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生活の発見会コミュの会員が減り続ける・・・なぜだろう?

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私が生活の発見会に入会した1970年は会員は700名でした。水谷啓二先生が亡くなられた直後のことです。その後、森田理論学習・先輩が後輩を助言していくスタイルを確立することでその10倍近くの会員を擁するまでになりましたが、ここ10年は退潮傾向が止まりません。

会員歴40年の私としては生活の発見会がこれからもずっと続いていって欲しいと願うばかりです。

今の生活の発見会には何が足りないのか、率直な意見を出していただければ本部に伝えたいです。

心配しているのは新しい人たちがなかなか生活の発見会の門をたたかず、集(懇)談会が次第に高齢化・サロン化していることです。

重ねて、いろいろな方のいろいろな意見を伺いたいです。よろしくお願いいたします。

コメント(46)

みなさん、いろいろなご意見、ありがとうございました。今後、一件ずつコメントさせていただきます。また、みなさんの意見は本部に伝え、会が少しでも良い方向にいけるよう努力もしたいです。

なお、ご意見は引き続きお受けしますので、どうぞご投稿ください。

重ねて、ありがとうございました。

>Waterさん

本部に伝えてくださるのですか。
お手数お掛け致します。

特にたみさんの意見は参考になりますね。
すぐ治りたい若者は薬に走り、薬物依存症になりがち。
しかし、森田療法は薬は使わず、時間をかけて自然に治していく。
こんなメリットないですよね。
さらに、ネット進出が出遅れすぎな点は否めないので宜しくお願い致します。
>ジョンさん

薬は使わずという考え方もまた逆をいえば薬と併用して森田をされている方を遠ざけてしまっている気がします。
今の時代症状のどん底にいる人にとっては少なからず薬が救いになる事は間違いないと思います。

慈恵第三でも今は薬をきちんと飲んでくださいと言われている位ですので、
上手く付き合えば森田との相乗効果で薬は効果大だと思います。
僕は森田療法だけで十年以上苦しんできましたが、どうしょうもなく苦しくなり森田の協力医のところに行き薬を処方されました。
薬を飲んでみて思ったのは、薬がもし自分に合えば、苦しむ時間はかなり少なく出来ると感じました。僕はもう少し早く病院に辿り着いていればと後悔していたりします。
森田とともに医者に言われた薬の適量を守れば本当に楽になると思いました。
>ルカさん

なるほど。確かにそうですね。
そういう自分も薬と併用している身です。
苦しむ時間なんて確かに少ない方がいいですね。
ただ、残念ながら、時間はかかるのは事実。

ルカさんのおっしゃるとおり、普通の精神科医では薬依存になりがちですが、
併用という形であれば、薬依存もある程度防げそうな気もしますね。
woh woh さんへ、

Water(中部支部所属)といいます。

ちょっと考えられない集談会でしたね。大変つらい体験をされていて、同じ生活の発見会会員として申し訳ない気持ちです。本部には早速伝えて代表幹事の質をもっと上げるように伝えます。

貴重なご意見をありがとうございました。
初めまして。
集談会には10年ほど前に会員で何回か行き、先日近所の集談会に足を運んだら疎外感を感じたのですが…

いや、一つ前の書き込みを見てさすがに溜息が出ました。
ここは何のためのトピなのでしょうか。
ますます近寄りがたくなります。
個人攻撃は止めて欲しいです。
> woh wohさん

あなたって 酷い書き方される方ですね

きっと 貴方嫌な思いされたんでしょうね

でもね そうじゃない人も いるの

私は八年位精神安定剤飲んでいたの

でもね森田療法で四年位したら凄く楽しい人生に なりました
へけちゃさんへ、

>waterさん
>10で一件ずつコメントするとのことでしたが、どうなったのかなと。
>使命感をもって行動されていたのに、少し残念です。

どうもごめんなさい。忘れているわけではありませんが。
もう少しでまとめます。すみません。
会員継続しました。

正直、キャンペーンで安くなっているとはいえ、高いと思います。

試しに入りたいという人にとって、価格の高さはそのまま、またぐ敷居の高さに
なりますね。

仮に、価格を半分にして、会員数が、今の倍になるか・・・?

