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三浦綾子コミュの三浦綾子読書会全国大会『琵琶湖のほとりに光を見た』  参加レポート

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10月27日(木)から29日(土)の3日間に亘って三浦綾子読書会全国大会『琵琶湖のほとりに光を見た』が琵琶湖の畔で開催されました。

プログラムは盛りだくさん
いずれも内容が深く濃かったので
心が満腹状態です。
参加なさった方全員が同じ思いだと思います。

バラエティに富んでいますので、イベントごとにレポートしたいと思います。

今日は全国大会初日10月27日(木)その1です。

日中はアシュラムセンターで榎本和子先生のお話を伺うことと
近江八幡市内の散策の2つのイベントが予定されてました。
今回の参加人数は1日目に限っては70名弱ですので、バス2台が用意されていました。
ちょっと人数が多すぎたので、
〇最初にアシュラムセンター訪問しその後に近江八幡市内を散策するチーム(35名)と
〇最初に近江八幡市内を散策し後半アシュラムセンターを訪問するチーム(32名)とに分かれました。
私は最初にアシュラムセンター訪問したチームでした。
和子先生は10月30日で91歳になられるのですが、お元気そうでした。でも、2回連続で延べ70人の聴衆を相手にお話をしてくださったことに驚きと感動です!
和子先生がお話しくださったことを記憶をもとに書かせて頂きますね。

<メモ>
(和子先生)私は10月30日生まれなんですが、光世さんは10月30日にお亡くなりいなられたんですね。同じ日に光世さんが亡くられて私が生まれたというのが、不思議な気がします。


(司会の森下辰衛先生から)榎本保郎先生とご結婚なさって、歩まれたわけですが、保郎先生のどこに惹かれたのでしょうか。


(和子先生)出会わなかったら、淡路で静かに暮らしていたかもしれません。「ちいろば先生物語」にも書いてありますが、電車で通学していたいがぐり頭でニキビの時から、こちらは知っていました。あちらは知らなかったですけどね。
クリスチャンホーム育ちではありませんでしたが、呑み込みが早かったです。そして簡潔にパッとものを言える。背も高いし、物もズバリ言うのは良いと思った。
そして保郎先生が私の父を尊敬するようになったこともきっかけとなったと思います。
結婚もそんなに早くする気はなかったんです。家は快適だし、みんなから大切にされていたので・・・でも保育園を始めることなどからあの時期に結婚するようになったんです。
私と結婚しなかったら、もっと大きな働きが出来たのではないかと思って申し訳ない気もします。私は足を引っ張ることが多かったです。


(森下辰衛先生)結婚直前にショックな告白もありましたね・・・


(和子先生)私はクリスチャンホーム育ちで、牧師先生の仰ることを真に受けて(笑)育ちました・・
主人は天衣無縫というか・・・
でも中学時代に下級生いじめ(タコ吊り)に反対して立ち上がるなど正義感の強い人でもありました。
また怒っても、すぐにニヤっと笑って収めることができる人でした。
それに引き換え私は怒ったら怒りっぱなしで、ある時に亡くなった主人の日記を読んだところ「怒り方をおしえなあかんな」と書いてある箇所がありました
主人は教育者でもありました。
(先生−生徒)の縦の教育だけでなく(生徒−生徒)横の教育が大事と世光の保育園時代から、年齢の違う生徒を混ぜたりもしていました。また当時から児童たちの「行動観察」を行うなどしていたものです。
主人は「伝道」一点張りでしたので、夫婦で出かけたこともないです。
頭の回転も速く、愛の深い人でした。お見舞いには良く行ってました。
祈りの人で、この点は私の父もそうでしたが・・
主人は神の国と神の義を求めた人でした。


(森下辰衛先生)世光教会を離れる時には100人ぐらいになっておられたのですよね?どのようにお感じになりましたか?


