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名画座ノスタルジアコミュの海の向こうの名画座(ロンドンのNFT)

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1970年代はブラジルのサンパウロ、80年代はイギリスのロンドンに、それぞれ数年住んでいました。
海外在中経験を持つ人は、ここにも、沢山いると思います。
住んでいれば、日本の生活と同じ。
音楽会にも行くし、映画も見ます。
そんな海外の名画座の話をしませんか。

まずは、イギリス/ロンドンのナショナルフィルムシアターのこと。
京橋のフィルムセンター(でしたっけ)に当たるようなところです。
在住中は、ここの会員になり、毎月送られてくるプログラムを見て、多いときには月に10回くらい通いました。
ひとつ思い出すのは、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」。
ノーカットです。
日本での封切りはどうだったのでしょう。
黒澤明、小津作品も、よくやってました。

ウオータルーブリッジの傍。
入場料が安かったのが良かったですね。
ただし、字幕はすべて英語ですから、タルコフスキイなどの、難解な映画は、ほとんど理解出来ませんでしたが・・。
日本映画の時は、他の人より先に笑ったりして、憂さを晴らしましたね。

コメント(11)

Claraさん
「ラストタンゴ・イン・パリ」、日本での公開時はボカシだらけ、または、ラヴシーンの上にわざとらしい花の絵を重ねたりしての上映でした。作品に対する冒涜ですよね。
はじめまして、

ぼくは80年代にニューヨークに住んでいて、当時は
しょっちゅうロードショーや名画座で映画を見てました。
いちばん有名な名画座は、ウディ・アレンの「アニー
ホール」にも出てきたthaliaとかfilm forumじゃない
かと思います。

90年代にシネコンが流行りだすまでは、NYや他の
アメリカの街にも個性の強い劇場がたくさんありまし
たが、残念ながら今ではほとんど見かけないですね。

ロードショーの劇場でも今思うとほんとにカッコイイ
のがたくさんありました。

きちんと写真を撮っておけばよかったなあと
今になって悔やんでいます。
Claraさん、
決して堪能なわけではありません。
でも、映画を原語で見るのって量をこなすと
ある瞬間から異常に耳に入ってきたりってことない
ですか?

ぼくがいた当時は、いわゆる名画座で日本映画がかかる
ことはあまりありませんでした。
大島や小津、溝口・・まあその辺りですね。

乱暴な言い方かもしれませんけど、大方のアメリカ人は
字幕付きの映画って観ませんからね。
最近はだいぶ変わったとはいえ、普通のアメリカ人は
今もそうじゃないでしょうか。

だから、NYですらもあまり違う言語の映画を見ることは
できませんでした。

その代わり、ヨーロッパ、特にフランス辺りで再評価さ
れるような60年代から70年代くらいのB級アメリカ
映画はこういう名画座でかなり見ることができました。

話がそれてしまいましたが、日本と同様にアメリカでも
個性のある劇場がなくなってしまい、とても残念です。
はじめまして。

今では時間がなくなってしまいましたが、
以前は旅行に出ると、その土地で映画雑誌(新聞)を買い
☆の数やら、映画評を読んで映画館に飛び込んだものでした。


ほとんどがアジアの町でしたけど、
パリで唯一名画座(?)と呼べるかどうか…、
小さな箱で「Chungking Express(恋する惑星)」を観る機会がありました。
台詞が広東語だったので、北京語の字幕がフランス語と並んでいて
助かりました。

その場所の名前はすっかり忘れてしまいました。
カルチェラタンの一角だったので、そういう小さい場所は
多数あったのかもしれません。

あと少し大きなロードショー館で
マチュー・カソヴィッツの「La Haine(憎しみ)」を。
フランス語だし字幕もなく、セリフがちっとも分からず
かなり苦しみました(^^)

パリにいながらポンピドーセンターに行けなかったのは心残りです。

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