、「何をもって、幸福と、不幸とするか」によるんじゃないの?」

岡山市は、表町、オランダ通りのとあるROCK BARにて、2014年ごろ、僕がマスターと交わした会話である。

その、Rock Barのマスターが30歳前後にして、そのBARの三代目マスターになるまでの職歴を僕は知らない。

しかし、とても気にはなっている。

そのマスターには二人息子さんがいて、弟さんの方は随分長いことふらふらとしたフリーター生活をしていたみたいだが、最近は30前後で、漸くちゃんとした職についたらしい。

2017年のある晩、僕が8時きっかりの開店時間に店を訪れると、お兄さんの方の息子さんが、何やら、ビールを持ったケースを沢山持って来ていた。

「はい、持ってきましたよ」
「はい、どーも」

「なかなかカッコが良いお兄さんでしたね、、」
「あれ俺の息子だよ」
「へ?そうなんですか?フリーターやられているアニオタの?」
「いや、それは弟の方だよ。弟もちゃんと就職した。あれは兄の方。君と歳同じぐらいじゃないかな?」
「お兄さんの方の息子さん、どんな音楽がお好きなんですか?」
「ん〜、俺の前ではThe Whoが好きだって答えるけれど、最近のものは何を聴いているか俺は知らない」
「へぇ。なんか良い親子ですね」
「ありがと、、」

Rock Barの中にはたくさんの音楽雑誌や音楽に関する書籍が積まれていて、その中には僕が寄贈させて頂いた、細野晴臣さんの『アンビエント・ドライバー』も混じっている
おそらくマスターは、まだそれを読んでいない。。


「やはりね。今、日本でも世界でも起きている問題の根幹は、80年代にあるように僕は思うんです。僕とかってね、90年代に十代を過ごして、なんだろう、、「60年代、70年代がかっこよくて80年代はダサい」というのを、徹底的に音楽雑誌等に刷り込まれて育った典型なんですよ。でも2000年に大阪の大学に行ってね、その辺りから「80年代再評価」って始まった気がするんです。で、僕は20歳の頃、FUJI ROCK FESTIVALにも行ったりして、80年代の源流のPUNK ムーブメントの立役者のライブとかも生で体験していますから、80年代の洋楽って大好きなんですよ。でも80年代の邦楽は最近まで良いと思えなくて、、最近、少しずつ良さが分かったのは、なんなんだろうなぁ。歳のせいかなぁ。
なんというか、幼少期に見たアニメとか、初代のファミリーコンピューターとか、その辺に夢中な小中高生をターゲットにしたものとかって、僕ぐらいの年になるとさあ、なんか、ふらふら、と惹かれちゃうんですよね、、しかし、それにしてもなんで、2017年にもなるのに、未だ「80年代再評価」なんでしょうね?何時になったら「90年代再評価」って来るんでしょうかね?2010年、2011年ぐらいに一旦来た感じがあったけれど、どうしてそれ潰えてしまったんでしょうかね?やはり、あれでしょうか?、、80年代に若かった人たちがなんやかんやで今の日本で一番お金とか権力持っているから、流行が移らないんですかね?」


マスターはワンコインのチャイ一杯で、黙って話を聞いてくれている。

「とにかく、僕は今の日本の、政治も、音楽も、SNSも、社会の空気自体も大嫌いです。
でも、「「80年代に青春を過ごした人たち」にただただ反抗するのも何か違う」とも思うんです。で、80年代の日本にも好きなミュージシャンが少しずつ増えてきたなら、やはり、そこら辺を掘り下げて、ちゃんと80年代を理解することが必要だと思うんです」

マスターは、
「80年代の岡山のバンドなら、名前ぐらい聞いたことあるだろう。数年前にボーカルの方が亡くなったあのバンドの話をさ.岡山大学の前のライブハウスに行って、ブッキングマネージャーさんに聞いたら良い」と言ってくれました。

「あー、名前は聴いたことありますよ。ちょっと検索してみよ。うわ!今amazonで、15000円もする。。youtubeに沢山動画はあるなぁ」

「70年代から今にかけての岡山のJazzシーンにかけてならこの本がいいよ。2000円するけれど買う?」

と、マスターが吉備人出版から2017年になって出たばかりの本『101匹目のジャズ猿』という本を見せてくださいました。

そして、僕が、その晩持ってきた、両親のレコードコレクション、古井戸、Neil Young担当のSoundtrack、喜多郎、浅川マキ等々、、に2500円の値段を付けてくださったので、丁度、チャイとトントン、

「マスターポテトチップス頼みます。皆さんで食べてください」

そう言って、僕は400円を払って店を後にした。


店内には26,7年前、来岡した際、本人たちが置いて行った、割礼の『ネイルフラン』が流れていた。

三章

2017年の梅雨時、岡山は表町商店街の中、屋台でドリップコーヒーを作っている旧友と、久しぶりにあれこれ話してしている。

屋台には沢山CDが置いてあるNirvanaのブート盤、Radioheadの『Amnesiac』『In Rainbow』、Jhon Fruscianteが沢山、Bill Evansの『Walts For Debby』も置いてある。

「幅広いね」と一つか、二つ下の、コーヒーを淹れてくれる友達に話しかけると、友達は「これは全部俺の中でROCKなんよ」との事。
「なんか君は俺より尖っているねぇ」と僕。
「うん、15時間以上、ぶっ通しで夜中もコーヒーを淹れているよ」
「ほんまか、死ぬなよ、、」


「俺さ、この5年ぐらいかな、神社とかお寺に通うのが好きになってさ、空海とか親鸞とか日蓮とかってすごい興味があるんよ、。でも釈迦の原始仏教ってなんか怖くてな。
「涅槃に達する」というのが要は「虚無に達する」という事なんかなって」

コーヒーを一杯飲みほして、もう一杯頼んだ。

「でさ、10歳歳下の大学院生の友達にその事を話すとさ」
「大島さん違いますよ。「涅槃」っていうのは生きているときに訪れる状態の事です」との事でさあ」

その会話の時流れていたのは、落ち着いたラウンジミュージック、これも彼にとってのRockなのだろうか、、

「でさ、宗教学者の方が語っていたけれどね。仏教には大乗仏教や、上座部仏教、密教といろいろあってさ、全部性的な事柄に関してもバラバラじゃん。キリスト教にはカトリックやプロテスタントもあるけれどさ、よくわからないけれどさ「何が筋か」みたいなことでずっと争っているわけでしょ。それはさあ、仏陀は80過ぎまで生きて、仏陀の中にいろいろ首尾一貫したものはあっても、やはり老獪な老人なわけだからさ、「この人にはこれ」「この人にはこれ」と教えを説くわけじゃん。だから矛盾だらけに、四方八方広がるわけよ。キリストは30数歳で亡くなった方な訳じゃん。だからさ、宗教上の最高のカリスマとして純粋すぎるんだよね。
そこら辺がさ、西洋と東洋の文化の大きな違いなんだって。
それでさあNirvanaのカートコバーンはさ、キリスト教圏の社会に生まれて、無意識に仏陀に腹が立ったんじゃないのかな?、、
「要は「涅槃」って自分勝手だろ!」って。
それで『Never mind(お好きなように)』という名盤を出して、大ヒットして鬱病が深まり
『In Utero(子宮の中)』という大名盤出してピストル自殺をした」

なんかさ、俺凄く筋が通っている気がするんだ。基本、自殺したミュージシャンや作家って、どれだけ良いものを残していても、自殺自体はよくないと思うけれど、俺、カートコバーンの自殺だけは、なんでか分からないけれど、凄く許せるんだよね。勿論、60過ぎて「Rape me」を歌うカートを観たかったけれどね、、」

友達は「そんなもん全部後付けよ。カートはそこまで深く考えていないよ」と言う。
「いやでもさ、27歳で夭折した若者が、深く考えずに無意識に本質を射抜いている。まあある意味勘違いだけれどさ 笑 それでRockの流れがひっくり返ったわけじゃん。またそういう事を誰かがやらかす必要はあると思うな」

言いたいことを全部言って僕はそこを後にした。
僕は「何か」に向かっている。友達も「何か」に向かっている。お互いにお互いの事がよく理解できていないし、向かっている方向性は、恐らく、お互いにとって少し危険だ。
そんな二人が語りあるのは、危険な事だろう。。

しかし、何とも言えず、有意義な時間だった。

4章

僕が本格的に、岡山のライブハウスに通いだしたのは2017年の1月、25歳の頃だ。

だから、それ以前のライブシーンは知らない。

1999年、高校3年生の頃に岡山市のはずれのはずれのライブハウスで、2回ほど高校生のコピーバンドとしてグダグダのライブをした。それが唯一の経験。

ただ、90年代までは、岡山でライブハウスといえば、岡山大学のそばにある老舗のライブハウスのことで、2000年代に入った沢山ライバルが出てきた、という事は理解している。

それで、90年代までの岡山・倉敷のライブシーンについて、表町の某楽器屋さんの店主、元倉敷の無くなってしまった楽器屋さんの店主さんに聞いてみた。

「90年代までは、そりゃあ、岡山のライブハウスっていやあ、ほぼ岡大の側のあそこだけれど、アマチュアのライブシーンは沢山あったよ。みんな市民会館とかに高い金出して、腹くくって一時間半とかライブしていたよ〜」

「え、マジっすか!?そんなハードな世界だったんだ、、」

「まあ、それでも成り立っていたのよ。バブルの頃にバンドブームっていうのがあったからね」

「いやバンドブームっていや、僕の高校時代の90年代終わりにも、深夜番組とかで「第二次バンドブーム」とは言われていましたけれど、、」

「いや80年代のバンドブームに参加した人口の絶対数ってね、並じゃないのよ」

「でもバブルって89年から90年ぐらいのほんのわずかな時期でしょ?」

「いや俺の中でのバブルっていや、83、4年頃かな、倉敷駅がすごく綺麗になったこと辺りから始まっているよ」

「じゃあ、あなたの中で、バンドブームっていうのは80年代全般を指すんですか?ん〜でも、僕の中ではその時期の日本の音楽シーンって低迷期なんですよね。その時期の洋楽は好きだけれど、、やはり、世間でのバブルがはじけて、音楽業界のバブルが起こった90年代が、一番邦楽は芳醇だった気はしますが、、
でも、今、あえて80年代の邦楽ってものを知りたいんですよね、、」

「ま、なんにせよ、「バブル」なんて後付けの言葉だからね」

僕が、どれだけ80年代を知った所で、結局80年代は僕にとって幼少期だ、80年代に大人だった人が沢山いる世界で、「架空の80年代」を描くのは至難の業だろう、、

しかし、僕はどうしても80年代の岡山、、というものをもっと知りたい、、そんな欲求を無くすことが出来なくなっていた。

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