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こどもの教育コミュのよりよい教育のために

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いろいろな方々に

「教育」に関して「何を問題意識として考えているのか」を
教えていただきたいと思っています。

想いがあるならどんな職業の方でも構いません。

『今の小学生の両親が大体「○○生まれが多い」とすると
両親の価値観は○○になっていると思うから
その両親の子育ては○○』
というように自分の考えでも大丈夫です。

「普通に考えてこうなればもっとよくなるよね」
「こういうシステムがあれば便利になる気がする」
という話でも大歓迎です。

「こういうことで悩んでいる」という話でも歓迎します。

難しく
「第三者の審級がなくなって小さな物語の中で生きている。
 しかもそれがシミュラークルなんだ」
と哲学から入っても大丈夫です。


私が皆さんの問題意識を理解して
実際に(行政、企業、学校関係が)その問題解決のために活動しているものは
何があるのかを調べてみます。


そこで、「これをもっとこうしたほうがいい」
そのためには学校と地域と行政がこうしたほうがいい
というアイディアを考えていきたいです。


私は近い未来に
WEBではなく、顔の見える地域のコミュニティ作りをしていきます。
人と人との繋がり方の変化によって生じている問題を解決したい想いからです。
もちろん教育も包括されています。



個人的な意見もあるのですが、
それが万人が思っていることかと思うと
それは違うと思います。


自分だけではなく、皆さんの意見を考慮して
将来なんとかその解決のためのシステムを実現できないものかと考えています。




私は今までそのために教育関係、社会科学関係、まちづくり関係、行政の方々、また関心のある学生にお話を聞いてまわり勉強させていただいてきました。

もっともっとお話を聞いて皆さんから勉強したいと思っています。
個人的な漠然とした不満や問題意識でも大歓迎です。

必ず将来行動していきます。


本当は座談会をしたいのですが、
座談会だと集まらないかなぁと思うので
メッセージお待ちしています。


もし、話に来てくださるのでしたら
現在、試験的にコミュニティカフェを開いています(二月までです)。
表向きに喫茶店のような場所になっています。
(まったくお客さんもいないレンタルスペースなのですが)
お話に来ていただけたら嬉しいです。
事前に興味のあることを言っていただければ
いろいろと情報を調べたペーパーを用意できますのでお願いします。

東京都武蔵野市吉祥寺南町2−13−4ユニアスオフィスワン
(へんてこりんな建物の地下1階の「堂楽カフェ」です。
もし本当に話しに来ていただけるのでしたら
 メッセージを頂ければストリートビューのようなものを作ったので送ります)

2月くらいまでコミュニティカフェを開いていますが、
家賃が払えなくなったら土日だけにしていきます・・・。


他にも社会科学系や医療関係のコミュに同様の内容のものを
書く予定です。

コメント(77)

学会での携帯電話の使い方で、なかなかスマートな方法があります。

 (僕が見たものは、あるひとの試作品で、このようなもの
  が市販されているかどうかまでは知りませんが、ちょっ
  と紹介させてもらいます)

講演を聞いている時に、聴衆が携帯からメッセージを入れると、それ
が講演者のパソコンの画面に現れ、講演者はそれを参考にしながら講
演を進めることができ、講演者が必要と考えた時には、そのメッセー
ジをプレゼン画面にも出せるというものです。
投票システムも組み込まれているので、聴衆全員に4者択一などのア
ンケートをとり、その結果を講演に反映させることもできます。
手を上げて質問するのが恥ずかしいと感じる人も自由に質問できるし、
講演者は、すぐに答えなくても、適切なタイミングで、その質問やコ
メントを参照しながら講演をアレンジしつつ進めることができるので、
その講演のクオリティを上げることができます。

このようなシステムは、小中学校の先生にも、とても使い甲斐のある
ものだろうなと思います。

でも・・・
昔から「内職」と言う言葉がありましたね。
授業中に携帯電話を使わせると、その画面は本人にしか見えないので、
小中学校でこの方法を実行するとなると、内職が問題になる(それを
どう取り締まってくれるのかと迫ってくる親の存在も問題になる)の
かも知れませんね。
   
>授業中にmixiにアクセスする場合
>「皆がアクセスすると授業が成り立たない(学力に影響)」
>「集中力が低下する」
>など、他に現場の解答をお願いします。

>また、
>学生がmixi以外に何かアクセスしたりする王道がありますか?

授業が成り立つかどうかは,学生(児童,生徒)の質と教員の力量による
ものが大きいです.また,初等,中等,高等のどのレベルでの導入かにも
よりますので,一概には言えません.

幸か不幸か,ネットトラブルが良く起こる環境にいましたので,
コンピュータ使用でも,ネットに繋がることを前提とした授業はしていません.
というわけで,学生には「ネット禁止」と宣言して授業を行います。
真面目な学生が多いので,守られているようです.
もっとも,物理的に繋がっているため,
隠れてネットにアクセスしている学生はいます.
以前はmixiが多かったのですが,ここ数年は謎です.
何が楽しいのか理解不能なページにアクセスしています.

大抵は黙認できる程度で問題はないですが,
ある年だけ酷い状態だったことがあります.
(真面目なのは数人で,殆どの学生が授業とは関係のないことをしていました.)
>>三四郎さん
ありがとうございます。
材料ならどんな情報でもよいので大丈夫です。

物理など、定性的な理解を深めるためのwebサービスとして使えそうですね。
まだ技術を応用しつくしてない感が漂っていますが・・・
可能性を感じますね。
参考になりました。
>>にゃーさん
>>授業はちょろっとだけ使い方を教えるくらいで、
>>あとは休み時間でも放課後でも
>>好きな時間にいじれる端末を用意しとけばいいんじゃないかなーとか
>>思ってみたり。

とても面白いですね。
様々なアプリケーションをインストールしておいて
自由に遊べる(作れる)端末があったら私も楽しかったかもしれません。


それと、教育の中でも授業に限定した使い方に絞って頂いたので
私が思うことを書かせてください。

授業(←教育の一部としています)の意図 以外での
コミュニケーションツールの使用は「集中力」に影響するのかなと想像しています。
「授業」という時間内に、まったく違う影響(感情でもいいです)等を受ける情報に
短期間に触れたり離れたりすると
ひとつのことをやり続けるという集中力が身につかないのではないかと
安易ではありますが、漠然と感じます。

なんでもないような積み重ねの中に集中力の基ってあるのかなぁと感じますが
いかがでしょうか。
>>hiroさん

六本木ミッドタウンの旧防衛庁跡地に
現在「21_21デザインサイト」という施設があります。
企画展が周期的に行われるの場所なのですが、
4つほど前の企画展で「water」企画展というものがありました。

その時に見たもののひとつに
"あるアドレスにメールを送信すると
その内容がプロジェクターから照射されて
水(滝)のように文字が落ちてくる"というものがありました。

hiroさんの話は初めて聞きましたが、
それを踏まえると
「携帯からの内容をDBに入れてから何かテクニカルなことをしますよ」
という操作はなんでもできると考えられますね。
これは発想によってはとても斬新な講演会、授業、プレゼンができそうだと感じました。

もし、内職を禁止するのでしたら、
はじめにあるコンテンツにパスか何かを入力させてしまい
そのコンテンツを開き続けないと参加できないようにすればいいのだと思います。
これは簡単にできそうですね。

幅広い視野で見ると、
「内職する経験」も結果的に教育になったりしているのだと思いますが、
でも幅広い「機会」を与えるという意味で
ICTを使う斬新な教育(見せ方や予期せぬ効果も含めて)は面白いと思いました。
ありがとうございます。
りーさーさん
>>ある年だけ酷い状態だったことがあります.
具体的に何年生まれの生徒だったか思い出していただけませんか?
どうしても知りたいのでお願いします。
1年くらいならアバウトでもかまいませんので・・・。


>>真面目なのは数人で,殆どの学生が授業とは関係のないことをしていました
このような状態になる原因って
本当に些細な友人の行動から広がった結果だったりしますよね。
個人的にも・・・耳が痛い話で記憶にあるかもしれません。

授業中「ネットが禁止」ということは
ネットが許可されているところもあるのですか?
時代進んでいますね・・・。
なんとなく思ったことを書きます。

皆さんツイッターをご存知かと思います。
最近新聞でもネットでも良く聞くSNSですよね。

ツイッターを想像して下記を見てください↓
例えば小、中学生の下校時に
その下校のおおよその通学路近くに住む住民が
子供に「おかえり」などの発言をかけ、
それを下校時に学生が見れたり会話したりできるようなサービスがあれば
広義の教育となりえるのではないかと思うのですがどうでしょう。

(管理するのはどうかという問題があるかもしれませんが↓)
住民はGPS機能で正確ではないにしても多少大雑把に学生の位置を把握でき、
その学生に向けて発言をできるようにするということです。
発言する住民が皆善人とは限らないので
ここは匿名性を無くし、
どこの誰か(学生は分からないけれど管理側で)分かるようにしておきます。

使い方によっては教育や安全のために使えるのではないかと思うですが
いかがでしょうか。

それとこれに加えて、
本当はSNSではなく、本当に声をかける方が良いとも思います。
ここもどう思われますでしょうか。
>具体的に何年生まれの生徒だったか思い出していただけませんか?

1985年生まれぐらいですかね.

たまたまですから,一般化できないと思いますけど.

>ネットが許可されているところもあるのですか?

ネットが許可されているのではなく,常に繋がれた状態にあるので,
ブラウザを立ち上げればWebを見ることが出来る状態になっています.
ハブの電源を切れば,ネット接続を切ることはできます.
ゲームについてはどうしようもないですが.
>>リーサーさん
>>ネットが許可されているのではなく,常に繋がれた状態にあるので,
「情報」のような授業ですか?
国語や数学、英語の時も随時かと思っていました。
それとも今は教室にPCが・・・?



>>1985年生まれぐらいですかね.
>>たまたまですから,一般化できないと思いますけど.

いいえ。ありがとうございます。
とてもとても重要な話でした。
先日このコミュを見て私のお店に来ていただいた方と話した時に
私が発言したのですが、
「1985年生まれが世代の価値観の転換期だと体験的に思う」と
ピンポイントで話しました。
また、まちづくりのフィールドで幾度となく発言してきたことでもあります。

聞けてよかったです。
もうひとつ平成にもありますが割愛します。

少し趣旨とずれるかもしれませんが書かせてください。↓

これも体験的なものなのですが、
まちづくりや社会的課題を解決したいと思っている方は
1981〜1984年生まれの方が多いです。
私は実際に会社やNPOに足を運んで勉強させていただくのですが、
この年代に多くお会いします。
(私もその年代ですが)
もっと具体的に言うとこの年代の地方出身者です。

恐らく、開発前と開発後の変化を見るに多感な時期を過ごしたからなのかなと
勝手に想像しています。

85年以降は「言葉」に
翻弄される方が多いように思っています。
(言葉のシニフィエの認識が乏しいと言うか・・・)


また、私の後輩が言っていたことなのですが、
『「後輩を見ると(つまり後輩の後輩ですね)
?如何にひとつ前の発言に対してうまいことを言うか」
?「如何に単純なキーワード(情報、偶然、経験なんでもetc)で理解したり、結果がでることを望んでいるか」
この二つを感じる』と言っていました。

この時にふと思ったのですが、
「?が掲示板的で、?がGoogle的だな。」と感じました。
ここでコミュニケーションツールが価値観に影響を与えるというこじつけに
持って行きたいのですが、
私は多少なりとも本当にそう思っているところがあります。

個人的には対面でのコミュニケーションが好きなのですが
好き嫌いではなく、今後侵食され、必要になり、影響を与えるものかと思いますので
WEBをテーマにした背景もあります。

もちろん、単純に「こういうサービスがあったらいいな」という思いもありますが・・・。

趣旨と違う長文ですみませんでした。
41> yamaさん

集中力ということに関して言えば、授業を聞いたり授業に集中したりすることが必要なのではなくて、何でもいいから何かに集中するということが必要なんではないかなと思います。

つまり、授業など全然聞かないでゲームやネットに勤しんでいるのなら、それはそれで集中力はつくんじゃないのかな、ということ。

そもそも、学校で習う程度の内容なら、好きで得意なら、学年にもよりますが、1週間〜1ヵ月くらい集中すれば教科書数年分くらいは学習できる子もいますしね。

逆に言えば、学校で習う程度の内容に対して本当に必要な「集中した時間」なんてのはその程度あれば十分で、それ以外の時間はぽけ〜っとしててもいいんじゃないかと。

授業にしたって毎回聞かなきゃついていけないようなカリキュラムにはなっていないはずですし。
(もしそうなら風邪で休むことすらままならないですし。)

だいたい、「集中力」というのは「忍耐」からうまれるものではなく「好奇心」からうまれるものだと自分は思ってますし、そうだとすれば、興味を持てなかった授業を聞き続けるよりは、たとえそれがゲームやネットであったとしても、もっと興味を持てるものをやってる方が集中力の養成にはいいんじゃないかと思うのです。
47に追記。

つまり、ちまちま高が1時間や2時間だけ集中するんじゃなくて、どうせやるなら数日〜数週間程度はぶっ通しで集中した方が、いろんなものが繋がって見えることもあるんじゃないかなーと、何度かそういう経験をした身からすると思うのでした。

ま、「そんな奴はまずいないからむふっ」とか言われそうな気もしますがw
授業は情報であります.

ちなみに「ネット禁止」というのは,
授業に関係ないことをしているのが,けしからんから.という理由ではなく,
こちらの気が散るから,および,
1人で40人以上も見るのは大変だから,暇なら困っている奴を助けろ.
という意味であります.

ネットに限らず,学生が内職するのは,
私の話よりも内職の方が重要と判断しているわけで,
重要なことに従事している人の貴重な時間を奪う趣味は私にはありません.

