ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

自己愛コミュの人間関係は承認ゲーム?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
竹田青嗣「哲学ってなんだ」から

ヘーゲルによれば、人間の「自己意識の自由」(私への欲望)には一つの逆説がある。それは、「私への欲望」は自己価値への欲望だが、しかしそれは「他者の承認」ということを通してしか実現しない、ということだ。

人間は「自己価値」を、「他者の承認」によってしか、つまり社会的な「承認のゲーム」を通してしかつかむことができない。

人間関係は基本的に「承認のゲーム」である。他者たちから一定の承認を得ることで、はじめて人は自己価値を確認できるし、また一定の社会的地位を実現することができる。どんな人もこのことを暗黙のうちに知っているので、自己のルールと他者のルールを調整しながら生きている。

簡単に言って、人から愛される資質と能力や才能をもっている人は「承認ゲーム」でまずうまくやっていける。これは不公平な現実だが、いまのところこれに文句を言ってもはじまらない。他者との関係でなざかうまくいかない人は自己自身と折り合っていないことが多く、自己了解を試みてみる理由があるわけだ。

他人の声の中でつねに自己のあり方を配慮しつつ進むということが人間の「承認ゲーム」の内実であり、したがってそこに「関係のエロス」の源泉があるということだ。

友だち関係は「承認ゲーム」という性格を強く持つ。親子関係は親のほうからの一体性の幻想があるので、いわばできない子ほど可愛いといったことも起こる。しかし友だち関係はある意味でフェアな承認関係であるから、さまざまな能力がつねに評価の対象になる。なんでもできる子どもはみんなから一目置かれるが、そうでない子はバカにされたり差別されたりする。

友だち関係はつねに「自己価値」を確認しあい、またそのことに挫折する領域でもある。つまり友だち関係は、楽しさを交換しあうエロス関係であるとともに互いの価値を認めあう承認ゲームである、という本質をもっている。

コメント(14)

他者による承認が不足するとリビドーが自己に向く(自己愛過多?)の状態になるように思います。
自己表現の試行錯誤の中、他者から承認を得る事で培われるのが現実我(自尊心)、他者からの承認と関係無く自己に対する誇大感で満ちているのが幻想我(根拠の無いナルシシズム)、というようにも解釈できるかな、と思ってます。
ひきこもりという現象は、他者との摩擦での自尊心の傷つきに対する恐れや、他者からの承認の供給不足から現実我を放棄し幻想我に固執する現象ではないか、と考えてます。


竹田青嗣「自分を知るための哲学入門」から
ひとは、自分で自分に意味を与えることはできず、ただ他人の視線によって自分の何であるかを決定される。
ひとは誰でも「内面」のうちに他人の知らない「ほんとうの自分」をひそかに抱いているが、生活のリアリティは、いつもこの自分の中のもうひとりの自分を無化するのだ。そこでは自分とは、単に他人が見たところの何ものかでしかなくなる。

個人の中の内的な信念、「正しさ」は、それ自体として生き延ばされても何の意味も持たない。それは、具体的な人間の関係の中でつねにその妥当を試されるときにだけ、またそういう努力の中でだけ、はじめて人間的な信念として意味を持つ。そのように現象学は教えるのである。

自分自身が聴く自分の歌は、他人が客観的に聴いているその歌よりいつもうまく聴えているものだ。これが人間のロマン的幻想のありようである。
東野圭吾「手紙」から
「君たちがどんなにがんばっても、人々のハートを揺さぶることなどできない。なぜだかわかるかい。答えは簡単だ。人々には君たちの曲が届かないからだ。聞いてもいない曲で感動などできない。音楽に大切なものは、それを聞く人間だ。彼等がいなければ、自分たちでいくら納得したものを作っても、それは名曲ではない。いやそれ以前に音楽ですらない。やっていることはマスターベーションと一緒だ」


コピペ改造
「君たちがどんなにがんばっても、人々のハートを揺さぶることなどできない。なぜだかわかるかい。答えは簡単だ。人々には君たちのアートが届かないからだ。鑑賞してもいないアートで感動などできない。アートに大切なものは、それを鑑賞する人間だ。彼等がいなければ、自分たちでいくら納得したものを作っても、それは名作ではない。いやそれ以前にアートですらない。やっていることはマスターベーションと一緒だ」
自己愛性人格障害の診断基準は以下のようです。

DSM―?
□自己愛性人格障害の診断基準
誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる、以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。
1、自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する。十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
2、限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3、自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4、過剰な賞賛を求める
5、特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6、対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7、共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8、しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思いこむ。
9、尊大で傲慢な行動、または態度。

病院の精神科には気軽に通えばいいと思います。
このトピ文および引用文献は人間の価値が関係性の中でしか決定されないとし、

他者との関係性の中に個人の価値問題をすべて埋没させてしまっていると感じました

その場合の価値はあくまで社会的相対的価値について言っているに過ぎません

また、自己愛性人格障害も、この他者との関係性における社会的相対的価値のおびやかしに対して自己を守ろうとするところに発生する病理です

でも、人間にはトピ文や引用文献や自己愛性人格障害が問題としている社会的相対的価値だけでなく

どんな人にも

すべての一人一人に

等しく、疑うことなく輝いている、

美しい本質的な価値があります!!

