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枕草子コミュの清少納言と紫式部

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よくライバルといわれる二人だけど、二人は面識も無いし、一緒の時期に宮中にいたこともない。年だって清少納言のほうがずっと上。
「枕草子」には紫式部の別れた夫のことは書いてあるのに、紫式部のことは書いていないけど、紫式部は、日記の中でも清少納言を意識してるってわかるけど、清少納言はあの「源氏物語」の作者をどう思っていたんでしょうねぇ。

コメント(13)

二人がいがみ合っていたかのような誤解は、いつ頃からあったのか私も気になります。
どうしても正史には残らない部分ですので推論でしかありませんが、中宮定子一派を政治的に追い落とした後の道長派のサロンでは、かつて華やかな一時代を築いた定子サロンを意識し、その中心でもあった清少納言の影に一種不快な思いを抱いていたであろうことは容易に想像できます。
そして聡かった紫式部にしてみれば、過去と比べられることに不愉快な思いがあったろうと思われます。
確か紫式部日記の中で彰子サロンの女房たちの野暮ったさ(知性面で)に対して鬱屈した思いを抱いていたことが判る記述がなかったでしょうか?
後宮に出入りする当時の公達たちに陰口を言われていたような内容だった気がしますが・・・(ただし道長に憚って、あからさまには言えなかったろうと思います)
それぞれの個性の違いですから、優劣ではないはずです。
それでも一番注目されるサロンとして、公達たちには何かと物見高く比べられしまうのですから、紫式部にしてみればさぞ腹立たしかったことと思います。
また、当時からこのような複雑な関係にあったとは思いますが、それとは別に、後世に二人の「ライバル関係」が確定されてしまったのはどうやら明治時代のようです。それまではそれほど取り沙汰されるようなことでもなかったかと思います。
こんにちは。
おもしろそうな話ですね。
尚白さんの意見、いいですね〜。
私もそう感じます。
枕草子を読んでると、
清少納言は、明るく華やかで頭の回転もいい。
センスもよさそうだし、定子サロンも華やかで楽しそうな所のようですよね。
その後をしょって立つ気苦労ってありそうですね。

清少納言は紫式部をどう思ってたか?
自分は、編曲は上手だけど、作曲できないことって知ってる人なので、
(パロディは上手だけど、オリジナルは書けないみたいな)
あの奥深い物語を書いた人ということで、
憧れ+尊敬の目で見てたと思います。
それとも、コンプレックスを刺激する相手として敬遠しちゃいますかね?

紫式部が清少納言を嫌う根本の原因も、
「知識はあるけど、センスがない」
って所だと思うし。
ああ、懐かしい…
卒論で扱った部分です。。。
○年も前のことだからもう内容も……

清少納言は本当に恵まれた環境にいましたね。その環境があったからこそ本領を発揮できそれが故、中関白家賛美、定子賛美ををした(というよりも自然にそうなった)のだと思います。
中関白家没落後もおそらくそうだったのだと思います。
そして紫式部よりも年上の清少納言。。。紫式部のことは意識
していなかったように感じました。(意識しなくても十分才女は私しかあり得ないし、定子様さえいて下されば!というカンジが作品中ではひしひし。。ホントはどう思っていたかしら?)
対する紫式部は宮仕え自体なんとなく憂鬱なかんじ…
あまり恵まれた宮仕えではなかったのでしょう。それに比べ、前の清少納言っていう人はいいわね!才能は発揮できるし、可愛がってもらえるし!夫も先立ってしまったからもう、これは長編を書くしかないわ!
なんて、ちょっと嫉妬して日記中でも意識してしまったのかしら…
更級日記の菅原孝標女も働く環境がよければ宮仕えに積極的だったのかしら…

なんて、学問からずいぶん遠ざかって記憶も定かではないけれど確かこんなふうに昔思っていたなぁと懐かしく思い出しました。
のほほん茶さん
>編曲は上手だけど、作曲できないことって知ってる人なので、
>(パロディは上手だけど、オリジナルは書けないみたいな)
>あの奥深い物語を書いた人ということで、
>憧れ+尊敬の目で見てたと思います。
というご意見、私もそう思います。
清少納言が寡作で知られているように、オリジナルな表現は苦手だったと考えられます。
同時期に宮仕えをしていればどうなっていたか・・対照的な二人ですけどお互いの立場を超えて仲良くなれていたら面白いですよね。

こりくさん
中関白家没落後の清少納言の動向がほとんど伝わっていないですよね。それが残念でなりません。(老後のエピソードもかなり怪しい説話ですし)
おそらく京(郊外)には居て、後宮の様子は友人知人を通じて少なからず耳にしていたと思います。
「今をときめく彰子サロンで紫式部と呼ばれている人が、源氏物語というのを書いている」という話を聞いて、彼女はどう感じたのか・・しばらくは定子中宮を失った喪失感で才能がどうこうとは考えなかったのではないかと思います。
清少納言は道長を尊敬してもいたようですから、何もかもに裏切られたような気持ちで(後宮を退いた直後に)剃髪したと仮定すれば、俗世のことは一旦忘れるよう努めたのではないでしょうか・・・
枕草子の創作がいつ頃まで続いていたかが定かではありませんが・・
尚白さん