だから,内職を見つけても,私や学校および他の学生の迷惑にならない限りは、
とくに注意もしません.
授業は情報であります.

ちなみに「ネット禁止」というのは,
授業に関係ないことをしているのが,けしからんから.という理由ではなく,
こちらの気が散るから,および,
1人で40人以上も見るのは大変だから,暇なら困っている奴を助けろ.
という意味であります.

ネットに限らず,学生が内職するのは,
私の話よりも内職の方が重要と判断しているわけで,
重要なことに従事している人の貴重な時間を奪う趣味は私にはありません.

だから,内職を見つけても,私や学校および他の学生の迷惑にならない限りは、
とくに注意もしません.
コミュニケーションツールの目的は、何なのでしょうか。

コミュニケーションツール”は、理解する”ための物ではないでしょうか。

例えば、今話題になっている”結婚詐欺”もあります。
何故、詐欺にかかるのでしょか。

学問もこのように考えれば、コミュニケーションツールです。

人によって、”理解しようとする”対象物が違っています。
価値観も同様に個人が求める対象物か、社会が求める対象物か、によって、
捉え方も変わってくると思います。

しかし、現状、コミュニケーションツールは、いかに他人を誘導するかがメインに社会的、学問的に研究されて、活用されているように見えます。
これが、成功しているところが勝者となっているように見えます。

”ほんとうの理解”のために、研究・利用されていないように見えます。
経済危機も、これが出発点ではなかったでしょうか。
>>47にゃーさん
「集中力ということに関して、
何でもいいから何かに集中するということが必要なのではないか」
とのことですが、

私は好きなことなら誰でも集中はできると思うのです。
高校生以下くらいの場合、サッカーが好きならサッカーに、
英語が好きなら英語に、好きな子がいるならその子の話に、
小説が好きなら小説に、ゲームが好きならゲームに、
集中することができるのは・・・それはできることだと思うのです。

しかし、この先、小学校を離れ中学校を離れ・・・・と生きていく中で
集中する対象が「ゲーム」なのか「授業」なのか「興味の沸いた異なる分野のもの」なのか、「葬式の際に弔辞発言に選ばれ必死で言葉を考えること」なのか、はたまた恋愛なのか・・・
グラデーションのように集中する項があると思いますが、
好む好まざるに関わらず、集中を余儀なくされる環境に必ず出会います。
むしろこちらのほうが多いかと思いますし、
好きではない環境に意味を見出して集中する機会の方が多いかと思います。


学校とは勉強を教えるだけの場所ではもちろんありませんが、
苦痛な環境の中においてそこに意義を見出す力や
ただ単に無難にやり過ごす力や、ただ単に耐える力や
「自分ならこうやって進めるのに」と想像する力や多くの要素を
学び、気づき時に反面教師的にも学ぶことができる場に
"結果としてなっている"と思うのです。

好奇心から集中力が生まれる→好きなことに集中すればよい
              (授業中のネットでもよい)
というものも、それを目的にするのならもちろん正しいと思います。
ただ、授業中のコミュニケーションツール使用は
"結果としてなっていた"多くのものを変えることがあるのだと漠然と思っています。
なのでその使用方法を多少考える必要があるのかなぁとも思い、
発言しました。
言葉足らずでしたが、41発言の集中力とは「好き嫌いに関わらず集中する力」と考えてください。。
>>リーサーさん

授業は「情報」ですね。
全てつながりましたありがとうございます。
>>はるさん

「コミュニケーションツール(携帯やPC)の違いによって、コミュニケーションの相手や、コミュニケーションの仕方に違いが生じ、それが社会的信頼感、互酬的規範の違いにつながるという研究がある」
これに沿って考えて見ます。

価値観とは相対的ですが、ここでは
"ある対象に対する行動や考えの妥当性を決める指標"だと思うことにします。
はるさんは
価値観は『ある対象に対する価値判断』という意味で色々あるのか
価値観が「情報感」や「社会観」を包括するという意味で色々あるのか
どちらの意味で使っていますか?
文面から後者だと思いますが

どちらでも構わない様にマクロで言ってみます。
つまり価値判断を単一ベクトルとして、
その和のベクトルが価値観だと思ってください。


というわけで
価値観="ある対象に対する行動や考えの妥当性を決める指標"としてみました。
(もっとこういうのがいいよというものがあったら提案して下さい。条件でもいいです。)


この指標ですが、子供のころから一人で部屋にずっといるだけでは
もちろん身につきませんよね。

また人がまったくいない世界で生活したとしても
この行動が良いのか悪いのか、つまり妥当性を担保する指標は身につきませんよね。
(人の家の敷地と自分の敷地の概念なんてないわけですから・・・。
子猫がかわいいというのも小さいころから絵本や様々なお話を知らず、
 実際に歩いて鳥とか捕食してるところしか見たことがなくて
 さらに追いかけられたりしたらもう怪物の子供です。)

なので、人とのかかわりの中で身につくものかと思います。

そしてその関わりの主たるものは「コミュニケーション」かと思います。
(ここまでは強引でもないかと思いますがどうでしょう。)

そして
言語、非言語関わらずコミュニケーションから価値観が、
つまり
「ある対象に対する行動や考えの妥当性を決める指標」が
構築されると考えます。

なので、コミュニケーションの方法(ツール)が
人と人とのダイレクトな会話→
文字を土に書いて記しておき後から見れるようになった→
俳句とかでやりとりするようになった→
電報→電話→PC、携帯と変化することは
価値観を構成する要素の伝達の仕方や概念が変わってくるので
もちろん価値観自体も変わってくると考えられると思います。
web1.0→web2.0の変化も大きいと思います。
むしろweb2.0になって初めて著しく価値観に影響を与える要素が増えたといえるかと思います。

web2.0の定義は忘れてしまいましたが
(もともと無いのですが、敢えて言うなら、という定義でしたけど)
単純に言うと「ユーザー側から発信してサイトを作っていくかどうか」ですよね。
なので、HPの閲覧がweb1.0で
mixiやOkwebやlococomやツイッターやニコニコ動画などがweb2.0ですよね。
そういう意味で使っています。
なので""コミュニケーション""色が強くなったツールになったのは
web2.0からとも思います。
(サーバー提供できるようになったというのはその技術的なところなので
ここは結果だけ切り取ってしまって言いと思います。)

携帯とのWebの融合がよりいっそう強くなることで
3.0となっていくのか分かりませんが、
(i-phoneなんかはweb2.0を既に超えているような・・・)

その兆候を加速するものとしてツイッターなどは
(個人的には使いにくくて・・・もうついていけなくて
ある意味で使えないのですが、頑張って)注目しています。

続きます。
>>はるさんへ続き

「情報観、コミュニケーション観、社会観」の部分ですが
これらは価値観に包括される等価なものですよね。
そのそれぞれにコミュニケーションツールが影響を与えているのは
感覚的にそうなんだと思いますが、
個別に考えてもその相互の影響などを考えないといけないので
個別で考えることをやめてしまって価値観を(先ほどの)
「ある対象に対する行動や考えの妥当性を決める指標」としてしまえば
"価値観"とひとつに克服できるような気がするのですが、いかがでしょうか。

それと一応はるさんのモデルですが、
今、媒介変数を使った数式で表そうと今まで努力してみましたが
挫折しました。
もう一度トライして式ができたらメッセします。
今は流してください。
>>三四郎さん

>>コミュニケーションツールの目的は、何なのでしょうか。
>>コミュニケーションツール”は、理解する”ための物ではないでしょうか。

例えば「会話をするため」といったとして
「会話の内容を理解するため」ということですか?
またコミュニケーションは会話も含むかと思いますが、
それ以外のweb2.0のような情報ツールをはどうなるのでしょうか。
具体的にはツイッターはどうなるのでしょうか。
確実にコミュニケーションツールですが、「理解」と当てはまらないものもあります。
私が理解できていないかと思いますので
もう少し具体的に言っていただけますか?
理解が足らずすみません。


>>例えば、今話題になっている”結婚詐欺”もあります。
>>何故、詐欺にかかるのでしょか。
 ↓
>>学問もこのように考えれば、コミュニケーションツールです。
ここの流れも本当にすみませんが
詳しくお願いできますか?
「このように考えれば」の部分を詳しくお願いします。
ここ何日間かの議論は
  コミュニケーション

  コミュニケーションのためのツール
がゴッチャになっていたり、その本末が転倒していたりしているよう
な気がするのは、僕だけでしょうか?

「コミュニケーションツールの目的」という表現が使われていますが、
ツールの目的は、何かを達成することを助けるということにあるはず
です。それだからこそツールと呼ばれるのではありませんか?

「コミュニケーションの目的の達成を支援することが「コミュニケー
ションツールの目的」である筈なのに、「コミュニケーションツール」
そのものが、本来の「コミュニケーション」とは別に、そのツール自
身としての「目的」を持っているように話されているのが、僕には奇
異に思えてなりません。

いかがでしょう?
 
 
もうちょっと補足すると、例えば
 >コミュニケーションの方法(ツール)が
 >人と人とのダイレクトな会話→
 >文字を土に書いて記しておき後から見れるようになった→
 >俳句とかでやりとりするようになった→
 >電報→電話→PC、携帯と変化する
という表現がありましたが、ここも「変化する」ではなくて「多様化
する」であって、【人と人とのダイレクトな会話】の重要性は、なに
も変化してはいないと、僕は思うのです。

言い換えるなら、本質は「人と人とのダイレクトな会話」であり、そ
れを補助したり補強したりするためのものが、各種の「コミュニケー
ションツール」である筈なのです。
 
今書いたような印象を持った一方で、はるさんが51番で書かれた
  > 実際に、コミュニケーションツール(携帯やPC)の違いによっ
  > て、コミュニケーションの相手や、コミュニケーションの仕
  > 方に違いが生じ、それが社会的信頼感、互酬的規範の違いに
  > つながるという研究もなされています(例によってこれも心
  > 理学や社会学の研究なので、傾向程度とお考えください)。
ということに関しては、確かにそういうことがあるなぁとも思います。
ちょっと質問させて下さい。

コミュニケーションツールの違いによって、コミュニケーションの仕
方に違いが生じるということは、そのまま理解できます。
でも、コミュニケーションツールの違いによって、コミュニケーショ
ンの相手に違いが生じるとは、心理学や社会学の研究では、どのよう
なことを指して言われているのでしょうか?
また、それが社会的信頼感、互酬的規範の違いにつながるというとこ
ろについて、心理学や社会学の研究の内容を、もう少し事例を交えて
説明して貰えませんでしようか?
 
はるさん、
説明ありがとうございました。

61番と62番を読んでですが、僕もはるさんが62番で書かれている
ほうの見解に賛成です。
つまり、コミュニケーションツールが、その利用者を変えるのでは
なく、利用者が自分に合うコミュニケーションツールを選択して行
くということが基本的にあるのだろうと思うのです。

ただ、そうでないことも起きつつあるなと思う面も、もちろんあり
ます。PCメールで作られると社会的ネットワークとは少し違うなぁ
と感じているのが、2チャンネルを代表とする匿名性が高いと参加
者が感じている掲示板です。

 (僕は、これをコミュニケーション・ツールとは呼びたくは
  ないのですが、このトピックで話されているコミュニケー
  ション・ツールの範疇なのでしょうね、きっと)

ということで、話を続けますが・・・
掲示板という場では、信頼感や寛容性が高いというのとはちょっと
違う、盲目的に騒ぎに参加するという傾向があったりすると思いま
す。そういうことについては、心理学や社会学の研究で何か明らか
にされつつあったりするのでしょうか?
 
はるさん、
とてもいいインタビュー記事の紹介ありがとうございました。
特に以下の分析のあたりを、興味深くよみました。

  > サイバーカスケードが起きるときには、少なくとも3つくら
  > いのゲームが関わってきます。毎日デイリーニューズの
  > 「WaiWai」の件で言えば、政治的な理由を持ち込み、自分
  > 達にとって利益になるかどうかでその対象を観察する者。次
  > に、「私たちの自尊心が損なわれた」「もう海外に行けな
  > い」といったように、快であるか不快であるかで憤る者。そ
  > れとはまた別に、とにかく毎日新聞が叩かれる様子を「ざま
  > あww」と楽しむ者がいる。
  > それぞれ目的や行っているゲームは違うのだけれど、使われ
  > ているボキャブラリィは表面上同じ。それらが、「WaiWai」
  > は是か非かといった議題の元に収斂されていった時、大きな
  > ひとつの流れであるかのように見えるようになる。そうやっ
  > て一度はじまったカスケードは、その目的を叶えるためだけ
  > でなく、その行為そのものを継続することを目的化もします。
  > だからなかなか終わらない。
 
それと、インターネットは、コミュニケーションを媒介する
ものであるという捉え方の部分、とても参考になりました。
(掲示板を除外して考えようかとしていた自分を反省です)

  > メディアの特徴は、コミュニケーションを媒介するところに
  > あります。テレビやラジオは、マスコミュニケーションと呼
  > ばれるように、コンテンツを通じて発信者と大衆(マス)を
  > 結びますが、インターネットの場合それだけでなく、すべて
  > の人と人とをつなげていく。その過程で、人が潜在的に抱え
  > ているような欲望を顕在化させる働きが生じます。これが形
  > 式的な特徴です。
  >
  > その中にはもちろん、ネガティブなものも多く含まれる。で
  > はそれらから、内容的な共通性をもつ特徴を見出すことは可
  > 能かと問われれば、それは難しいと思います。
  >
  > 例えば同じメディアでも、テレビやラジオであれば、媒体ご
  > とに扱うコンテンツの優先順位をつけることは容易です。速
  > 報性や重要性、著名性、事件性といった要素が関わって、
  > 「テレビ的空間」を作り上げている。
  >
  > 一方のインターネットは、利用する人それぞれのニーズに合
  > わせて優先順位がカスタマイズされます。たとえば、声優好
  > きな人は、声優に関する情報ばかり取得し、発信します。リ
  > ストカットやオーバードーズといった実存にかかわる問題を
  > 抱えている人なら、自分にとってやさしい世界をネット上に
  > つくることができます。当然、SNS上で繋がる人のタイプや
  > コミュニティも、人によってばらばら。
  >
  > マスメディアのように明確な優先順位のないインターネット
  > を通じて行われるコミュニケーションは実に様々で、そのコ
  > ミュニケーションのどれを取得するかは個人に委ねられてい
  > る。そうである以上、ネット空間をひとつの意味づけで捉え
  > ることは不可能です。
 
この
 > インターネットにおけるコミュニケーションの特質は、自分
 > の価値付けを基準に世界を観察し、構築することができるこ
 > とにある?
という記者の問いかけに対する答も、とても参考になりました。

  > それは元々コミュニケーションが持っていた性質です。しか
  > しウェブ上だからこそ、欲望の多様性が確保され、これまで
  > はあまり発言しにくいような意見だろうと同意を得られたり
  > はします。そういう、既存の社会では叶えがたかった欲望を
  > も容認してくれる一方で、選択的に世界観を凝り固める行動
  > の結果、排除行動も頻繁に観測されることになる。
  >
  > 世界観を構築していく過程では、自分の価値観と相容れない
  > ものが必ず生まれています。相反する価値観と衝突したと
  > き、それを排除しようとする働きも露骨に現れます。これは
  > ネット上に限らず、学校や会社といったオフライン上のどの
  > コミュニティでも観察されます。
  >
  > 学校だと、オタク系はギャル系の子を苦手とし、自分たちが
  > 話しかけることのできない存在であり、かつ性的な存在でも
  > あり、さらに発言力がでかくて自分たちを抑圧する存在でも
  > あると認識しがち。だから嘲笑の対象にしておくというよう
  > な言説やゲームがその人たちの間で始まったりします。「あ
  > いつらは俗物だ」といったように(笑)。
  >
  > 今のは誇張した例えではありますが(引き合いにだした「オ
  > タク系」の子、ごめんね!)、教室のたかだか30人くらい
  > の集まりの中でさえ、自分たちの持っている語彙体系から、
  > 他者を排除する行為が生まれる。自分とは絶対に相容れない
  > 人との遭遇で生まれるノイズを消去したくなる欲望も生まれ
  > ます。より多くの他者と遭遇することになるウェブ上では、
  > より多くの排除行動も目に留まりやすい。
  >
  > ネットで起きている炎上や祭り(注1)も、もとからあった
  > コミュニケーションに関する欲望が、ある場面で肥大化した
  > せいではあっても、ネットがつくったわけではありません。
  >
  > ただ、多くの排除行動同士をつなげていった結果、形式的に
  > 巨大なものになることもありますし、その形式自体を楽しむ
  > 人たちも出てくる。「ネットで炎上させること自体が楽し
  > い」というユーザーも、そこでは少なからず生じてきてしま
  > います。
 
もう一つ、「教育」というキーワードで話されている部分が
ありましたので、それも引用させてもらいます。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
社会では、自分のやりたいゲームを選択することを推奨していても、学校では、それぞれの合理性を楽しむといったキャラクターの使い分けではなく、人格に一貫性があることを前提とした教育が行われています。
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理想的であるかどうかとは別に、それは端的に現実的ではない。先生だって、一貫したコミュニケーションを行ってるわけではないですし。

実際、ネットなどのメディアと、旧来的な「成熟」のモデルは、かなりミスマッチを起こしていますね。日本の教育モデルの古さは、いまだに擬似的な親子関係を教師と生徒の間で構築しようとするところ。教師は親のように尊敬され、教科だけでなく全人格的な能力を教える存在だというわけですが、それは今やかなり困難なモデルです。

もちろん、タテマエとしてはある種の「オトナ観」を語りつつ、ホンネの部分で、複数の合理性を生きていることを教えていればいいのですけど。
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>>hiroさん
>>「変化する」ではなくて「多様化 する」であって、
>>【人と人とのダイレクトな会話】の重要性は、
>>なにも変化してはいないと、僕は思うのです。
その通りだと思います。
変化したらなくなってしますからね。
多様化するの方が表現として適切かと思います。
「そして人と人とのダイレクトな会話の重要性は変化していない」
ということですが、
それどころか情報ツールを使った会話よりもダイレクトな会話の方が重要だと思います。
hiroさんも同様の認識かと思うのですがいかがでしょうか。
会って話すことで必ず目にする非言語でのコミュニケーション(人の表情やボディーランゲージ等)が教育を考える上で大切かと思います。
それと議論がいくつか階層的に分かれていますが、
枝分かれしてもその先に私の個人的な材料があるかもしれないので、
すみませんが見守ってください。