それに気づき、それを心から確信し味わうことこそ

他者との関係性の中で疲弊し、ささくれだった現代社会の多くの人にとって

何としても必要なことです
人間関係と個人の価値について関係しそうな文章をのせてみます。

内田樹「寝ながら学べる構造主義」
・レヴィ=ストロースによれば、メッセージの交換を行いうることは「人間」であるための必須条件です。したがって精神分析の目的は、とにもかくにも、問いかけと応答の往還の運動のうちに分析主体を引きずり込むことにあります。

今村仁司「暴力のオントロギー」
・価値現象は決してモノから発生しない。価値とは、すぐれて人間的現象である。
価値現象は、ひとりの人間からは決して生まれない。人と人との関係あるいはコミュニケーションからのみ価値現象が生まれる。

村上龍「タナトス」
・人間はコミュニケーションする動物だってよく言われるけどそうじゃないのね、コミュニケーションが人間なのです、コミュニケーションそのものね


共同的なものへの埋没と違う私的な価値に関しては、

竹田青嗣「自分を知るための哲学入門」
・とくにニーチェやハイデガーには、都市の市民社会における大衆文化に対する批判の観点がある。ニーチェは「蓄群」という言葉を使い、ハイデガーは「世人」という言葉を使った。彼はこの「世人」=「頽落」の“構造”を、「空談」、「好奇心」、「あいまい性」という三つの言葉で説明している。
「空談」とは、さして切実なことでもなくとも人々は互いにいつもおしゃべりし合うこと。
・ハイデガーは「死の現存在分析」から、人間の「頽落」(=共同的なものの中へのとり紛れ)というあり方を引き出し、ついでそこでの人間の自己了解を「非本来的」な了解と呼ぶ。そして「死への先駆」(=死の自覚)によって人間はこれとは違った「本来的」な了解のありようを持ちうる、と説く。
・ハイデガーによると、死の不安をよく自覚すること、これは共同的な理解の枠にとどまっている自己了解の可能性を拡げることになるのである。「本来的」な自己了解とは、うその了解に対してほんとうの了解ということではなく、共同的な自己了解の限界を取り払うことなのだ。


78910さん
>また、自己愛性人格障害も、この他者との関係性における社会的相対的価値のおびやかしに対して自己を守ろうとするところに発生する病理です

私自身そんな感じがしますが、自己愛性人格障害は子供のときの母子関係に問題がある事で生じる、という説も正しいような気がします。
両者の関係はどうなっているのか、私には理解できてません。
ミイラ監獄人さん

ぼくが「人との関係性における社会的相対的価値」と書いたのは、

個人が生まれてから放り込まれる他者とのすべての関係性を含むものであって、

当然、家族内の関係性、親子の関係性、母子の関係性を含めて言っています

母親はぼくたちが個人として出会う最初の他者であり、最初に関係性を取り結ぶ相手です

その母との間で十分な愛情や共感や優しい称讚が不足していたり、突然中止されたりすると、ぼくたちのリビドー=心的エネルギーは肥大自我に固執し、それに過剰備給されたままとなり、

リビドーを上手く他の心的構造に移行させることができなくなってしまいます

その場合、ぼくたちは幼児期のこのトラウマに自ら想起によって再接近し、その出来事と母親あるいは父親と自分のすべてを抱きしめ直し、自らの魂を涙と喜びと共に温め直すべきです

自分が人との関係の中で常に価値におびえているのは母親あるいは父親との愛の関係の失敗にあったのだから。

しかし、ぼくが社会的相対的価値と区別して呼んだ人間の本来の本質的価値とは、また別のものです!

ミイラ監獄人さんが追加して引用された文章も、わずかにハイデガーを除いて、どれも社会的相対的価値について言っているものばかりですね

そのハイデガーさえ、十分には言及していませんね
>ゆいさん

はじめまして。

自己愛性人格障害の人は人間として劣っているといった事が書かれていますが、何を根拠にそう言っているのでしょうか?
どの自己愛性人格障害の人を見て言っているのでしょうか?
自分の事を言っているなら、他の人と共通のように書くのは間違いだと思います。
「私は人間として劣っていて病気なんです!」
と言いたいなら別にいいですけど。
誰か気に入らない、見下したい人の中に自己愛性人格障害の人がいて、
その人を想像しながら書いているのかな。
ゆいさんがこのコミュニティに来てコメントを書いた動機は何ですか?
私が作った「境界と侵犯」コミュニティのトピックもここで紹介しておきます。
自己愛に関わるトピックだと思うので。

愚者/凡人/賢者 下位/対等/上位
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50502219&comm_id=1381399
small/big
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=55618042&comm_id=1381399

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

自己愛 更新情報

自己愛のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング