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紀勢本線コミュの三瀬谷北畠氏遺跡

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 宮川中流左岸に位置する伊勢国多気郡三瀬谷の地は、縄文時代の石鏃や古墳時代の土師器も出土しているところから、古くから開けた地だと考えられ、『倭姫命世紀』によると、美しい瀬があったために「真奈胡の御瀬」と名付けられて、伊勢神宮境外摂社の滝原神社(祭神;真奈胡神)が設けられた。
 平安時代以後、熊野街道の宿場町として発展、宮川の渡しや舟運もあり、さらに湯谷・相津などの峠を越え飯高・一志・吉野に通じる交通の要衝の地となった。
 応永年間(1394〜1428)に御瀬が転じて三瀬になったと伝えられる。
 室町時代には伊勢国司北畠氏家臣三瀬氏が三瀬砦(下三瀬城)を築いて統治を行なっていた。三瀬砦は宮川と支流大谷川が合流する嘴状の突端に位置し、南・西・北の三方が断崖状となる軍事的にも要害の地であった。
 永禄12(1569)年、織田信長が南伊勢に侵攻すると、伊勢国司家第8代当主の権中納言北畠具教(トモノリ)は大河内城に拠って信長軍を邀撃したが、この合戦において三瀬左京進が活躍した。
 苦戦した信長は北畠氏撃滅を断念して、次男の茶筅丸(チャセンマル;後の信雄)に将来国司を継承させる条件で具教と講和、具教は既に家督を譲っていた嫡男の左近衛中将具房の養子として茶筅丸を迎え、娘の雪姫を娶わせた。
 そこで具教は、忠臣の三瀬左京進を頼って三瀬砦と宮川を挟んで向かい合う地に三瀬館を築いて隠棲した。しかし、三瀬館には明らかに三瀬砦に備えたと思われる物見台があり、実際には三瀬氏は信長から具教監視を命じられていた可能性が高い。
 具教は元亀元(1570)年5月に出家して天覚、更に不智斎と号した。
 天正3(1575)年、信雄が北畠家督を継承するが、この頃具教は前将軍足利義昭等の反信長陣営と通じて画策を行なっていたため信長の逆鱗に触れる事となった。
 天正4(1576)年11月25日、具教は信長と信雄の命を受けた旧臣長野左京亮・加留左京進等の襲撃を受けた。具教は塚原卜伝に剣を学んで奥義である一の太刀を伝授され、さらには上泉信綱からも剣を学んだと言われる剣豪だったため、信雄の内命を受けた腹心の佐々木四郎左衛門尉が事前に刀の刃を潰していたにも拘らず、斬れない太刀で19人の敵兵を撃殺し100人に手傷を負わせたとの伝説もある。
 しかし、結局多勢に無勢で具教は首級を挙げられ、同居していた子の徳松丸・亀松丸、及び家臣の大橋長時・松田之信・上杉頼義等も一緒に討たれてしまった。具教の首級は加留左京進の家臣である伊東重内らにより運び出されたが、変に気付き駆け付けた芝山秀時・大宮多気丸らに奪還され、秀時の父である芝山秀定により御所尾山に埋葬された。
 一説には信長の命で具教を殺害した長野左京亮は三瀬左京進と同一人物だとも言われる。
 その後、三瀬館へは信長の命で森清十郎が入った。
 三瀬砦北方の慶雲寺は三瀬氏の菩提寺と伝えられ、三瀬氏の位牌や三瀬氏最後の武将とされる三瀬左京祐の木像が安置されている。
 具教暗殺の20年後、上三瀬の住人が具教の菩提を弔うために三瀬館西方に国司堂を建立した。
 元和元(1515)年の一国一城令で三瀬砦と三瀬館は共に廃城になり、その後は紀州藩田丸領となった。 
 現在、国司堂は北畠神社となり、三瀬砦跡には八幡社が建つ。
 北畠具教三瀬館跡と三瀬砦跡は共に三重県指定史跡となっている。

 三瀬谷駅下車。

+北畠具教三瀬館跡
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=65244892&comment_count=0&comm_id=398257
+三瀬砦跡
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=65245321&comment_count=0&comm_id=398257

コメント(14)

18日水曜日に行って来ました。
三瀬谷駅です。
左;日輪兵舎 満蒙開拓義勇軍訓練施設を復元したもの
中;三瀬谷ダム
右;宮川と大内山川の合流点
 宮川に架かる舟木橋[登録文化財]です。明治38(1905)年の建設で、橋脚部分は煉瓦造りです。 国道42号線の橋でしたが、今は隣に船木大橋が出来ています。橋から水面までの高さは35mあります。
 「道の駅奥伊勢おおだい」です。日替りオリジナル駅弁680円也を食べました。この日は牡蠣フライでした。
北畠具教を主祭神とする北畠神社です。
三瀬館跡です。公園として整備され、土塁が綺麗に残っていました。
三瀬館跡には石垣がありましたが、後世の物っぽいです。
三瀬館跡近くの北畠具教胴塚です。具教の歌碑もあります。
「花におく 霜も涙や 染めぬらん 昔の春を しのぶ思いに」
茶臼山見張台からの眺望です。

左;三瀬砦方面
中;網掛山
右;大台町中心部方面
左;茶臼山東麓の東池
中;浄土宗鎮西派正法山慶雲寺
右;
三瀬砦跡〔三重県指定史跡〕です。土塁が綺麗に残っていました。
三瀬砦周囲の武家屋敷跡の石垣です。後世の物かもしれませんが…。

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