コミュニケーションツールですが、
広義で扱っています。
ツイッター等はもちろん、SNSやファイル交換ソフトも
コミュニケーションツールとして研究されていますので、
それに合わせていると認識お願いします。
>>「コミュニケーションの目的の達成を支援することが「コミュニケー
>>ションツールの目的」である筈なのに、「コミュニケーションツール」
>>そのものが、本来の「コミュニケーション」とは別に、そのツール自
>>身としての「目的」を持っているように話されているのが、僕には奇
>>異に思えてなりません。
とのことですが、
もちろん、情報技術の革新前のコミュニケーションの
地理的、時間的制限の克服の延長線上にあるというところのみを
(つまり最も基本的で重要だと思われるダイレクトな
 コミュニケーションの延長線のみ)
を重視するのなら
コミュニケーションの目的の達成を支援することが
「コミュニケーションツールの目的」かと思いますが、
情報技術の発達によりあれもできるこれもできるというように、
「コミュニケーション」としていたものが変わってきているのだと思います。
なので、現状で従来のコミュニケーションを振り返ると
コミュニケーションツール自体が何か別の目的を持っているように思われる。
(というよりもそうなってしまっている)のではないのでしょうか。

上記はどうあれ、個人的には
コミュニケーションツール(情報ツールといったほうがよかったかもしれません)
が二次的にも三次的にも考え方や価値観に影響を与えると仮定して、
ではどのような情報ツールがあれば、
もしくはどのようなweb2.0の使い方をすれば
よりよい教育(単に教科を教えることから皆が漠然と思う"健全なパーソナリティの形成"まで)
にからめることができるのかが興味のあるところです。
またしても話を変えてしまうのですが、
ふっと思ったことなのです。
お時間が許す方はお付き合い下さい。

例えば、都内でも(具体的には赤塚等)の学校では、
小学校の教室がかなり空いているところもあります。
学生の人数が少ないためです。
この空き教室を利用して
地域の方と学生と学校側が何らかの形で連帯をするのは
非現実的でしょうか。
>>はるさん
そうなんですよね。
"連帯"は別として使用しているところはあるんですよね。
どのような経緯で防犯や危機意識等を克服して
限定的でも開放するに至ったのか・・・
とても気になります。

ふらっと現れた誰かが
「こんなことやりたいんですけど」と学校に話に行った所で
実現するものでもありませんし、
それが例え地権者でもうまくいくとは限りませんし、
学校側からの提案を待つには不確定要素が多々ありますし、
教育系やまちづくり系NPOは確かに学校には関われますが
関わるに至っては運などがあるんですよね。
(私がお世話になっているNPOがそうです。)


地域のサークルに貸している学校やNPOの活動ケースなどを
まとめてある文献などはご存知ですか?
(欲を言うと全て調べたいのですが。あまり多くはないと思いますので。)

先日、立教の21世紀社会デザイン研究科の修士論文を閲覧しに行きましたが、
複写の禁止はもちろん、見れるものと見れないものがあったりと骨が折れます。
しかも全て見終わって「書いてない」と分かったときの喪失感ときたら・・・。

地域の方が学校に入ることでもちろんそのまま連帯できるわけではないと思いますし、実際に現在に地域住民が学校を使っているところのほとんどが"連帯"といえるものを生み出しているとは言えないと思っています。
少なくとも私は"もう少しミクロな目的を達成するために学校を使用している例"しか知りません。
それでも地域が学校と関われる機会が増えることは教育の面で
良い材料に成り得ると思っています。

パーソナリティの核のようなものが幼少期に作られるのなら
その過程で子供が何に影響を受けるかと考えると
それは家庭での教育、学校での教育、地域での教育だと思います。
なので、家庭と学校と地域の各々の組み合わせで実現する"広義の教育を目的とした場"は意味がないものとは思えないのです。
>>はるさん

参考になりそうです。
ありがとうございます。
ここから少し広げて活動してみます。
学力別という言葉じゃなく個性別であったらいいのに

集団でいる状態がきつい子もいのです
人との関わりは、心の関わりです。
 
もちろん知識や理論は必要とは思いますが、もし、小学校などの空き場所で子供達や地域コミュニケーションを目指すなら、理屈は後に置いておくのが無難です。
  
難しいことは考えないで、
もっと感覚に、遊びの中で付き合うことを大切にしたほうがいいかと思います。
 
と、人と関わる仕事を専門とする自分からの一言です。

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