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聖書が教える結婚講座コミュの特別特集 クリスマス

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コミュ内全体

こんにちは!安藤修一です。
 急遽、「息子からクリスマス特集号を書いてくれ。」と言わ
れ、今週は、クリスマスについて、書くことに致しました。夫
婦十戒の第三戒を楽しみにしておられた方もおられると思いま
すが、お許しください。来週、お話しさせていただたいと思い
ます。

説教題 「クリスマスの素晴らしい喜びと平和」
聖 書  ルカ2章1節〜20節  
 「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝ア
ウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった
ときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録の
ために、それぞれ自分の町に向かって行った。

 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムとい
うダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋
でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもい
っしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる
間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布
にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所が
なかったからである。
 
 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊
の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来
て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御
使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこ
の民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょ
うダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれにな
りました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくる
まって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが
、あなたがたのためのしるしです。」

 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍
勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が
、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあ
るように。」御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼
いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主
が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そ
して急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられ
るみどりごとを捜し当てた。それを見たとき、羊飼いたちは、
この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人
たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。しかしマリヤは、
これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。羊飼
いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだった
ので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」
                    (ルカの福音書 2
章1〜20節)

序論
 「教会でもクリスマスするの?」って言った人があるそうで
すが、言うまでもなく、キリスト教会のクリスマスこそ本物の
クリスマスです。
 日本では、サンタクロースとケーキに主役の座を奪われた感
のあるクリスマスになっておりますが、今日は、《本当のクリ
スマスって何か》を、お話ししたいと思います。

 クリスマスの《クリス》は、ギリシャ語の「クリストス」=
キリストのことです。《マス》というのは、「=お祭り、礼拝
」の意味です。ですから、言語から言えば《キリストの誕生を
お祝いするお祭り》ということになるでしょう。クリスマスは
、今から西暦2006年前にユダヤの国、今のイスラエルにイエ様
が産まれたことを喜ぶお祭りであり、礼拝なのです。
 誰も死んだ人の誕生日をお祝いする人はありません。死んだ
お爺ちゃんの誕生日を祝う家なんて聞いたことがありません。
すなわちイエス様は、2006年たった今でも生きているのです
。生きているから、全世界の20億人も人々がイエスの誕生日を
お祝いしているのです。ところで、

本論
ルカの福音書の2章1〜3節に、
 「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝ア
ウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった
ときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録の
ために、それぞれ自分の町に向かって行った。(ルカの福音書
の2章1〜3節)

と書いてありますが、これは、簡単に言えば、クリスマスは、
皇帝アウグストの時代に起こったことで、疑う余地のない歴史
上の事実である。決して作り話ではない。ということをお医者
さんのルカは伝えたかったといことです。

次の、ルカの福音書の2章4節〜7節までの意味は、
 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムとい
うダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋
でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもい
っしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる
間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布
にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所が
なかったからである。(ルカの福音書の2章4節〜7節)

 ローマ皇帝アウグストから発せられた人口調査の勅令は、「
自分が住んでいる町の役場ではなく、自分の産まれた本籍地に
行って登録するように」という命令であった。ということです
。ですから、ダビデ王様の直系の子孫であったヨセフといいな
づけの妻マリヤは、出産間近いにも関わらず、かつてのダビデ
王が産まれた「ダビデの町」と呼ばれる150?も離れたベツレヘ
ムの村まで急遽、旅をしなければならなくなった。ということ
なのです。

 ところが、身重の故か、王の子孫という故か、想定外に登録
に手間取ってしまったのです。それで、出産の準備もしていな
いのに、出産の月になってしまったのです。しかも宿屋は登録
のための旅人でいっぱいで、泊まる家さえなないというしまつ
でした。それで、ヨセフとマリヤは、馬小屋を借りて出産する
ことになったのです。
 この事は、ヨセフとマリヤにとっては予定していなかったに
違いありませんでした。しかし、神様から見れば予定どうりの
ことだったのです。
 というのは、人類の救い主は、《ベツレヘムで産まれる》と
預言者ミカによってイエス様が産まれる何百年も前に預言され
ていたからです。

「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小
さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエ
ルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から永遠の昔
からの定めである。」(ミカ書 5:2 )

 もし、この人口調査の勅令が発せられなければ、この救い主
は《ベツレヘムで産まれる》という預言は成就することはあり
得ませんでした。そうなれば、聖書は嘘つきの信じられない本
ということになってしまったことでしょう。しかし、この世を
造られ今も支配しておられる真の神は、ローマ皇帝の計画や心
さえも支配しておられることを私たちに教えようとしているの
です。

次の、ルカの福音書の2章8節〜12節までの意味は、
 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊
の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来
て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御
使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこ
の民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょ
うダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれにな
りました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくる
まって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが
、あなたがたのためのしるしです。」(ルカの福音書の2章8節
〜12節)

 ちょうどヨセフとマリヤが出産のために、馬小屋でてんてこ
まいしていた頃に、ベツレヘムの村の野外で夜番をしながら羊
の群れを見守っていた羊飼いたちがおりました。そこに突然、
太陽よりも明るいような神の栄光の光が回りを照らしたかと思
うと、その中に天使が現れたのです。きっとその天使は、神の
お告げ専門天使のような働きを何千年もしている天使長ガブリ
エルだったかもしれません。
 そして、天使は羊飼いたちに、次のような意味のことを告げ
たのでした。「恐れる必要はない。私はこの度は、怖い事では
なく、喜ばしい事を知らせるために神から遣わされて来たので
すから。あなたがたは神様から選ばれた祝福されている人たち
なのです。なぜなら、今晩ベツレヘムで神の救い主が産まれた
からです。さあこのあなた方の為に産まれたキリストを拝みに
行きなさい。」と。

 皆さん!クリスマスは誰の為にあるのでしょう。天使は「誰
のため」と告げたでしょう。
 そうです。確かに「あなた方のため」と言いました。このあ
なた方のためというのは、文字どうり《羊飼いたち》だけを指
定しているのでしょうか?今も神は《世界中の羊飼いたちだけ
》を救おうとしているのでしょか?そんなことではありません
ね。
 この「あなたがた」というのは、こういう人たちのことを指
定しているのです。

1 それは、《世界の底辺にある人たち》、《この世に希望を
持てなくなった人たち》のことなのです。そのような人た
ちのことを神は  昔も今も、誰よりも心配しておられるので
す。何故なら、神が天使に真っ先に伝えるように命じたの
は、王でも祭司で医者でも、教師でもなく、当時の底辺に
生きていた羊飼いたちだったからです。

 羊飼いたちとは、現代風に言えばニートや人やホームレスの
人たちです。当時の羊飼いたちは、定住の家を持たず、羊の牧
草を求めてさまよい歩くジプシーでした。選挙権もなく、自分
たちが信じる宗教の礼拝にも参加することを許されていない、
いわば落後者であり、宗教破門者たちです。人間の数に入って
いなかった人たちだったのです。ですから、人口調査の登録に
行く必要さえなかったのです。ユダヤ人からは忌み嫌われ、こ
の世から棄てられ、この世から忘れられた存在だったのです。
神は今も昔もこのような可愛そうな人たちを、誰よりも愛し、
心配しておられるのです。天使はそんな人たちに「クリスマス
はそんなあなた方のものだ。」と告げたのです。

 ですから、クリスマスとは、この世で最低の人たちに与えら
れた慰めであり喜びであり、救いであったということです。で
すから、本当にホームレスのように、人間として名誉や人権ま
で失い、どん底まで落ちたことのない人たち、本当の意味で苦
しんだことのない人たちには分かり得ないものであり、分かり
得ない喜びなのです。もちろん、金持ちや苦しんだことのない
人たちはイエスを必要とさえ思わないでしょう。神もそんな傲
慢で鼻持ちならない人にクリスマスの喜びを与えたいと思わな
いでしょう。事実、クリスマスに招待された人たちはそんな羊
飼いたちだけだったのです。

 言い換えれば、私たちも本当に落ちぶれホームレスのように
なり、この世の全ての人々から見捨てられた時、初めて本当の
クリスマスの喜びの深さと有り難さが極みまで味わい理解する
ことが出来ることでしょう。そのような人たちだけが真に神を
喜ぶことが出来るのです。それまでは、頭では理解できたとし
ても、実際には理解しているとは言えないのです。そのくらい
奥深いものがクリスマスなのです。ですから、クリスマスとは
、神に目を留めていただいたことを喜ぶ目出たいお祭りなので
す。神に目を留めていただいた自分を誰よりもこの世で一番幸
いな人だと喜べるように変えられる日なのです。

 それまでは《神を呪い》、このような状況の《冷たい世を呪
い》、このような《自分を呪い》、この世に《自分が産まれた
ことさえも呪っていた》ような人たちが、神を喜び、自分を喜
べるようになることがクリスマスであり、神の御心なのです。
 そういう意味では、私は牧師であっても、「私は本当のクリ
スマスの喜びを知った。」とは言いきれないのかも知れません

 また、牧師でありながら教会批判をするようで少しは気も引
けるのですが、イエス様は、事実きたない馬小屋で産まれたの
です。獣の汚物の臭いがする飼い葉桶に寝かされたのです。ボ
ロ切れの産着を着せられたのです。ケーキも光ペイジェントも
ありませんでした。
 ですから、立派な大理石で作られた大聖堂、黄金やあらゆる
高価な装飾で飾られた美しい教会でうやうやしく持たれるクリ
スマス礼拝ほど最初のクリスマスと比べて不釣り合いなものは
ありません。イエス様がそんな大聖堂に産まれたいとは思って
おられず、喜んで臨在されているようには思えないからです。
そんなこの世の上層部の人たちが真のクリスマスの喜びを味わ
い喜べるように思えないからです。
 
2 この「あなたがた」の中には、羊飼いばかりでなく、《東
方の博士たち》も含まれておりました。
 今日のルカの福音書には書いていないのですが、マタイの福
音書という箇所には、東方の博士たちもはるばる産まれたイエ
ス様を拝みに来訪したと書いてあるのです。(マタイの福音書2
章1節〜12節)
 つまり、神がクリスマスの喜びを伝えたかった人たちの中に
は、羊飼いのような底辺の人たちだけでなく、真理の為には喜
んで宝も生命をも投げ出すような、高貴な宗教的精神の持ち主
たちも含まれていたということです。

 この博士たちは、「マギ」と呼ばれる人たちで、今の英語の
「マジシャン」という言葉の元になった言葉です。このこのマ
ギたちは哲学、薬学、自然科学、天文学に秀でていました。又
、占いも夢も、解くことが出来ました。当時のマギは、人をだ
ますマジシャンではなく、高潔な真理を探究する善良な聖人で
ありました。
 彼らは拝むべきものを求めてやってきたのでした。けれども
、彼らは有り難ければ何でも拝むような人たちではありません
でした。彼らの国にも拝むことができる物は一杯ありました。
しかし、それらは彼らから見て拝むべきものではありませんで
した。

 又、彼らは、外国の宗教を何故拝まなければならないのか?
とは考えませんでした。日本人の多くは、このように言います
。『日本には外国の宗教に負けないくらい良い宗教が一杯ある
ではないか。それなのに何故外国の宗教を拝まなければならな
いのか?』と。私も若い頃、親父から怒鳴られたことがありま
した。その親父も含め、今では全家族がクリスチャンになりま
したが…。
 ここに日本人の宗教観があります。「鰯の頭も信心から。」
という言葉があるように、どんな宗教でもかまわない。どんな
ものを拝んでも個人の自由だ。何を拝もうと要するに大切なの
は、熱心さであり、宗教する心であり、一生懸命に拝むことだ
と。

 しかし、博士たちは、東方の異教の国に住みながら拝むのに
ふさわしい「真の礼拝とは何か」を知っていたのです。拝むの
に都合が良ければ何でも良いとは思っていなかったのです。拝
むべきものと拝む価値のないものを知っていた。いや、拝んで
はならないものも知っていたのです。
 博士たちは、星を目指して進み、ついにイエスさまを探し当
てると、何ものにも勝って喜び、ひれ伏して拝み、宝物である
黄金、乳香、没役を献げたのでした。拝んだということは、イ
エス様を神様だと信じたということです。
 結婚講座でもお話ししましたが、人生の目的は幸せになるこ
とではありません。神と出会うことです。この究極の目的を博
士たちはついに見つけたのです。人生の達成すべき目標を成し
遂げたのです。そんな彼らは、「もう私はいつ死んでも良い。
」と思うほどの喜びに輝いていました。 真の神を拝むことこ
そ人生の宝だと感じたのです。
 羊飼いたちとは違って、クリスマスとは、博士たちのように
、人生の究極の目的を手にする喜びでもあるのです。

