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科学は愛ですコミュのソビエト時代の退役将校が核戦争回避で受賞

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弥勒菩薩ラエルのコメント:意識を持つことができる軍人もいます。すべての
軍人は、学校や訓練で意識について知らされるべきです。残念なことに、同様
な状況では、ほとんどの米国兵はすぐに発砲したがるカウボーイのように反応
していたことでしょう。
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■ソビエト時代の退役将校が核戦争回避で受賞
(Retired Soviet officer rewarded for averting nuclear war:2月27日英語版配信分)


Source: http://rt.com/news/soviet-nuclear-petrov-stanislav-221/

2012年2月25日


たいてい人々は何か事を成し遂げて英雄になる。ところがスタニスラフ・ペト
ロフ氏は、核戦争に発展する脅威に直面し、何もしない勇気をもつことでその
一人になった。

その退役したロシアの中佐は、破局的な全面衝突が起き得る事態を防いだこと
で、人道主義を賞賛するドイツのメディア賞に選出された。過去の受賞者たち
の中には、ネルソン・マンデラ氏、コフィ・アナン氏、ダライラマ氏もいる。

▼危機に瀕する

1983年9月26日、スタニスラフ・ペトロフ氏はモスクワ近郊にある早期警戒非
核センターで当直に就いていた。

時刻が真夜中にさしかかった頃、耳をつんざくような警報サイレンが鳴り始め
た。

当時、ソビエト社会主義共和国連邦が韓国の旅客機を撃墜してから1ヶ月と経
たない時期であり、冷戦の緊張状態が何年にもわたって極度に高まっていた。

ペトロフ氏のコンピューターには、米国がソビエト連邦に向けて弾道ミサイル
を発射したことが表示されていた。数秒間でさらに数発が現れた。

ペトロフ氏はRTとのインタビューの中で次のように述べている。「自分がして
いること事について考えたり、記録をとる時間すら私にはありませんでした。
即座に決断を下さなければならなかったのです」

ペトロフ氏の仕事は、脅威が確かなものかどうかを判断し、ソビエトの老指導
者たちへ直接情報を伝達する上官たちに報告することだった。

「私はその情報をもった存在で、私の反応が行動計画を決定することになって
いました。もしそれが攻撃だと上官たちに告げたなら、彼らがこの事を受け入
れ、とやかく言うよりそれに応じて行動するのはもっと容易だったでしょう。
そしてニワトリ小屋の中のようにパニックが広がったことでしょう」とペトロ
フ氏は述べる。

何千発という核弾頭を備える米国が、その内のわずか数発だけで攻撃し始めて
くることに、ペトロフ氏は奇妙さを感じた。早期警戒システムを導入して間も
ない事もあり、ペトロフ氏はあまり信頼を置いていなかった。しかし理屈がど
うであれ、彼が何よりもしなければならなかったのは勘に頼ることだった。

「怖かったのは私も認めます。自分の指先にのしかかる責任の重さはわきまえ
ていました」

スタニスラフ・ペトロフ氏は、第三次世界大戦が始まったとは報告しなかった。
その代わりに、上官たちを呼び、これは誤警報であることを彼らに告げたのだ。
他の管制局では発射が確認されず、防衛体制は解除された。

▼遅すぎた褒賞

結局のところ、ソビエトのスパイ衛星が雲に反射した太陽光を、米国の基地か
ら打ち上げられた弾道ミサイルと誤認していたのだ。

しかし、ペトロフ氏の適切な対応は褒賞されなかった。

彼は次のように説明する。「調査委員会が誤警報の原因を調査し始めた時、早
期警戒システムに潜んでいた沢山の欠陥に直面しました。そのため私の上官た
ちは非難を浴び、誰かが何か功績を上げたということを認めたがりませんでし
た。その代わりに、責任をなすりつけることにしたのです。」

このすべての出来事は高度な機密扱いにされ、スタニスラフ・ペトロフ氏の名
前さえも、1993年のソ連崩壊まで公にされなかった。

以来、おもに海外からではあるが、彼は無数の報告書の題材にされ、多くの賞
を受賞している。退役後、田舎地方の家でシンプルな生活を送り続けている彼
は、1983年9月26日の出来事を誇りに思っているが、執着はしていない。

「これらのテレビ報道で私を英雄扱いし始めている、と住民たちから最初に聞
いた時は驚きました。自分のことをそんな風に思ったことはありません。私は
ただ自分の仕事をそのまま行っていただけなのです」


-Igor Ogorodnev, RT

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