倍にはならないかもしれませんが、確実に会員数は増えるでしょう・・・。

けど、財政破綻のリスクも増える・・・。

ジレンマですね。




先日、メンタルヘルス岡本記念財団へ行ってきました。
ここは、森田療法を普及推進するために資金を援助しているところだそうです。

ここで、森田に関する相談も受け付けているので一度行ってみようと思ったのです。
山中和己さんという最古参の理事か顧問の方に対応していただきました。
約1時間、いろいろお話を伺いました。

私は、不安で困っているのですが、その不安は主に体調不良、子供のこと、自分自身の生きがい喪失感、人間存在の不可解さ、親のことなどが原因となって不安になるのだと思っています。
そう話すと、山中さんは「それは実態のあるものだから、不安になって当然です」「実態のないものに対して不安になるのが、神経症です」と言いました。

だから、貴方の場合は森田の適応ではない、とのことでした。
ただ、森田の考え方に共感できるのであれば、生涯学習の一貫として学ばれるのはいっこうに構わないですよ、と言われました。
なにも森田の全てに共感する必要はなくて、自分が良いと思うところだけを、いいとこ取りすればいいのです、とのことでした。

私も、去年3回参加した集談会には馴染めませんでしたね。
もう仲良しクラブみたいな感じでした。
あれでは、離れていくのは仕方ないなと思いました。
そうではない会もあるのでしょうけどね。

私の場合は、普通神経質だそうです。
とはいっても、不安はあるので一応その手の薬は飲んでますけど。
体調不良は、また別の病です。

生活の発見会の会員が減り続けているのは事実で、今後もずっと減り続けるでしょうと言ってました。
その原因は、昨今はメンタル系の医療機関、相談所などが増えたからだそうです。
昔は、そんなところは少なかったからだそうです。

ハッキリそう断言されると、なんだかガッカリですね。

森田は、「不安はあっていい」「不安を消そうとする必要はない」「しんどいままでいい」と説いているそうで、こんなことを説くのは世界中で森田だけです。
と、またまたハッキリ言われちゃいましたね。
そこのところが、どうもまだ納得できないですね。

みみずくさん

不安や恐怖っていうのは、消そうとする必要はない どころか、
消すことはできない。
さらに言えば、消そうとすると、余計に大きくなる。
まあ、森田療法ではそういう考え方が根本にあるのだと思います。

じゃあ、どうするの?
ということに対して、森田療法の、いろいろな治療法やら、発見会の相互学習アプローチがあるということだと思うのです。

で、私が思うには、不安や恐怖は消すことはできないのだけれど、
幸せな部分が大きくなればいいんじゃないかと....。
そうすると、相対的に不安や恐怖が占めている部分が小さくなるということだと思うんです。
もちろん、ピーク時の不安や恐怖は絶大なものだと思うのですが、
そこから復活することがしやすくなるというか...。

まあ、そんな風に思っています。
「症状は病気じゃないんだから、治らない」、このような事を、森田先生がおっしゃったと思います。

けれども、発見会を訪れる人達(私もそうでした)は、症状を何とかしたいわけで、「何とかする方法がどこかにあるだろう!?」って思っていると思います。

だから、「何とかする必要はないですよ。」と優しく言われても到底受け入れられないと思います。むしろ、最もつきつけられたくない言葉かもしれません。

それでもあえて、「症状は治らない。」というのを発見会の看板に掲げて、治す事を目的とせず、自助会としての機能である「嘆き苦しみを相互理解しあう事」に重きを置くようにしたら、会員数はますます減ると思いますか?