コメントありがとうございます。
ホント、清少納言のその後が記されていれば面白いというか、卒論のテーマ変わっていたかも…(笑)
確かに学生の頃は上に書いたように思っていたのですが、歳をとるにつれて「あ〜、あの考え方とあの論の進め方はナイよな〜…」なんて思ってしまって自分で苦笑しています。
(よく教授がOKサイン出してくれたなぁ…)

しかしどうして「2人は仲が悪かった」なんて学校で教える先生がいらっしゃるのでしょう…と思います。
>>こりくさん
対する紫式部は宮仕え自体なんとなく憂鬱なかんじ…
あまり恵まれた宮仕えではなかったのでしょう。


たしかに。紫式部は水鳥をみても「あぁ…あの水鳥も水面下では必死に水を掻いている…まるで、表面取り繕って宮仕えしているけど実は苦しんでいる私のよう…↓(鬱)」ですもんね。


でも、紫式部も心のどっかで清少納言がうらやましかったのでは…と私は思います。紫式部の時代には、清少納言のときよりも宮中のきまりはよりいっそう厳しくなっていて、儀礼化・形式化していたらしいですしね。(道長が自分が権力を失わないようきまりを厳しくするよう働きかけたらしい。)
清紫論について、面白い話が本にあったのでいくつか紹介します。



☆明治時代の音楽の教科書には清少納言と紫式部の歌がありました!!

明治17年3月発行『小学校唱歌集 第三篇』「才女」

一かきながせる 筆のあやに そめしむらさき 世々あせず  ゆかりのいろ ことばのはな たぐいもあらじ そのいさお

二まきあげたる 小簾のひまに 君のこころも しら雪や   櫨山の峯 遺愛のかね めにみるごとき その風情

曲はスコットランド民謡


☆『無名草紙』は紫式部を高く評価しているが、おもしろいのはその書き方。驚くほど類従的!!

「浅ましきこと。夕顔の、木霊に取られたること。朧月夜の内侍のもとに、源氏の、夕立の夜、更かして、父大臣に見つけられたること。女三宮の、右衛門督の文、源氏に見えたること。手習いの君の失せたること。ひたぶるに身をなげたらばよしや、ものに取られて初瀬詣での人に見えたるほどこそ、いとむくつけけれ。」


☆与謝野晶子の随筆
「わたしは清少納言を好かない。其訳を考へてみたことはないが、何となく好かない。併し(しかし)、若しわたしが清少納言や紫式部と同じ時代に生れたなら、友人として盛(さかん)に応答しやうと思ふのは清少納言である。紫式部は師として教をうけることはあっても、友人としての親しみはなからうと想はれる。清少納言にも欠点が多い。わたしにも欠点が多い。それがために、甘く(うまく)友人として交際って(つきあって)ゆかれる様に思ふ。」 
『無名草子』私もよみました。

清少納言は批判気味?だった気が・・

でも面白いことに彰子と定子を比べて、定子の容貌の
美しさ(でも、推定)、美に対するセンスの良さ
を褒め称えていました。対する彰子は、その
ビッグさをたたえつつも、「ご長寿で、身近な人
の死を、次々見とらなくてはならなかったことが
おかわいそう」みたいに表現されてました。

無名草子は、ほんと構造としては、枕草子そっくり
ですよね。清少納言に対抗意識があったのかな。



『清少納言と紫式部−その対比論序説』 富崎荘平 
(朝文社 H5・4)

なおこさんが読まれたのは、このご本ですか。

樋口一葉はたしか清少納言に結構好意的、と
どこかで読んだ気がするのですが、思い出せない・・・・
初めて書き込みします。
わたしも卒論は清少納言でした〜。懐かしい。



清少納言には藤原棟世との間に、彰子に仕えた小馬命婦という娘がいますよね。(確か何かの系図に「清少納言女」と添え書きしてあったはず)
昔は母方とのつながりが重視されたみたいだし、
こういうふうに娘が宮仕えできる環境があるということは、
意外と落ち着いた晩年だったのかも、と思います。
というか、そうであってほしいというか・・・( ̄▽ ̄)


清少納言が源氏をどう読んでいたかはわかりませんが・・・
(宮仕えしていたころにはまだ源氏も出揃っていなかったのでは?不勉強で申し訳ありません)気になります。


そういえば昔、大学で創作の授業があったとき、
清少納言と紫式部は本当は仲が良くて、
後世の人をだますために仲が悪いように見せかけたんだ、
という創作小説を書いたのを思い出しました。
若かった・・・
清少納言と紫式部って批判したり意識してるのは一方的に紫式部さんのほうだけだから。

誰かが比べたわけでもないし、気にする必要もないのに執拗に皮肉る式部さんの気持ちは、明らかに嫉妬ですよ。

式部さんの主人は真面目でお堅いのが取り柄の彰子中宮だから、定子皇后のようなサロンの楽しさなんてないし、式部さんは先生役だからなおさら煙たがられてた。ネクラで人付き合いが悪いとも思われていたから当然かもしれない。

でも実は彼女はかわいらしい女性とはとても馬が合う。瀬戸内寂聴さんは式部さんは同性愛の気があるんじゃない?と疑うくらいですから、彼女にとっては定子サロンはあこがれだったはずです。少なくとも今いる環境では物語の中だけにすべてを吐き出さざるを得なかった彼女にとっては、欠点にも失敗にも頓着していない清少納言の自由な想いに嫉妬せざるを得なかったのだと思いますね。

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