(和子先生)180人くらいになっていました。私に黙って今治行きを決めたのですが・・・話しになりませんね(会場笑
でも(今となっては)神様のお計らいだと思うんです。あのままの生活をしていたら、私は聖書や祈りから遠ざかることになっかもしれません。今治教会で早天祈祷会に出席するようになり聖書と祈りに触れたのです。
一日一章の旧約編は今治教会の早天祈祷会でのメッセージがもとになっています。
今治で聖書に深く触れることを教えて頂いて、それが主人が亡くなった後にどでれだけ力になったことか・・・
今治に行かなかったら、お山の大将を決め込んでと思います。
主人も(最初は)俗物的なところがあったのですが、早天を通じて人が変えられて行きました。早天は大事です。
聖書の御言葉に聴いて祈らなければと思って、アシュラムに千円する決心をしました。
今治教会から出てゆくので送別会に出席していましたが、心の中で「行先も決まらんのに」と思って決して穏やかな気持ちではなかったんです。その時に読んだ聖書の個所がヨハネニよる福音書6章6節で、そこには「ピリポをためしてこう言われたのである」と書いてあるんですね。この「ピリポ」は「和子」だと思ったときに、そうだったのかと平安が来ました。
次の日に近江八幡の建物のお話が舞い込んで来て、一軒目はお台所を共用するということで、ダメでしたが2軒目に見たのがこの建物でした。


(森下辰衛先生)保郎先生と三浦綾子さんとのことで何かお話しくださいますか?


(和子先生)最初に綾子さんとお目にかかったのは講演でお呼びした時です。綾子さんは眼光が鋭いですね・・・光世さんは優しい眼差しだけど
最初は二人の間がしっくりこなかったみたいですが、多分主人が緊張してたのだと思います。それを見抜けなかった綾子さんはどうだったのかな?とも思ったりするんですけど(笑
お互いに似たようなところがあると思います。
主人が亡くなる直前に光が体の上を覆ったことをお話したら、伝記を書く決心をなさったのだと思います。

このアシュラムセンターにもお出でくださいました。
人がいっぱいあふれました。
主人とのやり取りした手紙もだいぶ綾子さんにお渡ししました。貧乏学生のことですからノートの切れ端に書いたものなど桃ありました。今でも綾子さんの資料の中にあると思います。


以上このような感じでした。
脱落があるのですが御容赦ください。

コメント(4)

三浦綾子読書会全国大会『琵琶湖のほとりに光を見た』 
参加レポート(10月27日その2−1)
10月27日(木)から29日(土)の3日間に亘って三浦綾子読書会全国大会『琵琶湖のほとりに光を見た』が琵琶湖の畔で開催されました。

プログラムは盛りだくさん
いずれも内容が深く濃かったので
心が満腹状態です。
参加なさった方全員が同じ思いだと思います。
バラエティに富んでいますので、イベントごとにレポートしたいと思います。

今日は全国大会初日10月27日(木)その2−1です。

近江八幡市内散策(池田町洋館街散策の巻)

市内山策は4パートに分けられます。
1.池田町の洋館街を外観から鑑賞
2.ダブルハウス(榎本邸)の内覧(これがポイント!!)
3.新町通の豪商の家・八堀などを外から鑑賞
4.ハイド館の内覧

今回は1.池田町洋館街の巻です。
ヴォーリスが近江八幡に腰を据えて生活してゆくことを決めた後、近江兄弟社の業務も発展安定して行きました。
そこで、ヴォーリズは広い土地を市内に求めたところ、池田町に1000坪の土地が見つかったわけです。
従来の土地の探し方は斡旋業者に依頼する方式でしたが、ヴォーリズは『東西屋』に依頼して街角で広めたのでした。

(東西屋とは・・・口上の始めに「東西東西」と言ったところから付いた名称で、人に雇われて、街頭などで広告の口上を述べる人。ひろめやのことです)
斬新な方法が奏功したんですね。
ヴォーリズはそこを4区画に分けて、家を建てました。
4区画を通じて煉瓦壁が建てられています。
焦げてしまったり変形してしまったわけあり煉瓦は外壁に
使えばデザイン性も増しますよね。
なんでも無駄なく利用するのもヴォーリズ流です。


さて、洋館街の建物を南側から説明しますと次のようになります。 


【吉田悦蔵邸】
商業学校でのヴォーリズの教え子で、近江ミッション・近江兄弟社など信仰・仕事の片腕となって歩んだ方の屋敷です。
腰折れ屋根が良いですね。
(後に石橋邸となる建物が敷地内に建てられます)


【ウォーターハウス邸】
早稲田大学の教師でしたが、ヴォーリズの伝道生活に触れて共鳴し、自身神学校で学びなおし再来日してヴォーリズと共に歩んだウォーターハウス氏の家です。ウォーターハウスは船の操縦が出来ましたので、伝道船ガリラヤ丸を操縦したのでした。