ちょっと冒険的な感じもしますが、会の能力(確実にできる事)に見合っいて、共通意識も持ちやすく運営が楽になり、場も緩く和らぐような気がします。

書いてて、難しいだろうなとも思いますが・・・。
>chamta7さん

不安を消すことはできない、ということですが、抗不安薬を飲めば不安は治まります。持続時間に制限はありますが。
根本的に不安をなくすには、行動すること、自分の興味や関心のあることに手をつけてみること、熱中できることを見つけることだ、とかかりつけの精神科医は言ってました。それを、いま探しているところでして、いくつかやりたいことはあるのですが、なんせ体調不良のためなかなか踏ん切りがつかなくて困っています。下腹の鈍い不快感、深夜から朝方にかけての頻尿、尿の勢いが弱く量も少ないといった排尿障害があるので、元気が出ず、やりたいことが出来ないので非常に困っています。

幸せな部分が大きくなれば相対的に不安は小さくなる。
これは、当たっていますね。
私の場合は、幸せな部分というのが、極めて小さいですから。
自分の幸福度と満足感を高めることが、一つの有力な方法ですね。
これからそうなるように努めます。

ちなみに、幸福度と満足感が高い人ほど寿命が長いという統計があるようです。
>泣き虫KAZUさん

たしかに共通意識は持ちやすく、場は和やかにはなるでしょうね。
でも、治すことを目的としないのであれば、それは単に「同病相哀れむ」のような雰囲気になってしまう危険性があるのではないでしょうか。
やはり皆、治したいと思っているのですから、治すための学習なり相互意見交換などはしたほうがいいのではないかな。

森田は、「治そうとしてはいけない」「不安があるがままで、やるべきことをやる」と説いています。
その意味は一応分かります。
症状にばかり意識を向けるのではなくて、もっと外界に目を向けてさかんに行動することだ、と理解しています。
そうするうちに、だんだんと不安は和らぎ、ある日不安がまったくなくなっている自分に気がつくのではないのでは。

そうあることを願っています。
みみずくさんへ

この場所は森田療法の悪口を 言う所ですか?
>みみずくさん

「同病相哀れむ」でもいいのではないでしょうか…。
逆に説教じみた人がいて嫌になる人もいますし。
ドクターではないのですしね。

確かに「治そう」と思ってその場に初めてきて違うのだと感じ、幻滅して去っていく人も多いですけどね。
みみずくさんへ

私の読み間違いから、誤った文章書いて、しまい、ごめんなさいね
会員ではありませんが、3ヶ月ぶりぐらいに明日、集談会に参加しようと思います。
話せたらいいかなって思います。
加奈(奈々に変更)さんへ

しばらくこのコミュを見てなかったので、今日のメールで初めて知りました。
私は、自分の感想や考えを書いただけなのでして、決して森田の悪口を書いたつもりはありません。
読み間違いなのですから、いいんですよ。気にしてませんから。忘れて下さい。
傷ついたりしてませんから。
みみずくさんへ

ありがとうね 私国語の才能なく 本当に ごめんなさいね




10数年ぶりに集談会に参加して、驚きました。


メンバーが一人を除いて、当時と同じ。しかも、10数年前と同じ内容の悩みを、10数年たっても、まだ嘆きあっている…。

その方たちは、20年前からの会員さんらしいので、今後も『同病憐れむ』『傷をなめあう』状態が、死ぬまで続いていくのだと思いました。



かわいい 『共感』は本当に、大切です、

『寄り添う』ことも、すごくすごく重要です。

『傾聴』が無ければ始まらないでしょう。


嘆いたって、それもあるがまま、純な心のままに、それでいい、

と思います。




かわいい
ただ、嘆きながら、恐れながら、その気持ちを抱えたまま、

一歩、いや半歩、いや1ミリ、進む、朝おきることでも、顔を洗うことでも、衣服をととのえることからでも…、

それを学ぶのが森田ではなかったのでしょうか、?