最後に、ルカの福音書の2章13〜20節ですが、
 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍
勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が
、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあ
るように。」御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼
いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主
が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そ
して急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられ
るみどりごとを捜し当てた。それを見たとき、羊飼いたちは、
この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人
たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。しかしマリヤは、
これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。羊飼
いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだった
ので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(ルカの福
音書2章13〜20節)

 天使は「御心に叶う人々に平和があるように」と羊飼いたち
に語りましたが、羊飼いのような底辺の人たちと、博士たちの
ように生命と交換しても良いと思うほどに真理を探究する人た
ちこそ、「神の御心にかなう人々」であり、神に選ばれた人た
ちだったのです。
 神は全人類の中で、こんなに少数の人たちからクリスマスを
喜んでもらえればそれで十分だったのです。ということは、ク
リスマスとは選ばれた人たちだけが預かれる救いであり、喜び
でもあるようです。

 天使は、「御心に叶う人々に平和があるように」といいまし
たが、
神が与える「平和」とは何なのでしょう?(ヘブル語でシャロ
ームと言う)
 その平和とは、単に戦争や争いがないことではありません。
物質的な物でも、この世的な物でも、人間の手によるものでも
ありません。まして金で買える物でも、多くの家族から囲まれ
てのんびりと生活する平穏な生活のことでもありません。
 そうではなく、こんな最低の私たちの為に、神は私たち以上
に最低の方として産まれて来てくださった。今までは自分たち
を「俺たちほど惨めな者はいない。哀れな最低の人間はいない
。」と愚痴っては神に向かって不平不満を漏らしてきたが、し
かし、今日、この天と地を造られた神の御子が私たち以上に最
低なホームレスとして、馬小屋の飼い葉桶の中に、ボロ切れの
産着を着せられて産まれてきて下さったのをこの目で見てしま
った。神が私たち以上に惨めな人間となって産まれて来ること
を「それを良し!」として下さったことを知った以上、俺たち
はもうこれ以上自分たちの身の上を嘆き愚痴るのは止めよう。
神に向かって毒づく生き方は止めよう。神が俺たちのことを誰
よりも一番お心に留めていてくださるのが分かったのだから。
神はこのようにして口を塞ぎ最低の身の上に産まれてしまった
ことを感謝できるようにして下さったのです。

 低い者に対しては、より低い者となることによって口を塞ぎ
、賢人たちに対しては、彼らよりも遙かな賢人として星を動か
してまでご自身の所まで案内して、彼らのうぬぼれの口を塞い
で下さった。貧しい者たちにとっても驚きであり、賢い人たち
にとっても驚きであった。貧しい者たちにとっても最高の喜び
であったし、賢い人たちにとっても最高の喜びであった。貧し
く自己憐憫に明け暮れていた人たちにとっても救いとなって下
さったように、真理の道を求めて苦しんでいた賢者たちにとっ
ても救いとなって下さった。クリスマスは全ての御心に叶う人
たちに対して与えられている。全ての人たちに対して全ての人
たちのようになって下さることによって真の慰めと平和と喜び
と救いを与えて下さるのである。

 クリスマスを祝ったからといって、苦しい立場も、貧しい状
況も、病も、惨めさも何一つ変わってはいないかも知れない。
しかし、それでも主イエスはその人たちの所に、その人たち以
下の姿となってお出でくださったのです。そして、ありのまま
で、あなたがたこそ、御心に叶った人たちなのです。そのあな
たがたを苦しめている苦しみこそ、神があなたがたを慰め救っ
てあげようとされた理由なのです。」と話されたのです。
 このようにして神は彼らの状況は変えてくださらなかったけ
れども、神は彼らの心を天国の心に変えてくださった。これが
神の人間をこの世に於いて救おうとされた救い方なのです。そ
して、この心の平和と自由こそ今も私たちに神が与えようとし
ている平和だったのです。本当のクリスマスが分かりましたか
?そして、私もクリスマスを体験したいと思われましたか?
 神様から本当の喜びと平和が心に与えられますように。本当
のクリスマスがあなたに届けられますようにお祈りいたします
。ハレルヤ!
                   2006年12月24日 AM5
:00
                         牧師 
安藤修一

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