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学校評価コミュの専門学校の授業評価と教員問題 ― 高校の先生はなぜ専門学校を「学校」と認めないのか?

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昨日、諏訪にある専門学校の2日間の研修を終えて帰路に立った上諏訪駅のホームで(http://picasaweb.google.co.jp/ashidahironao/OBCsME#)、九州の専門学校の経営者の「二代目」の方から「はじめまして」とメールがやって来た。

彼は九州大学の「人間環境学府」博士課程に在籍とのこと。専門学校の研究をされているらしい。九州大学の「教育」研究といえば、私も何度も取り上げているY教授が有名だが(http://www.ashida.info/blog/2008/12/post_310.html)、そのY教授から、「専門学校にも頑張ってる方がいるんだよ」と私のブログを紹介されたらしい。恐れ入ります(苦笑)。

彼の「二代目」としての関心は、授業評価らしい。「特に、授業評価については、簡単に行っている状況で、芦田先生の授業評価の方法には足元にもおよびません」とあり、はてさて授業評価の趣旨と運営についての質問メールだった。長文に渡るもので、プライバシーにもかかわるから、あえて省略しますが、私はその質問に今しがた以下のようなメールを送りました(一部修正して補っています)。

お答えになるかどうかわかりませんが、授業評価の大枠の思想についてまとめておきます。

「これからの専門学校」経営は、教員人件費をどう縮小していくかです。

これは単なるコストダウンの問題ではなく、単なる資格受験教育をしているにすぎない(難しい資格は学生の基礎学力不足を理由に合格率が低いままに留まっている)にもかかわらず、教員人件費が高いという問題です。

言い代えれば、現在の専門学校教育は、教育目標が低い割に教員人件費が高いわけです。厚労省系の教員要件などは、結構敷居が高いわけですが高いにもかかわらず、やっていることは資格教育にすぎない。どこの大学の医学部で資格試験に命をかけている大学があるというのでしょうか。法学部でさえそんなことはない。

現在の専門学校経営は教員要件と教育目標との関係を考え損ねているのです。

結局、本来の職業教育を行える教員が専門学校に入ってこない。入ってきてもすぐに辞めてしまう。残るのは、担任業務に強い(つまり不良学生のマネージメントに強い)教員=「声の大きい」教員と暗記教育しかできない無能な教員だけです。

専門学校の教育は、企業のキャリアパスを再現したカリキュラム開発ができる教員に1000万円くらい与えて、その教員に教材開発・教材評価と仕上がり評価をさせ、後は400万円以下(場合によっては非常勤)の若い教員+TA(資格対策)で運営するというしっかりとした教員ヒエラルキー(と企業提携によるバーチャルな教員組織)を作るべきです。

資格教育をやりたければ、e-ラーニング+TAだけで充分です。毎年同じような資格教育を卒業前の数ヶ月やっているだけなのですから、そんなものは「合理化」すればいい。

しかし私の言いたいのはそういった意味での人件費問題ではありません。

教員コストの削減は、助成金のない専門学校にとって、めりはりのある教員組織(リアル教員、バーチャル教員含めての組織)を作るためには必須の課題です。特に学生増が見込めない大学全入の嵐が吹き続ける今後の専門学校経営の必須の課題です。

私が授業評価で目指したのは、教員評価の全教職員による共有化です。ヒエラルキー(教員キャリアパス)が自動生成するような仕組みを目指しました。放っておいてもダメな教員は辞めていく仕組みです。教員人件費は10%減少しましたが、一方で「カリキュラムリーダー」という職制を作り、その「教員」は、年齢と関係なく「科長」よりも上の職制を与えました。学校の頭脳だからです。

この職制の最大の課題は、企業提携と就職提携です。それに基づいたカリキュラム開発+達成評価(学生の仕上がり評価)です。専門学校の就職指導は就職部の仕事ではなくて、教務の仕事です。それが職業教育の意味ですから。「就職部」に就職を任せている限り、大学生が望みもしない三流企業の就職しかできません。それを就職「率」でごまかしてきたのが、「就職の専門学校」です。

そもそも東京大学の工学部の就職率は10%以下です。90%以上が大学院進学です。早稲田の理工学部なら、70%前後が大学院進学。大学が就職率が低いのは当たり前です。まともな大学の先生は就職(率)なんか目指していません。大学の就職とは大学院進学のことです。

その上で、「専門学校よりも大学の方が就職率が高い」なんてバカな事を言っているのが「これまでの専門学校」だったわけです。就職「率」も資格合格「率」も、教育力のない教員しかいない=教育の内実のない専門学校教育のごまかし指標の一つだったのです。

学校は教員(の質)が全てです。

私の考えるところ、教員ヒエラルキー(給与体系)は、以下のようになります。

1)カリキュラム開発が出来る
2)シラバス(コマシラバス)が書ける
3)教材が作れる
4)講義授業が出来る
5)「教科書」があれば講義授業が出来る
6)実習授業が出来る(TAクラス=「先生」ではなく「トレーナー」に過ぎない)
7)資格対策授業が出来る(TA以下、eラーニングのTAなみ)

従来の専門学校の教員は、6)と7)にとどまるトレーナー、TAクラスの人間を「教員」と呼んできたわけです。要するに専門学校には「教員」が1人もいないわけです。こんな状態で「学校」と言えるわけないでしょ。

「実習」教員の地位が低い最大の理由は、彼らには教材を作る力がないからです。実習の教材とは「設備」のこととしか理解できないのが専門学校の実習教員の最大の弱点です。

そうではありません。実習教材とは、実習の再現性教材です。つまり設備がなくてもわかったような気にさせるくらいの紙教材のことです。〈実習〉は最後か最初の契機にすぎない。〈理解〉と手が動くこととが同じくらいに高度でないと、実習教育は時間消化型の技能教育にとどまるのです。

この認識がないから専門学校は高度実習が出来ません。「見てろ」型の技能教育にとどまるのです。だからこそ専門学校は時間縛りしかない学校(1600時間)だったわけです(単位制しばりのない学校)。

1994年に「専門士」というタイトルが専門学校に付与されたときに、この時間縛りは相対化され、「試験等により成績評価を、その評価に基づいて卒業認定を行っている」ことがその条件に加わります。単に1600時間から1700時間に時間が10時間増えただけですない。この条文の本質的な意味は、追再試に満ちた出席主義を脱却しなさいという意味です。知的な実習をやれ、という意味です。「理解」と「実技」が高度に一致した実習をやれということです。

見てないとわからないような実習授業を繰り返して、学生がまともに育つわけがありません。「見てないとわからないような実習授業」とは、見ていてもわからない実習授業でしかないのです。「見てろ」は徒弟教育の言葉。実習の教材開発は、設備無しに実践的であるような講義ができる専門性のある教員が指導しないと出来上がりません。

しかし、1994年のこの三番目の条項(条件)を理解した専門学校関係者は全国に1人もいなかった。全国の専門学校は未だに出席主義のままであり、合格するまで行う際限なき追再試を繰り返しています。

結局、専門学校の最大の矛盾は、単なる生涯学習の教育対象である「資格」教育(成熟した受講主体を前提にした消費型の「資格」教育)を「学校教育」の体裁(見かけ)をとって行ってきたところにあります。なぜ消費型のスクールに過ぎない資格教育が「学校教育」の体裁を取れたのか。それは非文部科学省系の厚労省、国交省、一部は経産省のプレゼンス(覇権主義的なプレゼンス)の衣装をまとっていたからです。

高校の先生が専門学校を認めないのは、彼らが、厚労省、国交省、経産省とは何の縁もゆかりもない、文部科学省の秘蔵っ子たちだからです。一流大学卒の彼らの認める資格(クレジット)は「学歴」しかあり得ない。だから専門学校は彼らにとって「学校」ではないのです。それは「正しい」とまず認める必要があります。

このなさけない見せかけの「学校教育」を、どう転換していくのかが、大学全入時代の専門学校経営課題です。答えになったかどうかわかりませんが、質問があればどんどんどうぞ。無料で答えます(笑)。

※追伸 
Y教授に、どこか学会で私に発表させて下さい、と言っておいて下さい。各種教育学会の専門学校論文はレベルが低すぎます。たぶん専門学校を「研究」してもお金にならないからでしょう(苦笑)。最近は「一条校化」問題で、既得権益を保守するために大学の先生も専門学校を少しは研究し始めていますが。その程度の話しです。誰も期待していない分野の研究をしても意味がないのですから。この現状をどう打破するかが、「論文」の課題でなくてはいけません。

(Version 1.0)

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