(延々と議論し)、共感で、終わってしまったなら、森田でなく、

ただの病気友の会…。

(もちろん、不治の病を抱えてらっしゃるケースもあるだろうし、難病友の会のような存在自体、必要だと思います。

ただ森田療法が、森田療法でなくなってきている…、その点を言いたいだけです。)



森田療法は、母親的性格と、父親的性格を併せもったものだと思っていましたが、いまや、父親的性格は失われてしまったような…。





森田先生が、息子さんに先立たれた時、泣き暮れては仕事(原稿執筆)に取り組み、また思い出しては、しばらく泣きつづけ、はっと気づいては、それでも原稿執筆に取り組み…の繰り返しだったといいます、


しかし、今の集談会は、ただ泣きくれて、嘆いているだけで、それでよしの集まりになってしまっています。

(そして症状が慢性化、あるいは重症化しているように見えてしまいました。)


それは、それで時代の流れですし、万物は変化流転していくものでしょうから、それもヨシと思います。



私自身は、症状を抱えながら、それでも半歩ふみだす道を行きたいです。

最悪の道しか、目の前にないなら、その最悪の道を進んでいく者でありたいです。





† 不愉快で、きびしいことを書き込みましたが、すぐコミュ退会しますので、お許しください。




本当に、

悩むままでいい、

嘆くままでいい、

不安なままでいい、

と思います。



そこで終わり、なのか?

悩むまま、(時に立ち止まったり、時に後退しながら)、それでも歩いていきましょう、なのか?



それを言うと、批判され、逆ギレされ、拒絶されるのが、いまの集談会のような気がするのです。



それもまたヨシです。


しかし希望を求める人は、ACTや、CLの集まりへ流れるかもしれませんね。

では退会します、失礼いたしました。

会員じゃないけど…

恐らく悩みが解決することはないと思います。

でも、集談会で話をするのはいいと思います。

話すことで、選択肢が広がったり、考え方が変わって、少しは楽になると思います。

考えたり、悩んだりしても、性格が性格なんだから仕方ない。

完璧にはなりません。

非会員ですが、また気はが向いたら集談会に参加しようと思います。

芽
説教は、本当に良くないし、逆効果だと思います。


ただ、共感・傾聴・受容の先に…、宝物が…。






芽
完璧になるはずありません。ぴかぴか(新しい)


治るはずありません。ぴかぴか(新しい)


永久に、不完全な世界を、不完全なまま、歩んでいくだけだと思います。





完璧にならない、
治らない、
と座り込んでしまう、
寝込んでしまうのか?


それとも、


完璧でないまま、
治らないまま、
それでも、半歩だけ、1ミリだけでも歩んでいくか?

(いや、座り込んでもいい手(チョキ)、寝込んでもいい手(チョキ)


後退したっていい手(チョキ)

また起き出して歩けるときに、1ミリだけ進むか。森田先生のように。)





芽
『症状になりきる』といって、アレコレ、アレコレ、何年も、何十年も、症状の回りをウロウロ愚痴るのは、『症状になりきる』とは明らかに違うと感じます。


『症状そのものの中に入って』しまえば、

病あるまま、病なし、

迷いあるまま、病なし、

不安は不安、それっきり、

悩みは悩み、それっきり、

こだわっているが囚われのない世界、があるように体感します。






私が知っている集談会は、こだわり・囚われをますます重症化させて、アリ地獄にはまっていくだけだと感じたのです。

アリ地獄なら、アリ地獄であると成りきって(認めきって、腹を据えて)、アリ地獄に花を咲かせていけばいいのですが。




共感・傾聴・受容に埋没せず、行動も必要では?
と発言すると、ほぼ全員の方からバッシングされて、今の森田は違うんだよexclamationと言われてしまうのが、???


(思いっきり、エゴまるだしで、力説してしまいました。すみません。ホームに表示されちゃうんだもの。

はい、まじ退室します。)


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