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視点・論点コミュの「用語解説」パターナリズム

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※ 視点論点の番組には関係ありませんが、 着眼点として必要なものつながりで あげておきます。



パターナリズム


パターナリズム(英: paternalism)とは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉することをいう。日本語では「父権主義」「温情主義」などと訳される。語源はラテン語のpater(パテル、父)で、pattern(パターン)ではない。

社会生活のさまざまな局面において、こうした事例は観察されるが、とくに国家と個人の関係に即していうならば、パターナリズムとは、個人の利益を保護するためであるとして、国家が個人の生活に干渉し、あるいは、その自由・権利に制限を加えることを正当化する原理である。


概要

「パターナリズム」という用語自体の起源[1]については、16世紀には「父権的権威(Paternal authority)」という言葉がすでに存在し、それが19世紀後半に「パターナリズム(Paternalism)」という言葉になったという[2]。また、J.S.ミル『自由論』(1859年)の「侵害原理 harm principle」における議論には、今日のパターナリズム論に底通する論点が提示されている[3]。

近年、この用語が英米の法哲学者・政治哲学者のあいだで注目を集めるようになったきっかけは、1950年代、成人間の同意の下での同性愛や売春行為を刑事上の犯罪行為とみなすか否かをめぐって行われた「ハート=デヴリン論争」[4]であった。
また、医療現場においても、1970年代初頭に、エリオット・フリードソンが医者と患者の権力関係を「パターナリズム」(医療父権主義、家父長的温情主義)として告発したことによって、パターナリズムが社会的問題として喚起されるようにもなった[5]。現在では「患者の利益か、患者の自己決定の自由か」をめぐる問題として議論され、医療現場ではインフォームド・コンセントを重視する環境が整いつつある[6]。


パターナリズムの類別

パターナリズムの類型については、以下のような類型区分が提起されている[7]。
強いパターナリズムと弱いパターナリズム
この類別は、介入・干渉される者に判断能力、あるいは自己決定する能力があるかないかという点で区分される。強い(硬い hard )パターナリズムは、個人に十分な判断能力、自己決定能力があっても介入・干渉がおこなわれる場合をいう。他方、弱い(柔らかい soft )パターナリズムは、個人に十分な判断能力、自己決定能力がなくて介入・干渉がおこなわれる場合をいう。

成熟した判断能力をもつ個人への干渉や介入に反対する、反パターナリズムの論者も、子供や十分な判断能力のない大人への保護は必要であるとしている。そのように弱いパターナリズムを容認する場合でも、「個人の十分な判断能力、自己決定能力」の範囲をどのように見極めるのかといった点で、慎重な検討が必要となる[8]。


直接的パターナリズムと間接的パターナリズム

この類別は、パターナリスティックな介入・干渉を受ける者と、それによって保護される者とが同一であるか否かで区分される。

直接的パターナリズムは、オートバイ運転者のヘルメット装着義務のように、パターナリスティックにその義務を強制される者と、それによって保護される者が同一の場合である。他方、間接的パターナリズムは、両者が同一ではない場合をいう。例えば、クーリングオフ制度のように、保護されるのは一般の消費者だが、パターナリスティックに規制を受けているのは販売業者である場合である[9]。


パターナリズムの典型例

専門家と素人
専門知識において圧倒的な格差がある専門家と素人のあいだでは、パターナリスティックな介入・干渉が起こりやすい。たとえば、医師(専門家)から見れば、世話を焼かれる立場の患者(素人)は医療に関して無知蒙昧であり、自分で正しい判断を下すことが出来ない。その結果、医療行為に際しては、患者が医師より優位な立場には立てない[10]。そうした状況で患者の自己決定権をどのように確保していくかについては「インフォームド・コンセント」の項を参照(あわせて「尊厳死」の項も参照)。


国家と国民
国家がいわば「親」として「子」である国民を保護する、という国家観にもパターナリスティックな干渉を正当化する傾向がみられる[11]。実際に施行されている事例としては、賭博禁止(刑法186条)などが挙げられる[12]。こうした立法措置以外にも、官公庁による行政指導や、市町村における窓口業務などにも同様の傾向がみられる[13]。


国際政治
かつての宗主国と植民地の間には、『白人の責務』(キップリング)や「明白なる天命」論に代表される白人優位神話のもとで“「遅れた」現地住民を「善導」する”として、段階的に民主的制度を導入するといった植民地経営が実施されたりしていた[14]。また、今日の先進国と開発途上国の関係にも同様のパターナリスティックな関係が見られる場合がある[要出典]。また明確な「先進国から発展途上国への指導」という構図でなくても年次改革要望書にみられる第2次世界大戦後の米日関係のように一応内政、経済他の面で「先進国」同士であってもその外交力、発言力の差からこのパターナリズムが自ずから発生する場合がある。


パターナリズム批判

国家と個人の関係については、国家が国民の生命や財産を保護する義務を負っているのは当然であるにせよ、少なくとも心身の成熟した成人に対する過剰な介入が、いわば「余計なお節介」であるとして批判が加えられている。

また、表現の自由を重視する立場から、パターナリズムに基づく、有害図書や有害情報などに対する規制に対する批判も存在する。

国民の自由である自己決定権を広く認めるのか、ある程度国家の介入を許容するのかという、根本的かつ巨視的な観点からの検討が必要である。

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