【ヴォーリズ邸】
残念ながらこれだけ現存しません。
ヴォーリズの居宅でした。


【ダブルハウス】
2戸を二重の煉瓦壁を挟んで合わせた形の集合住宅です。
ヴォーリズの両親や近江兄弟社の社員が住みました。
(今回はこのうちの1戸の中を拝見できたんです!
中も素晴らしかったです!! それは次回のお楽しみ♪)
の順番です。



ヴォーリズの生涯を振り返ると、周囲の方がヴォーリズの人格から放射される影響力に動かされたんだろうなぁと思うことがしばしばです。
吉田悦蔵さん然り、ウォーターハウスさん然り・・・
あと、すごく単純に言ってしまうと、ヴォーリズは家は人を幸せにするためにあると考えていたように思います。



ヴォーリズの人格力が他人を感化するように、
ヴォーリズ建築も住む人を感化するように思います。
飛躍した言い方ですが、建物を通じてのゴスペルって言うのかな、神様由来の愛が伝わってくる気がするんです。
二つレポートをアップしましたのでよろしくお願いいたします。

ダブルハウス榎本邸の中を見せて頂きました。
http://plaza.rakuten.co.jp/gospelgospel/diary/201611010000/


近江八幡商人の豪邸が並ぶ新町通のレポート
http://plaza.rakuten.co.jp/gospelgospel/diary/201611010001/
三浦綾子読書会全国大会『琵琶湖のほとりに光を見た』 
参加レポート(10月28日その1)
坂本城址を訪ねるの巻

全国大会2日目は、坂本城址、西教寺を訪れ、昼食の後に遠藤優子先生の講演、そしてシンポジウムと初日に盛りだくさん。楽しいよ♪

まず坂本城址に行きました。

 琵琶湖の碧水が、夏の日を眩しく照り返している。
 初老を過ぎた足軽平五郎の漕ぐ磯舟に、お玉と侍女のおつなが並んですわっていた。ふっくらとしたお玉の白い頬に、黒髪がなびく。お玉は今年十二歳、おつなより五つ年下である。こころもち首を傾けて、お玉は今出てきた坂本城をっふりかえった。
 琵琶湖の水は坂本城の堀に引き込まれていた。その堀の一カ所が船着場になっていて、そこからすぐ城の庭につづく。船は、その堀から出てきたのだ。
 濃緑の比叡山を背に、そびえ立つ坂本城が、今日はひときわ美しく見える(細川ガラシャ夫人(上)『櫓』から抜粋)

海は昔のままの有様ですが


今は坂本城は全く残っていません。





いくつかの碑が立てられているだけです。
信長の安土城に次ぐ豪奢な城と歌われた(細川ガラシャ夫人(上)『櫓』)坂本城がすっかり失われたのは残念です。

ここでは、つちのこさんの司会で、坂本城の案内と、お玉の有名な辞世の句
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」が紹介され
ひと時細川ガラシャ夫人の魂の深さに思いを馳せたのでした。

また森下代表が、細川ガラシャ夫人(上)から2カ所ほどを選んで、朗読し解説をしてくださったのでした。

今は坂本城は崩れて影も形も残っていませんが、
綾子さんの文学を通して、在りし日を偲ぶことができたのです。
感謝♪



更にここで、先日ご主人を亡くされたKさんが、ご主人の辞世の句を紹介してくださいました。

 いざ行かん
 罪ゆるされて天国へ
 うれしいな
 うれしいな
 この歓びを
 誰にぞ伝えん

闘病中に、イエス様を心の中に受け容れて
与えられた平安と喜びの大きさがストレートに伝わってくる
素晴らしい 辞世の句ですよね。

細川ガラシャのものと同様に一途な思いが伝わってきて
心が打ち震えました。
参加なさった全員が、Kさんの話に聴きっておられたのも印象的でした。


さて、琵琶湖といえば、初之助が初めてお玉を見染めたところです。
この坂本城址でもマタイ初之助が活躍。
いずこからともなく妙なるオカリナの音が聞こえて参加者を魅了してくれました。


また一行はバスで次の目的地 西教寺に向かったのでした。

http://plaza.rakuten.co.jp/gospelgospel/
全国大会のレポートをこのサイトにアップしましたので
宜しかったらご覧くださいませ

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